27 天地紅蓮華
【我は火なり。我が声を聞け】 グレンゲ
27 天地紅蓮華 ゴールドたちが危険だ。
その一言だけで十分だった。
他に何もいらなかった。
注射による鋭痛も、薬剤による倦怠感も、アドレナリンで流し切る。決意の芯を加熱したグレンゲは、再び、自らの通信交換に臨んだ。
よどみなき速度と安らかな電位による祝福を受け、グレンゲはチョウジに舞い戻る。ボールから飛び出すと同時に臨戦心理を発破。えんまくの流れから間取りを知覚。アポロの懐に飛び込み、麻袋をひったくった。
思いつく限りの残忍な手段であんにゃろうをぶちのめしたかったが、運悪く理性が一歩前へ出た。気持ちの隊列を瞬時に整える。まずはゴールドがどこにいるのかを知る必要がどうしてもあった。ぶんどった麻袋をくわえながらグレンゲは走る。ここが地下だと前もってポリゴンZから聴いている。
立ち込める煙とともに、扉の外へと走り抜けると、通路が見るも無残な戦跡をたたえていた。床は湿っていて、どこか焦げ臭くて、空気はひどく生ぬるい。ここで一体どれほどの
鏖戦が繰り広げられることとなったのか。惨憺たる光景に、こころの奥、憎悪の炎が燃えたぎる。どろどろとした真っ黒の感情が注がれていく。
うつぶせの姿が、見えて、しまった。
認めたくない有様だった。
程ってもんがあんだろ、と思った。
むかっぱらなんて生やさしいものじゃなかった。
「大将……かたじけねえ……俺のために……」
もう泣きたいのか怒りたいのかぐっちゃぐちゃだった。そばへ駆け寄ったグレンゲは麻袋を力なくおろし、鼻で帽子を切なげにこする。自分は慣れている、しかし人間には決してよくなさそうな、有毒ガスのにおいがそこに染み付いていた。今すぐにでも血色をうかがいたかったが、無理に体をひっくり返すのは気が引けた。ゴールドだけではなく、ボールの中にいる仲間全員が、同じような目に遭ったに決まっていた。床を滑り、悪い空気を吸い、身を焦がされたに決まっていた。
グレンゲは、たった今、そういうことに決めた。
――まだ戦える奴が残っていたのですか……!
諸悪の根元が、咳き込みながら通路へやって来た。
グレンゲは、感情を抑えに抑えた、静かな物言いで返す。
「おうよ。真打ち登場ってやつさ。今までの戦いで、大切な兄貴分や妹分がこっぴどく痛めつけられてきたんだ。その落とし前をてめえにきっちりつけてもらうぜ」
電波装置は止まった。
だから自分はもう止まらない。
運のいい奴だ、とグレンゲは思う。
みなを苦しめたこいつが、憎くてたまらない。大将とレッパクたちが今ここにいなければ、自分は目に映るものを片っ端から焼き尽くして溶かし切るほどに暴走していたと思う。その反実仮想が、ちょっとだけ羨ましい。死力を尽くせない現実が、かなり歯がゆい。骨の髄から五臓六腑、細胞のひとつひとつまできっちり蒸発させてやりたかったのに。こんな状況のこんな状態でも、大将はその身をもって、自分に無言の命令をお与えになるようだ。
臨戦心理の回路に業火がともる。こめかみの血が沸騰しそうなほど熱い。
グレンゲは一度、この感覚を、味わったことがある。
チョウジタウンについたときのような、まがいものの感覚ではない。
今度こそ、本物だった。
四肢に力を落とす。まぶたを若干おろし、うつろな目となった。湧き水のような生命の充実。憎しみも悲しみも悔しみもそれら以外も、反撃の動力炉に投げ入れ、グレンゲは低く吠えた。
アポロも近づけないほどの切れ味鋭い光が、グレンゲから発散されていく。
― † ―
右後ろ足を軽く蹴り上げ、
四股を踏む。
揺ぎなく踏みしめし
床は星の一点。天に掲げし拳は垂直に落とされて突貫。練りこまれし不動の猛勢は堂々としてまことに凛然。
これまでのようなマグマラシの「柔」はそこにはなかった。ひとしずくの怠惰も許さぬ精進と研鑽が成し得た、峻厳な「剛」がそこにあった。
「手前は家業、しがない旅の者にて、どうぞお
兄いさんからお控えなすってください」
アポロの返事はなかった。
グレンゲは一層表情を引き締め、
「早速お控えくだすって痛み入り申します。逆意とは存じますが、改めて御免こうむります。前後を間違えましてもご容赦願います。
不躾ながら、向かいましたるお兄いさんには、初の御目見えとこころ得ます。
手前、齢は参、生は若葉、護は焔。若葉の森を流れ入りましたところ、ゴールド一組と縁もちまして、お頭より授かりしました字を紅蓮華と発します。
繰り返しますが御高察のとおり、しがなき者にござんす。後日御見知り置かれ行く末万端御熟懇に願います」
誰が願うか、と自分でも思う。
語句といい語法といい語気といい、てんで『底に穴が空いたなんでもなおし』のような仁義の切り方だったが、グレンゲの口上は実に流暢で迷いがなかった。
グレンゲ――マグマラシは、バクフーンに、進化した。
アポロの返しはなかった。
気にせず発火。グレンゲの後ろ首には、覇気を具現化した火炎が踊っている。空気が熱をもらって、グレンゲを中心にじんわりと膨張していく。顔は後ろから差し込まれる光で薄黒に
陰っていた。
舌なめずり、
「さ、続きを始めようじゃねえか。『抜き』な。さもなくばお前さんから木っ端喰らわしてやる」
和紙に血がにじみ広がるような笑み。
グレンゲの眼光から「本気」をさとったらしいアポロは、本能的にヘルガーを繰り出した。
グレンゲは、この表情をよく知っていた。アサギの海を渡っていたときの、ギャラドスとドククラゲにうりふたつだ。電波によって強制進化をたどった、見るも無残な結果がそこにあった。連なる戦いにダメージが乗算されているのか、体力にはすでに余裕がなさそうだった。当たり前だ。レッパクたちが踏み渡った場数は自分が一番認めている。あいつらがむざむざやられるはずがない。
勝利は見え透いていた。
そんなの知ったことではなかった。
疲れていようが元気全快であろうがあやつり人形であろうが、グレンゲは今回ばかりは容赦しない。こいつも大将とレッパクたちをいたぶることに
与したことに、違いはないのだろうから。
グレンゲが先手を奪った。
定石、『
時計返』。前足も床に下ろして走りだす。大きくなった図体からはおよそ考えがたい素早さ。通路の幅を活かし、右を狙う。二度目のえんまくなど出すまでもなく、逃げる間も与えない。グレンゲは自身の慣性の働きを斬って、横からいきなり突っ込んだ。跳びかかる速度でヘルガーの頭部に生えているツノをがっちりととらえる。マグマラシのころが遠い昔の演劇と感じてしまうような筋骨のたくましさ。それでもヘルガーも負けじと踏ん張り、4つの足で力を分散し、耐えぬいた。口を開いて烈火を胸に吹きつけられるが、グレンゲにとってはぬるい風にしかならない。グレンゲは
怪鳥のごとき気合の咆哮を上げて、ヘルガーの首もとに鋭い脚を刺しこむ。わずかに軽くなった隙につけこみ、そのまま力の限り遠くへ振り飛ばす。壁に肉が当たる音と悲鳴がした。
勝負は決した。ヘルガーには目もくれてやらず、グレンゲは照準を変更。固い顔をしたアポロへ、双眸をなぎ払う。
思考する。
――ヘルガーを引っ込めるか? それとも逃げるか?
正直どっちでもよかった。ヘルガーとの「じゃれあい」で勢いのついているグレンゲは、あとちょっとでもアポロが何かをしでかせば、すぐに本人に襲いかかる気だった。人間と自分とでは勝ち負けなんて火を見るより明らか。せめて大将と同じ程度の目に遭わせてやらなければ、腹の虫が収まらない。
アポロが右足を引いた。
獰猛な願いがかなった。
――逃がすか!!
眉間に怒りが刻まれる。アポロが二歩目を引く前に、間隔を飛び越えて詰め寄った。グレンゲの体から発する威圧が先行し、それに気圧されたアポロは腰を落としてしまった。
喉に炎、腕に力、
「てめえだけは絶対に」
「ばぁ――――かぁ――――――――――――――――――――――――っっっ!!」
後頭部を何かでしこたまぶっ叩かれた。
宙に身を預けかけていたグレンゲはたたらを踏み、前方へつんのめった。
グレンゲは、この感触をよく知っていた。
振り向く。
グレンゲも、アポロも、唖然としていた。
メガニウムがいた。
赤い髪の少年がいた。
その少年は、かつて大将が使っていたポケギアを身につけていた。
「お、おま」
「ばかああああぁぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――っっっ!!」
地下の天井が割れるんじゃないかというほど、メガニウムが全身で咆哮した。レッパクとはまた違う怒声ぶりに体が押し潰され、中をめぐる血がどこかへうっすら遠のくほどだった。
メガニウムは、本気で怒っていた。
自分の怒りが生半と感じられるほどだった。
かつての喧嘩仲間なんていう、距離の置き方ではなかった。
自分の中にあった火勢が、あっという間にメガニウムの火勢へ呑み込まれていく。メガニウムとブラックがここにいたことにも驚きだし、なぜそこまで怒っているのかもとっさには分かりかねたし、そもそもあそこまで激昂すること事態が初めての経験で、グレンゲの頭は当惑にまみれた。
メガニウムがつるをひっこめる。
「きみがそいつらを痛めつけてなんになるってんだばか! ロケット団とどこも変わらないじゃないか! きみのあるじがそんなことして褒めてくれるとでも思うの!? そいつらを殴った分だけ仲間の傷が治るとでもいうの!? だからおいらはきみのことが嫌いなんだ! 一度ぷちんときたら火と炎をまき散らして、めちゃくちゃにして、全部を燃やし尽くして、何もかもを黒焦げにして、あらゆるものを台無しにするんだ!! そこをいい加減理解しろって、おいらずっと、ず……っと前から言ってるだろばかぁ!!」
怒りの声は、途中から涙の声に変わっていた。
ブラックは猛りに猛ったメガニウムの首へ手をあてがい、なだめる。
――とんでもない不良品よこしやがって、と思ったが、それにロケット団が一枚噛んでいるとあれば話は別だ。そこの無鉄砲がここへ潜ってしばらくすると、ラジオとうの放送もよく聞こえるようになった。途端に、不快なものが始まりやがった。コガネにまず行きたかったが……無茶してないかが気にかかったのでな。
ブラックはグレンゲとゴールドに一回ずつ視線をよこし、
――お前はゴールドのそばにいろ。あとはオレがカタをつける。
グレンゲが何かを言おうとする前に、またもメガニウムのつるが両者の空間を走り、腕に巻きついた。
「ほらばかさっさと行けって言ってるだろ!」
約80キログラムと100キログラムではいい勝負だったが、いまだ呆然としているグレンゲをゴールドのところまでやけくそに振り飛ばすのは、メガニウムにはたやすい仕事だった。