番外編 眠と裂
あなたの宇宙に、辿り着きたい。
番外編 眠と裂 一体限定5秒一撃エントリー、というちょっと特殊な戦闘形式がある。
れいせいな「彼」がもっとも得意とし、てれやなわたしがもっとも苦手としている戦い方だ。
ルールは読んで字の如し。戦闘に参加できるのは、どれでもいいから一体だけ、そして制限時間が5秒だけ。どちらかが相手に一撃与えたら終了。5秒を過ぎたらやり直し。なんともあっけない戦いだが、これはサドンデスにて多用されるらしい。わたしたちを繰り出す手順もまた独特で、トレーナーがバトルコートの中心で背中合わせになり、腰にためたボールに手を添える。西部劇の決闘のように一歩ずつ外側へ進む。5歩ないしは10歩、お互いが振り返った瞬間から5秒以内には勝敗が決まる。
もちろん、相手トレーナーがいれば、という前提でのお話だった。
マスターは、馬手と弓手の両方にボールを持って、胸あたりで突きつけあわせることで、それを解決した。
これによって、いつでもこの形式でトレーニングができる。加入したてで非力なわたしの瞬発力や反射神経を鍛えよう、という明快な魂胆だった。
けれど、いくらなんでも、メンバーの中でも一番素早い、サンダースの彼をわたしの相手に任命することはないんじゃないかな、といつも思う。
ボールから出たときにはすでに背後をとられていたということも決して少なくはなく、わたしはいまだに彼にまともな攻撃を与えられていない。彼は年下だろうが女の子だろうが手加減なんてものを全然してくれず、むしろ遠慮をしないことを礼儀としている気概すら感じさせてくれる。
この戦闘で鍵となるのは、威力の正確さよりも手数の豊富さだ。わたし以外のメンバーは、みんな、主力に足れりとする技を持っている。繰り出しからの反応速度も十分で、大技を撃ちこむよりも隙の少ない小技のほうが、この戦闘にはずっと向いている。ボールから出て、己の位置取りを瞬時に把握し、臨戦心理に振り回されないよう制御しつつ、お得意の技をかっこよく決めて終わらせる。
決め球があるのならば。
わたしに限っては、そううまくはいかなかった。
― † ―
へっぽこにも限度ってものがある。長いようで短い、三日目の5セットがやっと終わった。目覚しい成果は体感的には皆無に等しく、いい加減そろそろ自己嫌悪に浸りたくなる。マスターはこの5分間、どこに目を付けていたのか、「いい感じになってきている」と、とりあえずのような励ましをしてくれる。けれどもわたしは自分の進歩をちっとも自覚できず、身もこころもへとへとになりながら家に戻る。マスターが先頭で、その次が彼で、ムウマのわたしは彼の後ろをふらふらと引っ張られるように追うのが精一杯だ。
後ろ姿に限らず、彼の風体は全体的に洗練されている。齢は五で、つまりはまだ若い。けれど、その歳月以上の経験を培い、擦り切れたという印象を受ける。一方のわたしはたったの壱。単純な計算では、彼はわたしの五倍ということになるが、なんていうか、私が六の時の参拾といった、もっとかけ離れた存在に見えてしまう。
家に入るとようやく安心できる。シロガネやまで1年間、ずっと寒い外気にさらされて過ごしていたわたしにとって、壁に囲まれた「内」というものは非常に新鮮だった。停止された空気はわたしをどこかへ流すこともせず、暖かくて質量をも感じさせてくれる。息苦しさを覚えることもなく、わたしをただその場へ優しく固定する。
次はお昼ごはん後、彼の回避力を伸ばす練習をする。ピンポン玉を用意しようと、マスターは2階へと上がっていき、彼とわたしは階段のふもとでそれを見送るに済んだ。信じられないことに、彼は宙にばらまかれた二色のピンポン玉どれもに一度も当たったことがない。背中に目でもついているのか、オレンジ色はミサイルばりで弾き飛ばしつつ、白色はステップを踏んで回避する。大道芸でも見ているようで、わたしはいつも凄い凄いと歓声をあげる。わたしが試しに体を透過させてやりすごしたら、さも当然のようにイエローカードをつきつけられた。いいアイデアだと思ったんだけど。
しばらくはお昼休みといった形で休憩となるため、今のうちに気力を再充填せねばならない。
少しも疲れてなさそうな彼はリビングのソファーに軽々と飛び乗り、わたしも隣に並ぶ。彼は落ち込みがちのわたしの横顔を見て、
「飛び道具、持ってないのか?」
「持ってない、です」
そう。
わたしには、いわゆる十八番がない。よく使うとすればテレキネシスくらいなもので、相手に明確なダメージを与える技というものは、これまで全く覚えたことも使ったこともなかったのだった。シロガネやまでの生活、自己防衛を第一とするなら、浮遊できるこの体とテレキネシスだけで事足りていた。泣かせた者勝ちで泣いた者負けというのが、喧嘩における永遠の条理というもの。泣き虫なわたしが自分から無作為に誰かをからかうだなんて無謀なことは、生涯かけてありえないと断言できる。
「主に頼めば、何かしら有用なものを教えてくれるとは思うが――果たしてお前自身がそれを望むか、になるな」
「わたし自身、ですか?」
彼は少し間を作る。事情を深くまで知らないわたしにも分かるよう、頭の中で順序立てているようだ。
「主はリーグを目指すため、今日まで心血注いで動いてきた。それは主の意思であり、おれたちの意思でもある。つまり、これからは今まで以上に熾烈な戦いが待ち受けている。だから残念なことに、お前はタイミングが非常に悪かった」
「はい」
「大切なのは、戦力と質を高めること。言うのは安いが、現実にするのは難しい。お前には申し訳ないが、子供だから、という理由だけでカミナリに手ごころを加えてもらえるはずがない。おれも少し焦っている」
「はい」
「それと、誤解されないように断っておくと、おれは別にお前が嫌いじゃない。仲間になってくれたことを嬉しく思っている。トレーニングで全力を出しているのも、そうして損ではない相手とみなしているからだ。これから戦いを挑んでくる相手も、子供だろうとお前に手加減も油断もしない。取るに足る相手と、十分に見なしているはずだ」
「はい」なるほど、だから。
「初めて出会ったとき、話の流れが流れだったから、まあ仕方ないとして――それでも、ついていくことを最後に決めたのは、お前自身だ。主は決して無理強いしていないし、確認もとった」
「はい」
彼の言わんとしていることは、よく分かる。わたしはそれを、十分承知している。はいと答えるしかない。
乗りかかった船だ。成り行きとはいえ、こうなった以上、最後までお供する決心をつけたつもりだ。いつまでも甘やかされてはいられない。
「しかし――」
彼の流し目は、意図せずとも鋭くなってしまうらしい。
「今までとはまったく違う、こうした生き方をお前が望んでいたとは、正直なところあまり思えない。本当にこれで良かったのか?」
「それは。えっと、」
怒っているつもりではないということは察せる。ただ、わたしの淡白な決意に不思議がっているだけだ。だけど、うかつな隙を彼に見せたくない気がする。なぜだかは言葉でうまく表現できないけれど、彼の前で無防備を許すと、鋭い目線が油断の隙間へと切り込んできそうなのだ。
「おれたちには、大きくも小さくも、主についていこうとするそれなりの理由があった。けれど、お前みたいなのは初めてで、おれも意外だなと思っている。誰だって最初はためらったものだが、お前は少し違う気がする」
彼の勘の良さには、これまでに何度も驚かされている。知っていて訊いているのではないかと疑いたくなるほどに、きわどいところをつついてくる。
「主の祖母はああ言っていたが――あのときは、主に気がある、というわけでもなかったんだろ?」
う。
「そう、です。やっぱり、分かっちゃいますか?」
「むしろおれに何か言いたいことがあるといった顔をしていたからな」
わたしはここで、初めて彼の言葉を否定する。
わたしは、彼自身を見ていたのではない。
彼の左耳に飾られている羽根を見ていた。
雪のような白さが煌く中、その切っ先に灯される鮮やかな色合いに、確信を得たからだ。
一日たりとも、忘れたことがない。
一日も早く、忘れてしまいたい。
わたしは、あれを、知っている。
わたしは、あなたのそれを、見たことがある。
わたしの中、人の命運を懸けた大きな天秤が、シーソーのように落ち着きなく揺らいでいる。が、本音では、もはやどうでもよかったのかもしれない。
子供のわたしがシロガネやまを離れた理由。わたしの内側に潜む、少なからずも自棄な部分。人間を知らなかった日々。肌の温かさを知ったあの日。熱くて冷たかったあの時間。
白状する機会は好きなだけあったはずだ。彼の羽根のことについて二三訊ね、わたしの話を持ちかければ良い。望まれるのならば、追放されれば良い。そうすれば、わたしは元々のわたしにありつける。
しかしその一方で、言ってしまえば、わたしも彼も、そしてマスターも、もう戻れなくなる未来が待ち受ける。全てを無かったことにしたいという、刃のように冷たくて危なげな衝動が、何度も周期的にわたしの中で激しく駆け巡る。そんなことができる力もなければ度胸もないわたしは、ぬるま湯のようにここち良い今をただただ享受して、忘却で記憶を塗り固め、うやむやにしている。それで何事も起きずに済むのならば、それが一番いいと思っている。
どうすれば良いのか、わたしにはまだ決められないから。きっと、彼にも。
「お前にとって、命とはどうするものだ」
「はい?」
考えごとをしすぎて、彼の話を聴き逃していたのかもしれない。話が飛躍して、わたしは素っ頓狂な声を出した。
「ある者は燃やすものと言った。反対に、ある者は潤すものと言った。閃かせるものと言った。咲かせるものと言った」
弁舌についていけなくなり、わたしは傍目にも分かるくらい困惑する。
彼はついと一度だけそっぽを向き、元の位置に戻す。それはサンダースで言う「肩をすくめる」といった挙動だった。
「昔、主に訊かれたことがあるんだ。お前にとっての命とは何かって。本当はどうしたいんだって。俺のために使っていいのかって。今みたいにいきなり主から投げられて、情けないことに言葉に詰まったよ。おれだけでなく、みんな。なんて言うか、根っこの部分ではまだ色々と甘かったのかもしれない」
彼が、みんなが、とまどう。
にわかには信じられなかった。わたしよりもずっと年上で、大きくて、強くて、経験豊富で、百戦錬磨の布陣。
「おれにとっての命とは、
廻すものだ。自分の中にあるエネルギーを停止させない。時間のリズムとともに、絶えず廻転させ続けるものだ。抽象的だが、それが生きることだって、おれは思っている」
それが、彼の考える命。
それじゃあ、わたしは?
わたしは、自分の命を、どうしたい?
「いきなりで悪かった。この場で無理に考え出す必要はない。これからゆっくりと探していけばいい。おのずと見つけられるはずだ」
ふと、何かの料理を思わせる匂いが台所から漂ってきて、わたしと彼の鼻をくすぐった。わたしと彼にはよく分からないが、人間はこの匂いが大好きらしい。マスターの母が言うには、献立に困ったときにこうすれば、とりあえずハズレを免れるとのこと。
「遅かれ早かれ、おれたちは戦う。もちろん傷ついて、もがき苦しむこともある。けれど、おれたちの生きている世界は、得てしてそういうものなんだ。これまでも、これからも」
「――つらくない、ですか?」
彼が微笑んだ。その笑みは本心からのものだと、皮肉なしに思う。
「ない。だなんて、かっこつけたことを言うつもりはない。しかし、諦めようとも思わなかった。おれも『そういう世界』を作ることへ与したのに、間違いはないから。今、おれがこうして居られるのには、理由がある。この道を進もうと決意したのは、主に命令されたからでも、強制されたからもでないんだ。どうしてだと思う?」
何も言えず、ただわたしはまばたきをして話をうながす。鋼の固さを思わせていた彼のあごと表情が、だんだんと朗らかな口調をつむいでいく。
「おれがそうしたいから、なんだ。おれやお前やみんなのことも考えつつ――だなんて悠長なところが主はまだ抜け切れていないけれどな、おれの力で喜んでくれるのならば、それでいいんだ。結局のところ、どこまでも似たもの同士なんだよ。おれも、主も」
彼は先程より柔らかめの流し目をくれる。
「おれを笑うか?」
ずるい。
彼は卑怯だ。
そんな事を言われて、わたしに否定できるはずがない。できるはずがないと承知した上で訊ねてくるところが、一番ずるい。
でも――
彼の、マスターを想う気持ちは、わたしにも良く分かる。わたしだって、つきあいは短いが、マスターのいいところなんて好きなだけあげられる。だからわたしも、自分のいいところを精一杯アピールしたい。わたしの中で眠る可能性を引き伸ばしてくれるのというのなら、それに賭けたい。
「お前はてれやだからな、まだ褒められることに慣れていないんだろう。いずれ分かる。流れを作ってしまえばいい。螺旋を形成して、上を目指すんだ」
すると案の定、料理の匂いにつられたのか、マスターが足早に2階から降りてくる。鼻歌交じりにスプーンを一本用意し、大きめの皿を棚から取り出し、白いご飯を盛り込んで、嬉しそうに島を作っている。
わたしと彼は、それを遠目で見守っていた。
わたしの力で、あれと同質の笑顔を作ることができるのだろうか。
「できるさ。おれたちが作るんだ。今のおれがこうして存在し、お前にこんなことを教えられるのも、主のおかげだ。これからのお前を作っていくのは、間違いなく主の力なんだ」
「はい! わたしもずっとそばにいて、一日も早くマスターを支えられるようになります!」
彼はわたしの宣言に軽くうなずき、再びマスターのほうをちらっと見た後、小さなため息。
「今、主がカレーにかけたの、ソースじゃなくて醤油だぞ」
― † ―
わたしにとっての、自分の命。
なんだろう。
当たり前すぎて、考えたこともなかった。
星に生きるもの全ての原点であり、宇宙のように果てのない哲学。
その答えを見つけたとき、わたしは本当の仲間になれる気がする。