43 勝負の時
【お前さんたちが最強の6体なら。俺たちは、最高の6体だ】 グレンゲ
43 勝負の時 手段はかなり限られている。上空からは見つけにくいわ、でっかいうずしおに守られているわで、みずからうずまきじまへ赴く輩は、いつの時代も相当の好事家だろう。言う事を聞かない悪い子は連れ去られてしまうという、古くからの民話に沿うならば、俗世をはかなんで自首しに行くようなものである。
そんな悪条件を味方につけている、難攻不落のうずまきじまへ挑むには、一旦アサギで降下し、海路に変える必要がある。
だから、ものすごく思いっきり、見つけられてしまった。
「どこに行くんですか?」
感動の再会もへったくれもなかった。
ミカンだった。
まあ、世にも珍しいあかいギャラドスなんぞを砂浜へ出したブラックにも、多少の責任はあったが。
もし話しかけられたのがゴールドならば、いくらかの躊躇を見せ、目線と話を適当な方向へとそらすだろう。しかしブラックは、こういう点でゴールドと決定的に違っていた。
「うずまきじまだ」
文句あんのか、という語気を添えて、ブラックはあっさりと口を割った。
なぜゴールドがミカンに対してとりわけためらいを見せるのか。それは余計な心配をさせないためという、おざなりな気遣いからだ。知らぬが仏というやつである。その分、あとでより一層に降り注ぐ小言に絞られるのも、十二分に覚悟した上での黙秘権だ。
いずれにせよ同じ結末で、どうせお咎めを浴びせられるくらいならばと、早めに白状して退散するのがブラックであり、そういう意味ではゴールドより正直だ。後日に説教を食らうのと、今の制止を振り切るのと、どちらが気楽か。ブラックはここで後者を選ぶ。
だが、ミカンは詳しい事情を吟味するまでもなく、まったく第三の道を選んだ。
「わたしも行きますから」
こればかりはブラックも予想していなかった。いきなり出てきて何抜かしやがる意味分かってんのかオレが行きたいから行くんであってお前がついてきてなんになるんだ海を渡るのにはがねタイプがいても仕方ないだろジムにこもってリーダー務めてろだってあんな所に用があるだなんてよっぽどの理由があるんでしょう話してくれなければわたしも溜飲が下がりませんついていくまでですそれにレアコイルだっていますよ中はきっと真っ暗だから一人ではどうしようもないでしょう。
中略する。
以前は逆上がりも蝶結びも下手くそなミカンであったが、食欲と口論の上手さではさしものゴールドもブラックも敵わない。
ゴールドのように適当にお茶を濁してその場をやり過ごす方法が、結局は一番賢明な判断だったのかもしれない。
後先を深く考えない無謀さでは、やっぱり似ているのだ。この三人組は。
― † ―
鉛色をした寒空。遠目でも高そうだと推し量らえた山岳は、いざ登ってみると口数が減ってしまうほど本当に高い。シロガネやまの中腹はひどく白い冷気に包まれている。霜が木々の緑葉を透明色で覆い、つつましやかに煌くその姿はどこか無表情で、無限大のパターンをもって自然の神秘を織り成している。ぎしぎしに凍てついた空気はその場を動こうとはせず、ゴールドの鼻と耳を赤く染め上げていた。手に息を吹き、その温かみを冷たい頬に押し付ける。煙草の形をしたお菓子があれば、雰囲気だけでも楽しめるかも、なんてことを考える。つま先の感覚はもう無視することにした。地を踏みしめると氷を踏んでいるような感覚が足に伝わってきて、素足で歩けば張り付いてしまいそうだった。湿気が多く、残雪は少なく、水へ姿を変えたそれが静かに流れ落ちている。
高山病のこともあり、そして寒さに弱いオボロへの負担を考慮し、なるべく自分の足を使うこととし、少数の手持ちで登山していた。
グレンゲとドロップがいれば、最低限のことは済む。希望した自分が引っ込むわけにもいかないとレッパクも一緒だ。最大の友であり最悪の敵である、己の体力。これと相談しつつ、いかに磨耗させることなく頂上まで行くかで勝敗が決まる。慎重に進み、休憩をなんども挟み、もう随分と登ってきた。一度だけ呼び出したオボロとレムが距離感を観測するに、もうゴールは近いとのこと。
― † ―
行く前からべっとり疲れた。
顔に疲労の色を浮かべたブラックはついに折れ、次に言うべきだった悪態はため息へと化けて腹から出た。さっきまで放置していたあかいギャラドスにやっと乗り込み、
「いいか、あくまでオレの勝手な妄想≠セ。同じ地で育った以上、お前も聞いたことのある話だが、そんなことは今は置いておく。オレの勝手な妄想≠竍思い過ごし≠ナ済んじまうのが、一番安心できる結末だ。お前がついてこようとそうでなかろうと、その点はなんの意味も変わらない。覚えとけ」
「はい」
「それと、だな、」
遠まわしな表現を探そうとしたが、どうしてもうまい言葉が見つからなかった。
「――せめてワンピースやめろ。動きやすい格好にしてこい」
― † ―
登山経験もなく、やまおとこからひたすら山のたくましさやらおそろしさやらを教え込まれていただけのゴールドは、案の定、「山の頂上とは見たとおりとんがったものである」というまことに露骨な印象を持っていた。
ジョウト地方随一の高さを誇るシロガネやまならば、なおさらのことだ。無理もない。
その場所へ登りつめると、いきなり視界が開かれた。意外なほどのなだらかさをたたえている。体積が大きい分、頂上もそれに相応するのだろうとゴールドは思う。
ジョウト地方に「果て」という概念が存在するのならば、ここに間違いないとゴールドは信じた。不思議な場所だった。気圧が低いことに変わりないが、謎めいた磁場に覆われていて、感覚が登山中のそれともまた違っていた。天然さが支配する一種の結界。体にまとわりついていた寒気はどこかへ薄まり、頭が引き締まってくる。周囲の景色はことごとく地平線のそばへと沈んでしまい、世界から置いてけぼりにされたような、言葉にならない思いが背筋から首へと這いずり上がってきた。
向こうに、誰かがいた。
帽子をかぶったひとりの少年だった。
向こうに、何かがあった。
ポケモンのと思しき小さな墓だった。
― † ―
置いていってやろうかと、ブラックは波に揺られながら三回くらい考えた。
意味を多少でも汲みとってくれたらしい。一度ジムへと戻ったミカンが、ジャージにスニーカーという一生かかっても拝めそうにない風体に変身しくさりやがった。
秘めていた努力というやつで、ジムリーダーになってからも修練を積むときに着替えるトレーニングウェアだ。いつでも準備ができるという几帳面さが功を奏し、幸いにも時間はそれほど取られなかった。
ブラックはまずミカンのスニーカーに目をくれる。
蝶結びだった。
― † ―
背中に目でもついているのか、ゴールドが相手の存在を認めるのと同時に、向こうは風に誘われるようにゆったりと振り返った。遠目で認識しても、身の丈はそれほど変わらない。ゴールドより若干高い。
やあ、とうとう来たね。
そう言われた気がした。
距離を置いていたはずのその体が、足音も衣擦れの音もなく歩み寄り、ややもするとゴールドのすぐそばにあった。
心音が瞬時に高鳴り始める。姿を間近で見たことも、ましてや声を聴いたこともない。これまで目にし耳にしてきたあらゆる情報が、二次化、三次化され、長い尾ひれのついた噂と伝説だ。
しかし、上ずったゴールドでも、これ以上にないくらい確信した。
「――まさか、あなたは、」
レッド、さん?
もう少し背の高いお人だと思っていた。しかしそれは、なんの確証もない勝手な先入観だ。トレーナーならば誰しもが憧れるという、歴代屈指の人を必然的に大きく見てしまうのは、ありがちな錯覚だった。つばに手を添え、帽子を深くかぶるその格好は、今もなお地上で流行っている、永久不滅のスタイルだ。
レッドは何も答えず、ぼんやりと空を仰ぐ。どこか恍惚として、焦点を定めていない。
「あの、」
薄ぼんやりとしていたレッドが突如口元を引き締め、足幅を広げ、左肩を開く。いつの間にか手にしていたボールを、暗器のごとくゴールドの眼前に突きつけた。それだけで、絶大な衝撃波が周囲へと走った気がした。わずかな空気と水を糧に生える草花が、二人を中心に一度だけ外側へと傾いた。レッパクとグレンゲ、そしてドロップがその勢いに気圧されて若干しりぞいたが、ゴールドは退かなかった。一瞬の出来事に思考が追いつかず、前髪をはためかせるだけで、首から下が完全に硬直してしまっていた。鼻の先にある開閉ボタンから、少しも目をそらすことができない。
全身を縛る緊張感をようやっと克服し、若干上を見る。ボールを握るレッドの指の爪先が、すっと白くなっており、そこに握力の真剣さを感じた。
やがてゴールドはレッドの腕の延長線上から左にずれた。同じように半身になり、レッパクの入る空のボールを突きつけ返す。両者の腕はひじがこすれあいそうなほど近く、平行線を成していた。その光景を、レッパクとグレンゲとドロップが、一心に見つめている。止まっていたはずの風が、ここで吹きすさぶことを思い出してくる。
自分は一体、何をしているのか。
帽子のつばの先から覗かせるレッドの目は薄暗く、それでいて鋭い光を放っていた。
その目が、ゴールドに何かを訴えかけてくる。
言葉は要らないらしい。
話は、ポケモン勝負をしてから。
僥倖といえば僥倖。会えるか会えないかの次元にまで達しているこの伝説の現身を目の当たりにして、しかもバトルを向こうから持ちかけられたとあれば、一生ものの自慢のタネになる。それに、真意をさておいたこの人の実力を、今は純粋に知りたくて仕方がない。
「――初対面ですし、なんのことだか話は見えませんが――せっかく、ここまで来たんだ」
心音どころか、耳鳴りまでしてきた。
興奮と、少しばかりの恐怖が、ゴールドの中を敷き詰める。
勝つ気も、勝てる気も、さらさら無かった。
それでも、やるしかなかった。
― † ―
ところで、今、アサギとタンバまで届きそうなほどのミカンの悲鳴があがったところだ。
巨大なうずしおを一撃で攻略すべく、あかいギャラドスが浮力に勢いを乗せて跳躍したのだ。