39 レムトゥルース
【この意思ある限り】 レッパク
39 レムトゥルース 45ばんどうろ、46ばんどうろについては前述の通りのため、簡単な説明だけにとどめておく。
迷惑極まりないが、ゴローンを上に設置してみるのがもっとも楽な証明方法だろう。
段差だらけの急勾配な坂道で、もしかすると「道」に類するかどうかも怪しい道路だ。上はフスベ、下は29ばんどうろに連結されており、「熱意さえあれば」ショートカットを狙える一か八かの逆転ルート。くだっていくのにももちろん慎重さを眼目とした足取りが要求される。ふもとからのぼるのならばなおさらだ。よほど体力に自信のあるやまおとこでない限り、こんな無茶なプランは、まさか組まない。
んなもん、かのオボロ様の敵ではなかった。
空を駆るオボロならば、下界がどれだけの獣道であろうと、完全無欠の空路があった。イブキ戦に立て続けで働いてもらうことに申し訳なさを覚えたゴールドだが、背に腹は代えられなかった。
「――さて、」
ゴールドは入口付近にてくるりと振り返り、拳を青空に突き上げ、
「ワカバに帰ってきたぞー!!」
わっ、と歓声が弾けた。プラズマが走り、火の粉が飛び、水しぶきが散り、砂煙が舞った。
とてつもなく久しぶりだった。色んなことがありすぎただけに、懐かしいのも当然だった。とんだ「おつかい」となってしまった。こんな波乱万丈な旅路となるだなんて、当初は夢にも思わなかった。
――大将、おふくろさんに顔見せに行こうぜ。
「そうすっか」
ゆさゆさと歩きながら、ソニアがワカバタウンの中を見渡す。
――ここがリーダーの住んでたとこ?
「ソニアは初めてだな、ここに来るのは」
――気候穏やかでいい感じー。うん。あたし好きだなこーゆーの。
「何しろ『ワカバ』だ。ソニアのお墨付きならその名も本物だろう」
道中で思い出を語る時間はそれほどなかった。29ばんどうろとウツギの研究所が近いのと同様、研究所とゴールドの家も近い。ウツギのほうへ一旦あいさつに行っても良かったのだが、まずは母に「ただいま」を告げることにした。ゴールドは神経が太いため、なんの事前連絡もよこさず顔を見せることが得意だ。アサギの灯台でミカンを驚かせることができたのもそれだ。
告げることにしたつもりだったし、半分は言えた。
「ただ」
いま、とは言えなかった。
――おか
えり、とも向こうはすぐには返せなかった。
ゴールドの家の特徴――玄関のドアを開けて真っ先に目に飛び込んでくるのは、テーブルだ。自分がいつも食事をしていた席。かつて、全ての始まりを告げたポケギアがあった席。そこを占拠するのは、一人のちっこい老女と一匹のちっこいムウマだった。
思考が停止し、浦島太郎にでもなった気分だった。こんなカウンターは生まれて初めてだ。ゴールドは、ぬるま湯のたっぷり注がれた長靴に片足を突っ込んだような顔をした。
ばあさんはまぶたのしわのせいで目を開いているかどうかも怪しい状態だったが、ムウマとはしっかりと目を合わせてしまった。
――え、えり、なさい? え、えっと。どなた、ですか?
こっちの台詞だ、とゴールドは思った。
続いて、「また来やがったかこのババア」と思い、頬をわずかにひくつかせた。
― † ―
「このムウマ、シロガネやまにいたそうだけど、はぐれてきたみたいでねえ」
「ああ、さいですか」
半分もろくに聴いていない手つきで、ゴールドは煎茶の入った湯のみをばあさんの前に置く。支えられるように身を寄せていた子供ムウマがテレキネシスで勝手に自分のところまでたぐりよせ、ふうふうと冷ましている。少し口をつけた途端、しゃっくりをするように体を跳ね、熱さと渋さで涙目になった。ちょっと照れくさそうに、えへへ、と笑った。
ばあさんについて詳述しておく。母の母だ。つまり、ゴールドの実祖母にあたる。27ばんどうろに実家を据え、こうして不定期的にこっちのほうへ「からかい」に来る。今じゃすっかり枯れ尾花のような風采をしているが、これでも昔は凄腕のトレーナーだったらしく、ゴールドをびしばしと鍛えあげてきた。実際、エンジンが入ると性格がくるりと反転するし、本を丸呑みしたんじゃないかというくらい豊富で無駄な知識を備えている。1年前、「ポケモンリーグを目指す」と実家のもとへ伝えに行った時も、散々にけなされた挙句、児童虐待防止法ギリギリの修行をさせられ、旅のノウハウを一から百まで叩き込まれ、最後にはゴミ袋のように追い出された。
まあ尻を叩かれたお陰でレッパクとグレンゲも一段と強くなれたし、察する限りでは実力は本物だったようだ。
が、それを考慮しても、孫のゴールドにとっては、どっからどー見てもただの年金泥棒ババアだった。
ゴールドは反対側に座り、
「で、母さんは?」
――えと、買い物に行って、ます。
ムウマは若干緊張した面持ちで答えた。ばあさんはともかく、ムウマとレッパクたちは初対面だ。おっかなそうなあんちゃんねえちゃんに包囲されたら、身のひとつやふたつはすくませたくなる。
ばあさんがそのレッパクたちをそれぞれ見やり、熱いはずの湯のみを平気で両手で持ち、ばあさんは一口すする。
「――茶、淹れるの下手になったね」
意味を察したゴールドは、ぴくんとまゆを動かした。ゴールドはもともと茶を淹れるのが下手だ。わざとやっているんじゃないかというくらい茶っぱとお湯の配分を間違える。こんな前衛的芸術を男の茶だと褒めて飲んでくれるのはグレンゲくらいなもんだった。
「夢を諦めたかと思いきや、また長らく家を空けていたそうだね」
8つあるバッジを遠慮なしの動作で全部見せた。
「ざっとこのとおり」
ほっほう、とばあさんが笑った。話が見えていないムウマは、とっても綺麗、とだけ言った。評するように、1年前のバッジ4つも1年ぶりのバッジ4つも、伯仲した輝きを持っていた。
「しごいた甲斐があったというものだね」
「それは俺とレッパクとグレンゲだけだろ。ドロップとオボロとソニアは、自分の力で俺のために頑張ってくれたんだ」
「――それで、次こそは本物の気持ちなの?」
「ああ」
ゴールドはばあさんを睨む。敵意ではなく、決意で。対するばあさんも、まぶたのしわをずらし、こちらの表情を観察する。
「――以前とはまた様相が変わったね。ようやっと、大事なことに気づけたかい」
無言でうなずく。
「俺に必要だったのは、ポケモンを思いやる気持ちだけじゃない。トレーナー自身の気持ち、俺自身の気持ちだ。今なら、1年前にばあさんに怒鳴られたのもよく分かるよ。みんなを気遣えたのは自負しているけど、ブラックとの対決に焦りすぎて、根元にある感情に気づかなかったんだ」
「そう。ゴールド。強くなるのはもちろん結構なことだけどね、強く生きるということも大切なの。先走るのもだめだし、構ってあげるだけというのもだめ。世界を目標にする以上、同等の覚悟を持って戦うってことが重要なの。1年前のあんたはそこが抜けていた」
ゴールドは何度もうなずく。
「考え抜いた。旅の中で、何回も悩んで、こいつらの助言を受けて、自分自身を見つめ直した」
「答えは聴かないでおくよ。ずっと自分の中にしまっておきなさい」
それでもゴールドは続けた。聞いてもらいたかった。
「――俺は、こいつらを連れて頂点に立ちたい」
ここまで来た以上、後には引けなかった。
ここでばあさんに言わずとも、ポケモンリーグを目指す上で結局実家に行けるのだから、どのみち会う予定だった。そして、自分の答えを語り、気持ちを再確認するつもりだった。
ゴールドも、レッパクたちをそれぞれ見やった。誰も目をそらす事はせず、凛とした顔つきで視線を揃えてくれた。
ばあさんはしわを集めて笑い、
「また鍛えてもいいんだけどねえ?」
「お構いなく。基礎をもらった以上は、俺たちの力だけで前へ進んでみせるよ」
そうかいそうかい、とばあさんは至極満足気になり、ムウマの頭をなでた。
「ここで会ったのも何かも縁だし、この子も連れておやり。なんだかあんたに気があるみたいだよ」
「へ」
――え。
呆けた反応は両者に起きた。その後に一歩先を行ったのはムウマのほうで、ゴールドよりもまず、メンバーの代表格だと思ったらしいレッパクを一度だけ見た。対するレッパクも、そう来ることはなんとなく読めていたといった具合であり、特に拒むような表情も見せなかった。レッパクに続くグレンゲやドロップも同じだった。
ムウマは少しばかりの躊躇を見せたあと、ばあさんの腕から離れる。ふわりと更なる宙を浮いてテーブルを飛び越え、不安そうな顔つきでゴールドに接近した。
――いい、ですか?
真紅色の大きな瞳に、ゴールドの何かが吸い取られそうになる。首を縦に振る自信を急に無くして、
「いや、いいっていうか、あのな。どこへ何しに行くのか分かってる?」
ムウマはここでもう一度、レッパクのほうを見た。こころあたりを頭の中でぐるぐると巡らしているような、妙に痛々しい間があって、顔をゴールドへと戻した。
――よく分からない、です。
おいおいと思ったが、その瞳に嘘は無いとも感じた。
返答に困ったゴールドは、逃げ道としてみんなに意見を仰ぐ。
――おれは別にいい。わざわざあえて断るほどの理由もない。
――右に同じ。ま、腕っ節に難があるってんなら、俺たちが叩き上げてやるよ。
――後輩ができたみたいで嬉しいです。その不思議な力に期待しています。
――とりあえずゴールドから離れてよ。
――あ、そうだ、字つけてあげよーよ字。
うげ。
ゴールドは悩む。ものすごく悩む。傍目にはバツの悪そうな顔にも見えるが、もちろん嫌というわけではない。メンバーに加わってくれるのは確かにありがたいけれど、それよりもまずは自分たちの目的をきちんと明かし、その上でムウマの判断にゆだねたい。それに、こんな唐突に名づけを求められると窮してしまう。頭をがりがりとかいて、なけなしのセンスを絞りまくる。何かないか何かないかと孤軍奮闘するゴールドの苦労も露知らず、ムウマはその頭の上をベッドメリーよろしくゆるやかな速度で旋回している。
60秒も考え込み、やっとの思いで挙がった第一候補が、
「――レム」
時間が止まり、全員がその名を聴いた。
言ったからには、そのこころも述べねばなるまい。
「あー、なんだ。ムウマ。だから。夢魔。で、レム睡眠の、レム。で、」
絶句の抗議がぐさぐさと来た、気がした。
ゴールドは湯のみが倒れそうなほど机をバンバンはたいて打ち消し、
「だあもう、分ぁーったよ! ノーカンノーカン、今の無しで! もっとましなの考えてみるから!」
――レム! レム!
レムと呼ばれたムウマは、さっきまでのたどたどしい気配を消し飛ばし、ここで態度を一変させた。大はしゃぎでゴールドのほっぺに擦り寄り、殺傷能力抜群の笑顔を作った。
――えへへ、嬉しいです。よろしくお願いしますね、マスター! 先輩!
― † ―
カレンダーを眺めても、それはなんでもないごくごく普通の日だったが、気にしなかった。
ゴールドたちがワカバに帰ってきた日、という意味を新たに与えてしまえばいいだけの話だ。
母が買出しから帰ってくるタイミングに合わせ、限度を無視したサプライズをぶち込んだ。
プラズマが走り、火の粉が跳び、水しぶきが散り、しかし砂煙は舞わず、代わりにシャカシャカと音が鳴り、しまいには食器が若干浮遊する祭りとなった。ゴールドたちの「おかえり」に母は「ただいま」と返し、母の「おかえり」にゴールドたちは「ただいま」と返した。
冷蔵庫をひっくり返すほどに食材を使い尽くし、七珍万宝の晩餐が並ばれた。二人暮らしには十分だったテーブルに、それらはぎっしりと埋め尽くされていった。最近ろくなメシにありつけなかっただけに、食卓はたちまち飢えた野獣の
坩堝と化す。たとえポケモンセンターで支給されるライトミールであろうと、母の腕には到底かなわない。ポケモンの舌にまで合うほどに調整された見事な味付け。皿まで食われかねないほどの勢いでたいらげられていく料理たち。ばあさんは騒ぎからそっと離れ、窓の向こうの夜空を相手にキセルをふかしていた。
風呂は食事と比べて難易度が高いので、10分の交代制をとった。一番手のレッパクはみんなに後押しをされてしぶしぶ入る。グレンゲはほどほどにしてブラッシング優先。ドロップとはみずでっぽうとシャワーで乾坤一擲のつばぜり合い。オボロはこんなときもだんまりをキメる。ソニアはサボテンなのでグレンゲ同様の扱い。レムはいまだにテンション高くてなかなか落ち着かない。60分耐久の入浴ともあれば、かなりのぼせそうにもなったが、これはこれで気持ちよかった。
茹で上がった頭を拭き、モーモーミルクアイスをくわえながら、テレビを見ようとした。
まったく知らない番組だらけだったし、チャンネル戦争が起きかねなかったため、すぐに切った。
みんなをボールから出したまま寝たかったので、2階の自室はばあさんに譲った。言われずとも、そもそもここに来た数日前から、勝手に寝床を借りていたそうだが。ゴールドはみんなに囲まれながら、みんなはゴールドを囲みながら、1階で寝ることにした。
久しぶりの家は、温かかった。