36 めざめぬパワー
【後ろを見返すのと前を見続けるのと、どっちが楽かってお話ー】 ソニア
36 めざめぬパワー「納得いかないわ」
えぐれまくり、死闘を綾なすバトルコート。戦いを終えた後からずっとイブキはこんな調子だ。目がすわっており、細い肩で腕を組むそのさまは、「女ジムリーダーだからといって甘く見るな」という主張のほうがどちらかといえば強い。
「説明して」
負けを認めることより、不可解すぎる事の顛末を知りたくてなんともしようがない様相だった。
ゴールドとオボロは互いに顔を見やり、たどたどしくも作戦のネタばらしを始めた。
プランA、Avoid。ゴールドが頃合いをはかり、ドロップのしろいきりを断行。回避力を高め、空と陸の戦場を一体化させる。霧にまぶされ、優勢だろうと劣勢だろうとあらゆる状況が1から再構築される。
プランB、Back。しろいきりの発動後、オボロが空の戦線を離脱。しかし仲間といえど自身も霧の向こうが見えないため、不意打ちはできない。ドロップを行動をじっと待つ。
プランC、Combination。霧の支配者、ドロップが口に含んだモンスターボールをみずでっぽうとともに放ち、オボロはそれを無抵抗に受ける。落下してきたボールをゴールドが回収。これでオボロの気配が完全に消える。
プランD、Decoy。グラヴィたちは無視し、バンリの囮となる。再度ドロップの指示を受け、ゴールドが背後に回りこみ、オボロが把握しきれる距離まで詰め、隙を突く。つもりだったが、何しろ入った横槍があのりゅうせいぐんである。かなり危ういところまで追い詰められたが、プランは続行。怪我の功名という奴で、砂煙の世界ならオボロは独走が可能なり、バンリを仕留める。
プランE、Eject。イブキの予測通り、最初の2発は見せかけ。3発目のみずでっぽうで再度モンスターボールを飛ばす。座標を維持したまま、貫通力の高めた4発目を即座に撃ち、ボールの開閉ボタンをトリガー。見事、グラヴィたちの後方でオボロが解放される。当然、無傷で。
プランF、Finaleで、
「それでも納得いかないわ」
今度は、「タネは分かったが大胆すぎてそんな手は簡単には認め難い」といった感じだった。
「別のポケモンを出さない限り、エントリーしたポケモンを一時的にボールへ戻すことは、別にルールに反していない。けど、でも、」
その先の言葉を用意していなかったのか、イブキはドロップの戻されたボールを見る。
「グラヴィが避けなかったらどうするつもりだったの」
「確かに俺もドロップも本気で当てるつもりでした。1週間前、あなたがおっしゃったでしょう。避けてみせると。その言葉を信じたまでです。グラヴィたちならきっと避けてくれるだろうと踏んでました。あなたたちは俺たちが本気の3発目で仕留めてくると予測した。だからかわしたらそれっきり。3発目もフェイクだとは思わなかった」
イブキの桜色の唇が、綺麗なへの字に曲がっている。表情をいちいち隠すのが下手なのか、「敵の言葉をやすやすと呑み込むうつけ者がいるか」と書かれてあった。
りゅうせいぐんの爆撃で脳をシェイクされたゴールドは、右手のひらの付け根で側頭部をこんこんと叩き、
「――だめですか」
「いえ、負けは負けよ。ちょっと卑怯、と思ったけど。約束通りバッジは渡すわ。でも、その前に」
イブキは半身になり、右腕を広げた。
待ちかねたぞ、と言いたげの勢いで、ジムの奥が轟音と共に開かれていく。青空以外を閉鎖されたジムの北から見えるのは、かつて自分たちが特訓していた水辺と、ひとつの洞穴だった。
「わたしと一緒に、りゅうのほこらに来てちょうだい」
― † ―
ポケモンは連れていかないこと。
それが絶対の第一条件だった。
りゅうのほこらは、人間とポケモンの信頼関係を鑑定するための場所ではない。トレーナーそのものの本質を見抜くための聖堂らしい。倫理観に欠けた思考回路をトレーナーとポケモンがリンクさせている可能性があり、そんな関係を見定めていてもなんの意味も無いから、とイブキは後付けした。
そこで待ち受ける問答に合格すれば、晴れてゴールドはライジングバッジを手にできる。
それって結局渡したくないってことなんじゃないか、とゴールドは思う。
しかし相手は天下のジムリーダーイブキ様である。物議を醸しかねない戦法で挑んだこちらにも幾らかの非はあるだろうし、下手な抵抗を見せると事になる。第三者に判定してもらったほうがお互いケリをつけやすいだろう。
そういうわけで、ゴールドが丸腰でりゅうのあなへと潜っていった一方そのころ、ジムの外ではこれまた妙ないさかいが始まっていた。
「なっさけなーい」
「余計なお世話だ」
ドロップとオボロは、一足先にポケモンセンターで休んでいる。
本来ならば程度の低い売り言葉なんて歯牙にもかけないレッパクだが、弱みをいじられるとなると話は別だった。
もし先程のジム戦がレッパクとオボロのペアだったならば、もうちょっとまともな戦い方ができ、イブキのへの字を見ずに済んだかもしれない、というのがソニアの言い分。レッパクが駄々をこねなかったら、リーダーの足を引っ張らなかったはず。
「過ぎたことをここでもめたって何にもならないだろ。それにおれは、お前が思っている以上に水が嫌いなんだ。みんなで話しあって、その方針で行こうと決めて、主も許してくれたじゃないか」
「そりゃーそうだけどさ。この1週間でいくらかは克服できたんじゃないの? 自分から行動起こさないと一生かなづちだよー?」
ぐ。
普段はへらへらしているくせに、思いのほか痛いところを突いてくる。こんな奴に口喧嘩で負けたくなかった。けれどもソニアを一発で黙らせる材料がとっさには中々浮かばない。そっくりそのまま返すのは少々情けないが、やむなしに、
「いいだろ別に。誰だって苦手なものはある。お前が炎嫌いなのと一緒だ」
「それは護の都合ー。雷が流に弱いだなんて初耳」
ぐぐ。
「――つまり、お前には苦手なものがないと?」
「あたしは平気だもーん」
えっへんと胸を張るソニアを、レッパクは怪訝な様子で見上げる。その得意顔は自信に満ちていて、非の打ちどころがない。
くそ。何かないのか。
護の関係は捨て置く。自分が水嫌いになった発端を思い出す。イーブイのころからだが、行水はともかく、水の中を泳ぐだなんてまったく経験したことがなかった。アサギ出身だというのに、どうして主は自分に泳ぎ方をあらかじめ一から教えてくれなかったのだろう。誰だって未知の世界での対処方を知らなければ、為す術も無く引きずりこまれるだけのはずだ。そしてトラウマに、
世界。
見上げるのをやめ、ゆっくりとソニアの足元を注目した。
蛍光灯のようにチカリと来るものがあった。
今日ほど自分の直感を褒めたたえたくなる瞬間は、おそらくこの先ないだろう。
ソニアの足元を見つめたまま、
「グレンゲ」
自分の隣でべっこう飴をがりがりしていたグレンゲに、
「おん?」
レッパクは、悪魔の言葉を吐いた。
「ソニアを上へ思いっきり放り投げてくれ」
「――え」
ややの間を置いて意味を察したグレンゲは女より友情を取り、ソニアの腕をむんずとつかみ、こわばる体を無視しつつ、思いっきり放り投げた。
引き絞るような叫びが、フスベの空全域に響き渡った。
綺麗に垂直落下するソニアを、再度グレンゲがお姫様キャッチ。お、案外痛くねえ、とぽつり。
「ななななにすんの――――――――っ!! 死ぬかと思ったじゃないー!!」
「――やはりか」
「ははあ、なるほど」
「平気ってことじゃない。お前は知らないだけだったんだ。自分の苦手なものを」
「だだだだだからってわざわざご丁寧に作ることないでしょー!? 知らなかったら知らないままで終わらせてたほうがよっぽどましじゃない!」
あの一瞬の高い高いでぐっしゃぐしゃの泣き顔になったソニア。グレンゲから強引に飛び降り、今にもレッパクに殴りかからんばかりに腕をシャカシャカさせる。
対するレッパクはもう涼しい顔だ。
「これからの旅、いずれオボロの背中を何回も借りることになるんだぞ。今回の戦い、おれやドロップじゃなく、お前ならどうするつもりだったのか。戦いたいと申し出たのはそっちからだ。誠意ある回答を要求する」
「そ、そのときはあたしはいつも通り地上で戦うもん! わざわざオボロの背中に乗って飛ぶだなんて危険な真似しないんだもん!」
「そうだな。本来、だったらな」
半狂乱の状態ならば、自分のことはそっくり棚にあげても揚げ足は取られないだろうとたかをくくり、レッパクは続ける。
「だが、もしもだぞ。おれたちがこてんぱんにやられ、残ったのはお前とオボロだけになったとする。場所は空中。下はどうしようもないくらいの海原。そんなとき、勇気を出して戦えるか?」
「そんな状況、あるわけ」
「本当にそう言い切れると?」
シャカ、と胴体が鳴った。
「確かに万が一億が一の話だし、おれたちがやられたのはおれたちの不足だ。あとでいくらでも責めればいい。が、そこは今はともかく、だ。おれだけじゃなく、主を含め、みんな頼れるのがお前とオボロだけしかいないって場合、ベストを尽くせるのかと訊いている」
もう音は鳴らなかった。泣き声もなかった。
ちょっとかわいそうになってきたからトドメはどうしてやろうかな、と思ったとき、グレンゲがあっさりと刺した。
「『自分から行動起こさないと』ってやつだな」
それが、引き金となった。
「あーもー! いーよ分かったー!」
全身の葉緑体を真っ赤にしそうなほどがなり、ソニアは背中を向けてがしがし歩く。
「おい待てどこへ行く。ここにいてくれって言われたろ」
案の定の返答、
「特訓するもん!」
振り向くその顔には、「何があってもついてくるな」と記されてあった。
人間だろうとポケモンだろうと、男は背中で語り、女は顔で語る。
のかもしれない。
― † ―
幸か不幸か、ソニアの叫喚は、りゅうのほこらまでは届かなかった。
龍の胃袋に入り込んだ気分だった。湯気と霧の中間くらいの湿気がむああと生ぬるく漂っている。適度に立てられた燭台のお陰で明るさには不便でなかったが、見かけ以上の狭苦しさを感じる。水滴によって上へ下へと築かれた鍾乳石や石筍は、冥界を跳梁跋扈する魔獣の牙のようにも思えた。霊妙な空気を濃密に閉じ込めており、あまり好き好んで訪れるような場所ではない。古くからそのまま現代まで残された洞窟で、水脈の奥底、岩の隙間から絶えずぷくぷくと湧き出る成分のためだとイブキが横から解説した。果然、人間にもポケモンにも負担の大きい環境で、日頃修行するのにはうってつけのところらしい。窮屈なここでひとしきり稽古に励んだ後、空へ帰れば、例えようのない開放感を味わえるとのこと。
「若いな」
声がしわがれすぎて聞き取りにくい。
「褒めてます?」
「無論。その年でイブキを組み伏せたとは大したものだ」
そのじいさんは、ほこらの守り人だった。身長も歩幅もぐんと小さい。信号が赤になるまでに横断歩道を通行し得るのか、ゴールドはまずそこが心配になった。深緑のけばだった絹地には、金色の荒々しい縁取りがされている。大きな渦を巻いて連なるその刺繍は、天へと昇る龍に見えた。
布団2枚がやっと敷けそうなほどの、狭くて低い空間。じいさんの背後には絢爛な祭壇があり、レックウザを模した彫刻が狛犬のような向かいあわせを作り、奉られている。いつから来ることが分かっていたのか、足元にはいも飴と座布団と、まだそれほど冷めていない番茶が用意されていた。見るからに渋そうだ。
正座より気楽なあぐらのほうがもちろん好きだったが、すすめられた以上は厳かな形で座るしかなかった。イブキもそれにならう。
「しかし、イブキにも困ったものだなあ」
「まだ何も言っておりませんが」
「いや、分かるよ。さてはぐうの音もあげられないほど打ちのめしてしまったんだろう? さもなくばこんなところまで流れ者をよこさないからね」
「お察しのとおり、これ以上はないほどの不意を突いてしまいました。あたしが悪うござんした。どんな罰も受けますが、市中引き回しだけはなにとぞご容赦を」
ゴールドの適当な謝罪にじいさんは妖怪さながらの笑い声をあげ、イブキはむすうっとして肩を怒らせる。
「――さてさて、余談が過ぎたな。来てしまったものは仕方あるまい。それでは僭越ながら、きみのこころの器を見せてもらおうか」
― † ―
よじ登るだけでも、まず大変だった。
こおりのぬけみちとフスベに挟まれた、なんの変哲もない道路。オボロで悠々と飛び越えて来たため、訪れるのは初めての場所。ソニアは自分の手をスパイクがわりにし、教え込まれてもいないのにひいこらと、間に合わせのロッククライミングをする。遠くからだと、緑色の藁人形が段差の斜面に這いつくばって、もぞもぞと動いているようにしか見えない。
登りきるまで絶対に下は向かない、と臨戦心理に誓わせた。堂々と宣言してしまった手前、下手な成果は出せない。中途半端な高さではだめだと思い、自らハードモードに挑むあたり、まだレッパクよりかは潔い。見習え。
地獄の釜の中身を見るかのような面持ちで、今しがた登り終えた段差の下を覗き込む。
「………………………………………………………………うわー……」
あっちゃならねえ高さだった。
だいたい、2メートル。
たったの、2メートル。
絶望的な数値だった。
あえて難しい例え方をするならば、レッパクが水位30センチメートルのビニールプールに挑戦するようなものだ。
ここから降りるトレーニングを反復すれば、自分はいつか転げ落ちて死ぬのではないかと思う。
こんなものが苦手だなんて、知りたくなかった。
知らないままでいたかった。
発見したレッパクを憎んだ。次に、実行したグレンゲを憎んだ。両方とも頭の中で串刺しにする。
串刺しにしても笑われた顔だけは消し去れなかった。どうしようもないので、決死の一歩を踏み出すことにして、
――なにしてんだ。
「ひあ!?」
突然の人の気配に驚き、自分でも信じられないくらいの悲鳴が喉からあふれ出た。肩だって上出来なぐらい上げた。取り乱しながら声のしたほうを振り返ると、赤い長髪の人間が突っ立っていた。切れ長の目つきから、やや冷酷そうな印象がす
振り返った勢いで、ソニアの姿勢が後ろへ崩れた。
背後はいちげきひっさつの2メートル。
思考よりもまず体が結末を拒否し、背中が弓なりにそれた。
慌てふためくよりもずっと早く、赤髪の少年がソニアの手をつかみ、乱暴に安全地帯へ引きずり戻した。
――やっぱりお前、
「――あ、あんたは、」
ソニアと少年は同時にお互いの正体を見抜いた。チョウジのポケモンセンターで見た映像。チョウジの秘密基地で救い出したボール。
――ゴールドのマラカッチか。
「リーダーのあくゆー!」
ハンマーの要領で叩かれた。
「なんでぶつのー!」
――すっげえむかつくこと言われたからだ。
「だってあんたのこと詳しく知らないもん! 文句ならリーダーに言ってよー!」
――安心しろ。あいつも今度殴る。
「そーゆー問題じゃなーい!」
ブラックはもうこぶしを固くして、殴りつけるべき相手のことを想像し、はああと息を吐きつけている。やっぱりあくゆーだ、とソニアは強く思う。同じ釜の飯をよく食べたせいか、口調も近い。
――で、なにしてたんだンなところで。
こっちも同じ気持ちだと言いたかったが、助けてもらったこともあるのでとりあえず白状した。
「――高いところに慣れる練習」
ブラックはそれを耳にして、煮えたヒキガエルを食わされたような顔をした。大儀そうに段差の淵へ歩み寄り、見下ろし、もう一度ソニアを見た。
――なんだと?
「だから。高いところに慣れる練習」
ブラックは肩で笑いもしなかった。
――涙ぐましい。
「ほっといてよ」
そこで頭の花がぴょこんと動いた。両手を合わせてしなを作り、
「あ、ごめん、今のなし。ねー、お願い。あたしに協力して」
――あん?
もう知られてしまったものは致し方ないし、それならいっそ利用する手もあった。もやもやしたこの苦手意識を1秒でも早く取っ払えるのなら、レッパクたち以外の誰でも良かった。
「ドンカラス、いるんでしょ? そいつそいつー」
ブラックも感づいて、
――ばかかお前。どうしてオレがゴールドの手持ちの子守しなけりゃいけねえんだ。
果たして一筋縄では行かないか、と思う。
しかしソニアも食い下がる。高所に挑むことと、空の敵へ真っ当に挑むことは同等だと信じ、言った。
言ってしまった。
「じゃーそいつと戦わせて。それだけでもいい経験になると思うし。でもってあたしが勝ったらそのまま特訓につきあって」
――はっ。いい度胸じゃねえか。いいぜ、お前らには借りがある。その言葉、買ってやるよ。
ブラックは軽く冷笑し、お望み通りのドンカラスを繰り出した。
「旅はー道連れー世は情けえー、っとお。――へえ、あっしのような薄汚い風来坊に白羽の矢を立ててくだすって光栄に存じやす。名はドンカラス、字はありません。
齢は七、生は
浅葱、護は
邪と
空。それでは僭越ながら――仕ります、っとお」