42 New Divide
【いいんです。そうすることで、自分に手触りを感じられるのならば】 ドロップ
42 New Divide///
ついにバッジを8つ揃えることができた。色々、本っっっ当に色々あったけれど、ここまで来られたのもみんなのお陰だ。これで俺はポケモンリーグに挑戦する権利を獲得したこととなる。5年前、レッパク1匹だけだったのが、いつの間にか6匹になっていて、随分と賑やかになった。この6匹と俺でどこまで通用するのか。意欲は俺もみんなも十分だ。こんなまじめなレポートを作れるのも、もうすぐ終わりになっちゃうのかな。
だけどその前に、やっておきたいことができた。
リーグのことはさておき、実は俺は今から、シロガネやまへ登ろうとしている。そのふもとにあるポケモンセンターで、このレポートを綴っているところだ。せっかくカントーまで行けたんだけどなあ。ジョウトに逆戻り。
いくらか覚悟していたことだけれど、高地というだけあってさすがに寒い。屋内でなければ、グレンゲに頼りつつ震えた手で情けない文字を書き連ねる羽目となっていただろう。人間ってどうしてこんなに不便な体しているんだろうか。ポケモンの凄さが身に染みて分かる今日この頃。みんないなくなっちゃったら、俺、寒くて寂しくて切なくて孤独死してしまうんじゃ。
どうしてポケモンリーグに向かわず、何も無さそうなシロガネやまに行くのか。それはまあ、俺自身気になったっていうこともあるし、レッパクが妙に意識していたからだ。
何かあるんだろうなあ、っていう単純な理由だった。あんな大掛かりな演出をされたらそりゃあ行くしかない。これで大したことが無かったら怒る。ものすごく怒る。
ここまで来られたんだし、最後くらいは俺のわがままだけでなく、みんなの希望に沿ったこともやりたい。
そうそう、レッパクといえばもうひとつ、珍しいことが起きた。せっかくなので書き残しておこうかな。
鼻血だ。
いや、別にこうして特筆するほどのものでもないかもしれない。けれど、重要なのは事象ではなく、レッパクが自分の鼻血に気づかなかったことだ。負荷の重いトレーニングも別にやっておらず、いきなりという他はない。休憩中、いつも通りのすまし顔で座っていて、俺の荷物整理をレムと一緒に見守っていた。ふとレッパクの片方の鼻の穴からたらっと流れ出て、俺とレムが同時にびっくりし、ティッシュを取り出そうと上着のポケットを漁っている合間も、レッパクは何がなんだか分からない表情を続けていた。オボロに指摘されて、初めてあいつも慌てた。最近、どうも夢見が悪そうだし、上の空になりがちだし、大丈夫だろうか。環境が日々変化していくのは、今に始まったことじゃないんだけどなあ。俺もそのうち体調崩して寝込んじゃったりして。ああそういえばさっきから寒気が。
いや、なんだか違う。
あれは上の空というより、何かに集中しすぎて他のことが全然気にならない、と表現したほうが正しいのかも。
と、書いているうちに予定の時間となってしまった。
続きは、シロガネやまで何があったかについて書こうと思う。
(レポートはここで一端打ち切られ、書きかけとなっている)
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― † ―
入り口ひとつ、出口はふたつ、分かれ道はいっぱい。これなんだ。
数世代も前から使い古されたなぞなぞのひとつであり、チャンピオンロードを薮睨みするときによく使われるフレーズだった。
早い話が、実力を持つ者と持たぬ者とを仕分ける、「ふるい」のような役割を果たす洞窟だ。
実際、過去の四天王たちが嫌がらせのためだけに用意されたとしか思えない、複雑怪奇な迷宮がトレーナーとポケモンを苦しめる。なんの策も打たずに挑むのは、自殺行為に等しい。「これではポケモンリーグに挑む前にへばってしまう」という非難の声を轟々と受けてなお改築されない悪魔の口。来訪者を待つ四天王たちは、疲労困憊な挑戦者だろうと情け容赦などしないのだから。
分かれ道が多くあるのは当然として、やっかいなのは、出口がふたつあるということだった。
ひとつは、四天王とチャンピオンが待ち受けるポケモンリーグへ。
もうひとつは――
ブラックは、背中を入り口の壁に預け、腕を組み、じっと顎を引いていた。普段は分けられている前髪がだらりと垂れ下がり、表情がつかみにくい。口がへの字に曲がっているのだけは、よく見なくても分かる。あと5分ほど放っておけば、そのまま眠るかもしれない。いつ捕獲したのか、ニューラの進化系であるマニューラはとっくの前からブラックの足元で眠りこけていた。
ゴールドよりも先に、ソニアが声をかけた。
――やっほー。おひさしー。
「その節はどーも。グレンゲとソニアが――っていうか俺も世話になったんだった」
ブラックは、必要以上の返事はよこさない。ゴールドは気にせずに続けて、
「――これ≠ノ限っては、いつもお前に先回りされるなあ」
ブラックはかすかにあごを上げ、
「行くのか」
「ああ、いや。ちょっと別用ができた。まずはシロガネやまに向かうよ」
片眉だけを動かし、どういうことだといった目を向けてきた。
ゴールドは先回りをし、
「気まぐれ」
「嘘つけ」
ゴールドは少しだけ肩をすくめ、
「レッパクが行きたいって言うからさ」
ブラックはここで首を振るい、前髪を払った。レッパクに一目やると同時に、
「――なんだその羽根」
何を今更、とゴールドは思う。が、口にする前に理解した。
ブラックはこれまで、ウバメのもりで会って以来、まともにレッパクと顔を合わせていない。ホウオウから羽根を託されたのはその後。ロケット団のアジトではボールの中にしまわれたままだった。
最後にライコウたちと会って以来、レッパクの左耳の羽根は、完全に変色しきっていた。先端の赤い色から始まり、下がるに連れて極彩色のグラデーションを成し、まるで生きているかのように発光している。以前のように白いままであれば単なる装飾品としてもとらえられただろうが、ここまで派手なアクセサリーとなってしまえば、無頓着なブラックの目に止まるのも仕方のない話だった。
「そうだ、せっかくだし、久しぶりに一戦やるか?」
聴こえていたはずだが、ブラックは眉根をわずかに潜めたまま、何かを考えている。ようやっと壁から背を離し、ゴールドとすれ違い、27ばんどうろへと戻ろうとしていた。
組んでいた腕もほどき、ドンカラスを出す。振り返り、ここでようやっとゴールドと視線を交わす。
軽く握った拳を、3回だけ、ゆっくりとゴールドの
心窩に落とした。
結局何がやりたかったのか納得できないのもおかまいなしに、ブラックはドンカラスに乗り込む。
「ここまで来ておいてどうしたんだよ」
「オレも別用ができた」
おいおい。
「もう幼なじみ≠ニして俺とバトルできるのも、これが最後かもしれないんだぞ?」
それで構わねえよ、とブラックはにべもない。
「オレの目標は、今のお前じゃない」
そもそも俺がポケモンリーグで優勝することをまず前提にするなよ、とゴールドは苦く思う。自分がいないと道を決められないこの幼なじみを、ひどく不憫に感じてしまう。
ドンカラスはゴールドたちに軽く会釈した後、西へ向かって飛び立っていった。
― † ―
「主、」
――気にするな。俺もライコウたちの意図を知りたい。それに、このままポケモンリーグに挑むより、多少なりとも稽古つけておいたほうがいいだろう。
ライコウたちに虹を見せつけられてからというもの、レッパクはシロガネやまのことを異様に気にかけ始めた。ブラックが指摘したように、ただの飾りのつもりだったはずの羽根も、露骨な変色を見せつつあった。何かの関係あるに違いないとレッパクは思っている。
――行きたいっていうのも、また直感なのか?
「いや、今回は、なんとなく違うんだ」
「あん? どういうこった」
最近、特におかしい。
ポケモンリーグに近づけば近づくほど、動悸が激しくなる瞬間が時々訪れる。それでいて、れいせいさがいや増し、頭の冴えが顕著になってくる自分もいた。
「頻度はそんなに変わらないけれど、なんていうか、鮮明さが増してきている。それに、今までは電撃的な閃きがあって、瞬時にそれに従ってきたんだ。だけど、ここ毎日は違う。じんわりと情景が浮かび上がってくる。こう、目を閉じて集中すれば――」
レッパクはぶつぶつと説明したのち、腰をその場へ落とし、鼻先をやや下げて、説明通りにまぶたをおろした。
狛犬のように硬直化し、まるで動こうとはしない。静電気も発さず、耳も揺らめかさない。呼吸すら止めている。
10秒間、ずっと、レッパクはそうしていた。
「――先輩?」
意味をつかみかねるレムが不安気に声をかけたとき、
「ドンファン」
直後、どこからともなく、まさにドンファンの甲高い鳴き声が響き渡った。レッパクを除く全員が目を見張り、その木霊のありかを求めて周囲を再三と確認した。
レッパクは、なおも目を閉じて、その場に腰をおろしたままだ。
「お、おま。すげえな。なんで
念の力を使えんでえ。みらいよちかよ?」
ようやっとレッパクも表情を戻す。
「どうだか。今までのがフラッシュバックだったというのなら、これはあぶり出しのような感覚だ」
――えっと。それはメリットってとらえてもいいのか?
「戦闘中に試したことがないから、なんとも言えないが――集中する時間があるなら、おそらく使える。特に体に異常もない。臨戦心理と同期していないだろうから、こうして平常時にも起きている」
――大丈夫か?
「ああ」
――いや、だめだ。もう一度訊くぞ。本当に、大丈夫なんだな?
「あ、ああ?」
レッパクが少し返答に困ったのにも理由があって、主がひざを落とし、強ばった顔を近づけてきたからだ。以前のような夢にうなされていたことと、どこか通じるものを推し量っているらしかった。そのことを脳裏に走らせたレッパクはさすがに自信を弱め、しかし否定はどうしてもできなかった。
自身からその言葉を聴いて一応の納得をしたのか、主の表情にも若干の余裕が生まれた。
――ならいいよ。前の晩のこともあるから、ちょっと心配になったんだ。
そもそも、こんな異質の芸当を持つこと自体が妙だと、最初から真剣に疑問に思うべきだったのかもしれない。レッパクの「直感」は、あまりにも周囲に溶け込みすぎた。ハズレを引いたことのないこの力は長所でこそあれ、短所ではないはずだった。この不思議な能力に、レッパクのみならず、みんなが全幅の信頼を置いていたのは確かだ。
――よっし、じゃあ気を取りなおして行こうか。いざチャンピオンロード。あ、そういえばレムもシロガネやま付近に住んでたんだっけ?
「え? あ。はい――」
話を半分も聴き取れていなさそうだったレムは、どこか気の抜けた生返事をする。主は少し申し訳なさそうに洞窟の入り口に親指を向けて
――悪いんだけどさ、この中の構造、憶えてたら教えてくれるか?
「やって、みます。あんまり憶えていませんけど、特定の分岐点に注意すれば、たどり着きます」
――ありがとう、じゃあ頼むよ。
「………、分かりました」
この不思議な能力に具体性が加わったとは言え、ムラがあることに変わりはない。
だから、この時だってそうだ。
大事の影に薄れた小事であろう。レッパクも、他のみんなも、最後までその不審さにとうとう気付かなかった。