28 権力の墓穴
【あるじの生き方を、お前たちと一緒にするなばか!】 メガニウム
28 権力の墓穴
アポロにはすでに手持ちがない。
ブラックは戦うつもりではない。
その身をもって、アポロとその後ろの大勢に引導を渡すつもりだった。
アポロの顔から、色が、音を立てて失せていく。
「お前が……サカキ様の……息子……」
緊張をはらむような静寂は、そこにはなかった。
ブラックは残酷にも、あえてポケギアの電源を入れている。地下だろうと「本物の電波」はよく届く。孤軍奮闘のワタルが、ラジオとう奪還の旨を頼もしい声で放送していた。ワタルの背後から、拳を突き上げるような騒ぎがしている。
ロケット団の本来の標的であるラジオとう占領が、完全なる失敗についえた。ここがどうなろうと、今日限りの命だったからどうでもいいだろうが、本命とあらば話は別だった。
「ヒワダタウンのヤドンが消えたころから妙だと思っていた。一度解散したはずのロケット団が、なぜまたしてもくすぶりはじめていたか」
「お前は、」
声がわなないている、
「自分の父親の野望を、自ら打ち砕くというのですか!?」
「野望? そんな話、『誰』が言ったよ。『そいつ』の去り際の一字一句、お前はこの場で暗唱できんのか?」
ブラックの言葉は、アポロ以上に温度がなかった。
いつもの癖で肩で笑い、
「オヤジが何を考えようと知ったことじゃねえよ。オレはただ、お前らのやり方が気に食わないだけだ。ひとりでは弱いくせに、よってたかって他人を蔑み、力を誇示する。烏合の衆もいいところだ」
「だから、サカキ様は悔い改めたのです! 自分だけが力を持っていても仕方がないと。我々の力を活かしきれなかったと考えた! 全てを最大限引き出すため、ひとり修行を――」
「そこらへんからすでにおかしいんだよ。意味が分からない。本末転倒も甚だしい。オヤジの復帰を待たずに勝手に先走ってるのはお前らじゃねえか。そんなんだからオヤジに逃げられたんだろ。クリスマスを待てずに家の中漁るそこらのガキと一緒だ」
ブラックの言葉は、グレンゲ以上に容赦がなかった。
アポロは目の光を失い、ただ愕然と立ち尽くしている。戦意はすでに風前のともし火。気配の鋭さはとうに消え失せている。もう何を言っても絶望にしかならないだろう。少しでも姿勢を傾ける力が働けば、そのまま倒れて二度と起き上がれなくなるほどだった。
再興を企てようとするロケット団の幹部さえもがここまで落ちぶれているとは、ブラックも別の意味で悲しむ他はなかった。言いたいことはシロガネやまほどあったが、こんな奴ではまるで話にならない。こころのどこかでは最初から覚悟していたし、諦めもついていた。オヤジが箸にも棒にもかからない夢見がち野郎なら、こいつと、その後ろにいる奴らはなおさらだったのだ。
最後に全てをこめて凝縮し、
そっと、虚無の奈落へ押した。
「オレは、お前らみたいにはならない。そいつとともに、自分の道を行く」
間もなくスタッフにせがまれて始まる、ワタルの毅然とした特別放送。気概あふるる雄弁は、ポケモンリーグ現チャンピオンがチャンピオンたるゆえん。ポケモンを愛し、ポケモンと共に生きていこうとする熱きこころと魂。魔法のように紡がれていく虹色の言葉。すべてをジョウト全土へ力強く響かせる電波。柔らかな光が降り注がれる緑の大地。拍手と歓声がそこら中で爆発し、町を突き抜けていく一陣の風。
― † ―
全てを失ったアポロが去ってから、かなりの時間が過ぎた。
簡単な手当てを終え、ブラックはメガニウム、グレンゲとともに、地下を歩いてゆく。激戦は目に見えるもの見えないもの様々をその場に残した。空気がくるむ熱は移動を繰り返し、やがて均衡を取り戻す。コードブレイカーの爪痕を表す扉は、二度とやってこないだろう管理者を待ち続け、ずっと大口を開けている。残りの電力1ワットまで使い果たすその最期まで点滅し続けるモニターは、あまりにも切ない。
グレンゲにぞんざいに抱かれ、足を弱々しく重力にまかせているゴールドを見た。
「お前だけは、巻き込みたくなかった」
もし、あかいギャラドスとの戦闘がロケット団の振る舞いによるものだと事前に知っていれば、ゴールドとワタルに協力していただろうか。おそらくしなかったはずで、やはり自分はひとりだけで解決に挑んだだろう。そしてこいつと同じような目に遭い、きつくたしなめられただろう。装置を破壊できる手立てがないだけに、余計にひどいさまとなったに違いない。未来はこの地下での戦いの先駆者に、ゴールドを選んだだけに過ぎなかった。
やっと落ち着きを取り戻したグレンゲは、アポロに対する怒りよりも、ゴールドに対する配慮が上回っており、今までにないほど
悄然としていた。メガニウムはこんなときにも得意顔だった。
――なあ、ブラックの旦那。恩人のあんたに、こんなこと訊くのもなんだけどよ、あ、いや、答えたくなかったら、いいんだ。旦那の問題は、旦那だけのものだし、俺は
埒外だからよ。
ブラックは返答しない。
脳筋のグレンゲは自分なりの言葉を慎重に選び出し、もごもごとじれったく繋げていく。
――旦那も、大将を競うべき相手としてんだろ? それって、突き詰めて考えれば、あいつらとなんら変わりはしないんじゃねえの?
ブラックの肩が、強烈な反応を示した。
――ばか! 恩知らず! あるじに限ってそんなこと!
メガニウムのつるはグレンゲの言葉を悪意とみなしたが、片手で受け止められていた。
――あいつらは、旦那のおやっさんが帰ってくるのを待っていた。旦那は、大将が動くのを待っていた。さっきは自分の道を行くっつったけど、旦那は結局、大将の選んだ道しか行く気はないんだろ?
「そうだ」
ブラックは最小限の動きで口を開いた。
さすがゴールドだと思う。片割れは憎らしいほど優秀だ。ポケモンのくせして核心めいたところまで勘ぐってきやがる。そこまで悟られたのならば、もう隠し通すほうが愚かしい。全て吐き出して楽になってしまいたかった。
もう、自覚せざるを得なかった。
「オレも奴らもやっぱり一緒だった、ってところに行き着く。オヤジは上に立つ者。オレは上を追う者。だからオレは余計に奴らが許せなかった。弱い自分を見ているようで吐き気がした」
弱くて何もできない自分が、幼い頃からのコンプレックスだった。
ゴールドが羨ましかった。
ゴールドはブラックに無いものをたくさん持っていた。なんでもできた。やってみせた。
だから必死で追いかけた。無理を承知で勇気を奮い立たせ、ゴールドがやることを後からこなしてみせた。後ろから追いかけるだけならば、何も考えなくてよかったし、迷いはいらなかった。木だって登ったし、魚だって捕った。負けたくなかった。置いて行かれたくなかった。置いて行かれて、取るに足らない奴とみなされることが死ぬほど怖かった。ゴールドに限ってそれはなかっただろうが、ブラックは自身を認めさせたかった。
ゴールド、ミカン、自分の中で、最初にポケモンを手にしたときは、力強い確信があった。これだ、と思った。これなら、自分もゴールドと対等になれる。そう内心喜ぶ自分が間違いなくいた。
そんな自分がやはりロケット団と同じだと知ったとき、過去の全てがフラッシュバックされ、こころを深くえぐられた。
どうしようもないくらい、どこにも違いがなかった。
アポロたちがサカキを待ち焦がれるのと同様で、ブラックはひたすらゴールドの背中を見ていた。ゴールドが先を進み、自分が後を追うという構図に、いつの間にかすっぽりと当てはまってしまい、違和感すらも覚えなくなっていた。
現状のロケット団を否定することは、自分自身の生き方を否定することに等号した。
ゴールドに、それだけがどうしても知られたくなかった。その一点だけが世界の何よりも恐ろしかった。そのくせ立ち止まったゴールドを後ろからせっついた。ふたりのブラックがめちゃくちゃな矛盾を抱えていて、何回もこころを引き裂かれそうになった。
全てサカキの蒔いた種だから、全てブラックだけで摘みとっておきたかった。ゴールドの行く道を阻む不発地雷を、ゴールドに知られることなく駆除しておきたかった。やるならば徹底的にやるしかなく、一切を知られることなく全てを無に返すしかなかった。自分だけでロケット団を始末すれば、まだ傷つくのは自分だけで済んだから。
――でもな、旦那。きっと、きっとだけどよ、
グレンゲはざるからこぼれ落ちていく言葉を必死ですくい出し、
――大将はそんなこと、やっぱ最初から気にしなかったと、俺は思うよ。
「だろう、な」
ふとグレンゲを見上げて、初めて微笑んだ。
ゴールドとまったく違わない、透き通った笑い方だった。
不思議とブラックも同じ気持ちだったのだ。グレンゲと考えが一致したことが嬉しかったのか、ゴールドの気持ちに確信を持てたことが嬉しかったのかは、ブラックは自分でも分からない。
幼なじみに、難しい理屈なんていらなかった。
余計なことなど、初めから考える必要なんてなかった。複雑な構図なんていらなかった。アキレスと亀の歩幅なんていらなかった。誰が道を決定しようと関係なかった。サイコロの目やすごろくのマスなど気にせずに、自由に歩けばよかった。用意された音楽に沿って舞い遊んでいれば良かった。純粋な気持ちのままでひたすら突っ走っていればよかった。全力で笑って、考えて、怒って、悩んで、泣いて、最後にもう一回笑えばよかった。
ゴールドとミカンと、そしてポケモンが、昔のようにそばにいてくれれば、それだけでよかった。
素直じゃないブラックは、どうしても、それができなかった。
つまるところ、自分はロケット団と戦っていたのではない。
ロケット団を魑魅魍魎の存在とふくらませ、それと戦おうとしている自分と戦っていた。
人間というものは得てして、敵以上に自分が厄介な相手なのだ。