44 赤の律動〜プレスト
【………………………………】 レッド
44 赤の律動〜プレスト レッパクのこころの奥底で、何かがわめきたてている。武者震いではない。胸騒ぎに近いようでちょっと違う。いつかどこかで味わったことのある感じ。それは、かつてのおいうち試験で察知したものと酷似していた。
あの時、ゴールドは目の前のボールを睨みつけるだけで気付かなかっただろう。
しかし、ゴールドを除く全員が、それを見た。レッドの左手に固く握り締められているのは、虹色に染まる羽根だった。見間違えようがない。形、染まり方、生命が宿っているかのような光り方。どれもが自分の左耳にあるそれと一致して疑わない。疑えないことが、次なる疑いを生み出していく。
きっかけを必死に思い出す。野戦用の集中力が別のところへと傾いていく。果たして自分は、本当にこんなことを望んでここへ来たのだろうか。レッパクは自分の中にある疑いをどうしても振り払えずにいる。ここへ行きたいと考えるようになったのは、ライコウたちにそううながされたからであって、100パーセント己の意思ではない。奴らに会わなければ、誰も発想には至らなかったはずだった。不信感の奥底によどむ、レッドへの違和感。登り切った先に伝説のトレーナーがいるというのもうまくできすぎており、疑問として根強く残っている。
その間にも、戦いは始まろうとする。
レッドは、前代未聞の6体同時エントリーのフィールドコンバットをおこなった。
ピカチュウを初めとした、リザードン、カメックス、ピジョット、フシギバナ、そしてカビゴン。
容赦の欠片もない采配だったが、ここまで来て背中を見せるわけにもいかない。
レッパクを初めとした、グレンゲ、ドロップ、オボロ、ソニア、そしてレム。
――噂通り、ピカチュウが一番厄介そうだ! レッパク、オボロ、先行だ!
臨戦心理の配置転換。レッパクも目の前の戦いに専念することにした。気持ちの整理は、全てを終えてからにする。
後方にてドロップの背に乗っている主の命令に従って、レッパクは陣形の隙間を目がけて真っ先に駆け出す。オボロがその隣に続く。背をソニアに預ける。
定石、『
双騎士防衛陣』。
戦法をはかっているレッドが、やがて歩みを再開し、手を正面に向ける。
手加減はいらないだろうと、その手が語っていた。
レッドの手から発せられる圧力にレッパクが背を沈め、相手を前にして速度を殺し、停止する。
ピカチュウたちも無言の指示に即座に応え、とあるフォーメーションを組み立てる。間近で確認するピカチュウたちの表情は、どこか陰を落としていた。
ややもすると、立ち止まっている自分をオボロが追い越す。
思考する。ピカチュウたちの動きから考えうる陣形の名称は、ひとつしか存在しなかった。
レッパクは四つの足で地を蹴り、無我夢中で後ろへ飛びすさった。
「オボロ、離れろ!」
「え、」
やがて、花のように静かに展開される。
定石、『
六丸』。
「んなっ」
遊撃として左へ回ろうとしたグレンゲも、その定石を知っているだけに意表を突かれた。
恐るべき難易度を伴うそれは、レッドの実力を、ピカチュウたちの結束を、致命的なほどまでに証明していた。
戦闘の主導権は、初めから向こうにあった。ピカチュウの雷が弾け、リザードンの炎が踊り、カメックスの水がほとばしり、ピジョットの風が走り、フシギバナの緑が舞い、カビゴンの声が轟く。レッパクは完成された至難の陣形に一瞬尻すぼみとなるも、自力で回避。レッパクよりかは数段遅れたがオボロも単身は無謀とみなし、軌跡を変更、グレンゲに突撃をくれてやる勢いで救出。ソニアは向こうの殺気に気圧され、ドロップのそばまで避難。レムだけが訳の分からないまま戦風で吹き飛ばされる。
――おいおいおいおい、しょっぱなからフルスロットルかよ! レム、対抗できるか!
「ご、ごめんなさい! できませえん!」
主はこんなことでは舌打ちなんか絶対しない、
――分かった、じゃあ俺とみんなのサポートを頼む! みんな、行けえっ!
ドロップの背から飛び降りた主が、全員の背中を力強い言葉で押してくれた。
レムを除く全員がそれに気合で応え、連撃の切れ目を探り出し、反撃の陣形を築きあげる。レッドがピジョットに乗ったのと同様、オボロが主に背を貸した。レッパクは己を手駒だと思い込む暗示。王を守るは龍。その防御を確実にすべく、同じく王をかたくなに守る怪鳥の気をそらす。泥をかぶるのは自分たちだけで良く、相手トレーナーのことをも気にしている暇はない。レムが孤立して展開する定石は『
精霊浮遊』。テレキネシスを周囲に放ち、全員の体重を一時的に変則化。走るときは軽く、受けるときは重く。相手の六体に対して一体足りない分は、自分たちの技量で補うしかない。即座に集まり、うなずきあう。
定石、『
五日坊主』。
― † ―
うずまきじまは、アサギとタンバを隔てる海にある、4つからなる島々だ。流れの激しい潮と渦、そして霧に守られ、俗世から隔絶された魔の世界。
自然の恐ろしさを学習しているため、この手の秘境は一般人よりむしろ冒険家のほうが賢明で慎重になる。あらゆる観点から研究と計算を重ねたあと、結局打ち切りにすることが多い。前人未踏の地で燃やす命に美しさを見出す者にとって、最悪のリスクに勝る重みはなにも無く、それを振り切って勇気をかざす奴は、ただの無謀者と成り果てる。
海の神様がいるかもしれないという風説が出回った所なら、なおさらである。どんなに豪気な者であろうと、死を具現化させるリアルな状況に直面すると、いくらかの後悔を見せる。人間とはいささか複雑もので、説得力のある雰囲気に呪われたら、空駆ける象の存在をも信じこんでしまう。いるかいないかという前提を無視してあれこれと想像を巡らせる。万が一祟られたら最後、その場で舌を噛み切って死ぬか、己を贄と捧げるか。
神から見た、人としてやってはいけないこと七ヶ条のうち第三ヶ条に当てはまってしまいそうなほどの禁忌。
誰も近づこうだなんて思わない。
思ってしまったら、どうするのだろう。
うずまきじまの中は、どうにも殺風景で息苦しい。魔物の寝息を間近から吹きつけられているような、中途半端な風通しの悪さ。人間が追求心をもって造り上げられるようなものでは決してない、おぞましいほどの異形の美が、ブラックとミカンの背を慄然とさせる。ブラックはそれでも歩幅を縮めることなく奥へと進み、緊張感あふるる面持ちのミカンも頑張って追いかける。
岩屋は何かの通り道のようで、ギャラドスの体躯をも凌ぐ太さ。道の脇を流れる清流は、この暗さでは濁っているようにしか見えない。鍾乳石や石筍がたくさん飾られているあたり、以前修行のために侵入したりゅうのあなともよく似ていたが、いかんせん規模が違いすぎる。こんなところに一日でもいるくらいならば、りゅうのあなで一週間過ごしたほうがずっと健康に良いとブラックは固く思う。
水の塊が何かを叩きつける激しい音が、内部へ潜り込んだ時からずっと耳の中を支配していた。奥へいけば行くほど、音の隙間にある別の音が繋がりそうになる。喉をこすっているような、くたびれた息遣い。その正体こそが足を速めた。
視界がついに開けた。
歴史の遺産がいた。
「時々、自分の第六感が恐ろしくなる。思いつきで来てみたが――ンだよ、神様ってのは案外どこにでもいるものなのか?」
暗い中でも、その体毛の白さははっきりと分かった。翼竜を思わせるその巨大なポケモンは首をおもむろに寄こし、どこか眠たげな目でこちらを見下ろしてきた。
――何用か、人間。
脳内に直接思念波を投げつけてきた。その力で、ブラックとミカンは確信する。
昨日までただの噂だと信じていたものが、ここで形となった。
せんすいポケモン、ルギア。
真実を目の当たりにできた衝撃のせいか、ミカンは言葉に詰まり、警戒心を溶かし、水と共に流してしまう。発せられる威圧感もものともせず、吸い寄せられるようにルギアへと近づいた。遠くからでも認識できた多くの痣はやはり近づいてみても変わりがない。ルギアの体を蝕んでいるのは大小様々な裂傷だと見て取れた。体をそっと触ろうとしたところでやっと目を覚まし、無駄だとは思いつつも手持ちの薬だけでも使ってみようと鞄の中を漁り始めた。
――私は見ての通りだ。うずまきじまが濾過する水をこうして浴び続け、永い歳月を過ごしてきた。傷が癒えるまでは、幽閉されたも同等の日々だ。お前たちのような人間が興味本位で訪れるようなところではないぞ。悪いことは言わぬ、帰ったほうが身のためだ。
立ち止まったままのブラックは、ルギアからルギアに叩きつけている水へと視線を移し、流れを追う。人間なら気が狂うに違いない歳月を、この神は暗く閉ざされた空間でゆっくりと積み重ねていた。150年経って、まだこれほどにまでに深い傷を負っているということは、当時の動乱がいかに殺伐めいたものであったかがうかがい知れる。ひょっとすれば、もう150年経っても、ルギアはこのままなのかもしれない。
「お前がそうなったのも、150年前のせいなのか?」
――答えるいわれは、ない。
ブラックはいつもの癖で肩をすくめる。目つき同様にくちびるをとがらせて、白く鋭い息を吐く。そっちに用が無くてもこっちにはある。出し惜しみもせずに奥の手を起爆させることにした。
「ああそうかよ。じゃあさっさと言っちまうぞ。にじいろのはねを授かったやつと出会った」
レッパクを遥かに越える反応速度で、ルギアの目がカッと開かれた。それだけで天井にぶらさがっていたズバットやゴルバットが腰を抜かしてうっかり足を離し、情けなく墜落。慌てて体を起き上がらせ、おっかなそうに退散した。ルギアは驚くあまりに首を持ち上げようとしたが、傷をめりめりとうずかせ、苦悶一色の表情を満面に浮かべて咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
――ぬ、う。すまない。少年、それはまことか。
よほどの効果があったらしい。思念波ではなく、口を聞いてきた。
「両のまなこでしかとな。やっぱお前ホウオウと関係があんのか」
ブラックもだんだんとルギアとの距離を狭めていく。
――秘しても訊き出すつもりであろう。
「たりめーだ。あいつ何か変なもんにとり憑かれてやがる。ホウオウについて知っていることを洗いざらいしゃべってもらうぞ。お前のこともだ。これ以上傷増やしたかねえだろ」
果たしてこれは尋問か、あるいか拷問か。ついにルギアの眼前まで迫り来る。まさか自分たちを食い殺したりはしないだろうと信じた。
――友だ。
遥かな昔から、だったらしい。
― † ―
発明者は知らない。
定石、『
五日坊主』は、『
三位一体』に似ている。見てくれこそ術者を三体から五体に増員すればいい話だが、現実はそう甘くない。一日に一体ずつ脱落するという、そのあまりの難易度の高さが由来でこの名がつけられた。短い生涯、数度としか体に通して試したことのないレッパクだったが、その数度だけで骨身に染みて理解できる。この定石を我がものとするには、まだかなりの時間と努力を必要とする。難儀さから察するに、誰も同等の
套路を踏むとは思えない。『
双騎士防衛陣』や『
三位一体』はまだ簡単なため、誰であろうと差異は生まれないだろう。しかし、ここまで高度なものとなると、術者それぞれが独自の改善を組み込み、いくらかの癖≠入れなければ完成とならないはずだ。
実際、レッパクの読みは正しく、以前はもう少し簡素な型であった。時を重ねるごとに他の定石も練りこまれ、昇華され、現在のような複雑なものへと開花した。もしかすると、進歩を要しているのは自分たちだけでなく、この定石もなのかもしれない。
そして、それをも上回るのが、定石、『
六丸』。現在確認されている定石の中では、最高の堅牢さと最悪の難易度を誇る。一体増えただけでも戦術は芋づるのごとく派生していくため、その中からベストな手口を生涯のうちに見つけ出すことは、まず不可能だろう。
なんだ、この戦いにくさは。寒さ以外に感じ取るこれは、直線的な胸苦しさ。急性高山病のせいか、頭も若干痛い。練習の時のほうが、まだ小気味良い連携がかなっていた。ぶっつけ本番だったのは百も承知、二百も合点。ゴールド同様、勝てるとはまさか思えなかったレッパクだが、負けたときのことを想像すると、何故か恐ろしくなる。
一度崩れてしまえば、その乱れを突かれるのが戦闘の鉄則だった。最初のほうは果敢さがあって、ピカチュウたちにも負けない勢力で対抗していたものの、体力を削られ、戦況を判断できる中盤となると、さすがに次なる打開策を考えねばならない。意識の端へ追いやって気にしていなかったことだが、戦意の波をかいくぐり続けると、察すべき違和感、つまり仄見えてくるものがある。ピカチュウを初めとするレッドのパーティは、どこか様子がおかしい。見ず知らずの自分たちに、死にものぐるいで勝ちにこようとする。
何かを訴えたげなその目に、レッパクは一瞬の隙を許してしまった。追い風を味方とする火炎、避けた先、噴出するハイドロポンプ、宙を跳んだところでピカチュウのアイアンテールに胴を払われた。それから先はあっという間で、定石、『
五日坊主』はついに形をなくし、仲間との連携がとれなくなり、防戦一方を強いられるようになった。
「先輩!」
レッパクは即座に起き上がり、寸前ではっぱカッターを回避。緑の刃が次々と地面に噛み傷を作る。
「――じり貧だ。レム、お前も応戦をしてくれ。定石、『
六丸』にはやはり『
六丸』しかない」
「で、でも、わたし、」
「主からも頼む!」
オボロの背にまたがり、レムからサポートを受けていた主もうなずく。
――分かった。レム、やってくれ。
「マ、マスターはどうするんですか」
全員が結束して初めて成立するのであるから、当然、オボロも『
六丸』に加担せねばならない。ここでゴールドを下ろすわけにもいかないし、これからのことを考えると、地上のほうがよほど危ないだろう。
――俺はいい。みんながお前を必要としているんだ。自分がやれることをやってくれたほうが、俺も嬉しい。自分を信じろ。俺が決めるんじゃなくて、自分で決めるんだ。
「レム!」
「こっちだ!」
「お願いします!」
「早くしてよ」
「あたしたちも信じてー!」
板挟みとなったレムは目をぎゅっととじる。やがて緩ませる。深呼吸を一度終えると、目つきを変えた。
「――はい!」
解除、『
精霊浮遊』。
――レッパク、どうする。今攻めるか、守って好機を待つか。
主はこめかみを指で叩き、全員の癖を考え直している。レッパクは一度だけピカチュウたちの周囲を逆時計回りに旋回し、電撃を投げ入れてみる。それとほぼ同時に、水圧の高いに違いないハイドロポンプが反撃され、レッパクの真横をかすめた。
さんざん決意したはずなのに、この期に及んで、レッパクは怖くなる。
「守る」
主はにっと笑い、配置を即断。一気に指示を出した。
――よし、レッパクとオボロは右、グレンゲとレムは左、ドロップとソニアは正面! あえて攻撃させて、隙を作るんだ!
定石、『
六丸』。
2人の人間と、12匹のポケモンが、蹂躙する。なきごえが、えんまくが、しろいきりが、すなあらしが、ミサイルばりが、あやしいひかりが、全ての戦況を良くも悪くもかき乱す。
レッパクはピカチュウ、グレンゲはリザードン、ドロップはカメックス、オボロはピジョット、ソニアはフシギバナ、レムはカビゴンと対峙する。敵に味方への弱点を突かせないよう、あえて護を近づけ、持久戦へと持ち込む形となった。粘り強く情報を集め、有効と思われる決め手を見つけ、ここぞと思えるところで叩き込む。
タイミングは一度きり。
二度目は、きっと無い。