38 黒の律動〜ディミヌエンド
【個性ってもんは、へこんだところとでっぱったところから表れてくるんじゃあないのですか、っとお】 ドンカラス
38 黒の律動〜ディミヌエンド 当たらないかもしれないと思っていたが、本当に当たらなかった。
あれだけの攻撃範囲を誇りながらも、ギリギリのところでやっぱりかわされた。
反動でむしろ自分が吹き飛ばされた。
逆向きに働く推進力に頭の花が振り回され、射線がおぞましいほどにブレる。ついには根を引き剥がされ、残り少ない光線が青空を縦に削ぎ、雲を割った。3倍早送りのような速さで宙に乱れるソニアを、慌ててドンカラスが救い出した。うっすらと細まっていくソーラービームの残光に肝を冷やしたのか、汗の代わりに黒い羽根をふたつほど散らしていた。
「――お、お見事です。さすがにあっしもびびりやした。ですけど無茶はおよしなさい。どうかご自愛なすってくだせえ、っとお」
太陽と自分のエネルギーを使い切ったので、ソニアは抵抗する気力も枯れ果てた。解放した臨戦心理もソーラービームと共に体の外へ流出したため、戦意はすっからかんになり、仕切り直すことは体が嫌がった。
勝負ありだった。
ブラックの前へ、ゆっくりとおろされる。
――正直、オレもちょっと焦った。大した技もってんだなお前。
全身へとへとだったが、空元気を振り絞って虚勢を作る。
「そりゃー、これもリーダーに教え込まれ、みんなで練習――」
突如思い出されるみんなの顔。
「じ、自分で練習したもん!」
――言ってて自分でも苦しくねえのか。
「う、うう、」
全てを見透かされたような目を向けられ続けるのが、ひどくつらかった。
多少要領が悪いが、リーダーによく似た穏やかな口調で、ブラックが語りかけてきた。
――無理して体張んな。からかわれたのか心配されたのかはオレはどうだっていいけどな、お前が思っているより、そいつらはお前の短所を気にしちゃいねえよ。誰だって、オレたちのような人間にだって、苦手なもんくらいごまんとある。短期間であっさり克服しようだなんて夢のまた夢だ。こそこそと特訓してある日突然見せびらかすよりか、結果がどうであれ必死こいてでも努力しているところを見せつけたほうが、向こうを黙らせるのにはうってつけだろ。
言い返す余裕がないから黙っていたのではなく、黙るしかないから黙っていた。
特訓したいのでもなく、ドンカラスをびびらせたいのでもない。単に自分は、自分の無力さを否定したいことにまっしぐらだったのではなかろうか。
なんにせよ、良くも悪くも、喧嘩したときから芽生えていた恨み節は、どこかへ去っていた。
毒気を失ったソニアはすっかり意気消沈し、やるせなくうつむいた。
「やっぱり、あたしが悪かったのかな。みんな、許してくれるかな」
――知るか。お前次第だ。
早く行ってやれ、と言われた気がした。
うつむいたまま、ブラックとドンカラスに背を向け、とぼとぼと歩いていく。
途中で思い出して振り返る。ソニアは右手をあげて、シャカシャカと振った。
「わがままにつきあってくれてありがとね」
ドンカラスも片羽を軽くあげ、ニヒルな笑みをよこした。かっこいい。皮肉なしにそう思った。
ひと暴れして空っぽになったこころに前向きさを取り入れる。心機一転、歩きを再開しようとしたが、その場でもう一度振り返り、
「最後に、ひとつ訊いていーい?」
――なんだ。
「あんたの苦手なものって、何?」
――自分で歩けるうちにさっさと帰りやがれ。
― † ―
――ポケモンに対する新たなる考え。それを学ばせてくれたきみへの、わしからの個人的なお礼だ。なあに、単なる「お守り」だよ。中身を深く考える必要はあるまいて。活かすも殺すも自分次第、いや、きみの場合は、ポケモン次第、というべきかな。
その言葉を皮切りに、ゴールドの長ったらしい試練は終わりを迎えた。イブキは引き続きほこらで居残り勉強。
ご指導ご鞭撻のほどに礼を返し、外へ出ると、待ちわびたとばかりに日差しが体へと降り注いできた。日は傾きかけていたがまだまだ光は強く、眼球の奥がじんわりと痛くなる。空気が澄んでいて思わず深呼吸。
小舟に乗り込み、ぷかぷかと揺られながら、ゴールドはお守りを太陽にかざしてみた。8つのバッジを揃えた達成感よりも、こちらのほうがひっかかかった。
紐の長い、もかもかした薄紫の巾着だ。右下にはフスベの町章を象った緻密な刺繍があり、左下には龍を象った精巧な刺繍がある。お香のいい匂いがほんのりと鼻に届く。底のあたりを指先でいじってみると、何かがごろごろと、かなり硬い。中身が相当気になったが、結構立派な留め具で密封されていて、うかつには開けられないようになっている。
感触で形を想像する。
待てよ、と思う。
――まさか、中に入っているのって、
ため息。
なんだかおちょくられた気がした。
――活かすも殺すも俺とポケモン次第、ねえ。
続けて船頭にも礼を告げ、ゴールドはジム前まで戻った。
レッパクとグレンゲがすぐさまゴールドを見て、一体どういうわけか、まるでどでかいゴキブリの親玉を発見したように「うっ!」となった。だがすぐに、不穏な表情は安堵と不安の中間くらいの笑みへと移った。
――おかえり。
――んで、首尾は?
うっかりそのままお守りを見せかけ、ゴールドの両手が混乱した。ひとまずお守りは左ポケットにつっこみ、右ポケットのバッジを取り出した。
「色々あったけど、無事手に入ったよ。これでジョウトのジムは全て制覇。臆することなく堂々とリーグへ行ける」
――いぃよっしゃあ――――――――っ!!
蛮声と共にグレンゲが空へ火を吐き、微笑むレッパクも控えめに静電気を弾かせた。
2匹とも、どこか無理をしている。
加えて、何かが物足りない。
達成感が、まだやって来ない。
ゴールドは、レッパクの隣にある空白へ目をやり、
「――あれ。ソニアは?」
うっ!
またも2匹が同時に固まった。
――えとな、大将、ソニアはよ、
――いい、グレンゲ。正直に言おう。おれたちの責任だ。
レッパクとグレンゲが、かわりばんこにかくかくしかじかを説明してきた。水嫌いは余計な高所恐怖症で仮想戦場の高い高い。
ひと通りを聴いて、ゴールドは終電を乗り過ごしたOLの気持ちを想像しつつ、ぼんやりと黄昏る。
「止めろよ」
――ごめん。
――面目ねえ。
もう一度、
「頼むから止めてくれ」
――申し訳ない。つい感情的になってしまった。
――漢グレンゲ、一生の不覚。かくなる上は、この首を持って、
「ああもう、とにかくだ、みんなで探しに」
――たっだいまー。
全員が眼光を斬り払って振り向いた。
そこに立っているソニアは、案の定、生傷だらけだった。どう考えても「ドジ踏んで転んじゃった」だけでは済まされぬ有様。「どこで」、「どのように」、「どれくらい」、転んだのかまでの説明を要したくなるほどだった。
微妙な目線をくらっても、ソニアは気兼ねすることなく歩み戻り、
――なーにー? あたしが帰ってこないと思ってたー?
見てくれこそ痛々しげだが、腕と頭の花をシャカシャカといつもの調子だった。
ソニアに近寄られたレッパクは、体の傷から目をそらしつつ、
――さっきの、ことだけどな、
――ごめんなさい。
――っ?
ソニアが両手を揃え、伏し目がちになった。
まさか先制されるとは思わなかったのか、レッパクがかなり面食らった。その隙に、ソニアは謝罪を続ける。
――あたしばかだった。特訓して思い知った。誰だって苦手なものくらいあるんだって。そう簡単には治せないんだって。それと、リーダーもごめんなさい。勝手な行動しちゃって。もうどこにも行かないから許して。
「レッパク」
レッパクはこくんとうなずき、
――こっちも言い過ぎたよ。悪かった。おれだってあの状況、ドロップの背中で戦えって言われたら最後まで迷うさ。要はお互い様だったんだ。無理につつきあうことはもうよそう。ところでお前、その怪我、
――え? あ、あー、これねー、違う違う。特訓してついたやつじゃーないから。気にしないで。あたしこう見えても丈夫だし。かえって、なんだか晴れ晴れしてるの。名誉の勲章ってやつ?
グレンゲもところどころの傷と土埃をまじまじと観察し、けれど触ろうとはしない。
――にしても、なんか一悶着あったってな感じだが。
――うん。ちょっと、ね。
ソニアはゴールドを見つめ、にひひとなぜか嬉しそうな顔をした。
ゴールドは、多くは問い詰めなかった。しばらく経緯を見守った後、
「じゃあ、うん。これはソニアにあげるか。さっき、りゅうのほこらでもらったんだ」
左のポケットからお守りを取り出し、ソニアの首につけてあげた。紐の長さはちょうどいい感じだった。見栄えもまあ悪くない。
「苦しくないか?」
――うん。あたしがもらってもいいの?
「お前だからこそ、だよ。言わば『頑張ったで賞』ってやつ。単独行動はもちろんいけないことだが、苦手なものを一生懸命克服するのは偉い。俺たちの中で、自分からなんとかしようとしたのはお前が初めてだ。俺なんか1年かかって、まだ怪しい状態だぞ。みんなと一緒に、ゆっくり慣れていけばいいさ」
――そっか。ありがと。大事にする。
「それに、グレンゲは燃やすし、ドロップは長さが足りない上に水浸しにする。オボロは多分、というか絶対突っぱねる」
あはは、とソニアは嫌味なく笑う。
――さあて、そいつはどうかねえ大将。オボロの野郎、いつも仏頂面してるけどよ、あれでも大将のことが気になって気になって仕方ない様子なんだぜ。もしあいつだったら毎朝手を叩いて拝み、暇さえありゃずっとそのお守りを眺めていただろうよ。
「ほほー。そういえばカイリューにもすげえ嫉妬してたっけか。よし、後でからかってやろう」
ゴールドとグレンゲも、密談をする越後屋とお奉行といった、実にゲスい笑みを浮かべる。
――リーダー。
「うん?」
ソニアは左手についた土をぱっぱと払い、差し出す。
――手つないで帰ろ。
そのくらいお安いご用である。
ゴールドはソニアの手を柔らかく持ち、横に並んでポケモンセンターへ帰ることにした。
――いいよなお前は。前足が自由で。
レッパクが言った。
――へへん、どーだうらやましかろー。
ソニアが言った。
得手不得手の話に限らず、レッパクにあってソニアにないものがあり、ソニアにあってレッパクにないものがある。