37 黒の律動〜エチュード
【才能がない? ふざけんな。そういうのはその道に10000時間費やしてから言え】 ブラック
37 黒の律動〜エチュード 足の感覚が冷たく遠のいていく。
ゴールドとじいさんの問答は、線路のごとき平行を極めた。
イブキは何も口を挟まず、じっとそれを聴いている。正座には慣れていないのか、ときどき尻をもぞもぞさせている。
ヤナギのような質問を延々と繰り返されたため、ゴールドもそろそろ苛立っていた。
人間とポケモンを無理して結びつけなくてもいいのに、と思う。
どうせ違いなんてないし、わざわざ異なる点を見つける必要もない。
それがゴールドの自説だ。
もちろんだが、じいさんの求めている答えくらいゴールドにも容易に察せる。キツネの仮面をかぶり、相手に合わせて理想的な言葉をつくろえばいい。が、自分の理念に嘘をつくことがどうしてもできず、じいさんの期待する言葉を喉の奥から発せられない。今まで自分を信じてついてきてくれたポケモンたちに対する重大な裏切りにも思えた。
そして、じいさんもそれを把握した上で、ゴールドに安っぽい問いかけを続けているのかもしれない。自分の思う考えがどこで折れるのかを知り、信念の重みを量っているのか。
曲がるわけにはいかず、曲げさせるしかなかった。
呑み込むわけにはいかず、撥ね返すしかなかった。
――きみにとってポケモンとはどのような存在か?
「ポケモンはポケモンです」
――どういう意味かな。
「一字一句、言葉の通りです。人間が人間であるように、ポケモンはポケモンです。『相棒』だとか『仲間』だとか『友達』だとか『家族』だとか人間が勝手に決めるだなんて、厚かましいにもほどがある。俺のために真剣に戦ってくれる、その気持ちだけで十分です。それ以上のことは求めていません」
――きみのそばにいるポケモンたちからその関係を陳じたとき、どうする。
「それはあくまでポケモンたちのとらえ方でしょうから、もちろん丁重に受け入れます。この上ない至福です。ですが俺からその旨を申し出ることは、確言します、ありえません」
次。
――ポケモン勝負で勝つために必要な事は?
「負けても得られるものはあるので、別段構わないんですが」
――謙遜しなくてもよい。誰だって勝てば嬉しいし、負ければ悔しいだろう。素直な気持ちで答えなさい。
「全部。と言いたいのですが、それでは答えになりませんから、今ふと思いついたものを挙げます。自分のポケモン、相手トレーナー、相手のポケモンに指し示せる、己の覚悟」
――精神論か。
「ケツの青いガキですが、いま現在の自分なりの結論を出します。努力と経験は、才能には勝てません。ならば、こころの持ち方だけでもどうにかするしかない。試合に負けて勝負で、という具合です」
――トレーナーのかね。ポケモンのかね。
「両方、ですね。トレーナーがいなくてはポケモンは始まりません。逆もまたしかり」
次。
――これから先、きみも色々な戦いを経験するだろう。どのようなポケモントレーナーと戦ってみたいか?
「強いて言うなれば、先ほど具申させていただいた、ポケモンを『友達』や『仲間』などととらえているようなトレーナーですかね。当然と言ってはなんですが、向こうのポケモンを深く愛する気持ちもよく分かります。無神経なやつだ、と反感のひとつやふたつは買うでしょう。しかしこちらにだって引けない一線というものがある。それを知ってもらいたい」
――相手がポケモンに愛情を注がず、道具として扱い、強さのみを求める業突く張りだったらどうするつもりか。
「いつか自滅するはずです。俺がわざわざ説教垂れるまでもありません。与り知らぬところでよろしくどうぞ」
――きみの熱意で、いくらかは改心できよう。
「かもしれません。ですが、自分で思い知らなければ痛感できない点、というものがどうしても出てくる。俺自身、そうでしたから。俺が手をかけてそこで中途半端な幕切れとなってしまえば、そいつは一生自分の裏に気づかずじまいで終わってしまう。99パーセントだけ俺が反省させるか、100パーセント自分でなんとかするか、0パーセントのまま愚者として踊り続けるか」
次。
――強いポケモンと弱いポケモン、どちらが大事か?
「どういう意味での強さと弱さでしょうか。ポケモンは生き方も戦い方も立派だ。ピチューだろうがピィだろうが、ボーマンダだろうがガブリアスだろうが」
――それでは、きみの考える弱いポケモンとはなにか、お教え願おう。
「自分らしく生きることを断念したポケモン。トレーナーにあわせ、信条を変化させることも大事です。しかしそのままでは、あなたの通り、ポケモンは傀儡であり、道具に過ぎない」
次。
――ポケモンを育てるのに一番大事なことは?
「ポケモンは育てるものではありません。陰になり日向になり、見守り、導くものです」
――それは、放棄することにもならないかね。
「いいえ。ずっと一緒にいたはずなのに、いつの間にか身もこころも大きくなっていた、ってこと、何度もあるんです。これも先ほど述べましたが、そもそもポケモンは強い。俺なんかよりもはるかに。だから俺はそいつらのために道を示すのみです」
――道。
「ええ、道です。それが俺の差し出せるものです」
天井が水滴を3つ落とす程度の間。
「足、崩してもよいぞ」
「恐れ入ります」
左右に気をつけ、慎重な動きであぐらに戻す。背骨までセメントになったここち。イブキは正座のままだった。
全然口にしなかった番茶をちょっと飲み、じいさんは一息ついた。いも飴をひとつまみ、口に放り込む。老体でも歯だけは頑丈らしく、ゴールドに負けぬ早さで噛み砕いた。もう一回番茶を飲み、
「――良くも悪くも、きみのようなトレーナーは初めてだわ。ある意味イブキよりもてこずった」
「ちょ、ちょっと師匠! どういう意味ですかそれ!」
なんだ師弟関係だったのかこの二人。さしものイブキもこのじいさんには頭が上がらないようだ。良し悪しの判断ができっこないから泣きついてうやむやにしようという腹ではあるまいか。
「俺の答え、そんなに変でしたか」
「いやいや。全員が同じ返答をするは到底考えられない。人間の数だけ、ポケモンに対する思いがある。きみのそれが他の者たちよりも非常に印象的だっただけだ」
じいさんの感想を受けたゴールドは自分のくるぶしを見つめ、猫背のまま顔を上げた。
「――差し出がましいようですが、この際はっきり申し上げてよろしいですか」
「なにかね」
帽子を外し、頭をばりばりとかく。
「つまりですね、最初の質問の時点で、もうこんな問答に大した意味は無くなっていたんですよ。ポケモンを別の言葉で置き換えないと決めた以上、俺は引き下がらないつもりだったし、あなたも突き詰める必要が失われる。その他の問は、最初の問を前提としたようなものでしょうから。人間はポケモンに何かをしてあげているんじゃない。ポケモンに何かをしてもらっているんです。俺の考えるポケモンとの距離感は、根本的に最初からあなたの理想とする解答にはそぐわないんです」
「――そうか」
じいさんはゴールドから目を離し、イブキへと優しく移した。
「よかろう。イブキ、ライジングバッジをさしあげなさい」
合格、という明快な言葉は、なかった。
「――かしこまりました」
イブキは腰に手を回し、「ほれこんなもんくれてやるからせーぜーあたくしに感謝しろ」といわんばかりの突き出し方をする。水をすくう形にした両手へバッジは落とされ、ゴールドはへへーっと叩頭した。
じいさんは視線をイブキから更に番茶の揺れる水面へ落とし、
「わしらはなにかを見失っていたのかもなあ。考えようによっては、ポケモンを道具としか思わない連中よりも、驕っていたのやもしれぬ。模範的な解答だけに頼り、人間とポケモンの関係を現状のままで満足しきっていた。わしらは当然ポケモンを大切に思っている。だが、それ以上にポケモンを愛する自分のことが好きで、いい気になっていたのだろう。それがそもそもおかしく、余計にたちが悪いときみは考える、と。――うむ、そうだな、きみを是非ともワタルに会わせてみたいものだ」
ワタルという名前にイブキが条件反射し、口を尖らせる。
「絶対無理ですよ。とりつくしまもないわ」
「――もう会いましたけど」
「はあ!?」
イブキの近すぎるハイパーボイスに、ゴールドはりゅうせいぐんの溶け残った頭痛を再発させた。イブキの血相は、「実はぼくのパパはドサイドンなんだ」と親友から打ち明けられたも同然だった。
これといって誇れるようなものでもないので、ゴールドは脚色することもなく、しれっと一部始終を語る。
「ええと、つい最近、一緒に協力してロケット団の悪事を防ぎました」
「何それめちゃくちゃ触れ合ってるじゃない!」
「あ、一応それ以前から被害は出ていたのだから、防いだという表現はおかしいか」
「そうじゃなくて!!」
見ていてすがすがしいくらいの狼狽っぷりだった。ゴールドも少々不穏に感じ、
「そ、そんなにうろたえるほどのことですか」
「あ、あんたね、ワタルといったら、」
イブキは、喉元まで出かかった言葉をごくんと押し戻し、
「――いや、やめておくわ。妹弟子が兄弟子のことを語るのは忍びない。知らないのならそれでいい。正体は自分で突き止めなさい」
どいつもこいつもこんな調子だな、とゴールドは舌を苦くする。自分はそんなに鈍いのだろうか。
ゴールドとイブキの掛け合い漫才にじいさんは笑い、
「そうか、あの怪電波事件、きみたちが解決へと導いてくれたのか。ワタルに代わって礼を言うよ。ありがとう」
「あ、い、いえいえ。ラジオ塔を奪還したのはワタルさん本人ですし、俺は大したことしてません」
ゴールドも慌ててあぐらを正座に戻し、頭を下げ返した。まだ足は痺れが抜けきっておらず、腰の重みが再びずきずきとのしかかってきた。
「きみは本当に謙虚だな。自分よりポケモンのことを考えすぎている。もっと自分のことも信じてみなさい。きみがいるから、きみのポケモンがそばにいるのだよ」
じいさんはおもむろに立ち上がり、厳かな動作で祭壇へと体を向けた。
「――きみのような者に託すのも、一興だろう」
祭壇に奉ってあった小皿。その上にある小さな巾着を持ち上げ、ゆっくりとゴールドに渡した。
― † ―
もちろん、ソニアはぼかすかにやられた。
というより、そもそも話にならなかった。
ニードルアームはもとより、ミサイルばりすら当たらない。
ドンカラスの足に首根っこをつかまれ、上昇されるだけで、なんていうかもうソニアはだめだめになる。全てが恐怖一色に染まる。地上が遠のくのと同時に、意識も遠のきそうになる。
「ボスの言う通り、もうおよしになったほうがいいんじゃねえですかあ、っとお」
誰がどう見ても少々でかい獲物を巣に持ち運ぶ格好だ。
「まだあたしは負けてないー! おろしてー! おろせー!」
「おろすんじゃなくて、落とすんですよ、っとお」
「や、やっぱりおろさないでー!」
おそらく、2メートル。
ドンカラスは嘆息し、滞空をやめて一気に急降下した。
冗談ごとじゃない速さで地上が飛びかかってきた。
叫び声すら出せなかった。
反動を残さない絶妙な力加減で、ドンカラスは地面スレスレの停止をした。ぱっと首根っこを放し、ソニアは小さく着地。足取りがおぼつかなく、ふわふわと上の空。
長い年月をブラックと共にしただけはある。あいつの性格を鏡のように反映した、いやらしい戦い方だった。ばかにしているに違いない挙動で舞い、のろくさした飛行で反撃。体のあちこちをつかまれては絶叫ツアーへご案内。ただひたすらこれを繰り返す。
が、不思議とソニアは腹が立たなかった。
むしろ、気遣いすら感じた。
ドンカラスは、一度も自分から攻撃を繰り出しては来ていない。
本腰になったら、すぐにでも瞬殺できたはずなのに。
「――まだやるんですか、っとお」
「やるー! やってやるうー! 見てなさいよあたしが本気出したらあんたなんかけちょんけちょんなんだから串で刺されてハチマキのおじさんに焼かれて団扇でぱたぱたあおがれるんだからー!」
腕を揃え、無我夢中でミサイルばりを集束放射。
これほどの至近距離でもドンカラスはひらりとかわし、大きく距離をとった。護が邪とだけあって、オニスズメたちだと聞くに耐えない悪罵も平気で受け流している。
むうう、とドンカラスを悔しそうに睨み上げる。
邪悪な感情がふっと止みかけた。熱量が分泌され、生命の充実を感じる。天の恵み。陽の光。命の源が滔々と注がれ、全身を駆け
廻る。植物としての本来の気持ちが戻り、こころが確実に軽くなっている。
単に袋にされるだけのソニアではもちろんない。やがて息を整え、楽な体勢をとった。
――後悔したってもう遅いんだもん。
頭上に意識を凝らす。準備は大体完了を告げていた。
とある都合で出せなかった、ソニアの本気。バトルを始めたときから体内の組織を一時的に変え、葉緑素の生み出す力を少しずつ蓄えていた。
一撃でいい。それで上出来だ。うまく当てられれば、いくら空を飛ぶドンカラスといえど、ひとたまりもないはず。それくらいの自信は十分あったし、事実、ゴールド一行の中でもぶっちぎりの威力を誇る奥義だった。ここまで実力の差を見せつけられた以上、なんとしてでも一矢報いたい。ブラックとドンカラスが仰天するさまを想像し、地に手をつけ謝罪する光景にまでつなげてみる。それだけで痛快だった。悦に浸りつつ、
――あれ、でも、そういえば、
ソニアは、思う。
――なんであたし、こんなにムキになってるんだっけ。
特訓がしたかったのか、単純にドンカラスに負けたくなかったのか、もうソニアにも分からない。
――やっぱり、
樹が空に刃向かうのは無謀だったのかな。
奥義による活力が内側から満ちてくるが、傷に響いてみりみりと痛かった。
――なんでこんなことになっちゃったんだろ。
落ち着きすぎて、後ろめたい気持ちが胸をよぎった。
こんなにへばった状態で技を発動すれば、自分はどうなってしまうのか。
唐突に膨らんできた複雑な思いが、濁った色の渦を作る。
ソニアは振り切り、遮二無二叫んだ。
「そんな距離じゃあんたもあたしも届かないでしょー! かかってこーい!」
「しぶとさと威勢の良さだけは買いますが、どうなっても知りませんよ、っとお――」
ドンカラスがこちらへ向かって再度まっすぐ急降下してくる。
今度は本当に激突してくるつもりだ、とソニアは判断。
望むところだった。
「もっと来なよー、もっと、もっと――」
臨戦心理をなぞり、風を読み、空に踊る緑を探す。
すっと左腕を正眼に構える。
頭の花にだんだんと、狂暴な力が宿ってくる。
ドンカラスの姿が、次第に大きくなってくる。
「そーそー、もっとだよ、もっと、もーっと――」
力を抑えきれなくなった頭の花が、一度だけ光の飛沫をしぶかせた。
ドンカラスよりもブラックが先に気づいた。
――違うドンカラス! ミサイルばりじゃない!
「うあっ、とおっ!?」
ブラックの判断に、ドンカラスもすぐさま翼の勁力を前身に開き、エアブレーキをかけた。
が。
「今だー!」
そこからのソニアは、素早かった。
臨戦心理を解放。前かがみになり、左手を垂直に突き落とす。手から生える針が、地表を掻く。根が地面に噛みつき、足元を固定。頭の花は2つともその瞬間から主砲のマズルに化け、花弁の赤が光の白に染まった。
「使ってみるのは初めてだからよく分かんないけどー! かわせても無事じゃ済ませないんだからー!」
それはまさに、樹の道を踏破することでたどり着いた、ひとつの終着点。命の煌き。魂の閃き。陸を生きるソニアの全存在を懸けた、意地の極北。
堰を切ったように閃光が噴射された。極太の聖なる光線が爆音を奏で、勝利へ一直線の弾道を作り、素敵な速度で飛翔した。
ゴールドから教わった、あるったけのソーラービームだった。