34 龍の律動 その2
【あいつを斬る】 オボロ
34 龍の律動 その2 3つの『星』が描く三角座を、オボロとゴールドははっきりと見た。
グラヴィたち――左、中央、右の頭はそれぞれ口腔を開き、マーブル状に色が移り変わるエネルギーを蓄積。
定石、『
三位一体』。
左右の頭があくのはどうを、中央の頭がりゅうのはどうをけたたましい音と共に発射した。周囲の空気を強引に引きこみながら、殺戮の螺旋を紡いでゆく。
臨戦心理を固縛。オボロは、あえて避けないことを選んだ。
頸道をコの字に開く。舞台劇の殺陣よりも幾倍かは真剣な身のこなしで爪を閃かせ、左右の波動を渾身の力で叩き割る。残りの波動をしっぽで面倒くさそうに弾きとばすと、虚空へ呑み込まれて消失した。力の飛沫が火の粉のように交い、ちりちりとゴールドの帽子を舐めた。
「あいつ、頭が3つもあるから、自分だけで『
三位一体』と『
双騎士防衛陣』を使える。やっかいだ」
――避けたほうが楽じゃないのか?
「そうしたらゴールドに負担がかかる。振動のほうがまし。これくらいなら大丈夫だから、しっかりつかまってて」
グラヴィは攻撃の体勢を緩め、少しオボロに近づいた。
中央の本体が言った。
「おれたちゃグラヴィ。女将の翼を一任されている。お前は?」
「あんたに名乗る字なんてない」
ぶきっちょなオボロは他者を怒らせる天才である。どうせすぐにお別れする敵と馴れ合うつもりなんて元からあるはずがなく、まったく普段どおりの態度で返す。例外なくカチンときたのか、3つの顔は物騒な形相でガンを飛ばしてきた。こころが麻痺しすぎて、罪悪感すら覚えない自分が悲しかった。
口の中が酸っぱくなるような、嫌な間があった。
ところが。
「――なんだよう、」
鼻をすする音。
「わ、」
「別に、別に字くらい、お、教えてくれたっていいだろ。確かにおれたちゃ悪役面だけどさあ、誰も好きでこんな格好になったわけじゃねえのに、いいよなお前はさあ、綺麗な翼があってよう、うらやましいよ」
グラヴィたちは朝日を拝めなかったキマワリのように首を下げ、一斉におよよと泣き始めた。
なんだこいつ、とオボロは思う。
――失礼。この子、結構泣き虫なのよ。
――オボロ。
ゴールドに頭の触覚をくいと引っ張られる。
「ごめん」
グラヴィたちはお互いの顔でぐしぐしとこすりあい、青空を仰ぐ。
「いや、いい。気にしないでくれ。ああ畜生、なんでこんなに涙もろいんだろうな。1週間前、初めて会ったときだってそうだ。おれたちゃ次にこいつらと戦うのかと思って内心びくびくしてたんだ。怖がられることが怖かった。気づいてたか?」
「ぜんぜん」
興味がなかったから、とまで言うのはやめた。
「ほんとか?」
「嘘をついてもしょうがない。それに――」
それに――? グラヴィたちが顔を寄せ集めた。
オボロはかつてのゴールドの言葉を真似した。
「――あんたの顔、言うほど怖くないよ。自分に自信を持ったら?」
グラヴィたちは感極まり、せっかく乾きかけていた目をまた潤ませた。
「そんなこと言ってもらえたの、女将以外では初めてだ。お前、いい奴だなあ。戦うのには惜しい」
本当、なんだこいつ、とオボロは思う。ガラス細工のメンタルだ。
「――ま、まあ、なんにしたって、おれたちゃ勝ってみせるけど、よ」
濡れそぼった
眼をしながら、グラヴィたちはギラリと笑った。
「――へえ、そう来るんだ」
オボロは挑発と分かってそれに乗った。
外連味たっぷりの大口だということがみえみえだった。
― † ―
その一方、ゴールドとイブキのいないまま、地上ではドロップとキングドラの戦いが始まろうといていた。小さな翼を使っている様子はないが、キングドラの体はぷかぷかと宙に浮いていた。
「そなた、字はあるのかえ?」
「ドロップと申します」
「ほ、めんこい名じゃ。あの龍の者はなんと?」
「
朧です」
ほほ、とキングドラは目を細めて少し笑い、
「さては
局と同様、オスとメスで使い分けるクチかの」
「あら、あなたたちもですか」
ひげを揺らめかせ、キングドラはすっと前かがみになる。洗練されたそのしぐさを、ドロップはとても美しいと感じる。
「
妾は
万里。局、グラヴィとともに、フスベの城を護持しておる。浅はかながら、旧弊の伝統を意固地に守り続ける賤しき老兵、とこころに留めていただければこれ幸い」
思う。強敵はグラヴィではなく、むしろこのバンリではなかろうか。イブキがそばにいると、常時新たな指示をくだして戦法を変えることができる。バンリが単独行動をまかされているのは、イブキが信頼しているからこそなのだろう。
そしてそれは、自分も、なのかもしれない。
自分を信じてくれたご主人を信じよう。そういうことにしよう。
イブキに対抗するために空での戦いを選んだご主人だったが、いずれにせよこっちに来なくちゃいけないのだから。
「どうぞお手柔らかにお願いしますね」
「承った。それでは参ろうぞ」
ドロップが構える。定石、『
静寂洋琴』。
バンリが構える。定石、『
風見鶏』。
れいとうビームとりゅうのはどうが衝突した。
― † ―
黒とオレンジが交錯する。全身で気圧を感知し、味方となってくれるエアポイントを臨戦心理の片隅が探し出す。翼を懸命に羽ばたかせ、オボロは追い風を頼りに突っ込んだ。グラヴィたちは『星』を次々と生みだし、決して優しくはない速度で歓迎してくる。背中にいるゴールドを意識しつつ、ドラゴンクローでさばき、さばききれなかった波動は回避する。
最初はなんでもなかったりゅうのはどうとあくのはどうだが、連続して撃ち込まれるとさすがに力の跳ね返りが体に響いてくる。波動を対処するのに割いた時間で、すでにグラヴィたちは追撃へ移っている。3つの星がクロスする弾道と射程を見切り、後ろへ下がるしかないと憶測。エアブレーキを駆使。もう近寄るのをやめた。
怖くない怖くない怖くない、とぶつぶつ自分に言い聞かせながら、グラヴィたちが果敢な行動を見せる。3つの星の次に仕向けるは、3つの牙だった。
へっぴり腰なためか、グラヴィたちの飛行には無駄が多くあった。体の重心が引き締まっていない。だが逃げ足だけは達者で、こちらの反撃も同じように空を斬る。理想に及ばぬパワーやテクニックを、恐怖の運動量とスピードで補うタイプ。このリーチでは確実な一撃を刻み付けることがどうしてもできない。
早く決着をつけないと、ゴールドが空中戦に慣れていないことに気づかれてしまう。
事前に悔やんだとおり、オボロは飛び道具を持っておらず、武器となるのは爪としっぽと、翼だ。懐に飛び込まねば話にならないが、星を作られれば近づくことも許されない。距離を縮めようとすればそれだけ、あの波動を見切る動体視力を要する。
接近してもかわせる自信はあるのだが――
「ゴールド」
――どうした。
「あいつ、変な奴だけどやっぱり強い。このままの動きじゃいつかやられる」
――本気出してなかったのか?
怒られるかな、とちょっとおっかなげに、
「ゴールドが振り落とされるかもしれないと思った。それでもいい? ぼくはあいつに勝ちたい」
オボロとしては、ゴールドは「いいぞ」と言ってくれると思っていた。「だめだ」を言われることを考えていないわけでもないが、ゴールドならきっと、
返事はまったく第三のそれだった。
――そういうことは早く言えよな。じゃ、後は頼んだぞ。遠慮なくやっちまえ。
「え」
――ドロップ!
ゴールドはおよそ10メートル下の地上に叫び、
――そっち行く。
自分から飛び降りた。
敵も味方も完全に意表を突かれた。
「ええええっ! ご、ご主人!?」
急な展開の移ろいに、ドロップは3秒遅れた。慌てふためきながらも臨戦心理を焼き、バンリへの抵抗は中止、ゴールドの靴へめがけて巧妙な水柱を噴いた。
重力と体重と水柱が、見事に一致する。液体状の滑り台をゴールドは安全な速度でくだり終えた。
バンリの攻撃からゴールドをかばいつつ、ドロップがぷんすかと怒る。
「念のため練習していたとはいえ、自分から降りるだなんて無茶にもほどがあります! 予定より早すぎです!」
オボロから振り落とされたときを想定して、1週間の後半でついでに訓練していた芸当だ。
――悪い。実は俺もちょっと怖かった。
あしらいつつ、腰から取り出した道具をドロップへトス。
――オボロが珍しくグラヴィを評価した。さっさとケリをつけたいそうだ。もうしばらく様子見すべきかなと思ったが、早く勝つに越したことはない。
「予想外の敵だったことも計算の内なら、予想通りではないですか」
ドロップは道具を口で受け取り、そう答えてみせる。
――それはさすがに強がりが過ぎる。とにかく、やるぞ。
「はい」
大きく息を吸い込み、肺活量の続く限りのしろいきりを吐き出した。
プラン
A。
― † ―
突飛な行動でイブキとグラヴィたちがあっけにとられている隙を、全速前進のオボロがもらった。
「そっちじゃない。あんたの相手はぼくだ」
――しまった!
目で追うのもばかばかしい速さで、右のドラゴンクローがグラヴィたちの胴をかすめた。空元気を糊塗していた腰がその一発だけで砕けた。中央にて星が大急ぎで作られ始める。
させるか。次こそ確実な斬撃を入れてみせる。
定石、『
時計返』。
ゴールドが乗ったままだったらきっと両耳から出血していただろう素早い動きで回りこみ、今度は左の爪がグラヴィの右を狙った。
「わあああっ!」
――グラヴィ、勇気を出して!
定石、『
双騎士防衛陣』。
まさに火事場の馬鹿力。ここに来てグラヴィたちの本気がついに爆発した。果たしてこれを握力と言っていいのかは解釈しかねるが、グラヴィの右は破れかぶれのかみくだくを放ち、オボロの爪をがっちりと受け止めた。間髪入れず繰り出される右のドラゴンクローも同じ要領で拘束される。引き抜こうとするがびくともしなかった。
やはり窮地で真価を発揮するタイプか、とオボロはこころで舌打ちをする。でなければ、こんな惰弱者が最後のジムリーダーの連れ合いなんてやっていないはずだ。スイッチを入れることなく一瞬で全部を終わらせられたら、きっとお互いしあわせだったろうに。
左右の騎士に守られ、中央の涙目グラヴィが、今までとは違うエネルギーを密度濃くため込んでいる。
オボロはそれを知っている。
1週間前の挑戦者に引導を渡した切り札、りゅうのいぶき。
闘争心が初めて弱気になった。この至近距離で直撃したらまずい。万一耐え忍んだとしても、無事では済まされないはず。身を焼かれ、痺れに動きを封じられ、あの挑戦者と同じ運命をたどる。
「こ、これで、お終いだあっ!」
撃ち込まれるより数秒早く、最大レンジのしろいきりが全てに覆い被さった。
腕をつかむ力がふと緩んだのを感知し、オボロはグラヴィたちの胸元へ岩石のようなずつきをかます。両手をふりほどき、脱出することに成功。りゅうのいぶきをすんでのところで逃れた。そのまましっぽ巻いて退散するのもなんだか不愉快だったので、オボロは両腕を広げ、勁道を十文字に展開。略式の呼吸法で肺内の空気を満たした。力の流れに身をまかせ、お返しとばかりに右の掌、左の脚を立て続けにグラヴィの腹へ叩き込んだ。翼の揚力を味方に回すと、最後は両拳をまっすぐに突き立て、渾身の発勁。変な力を全身に注がれたグラヴィたちがひるんだところで、オボロは霧の中へと行方をくらました。
プラン
B。
「女将、あいつが消えちまった、消えちまったよう! なんだよこれえ! 見えない、怖い、どうすりゃいいんだあ!」
予想外の事態に、グラヴィが3つの顔で金切り声のような悲鳴をわめかせる。
イブキは姿勢をガタつかせながらも、必死で中央の後ろ首をなで、動揺をほぐす。
目くらましだなんて考えが浅いわ、と思う。
グラヴィたちはこの通りだが、バンリが本気を出せばこんな
虚仮威し、一瞬で無駄となるというのに。
――気をつけて。絶対どこかから来るわ。
そのとき、一発のみずでっぽうが飛んできた。
グラヴィたちは毛虫を見つけた女の子のように情けなくびびったが、狙いはてんで外れていた。
「どこを狙ってるんだ? もしかして、自分の霧のせいでおれたちも見えないとか」
左右や背後をちらちらと確認しつつ、イブキは自分自身に諭すように、
――まさか。きっと何かあるはずよ。
― † ―
プラン
C。
しろいきりの世界、ドロップがゴールドを導く。
――前方へ走ってください。あ、ちょっと行き過ぎです。半歩戻って、左へ三歩補正。
言われるがまま、ゴールドは霧の中を泳ぐように走る。濡れた靴で動くのは何度やっても慣れない。
――3時の方角です。
3時の方角を見た。
みずでっぽうの気配。
――はい、そこで右手を出す!
右手を突き出した。
完璧なタイミングで、硬い何かがそこにまんまと落ちてきた。
その重さと握りごたえに会心の笑みを浮かべたゴールドは、すぐにドロップのもとへと戻る。
「状況は?」
――芳しくございません。バンリは油断ならない相手です。霧の向こうからでも攻撃を繰り出してきます。先ほども何発かやられました。
「よし、ならばもう一度、」
――っ? あ、いえ、待ってください。
ドロップがとある方向をいぶかしげに見つめ、
――バンリの様子が変です。