47 虹の律動〜ゴスペル
【我は闇なり。我が声を聞け】 レム
47 虹の律動〜ゴスペル「もう、やめてくださいぃッ!!」
レムの振り絞るような叫びひとつで戦いが終わるのであれば、150年前の争いなんて存在し得なかった。レッパクたちを次々と打ちのめす、地響きのような爆音に、レムの大声はあっさりとかき消された。
これは、150年前の続きなのだ。
誰も、耳を貸してくれないのだ。
150年前を知らないレムに、今日までのホウオウの気持ちがどれほど波乱めいたものであったかなど分かりようもなかった。小さな体で争いの中心に潜り込み、レッドを乗せるホウオウに向かってわめくことしか手立ては残されていなかった。
「どうして、どうしてこんなことを! こんな醜い争いが、あなたの望むことだったのですか!」
「しかと告げたはずだ。吾は器となる人間を見定めるため、二人の人間を引き合わせると。それに加担していたに過ぎないお前が、今更何を言う」
レムは二の句が継げず、ほぞをかむ。ゴールドでレッドが助けられるのならばと、投げやり気味な思考を持っていた自分をどうしても否定できない。結局は自分も誰かを頼って、この問題から目をそらそうとしていたにすぎなかった。
「だからって! これはあんまりすぎます! 人をなんだと思っているんですか! あなたの考えていることが、わたしには全然理解できません!」
とてつもない失言だった、とはレムはまだこのときは思っていない。
問題は、その発言を受けた者がどう感じ取るかである。
火球がレムの横をかすめた。身を切るような疾風、黒い頬を更に黒く焦がす熱。頭がぶわりとなびいて踊る。背後、マスターを抱いたままのオボロが、その火球を間一髪でかわす。レムは今度こそ完全に言葉を失い、震えて地に降りた。恐怖に思考が麻痺して、何も考えられない。
「レム、やめるんだ。もうあいつなんかに話は通じない。戦ってゴールドを奪い返すんだ」
「だ、だって、先輩も、みんなも、もう戦える状態では――」
リザードンとともに戦いつつ、グレンゲが叫ぶ。
「だってもへちまもあるか! 大将がずっとあのままでいいってのか! 俺ぁぜってえごめんだ! お前さんもだろ! ついてきたいと言ったのはお前さんだ! 最後まで責任を持ちな!」
やがてグレンゲとリザードンが爆風に吹き飛ばされ、余波でソニアも倒れた。
あのときと同質の涙が、レムの両目から溢れてくる。火傷した頬が雫でひりひりと痛む。みんなが己の主人を取り戻そうと切り結んでいるのに、自分はただ震え上がっている。情けなくて悔しくて仕方がなかった。
どうして、自分はこんなにも泣き虫なのか。
どうして、みんなはこんな状態でも泣かずにいられるのか。
「レム……」
レッパクが隣へ並んできた。
その横顔に光るまなざしは、いまだ冷めやらぬ、闘志と殺意を混ぜ合わせた刃物のような鋭さをもっていた。もう今にも倒れそうなくらい傷ついているのに、内在する意志はレッパクからまったく離れようとしなかった。
「せん、ぱい、」
「主が……言ってくれただろ……。自分の力を、信じろと……」
定石、『
七星屑』。
口を挟ませぬホウオウの爆撃、レッパクはレムを突き飛ばしてかばった。
めちゃくちゃな体勢で宙を舞いつつ、ついにレッパクも吼えた。
「事の成り行きは忘れちまえ! 自分がここにいる意味を知りたいのなら! 自分自身の力を出し切ってからにしやがれ!」
突風にあおられて、とつおいつレムは考える。
どうして自分はこんなところにいるのか。
ホウオウにたぶらかされてだろうか。自分がマスターとみんなにもたらした意味とは、果たしてなんだったのだろう。
自分の力で、自分のやり方で、自分が本当にやりたいこと。
何もかもから逃げて卑怯者に成り果てるか、最後まであいつに生き意地を見せつけてマスターに殉ずるか。
そんなこと、秤にかけるまでもない。
みんなと一緒にいられた時間へ対する気持ちに、嘘はつけない。
答えは最初から決まっていたはずだ。
「もう、もう逃げません! わたしは、初めからあなたに利用されてなんかいません! わたしがここにいるのは、マスターと一緒にいたいから! たとえ一時でもわたしを優しく受け入れたマスターのために、わたしは戦います!」
同胞であることを宣言した瞬間、レムの首飾りが一度だけ煌めいた。
レムの暗い体を、白い輝きが包む。レッパクが、グレンゲが、オボロが、かつて経験した命の光。ゴールドの祖母から託された首飾りが、それに共鳴した。ホウオウから発散される明暗の波にも匹敵する、情熱の灯火。
レム――ムウマは、ムウマージに、進化した。
妖術使いを思わせる濃艶な容姿に、一瞬だけ全員が目を奪われた。
レムは進化の余韻に浸ろうともせず、全身から満ち溢れるエネルギーとこれまでの屈辱をあるったけの馬鹿力に置き換え、テレキネシスを放った。不時着しかけたレッパクに不思議な力を与え、重力を相殺して救出。大声をあげればその分だけ勢いが出ると信じ、空間をねじ曲げかねないほどの念力でホウオウの動きを捕縛した。
「ぬ――!、」
一対一、レムがホウオウと対峙している最中に、残りの全員が体勢を整える。
「結構戦ってきたはずなのに、あんな体力がどこに残ってたってんでえ?」
「あいつはこのシロガネやまで生まれ育った。厳しい環境に慣れている。おれたちは薄い空気のせいで力が発揮できないが、あいつなら――」
周囲をうかがい、そばにいたピカチュウを見て、レッパクが閃く。リザードンを見た。カメックスを見た。
「レムが隙を作ってくれている今なら、あれ≠ェ使える。一か八かの賭けとなるぞ」
「んなこたあ、もとより承知だぜ」
それもそうか、とレッパクも思い直す。
「よし、みんな来てくれ! 一杯くらわしてやる!」
敵も味方も関係なかった。レッパクの指図に勇気を感じ、11体が即座に集結した。
「あたしも準備ならかんりょーしてる! 今度こそやってやるー!」
「ぼくたちはどうすればいい」
「風の制御だ! 一瞬足りともそらしてたまるか! 弾道を確実にあいつの中心部にぶち当てるぞ!」
「分かった」
オボロがゴールドを丁寧におろす。リザードンが、レッドを助けだしてみせると申し出た。レッパクは了解し、すぐに配置を決め、お互いの力が相殺されないよう最良の陣形を組んだ。臨戦心理の足並みを揃え、呼吸を整え合わせる。
レムとホウオウ、二体が発する念力はヤジロンのようにお互いの間を行き来する。もとより、精神力の差でレムは負けていた。ホウオウがしびれを切らし、少しずつテレキネシスを打ち破り始める。目には見えない波動の力が一帯に及び、レムがとうとう弾き飛ばされた。いななきながらあっけなく落下していく小さな体を、カビゴンが腹で受け止めた。
さっきまでレムの相手をしていたホウオウも、やっと気づいたようだ。
不思議そうな顔で、こちらを見下ろしてくる。
「――何をしている」
どうやら集まってくれたほうが向こうにも好都合らしく、ひとつの巨大な火球を呼び出した。
結を謳う暇はなかった。
疲労に限界が来ている以上、これに勝負を託す。
トライアタック、そして、ソーラービーム。四つの光線がからみあい、爆発的な化学反応を起こし、充実した速度でホウオウめがけて放たれる。これまでのよりずっと大きかったはずの火球をたやすく突き破り、その延長線上にあるホウオウへ届いた。光線が複雑な色合いで散り、黒い煙が空中に立ち込めた。
「よっしゃー、手応えありいー!」
会心の出来栄えに、ソニアが腕を振るった。
レッパクとオボロが、同時にその事実に気づいた。
「いや、違う。確かに、確かに当たったが――」
「くらってない――」
Ha Tey Na Ruu Mie Fong Sa Yei
Ha Tey Na Re Saa.
黒い煙を嫌う、白い炎。
トライアタックが直撃する寸前、ホウオウは自らをせいなるほのおに包み込んでいた。白き炎はホウオウとレッドを燃やさず、しかし渾身の一撃をも軽く退けた。
その目が語っていた。
――とくと見るがいい。これこそが、吾の求める統制の具現。
総ての光がひとつになった、世界の色だ。
純白に燃え上がるせいなるほのおがホウオウから剥がれ落ち、胸元一点に渦を巻いて集められる。極限にまで圧縮された力が、巨大なだいもんじとなって一気に開かれた。
信じがたい角度での急降下。
雪の白を殺す、炎の白。
肌で
触れそうなほどの殺意を感じた全員が、瞬く間に散った。逃げなければ今度こそ死ぬとレッパクは思った。自分の足でどれだけの距離を稼げるのかなんて、たかが知れていた。それでも逃げるしかなかった。理屈抜きの純粋で絶対的な恐怖に陥れられたら何も考えられず、本能は逃げることしか選べないのだとこの時思い知らされた。
シロガネやまが悲鳴をあげた。
雪庇を崩し、雪崩を撒くことで、涙と表現した。
あらゆる感覚が押し潰されたホワイトアウト。息をするのも惜しい。ドロップはかつて闇から無を悟ったが、レッパクは今、白から無を察した。
生きることをようやく思い出し、まぶたを開ける。一緒になって逃げたピカチュウが目の前にいた。お互いくたばり損ねたことをうなずきあって確認した。
白いだいもんじはシロガネやま頂上付近の雪を全て溶かしつくした。そこだけ一足早く春がやってきたようだった。しかし、辺りの草も爆炎に焼き払われ、焦げた土肌の色を露呈していた。瑞々しい草木の汁も気化し、妙な匂いを発散させていた。
白煙がホウオウの羽ばたきで消沈していき、レッパクは何もかも失われたシロガネやまの頂上を見渡していた。グレンゲも、リザードンも、ドロップも、カメックスも、ピジョットも、ソニアも、フシギバナも、レムも、カビゴンも、致命傷は免れたようだった。
ふと、レッパクとピカチュウは考える。
主は、逃げられない。
地を駆けるには足を使う。足をひたすら前に出せばいい。
空を駆けるには翼を使う。こちらは、初動を必要とする。
空間を利につける長所を考えれば、このくらいの動きはあっても仕方がない。
自分の主人を避難させなければならないのであれば、なおさらだった。
白煙が完全に取り払われた向こう、
主と、ホウオウから背いて主をかたくなに抱きしめるオボロが、いた。
全員が、呼吸を止めた。
ぉごほっ
のけぞる背中、赤いカバーの向こうで剥かれる白目。血が蒸発したらしい、どす黒い煙を、オボロは一度だけ吐いた。
護の常識を覆すほどの威力。菱形の双翼としっぽの先端から輝きが失われる。自身の体重で圧迫させない余力すら残されていなかったらしく、主と折り重なるようにオボロは倒れた。全身に大きなやけどを負い、声もあがらなかった。主を捨てての飛翔にせよ、そうでないにせよ、風を打ちつけて浮上しようとした隙に、オボロはだいもんじに巻き込まれたはずだ。刹那の葛藤を振り切り、背中でだいもんじを受け止めてでも主をかばうことをオボロは勇断した。
言葉にならない喚声が、喉を引き裂くようにほとばしった。自分かもしれないし、別の誰かかもしれない。レッパクには記憶できなかった。
磁石のごとく再び集まる全員、意識不明の瀕死となったオボロ、衣服を少し焦がしていまだ起きてくれない主、
そして、阿鼻叫喚のさまに陶然とするホウオウからの追撃。
「これで最期だ」
空を斬る音。実に分かりやすいカーブを描き、はっぱカッターが大軍でホウオウに押し寄せた。詰めの一手を見舞おうとしていたホウオウは面倒くさそうに反応し、ひとつ残らずはっぱカッターを消滅。気がそれたお陰で、結果的にオボロの寿命が若干延びた。
今の不意打ちに身に覚えがあるグレンゲが、ホウオウの目線の先、すなわち背後を最初に確認した。
「なにやつ?」
「いいやつ!」
ブラックとメガニウムが、まったく偉そうで、そして力強い足取りでホウオウに詰め寄る。唯一できる、精一杯の虚勢と見て取れた。
「横取りするなばーか! そこのばかを張っ倒すのはおいらが先約してるんだもんねばか!」
ブラックが、倒れた主とオボロを一度ずつ見る。しかし歩調は緩ませず、首の角度を徐々に上げてホウオウへと接近を続ける。
ホウオウもやれやれとばかりに再びせいなるほのおを鎧う。
――おっと待った。あいにくオレはお前なんざに用はない。あるのはこいつだ。
ブラックは、ホウオウへ向けてぞんざいに右腕を突き出す。
その手には、銀色の光を宿す美しい羽根が握られてあった。