26 あのトラウマをもう一度
【どうします? こうします!】 ポリゴンZ
26 あのトラウマをもう一度 騒がしかったはずの廊下にも、静寂が満ちる。
ゴールドはやはりぴくりとも動こうとはしない。
大切な「お友達」を奪われ、なおもうつぶせに倒れたまま、ひとり地下の闇へ取り残される。
3つのボールが入った麻袋を手にし、アポロはこつこつと歩く。
返り討ちなど目に見えていたはずなのに、どういった意図でレッパクは奇襲をかけたのか。そこがいささか不明だが、ボールに戻ってしまえばこちらのものだった。人質がいることを考慮に挟めば、立派に耐え抜いたほうだ。鍛え方に緩みはなく、ドロップやソニアとは明らかに経験値が違っていた。そこだけは評価してやってもいいと思う。
しかし、何やらわざと負けているような、さりげないひそやかな気配を漂わせてもいた。その気になればヘルガーの攻撃など全て避けられていたはず。こちらもあえて急所を外し、時間をかけて存分にいたぶっていたことは、否定しないが。
14、15歳ほどの少年が、よくここまでポケモンを育てていたとは。単身でここにカチコミをキメてきただけはある。レッパク同様、その肝っ玉だけは評価してやってもいい。
こころの中で、白状する。
やはり、屈辱的だった。
ポケモンを回収する手立てにまで及ばねばならないほど、本心では焦っていた。
電波なりなんなりでじっくりとこいつらを「洗脳」せねばなるまい。こいつらの絆が砕け散るのに何分かかるか。そのせめてもの小さな余興に、アポロはこころをすがらせた。
「――ああ、そうでした。電波発生装置の電源を落とさないと」
そうでしたも何も、たった今思いついた都合だ。敗北感の色濃い思索を強引に打ち切る弁解に過ぎない。誰に言い聞かせるわけでもなく、コードブレイカーで二度と閉じられなくなった扉の向こうへつま先を変える。
――この手持ちだけで、装置をハッキングした? まさか。
装置は物理的に破壊された様子ではなかった。内部をいじって止めたのかもしれない。システムはまだわずかに生きていた。電力をケチっているのか、輝度は最低レベルにまで下がっている。モニターの弱々しい光を目に宿しながら、アポロはそっとキーボードを触ろうとした。
――24進数のシステムを改ざん、仮想化しつつ、どこかと通信している?
狙いすましたかのようなタイミングでLaC接続プロセスが立ち上がり、一行の文面が表記された。
『どうもこンにちは。あなたがそこにいるということは、ゴールドさンたちは負けたということです?』
不透明度は70パーセントほど、サイズは12ポイント程度の、控えめな白抜きフォントスタイル。ヘッダーには不気味なことに「%・?!</<3.L2」とあった。適切な表示がされておらず、何者かがつかめない。
内心仰天したアポロは、かろうじて無表情を押し通し、
「あなたは誰ですか? よもや人間ではないでしょう」
『ええ、そのとおりです』
「ならば、この装置を壊したのもあなたですね。当ててみせましょうか」
アポロは巧みな10本指打法でアイソレーション型のキーボードパネルを叩いていく。
「――ポリゴンZですか」
『あららら。あっさりばれちゃいましたね。これではドロナワでヘッダーをジャミングした意味が』
そう言うポリゴンZは、少しも悔しそうではなかった。
『それではこちらも――アクティヴにした音響センサーがあなたの声を拾い、声紋をパーソナルデータと照合させました。そちらはアポロさンです? おお、ロケット団幹部。中々長いことやってらっしゃるようだ。そンな大悪党相手に通信対話しているとは、末代までの語り
種にできそうです』
名前。バストアップ。経歴。資格。体重。身長。身体能力。果ては交信履歴。次々とアポロに関する素性がミもフタもなくクローズアップされ、モニターを隙間なく埋め尽くしてゆく。
「今更そんなところで何をしているのですか? あなたのトレーナーは負けました。大切な『お友達』も、今は全て私の手の中にあるのですよ。早く助けに来なさい」
ポリゴンZの文面から、「にやり」とした雰囲気が流れ出た。
『見え見えの挑発です。恐れ多くもあなたは、泣く子がもっと泣くロケット団幹部だ。ボクなンかが単騎で勝てるとはとてもとても思っていないです』
「だから、そこに隠れていると? みなさんを見捨てて?」
『否定はしませン。ボクは確かに、しっぽ巻いて「逃げている」のです。三十六計、ってやつです』
「賢明とは言いがたいですね」
『勝手ながら、オートで起動するタイムスケジュールを覗かせていただきました。いずれこの装置を完全にダウンさせるつもりなンでしょう? ネットワークのゲイトも閉じて。永遠に閉じ込められるのは勘弁願いたいです。だからボクは通信をはかってそこから「逃げている」のです』
モニターの右上、何かのゲージが満たされていく。
それが何を意味しているのか、一般のトレーナーなら、大多数が知りうることだった。
一般のトレーナーではないアポロは、知りようもなかった。
更にはポリゴンZの表記した――逃げている――という語句にわざわざかぎかっこを使っていることにも、最後まで気づかなかったのである。
しかしアポロは用心深い。よくは分からないが、「何かまずいことをしでかそうとしている」と、したっぱ10人分の速さで見抜いた。タコ糸と成り果てたケーブル群をつないでいるガラクタハードウェアのそば、ラックから一枚のレーザーディスケットをずばり取り出し、スロットに滑り込ませた。
リカバリーディスクだった。
装置に潜っているポリゴンZごと全てを消去するつもりだった。
3秒たっても、5秒たっても、7秒たっても、いつまでたっても、ドライバが反応しなかった。
「――?」
ポリゴンZは敏感だった。アポロの疑問の気配をセンサーでつかみとって、
『ボクにとって、ドライバの息の根を止めることくらい造作もないタスクです。例えるのならば、あなたが靴下を脱いで洗濯機に放り込むのと同じくらい、簡単なことなのです。――まァ、たとえ作動したとしても、そンな円盤一枚のプログラムごときでやられるボクでもないのですが』
これまでの苛立ちをひとくくりにし、アポロは初めて怒鳴った。
「ああそうですか! ならば直々にプログラムを打ち直して、全てを抹消してあげましょう!」
アポロの叫びに反して、ポリゴンZのフォントが急に小さくなった。そのサイズおよそ6ポイント。アンチエイリアスもかかっていてかなり読みにくく、アポロは顔を近づけた。
近づけてしまった。
こう書かれてあった。
『うるせえ黙れクソ野郎。これでもくらってろ』
赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青赤青
スピーカーそのものが爆発しかねない大音響。輝度が爆発的にMAXになり、一瞬刻みのすさまじい赤と青のフラッシュが、27インチモニター全体で炸裂した。
至近距離で覗き込んだのがあだとなり、光はアポロの視神経を千切りにし、網膜をこれでもかというほど焼き焦がした。爆音はアポロの鼓膜を徹底的にどつきまわした。
ポリゴンZは、電話越しにワタルの話を聴いたその時からずっと、他の誰よりもずっと、腹の底からぶちキレていた。
手の付け根でまぶたを覆い、背をのけぞらせ、アポロは喉仏でうめいた。激昂で眉間にしわを刻み、目を閉じたまま目にもとまらぬタイピングを始めた。目隠し碁でもさしているみたいな、その二重のブラインドタッチの速度と精度は、マサキに勝るとも劣らなかった。
――確か、ここでこうして管理者権限のロックを叩けば!
落雷のようなEnter。
モニターが正常な表示に戻った。先程のゲージは、あと20パーセントほどまでに届いていた。
アポロは変色する残像に惑いながらも、ポリゴンZよりも早く次へと移る。ゲイトの遮断。バッテリー供給のKILL。メモリーの削除。自殺ロジックボム。ポリゴンZをこのシステム内に閉じ込める包囲網を、夢のような速さで次々と形成してゆく。
対するポリゴンZはやけに涼しそうな文面で、
『なるほど。あなたがこのシステムの外部的なブレインでしたか』
こめかみに太い青筋を盛り上がらせて、アポロが言い返す。
「そこで朽ち果てろ」
『電子情報戦でボクに、ボクたちに、勝てるとお思いです?』
紙やすり同士をこすり合わせるような摩擦音。モニターの映像が粒子の荒いノイズに切り替わった。今しがたコマンドしたものが、次々とエラーとして返品されてゆく。
ヘッダーに、新たなエントリーが表記される。
アポロは己が目を疑った。
「――ポリゴン2!? お前、何をしている!? そこの不届き者をさっさと排除しろ!!」
0、とだけ返ってきた。
1が応で、0が否といったところだった。
『無駄です。すでに「除霊」しておきました』
IFFコマンドが死んだ以上、ポリゴン2が1と言っているのか0と言っているのかすら、ポリゴンZには分からなかったが、気持ちだけはよく理解できた。
ついにアポロの苛立ちが叫びとなった。靴のつま先で、童子さながらに装置の根元を蹴りつける。豪雨のような勢いでキーを叩いてみせるが、築きあげていくコマンドは途中であっけなく墜落してゆく。電子世界、どこかへ逃げようとするポリゴンZの尻を狙うルーチンを、ポリゴン2がリバースコマンドでかばっている。フォーマットをくらい、余計な物が一切削ぎ落とされているだけに、ポリゴン2の反応速度はまさに光だった。
「なぜ邪魔をするポリゴン2! そんなことをしてただで済むとでも思っているのか!」
0。
0000000000000。
ポリゴン2のサポートを受け、ついにポリゴンZは偽ゲイトウェイを生み出すことに成功。ロジックボムを敷設し、再び装置の外へと飛び出した。向かう先はコガネシティ。ポリゴンZが逃げれば逃げるほど、反対車線からも高速で「何か」が「送られて」くる。
80パーセントほどで停止していたゲージは途端にやる気を取り戻し、ついにドット単位の隙間を残すまでに満たされていった。
『ゴールドさンにお別れの挨拶ができなかったのが、こころ残りです。あとを、頼みました――』
最後に、ポリゴンZは短い一言を付け足した。
『――あなたの進む
回線に、よどみなき速度と安らかな電位の祝福を』
ポリゴンZのLaC通信が、自らぶっつりと途絶えた。
ポリゴン2も同じだった。
逃げ切られたかどうかは、アポロには判別つかなかった。
何かするまでもなく、ありとあらゆるプロセスがシャットダウンされ、モニターには先ほどと同じ待機画面が表示されていた。
そして、すぐそばの転送装置から、ひとつのモンスターボールが出現した。
反射的にアポロは腕を伸ばしてつかみとる。
――させるかあーっ!
まだ起爆していなかったマルマインが、絶妙に好機をうかがってじばくした。空気の塊のようなものがアポロの全身に激突し、手から勢いよく飛び立ったボールが壁に当たり、
はずみでそいつも爆発した。
少なくともアポロはそう思った。
無理もなかろう。ボールが開かれると同時に、中から閃光と黒煙がほとばしっていたのだ。光と煙が視界をあっという間に奪いとり、空気を健康によろしくないものへとハイジャックしてゆく。
定石、『
懐飛車』。
最初に意識できたのは、
心窩へのねじれるような痛撃。
アポロは瞳孔を絞り、空えずきした。
煙の向こう、マグマラシの大声。
――やいやいやいやいやい! よくもやってくれたじゃねえかこのとんとんちきがッ! 今度は俺が相手でえ!!