25 線形の殺陣
【諦めが悪いのは、お互い様でしょー?】 ソニア
25 線形の殺陣 たアポロのそばを横切るヘルガーに定めて飛ばしたドロップのみずでっぽうを右から防いだマタドガスが吹き散らしたヘドロばくだんからゴールドを守ったソニアの射出したミサイルばりを見切ってかわしたアポロから鋭い命令を聞いたヘルガーの燃え盛るかえんほうしゃをくらったソニアが振り回すニードルアームを堅牢に受け止めたスリーパーの放ったさいみんじゅつを耐えぬいたドロップが吐き出すしろいきりを真っ向からくつがえすマタドガスのスモッグを
濃煙。
定石は乱れに乱れた。
スリーパーのサイコキネシスに引力をねじ曲げられ、2.5Gの速さでゴールドは固い床に叩きつけられる。視界はあの時の嵐よりも悪い。咳き込めば咳き込むほど、肺が黒ずんでいく気がする。立ち上がろうにも力がうまく入らない。ソニアの腕を借りてひざを立てる。
「ドロップ……しろいきりを……」
――ごめんなさい……ここまでスモッグが濃いと……一度息を吸い込むのにも……。
――リーダーしっかりー! このままだとリーダーが死んじゃう!
「くっそ……」
甘くみたつもりではなかったが、完全な采配ミスだ。ジョウト全土を相手にしようというだけはあって、アポロは予想以上の強敵だった。殺す気でなければ殺される。あかいギャラドスと戦うブラックをばかとけなしていた自分はなんなのか。
戦況になぶられ、ドロップもソニアもひどく傷ついていたが、ゴールドはそれ以上に疲労困憊で満身創痍だった。頭にはしびれるような痛みと重み。マタドガスの煙は、桃の香りのようにびっくりするほどマイルドで甘い。それでも呼吸を求めて口がだらしなく開かれる。敵はもはやアポロではなく、力尽きようとする自分自身で、ドロップとソニアを置いてはいけないという根幹だけが意識を支えている。士気を奮い起こす裏で、精神力が1秒単位ですり減らされていく。
息がつっかえた。
ゴールドは体をくの字に折ってむせた。抑えたかったが、喉を削るような荒い空咳が何回も出た。ソニアの出してくれるなけなしの酸素を、ゆっくりと吸い込む。蚊の鳴くような小さい声で、
「なんであいつら……こんな煙の中でも平気で……」
――そーじゃないの! さっきまでリーダーすっごく走って体力使ったから、一番弱りやすくなってるのー!
――ご主人、もうこの場から引いたほうが、
「ばっかやろ……レッパクとポリゴンZも……戦ってるんだぞ……」
――ですが、もうあの装置は不要だって、
「……『誰』が言った、そんな話……。『そいつ』の言葉を、お前は頭から信じるのか……?」
――あ、そ、それは……。
煙が、少しずつ密度を下げていく。
「感心しませんね。まだ抗うつもりとは。正義なんていう無謀な純真をふるまって、結局バカをみるのが自分自身だと気づかないのですか?」
んなこと知るか、とゴールドは薄く思う。自分はただ大切なポケモンを助けたいだけだ。黒装束だか白装束だか知らないが、いまいち縁のなさそうな事柄はいまいち縁のなさそうな世界でよろしくやって欲しかった。進むべき道がたまたま「ポケモン」という岐路で重なっただけだ。目の前に立ちはだかる障害を突き破ろうとしたら、お前らが後ろからバリケードはって妨害しているのではないか。
「ドロップ……みずでっぽうで煙を晴らしてくれ……。ソニアは一番近くにいる敵に……攻撃だ」
ドロップはしばらく考え、
「早く!」
床の滑りをきかせ、横倒しの車輪のように旋回して水を撒いた。煙が沈下すると同時に、マタドガスのおにびがどこからか吐き出される。ゴールドたちは本能を使ってばらばらに退避。
横長の通路、ゴールドはしたっぱの足払いを豪快にもらう。濡れた床で滑って仰向けになってしまう。
横長の通路、東へ横っ飛びのソニアが、誰でもいいやとばかりに両腕をふるってニードルアームを繰り出す。その緑の軌道は、面白いくらいに空を斬る。
横長の通路、西へ逃げたドロップはヘルガーとマタドガスにあっさり追いつかれる。振り返って氷を身にまとうも、3秒もかからず溶かされた。その最中に稼げた2秒で、みずでっぽうをためる。体内圧縮した一撃でヘルガーをなんとか吹き飛ばした。しかしその方角は東。つまりスリーパーと正対するソニアがいて、
「位置を換えるぞ!」
西のドロップ。真ん中で仰向けのゴールド。東のソニア。仰向けのゴールドが背中と床を密着させたまま大の字になって、ドロップとソニアを一瞬で引っ込める。次の一瞬で腕を交差させてボールを投げる。更なる次の一瞬で二匹のポジションをそっくり換えた。両腕がクロスしたまさにその交点にしたっぱの足が振り下ろされ、しっかと受け止めたゴールドはお返しにつっころばす。
投げられたボールから飛び出した勢いで、ドロップが良い速度を保ったままスリーパーとヘルガーへ全身でぶつかった。そのままのしかかってやろうとしたが、テレポートでどこかへ逃げられる。
ゴールドは上体をねじらせ腹ばいになり、必死の思いで立ち上がる。真正面にはソニアがいて、あろうことかこちらに向けて両手を突き出していた。すぐに事を了解したゴールドは再びひざを折り、その場にしゃがみこむ。ソニアが放つは、乙女の純情で照準し尽くしたミサイルばり。黄金色に鈍く光る針が、ゴールドの頭上を凄い速さで通り過ぎていく。後ろにいたスリーパーの体へ、次々と針山のように突き立った。
電波で理性と痛覚を捨てられたのか、どいつもこいつもまだくたばりそこねていた。奴らの攻撃にはまるで手加減がないし、定石もない。反撃を受けてでも、なるべく多くの攻撃を打ち込もうとする気概すら感じた。愚物をただ排除しようとする命令だけに、ヘルガーたちは意識を支配されている。
3秒分のミサイルばりのうち、1秒と半分でスリーパーはまたしてもその場から消え、後方へと飛んだ。ゴールドとソニアが距離を縮めようと追いかける。東にいたドロップがヘルガーの炎を横っ面に浴びつつ、スリーパーの背中へれいとうビームを撃つ。今度こそは見事に命中し、完璧なほどに体勢が崩れた。
これ以上にない隙だった。
まず一体。
「――今だソニア!」
――とりゃーっ!
衝撃。
扉の向こう、マルマインが爆発したと思しき空気の振動が、その場にいる全員に来た。
敵陣は悪運をもってこらえたが、余力の少ないゴールドには、今にも意識を消し飛ばされそうなほどの痛みが骨身に響いた。
立て続けに起こる二度目の波動。次は足をすくわれ、受身もとれずに後頭部をしたたかに打つ。目の前がピヨりかける。本能がその場から逃げたがっていた。のろくさした動作で両足を宙へ向かって蹴り上げ、頭の方へと回し、視界を縦に後転。
やっとの思いで立ち上がる。
ちかちかする目であたりを見渡す。
景色が滲んでいたが、スリーパーが逃げていたことは、ぼんやりと分かっていた。
ドロップとソニアが何かを叫んだ気がするが、意識が正常に言葉を拾わない。
だから、目の前の物体を認識するのにも、だいぶ時間がかかった。
事切れる寸前のマタドガスがいた。
これ以上にない隙だった。
まず一人。
「――それでは、今度は間近でどうぞ」
お前仮にも自分のポケモンになんてことを。
そう叫びたかった。
ゴールドには、その一回分の呼吸すら許されなかった。
――だめー!
ソニアがゴールドを突き飛ばしたごとき距離で結末が変わるのなら、なんの苦労もなかった。
マタドガスが、じばくした。
― † ―
ハッキング完了後も休んでいるゆとりはなかった。すぐに通路まで戻ったのは、まさにゴールドとソニアがマタドガスのじばくで吹き飛ばされた瞬間だった。
見るに耐えない惨劇だった。
人は時としてここまで残酷になれるとは、信じたくなかった。
レッパクとポリゴンZは、それでも1秒たりとも目を離せない。
一瞬すぎて思考が凍結した。助太刀できないまま見届けてしまった。脳が目に映る光景を拒否。あの人間の少年と自分の主とを結ぶことが、どうしても認知されなかった。
時間は待ってはくれない。畳みかけるように非情な「次」が起こる。主とソニアが壁に背中から叩きつけられる。糸の切れた人形のようにずるりとうずくまる。ドロップが狂ったような悲鳴を上げる。上官と思われるロケット団員が冷徹な笑みを浮かべる。主の後頭部へ右足を乗せて
「このままでは!」
「待て落ち着け、ズタボロのおれたちがこのまま行ったところで二の舞だ!」
飛び出そうとしたポリゴンZのしっぽに、レッパクはすぐさまかぶりついた。扉の奥へと引っ張り戻し、乱暴に振り払う。思わず相当の力をこめて噛んだため、かなりの痕が残ってしまった。
「ど、どうします――!?」
レッパクは静かにまぶたを閉じる。奥歯が砕けそうなほど歯肉に力を込める。脳とはらわたが煮えくり返りそうだったのはレッパクも一緒だった。いくら冷静を自負していても、堪忍袋の鎖ってものがあった。慌てふためくポリゴンZのお陰で、相対的にやっとの思いで今を保てているほどだ。
主とソニアが戦闘不能になった。ドロップももうまともに戦える状態ではない。走る体力すらろくに残されていない自分たちも、さして違わない時間差でみんなの後を追うだろう。
どうすれば、いい。
目を開く。
「――あのコンピュータ、電波を止めるようにいじっただけか」
「は、はい」
「ということは、まだ使えることは使えるな?」
「ええ。予備電源も作動しています。ですが、あとどれくらいもつか――」
「もう一度、ハッキングできるか?」
「な、何、するンです?」
賭けるしかなかった。
─ † ─
硝煙。
力尽きて転がっているマタドガスに、一瞥もよこさない。
アポロは、ソニアとともに気を失っているゴールドの後頭部に、漆黒の具足を乗せた。遠くで泣き叫ぶドロップに向かって、淡々と吐く。
「動かないでくださいね。人殺しには興味ありませんが」
足に力を添える。
「興味がない、『だけ』、ですので」
それは、ドロップの戦意を完膚なきまでに呪殺する、悪魔の足だった。
こうしてうつぶせに横たわっている姿を見ると、まだ本当に毛もろくに生えてなさそうなクズガキだ。以前、資金源を得るために、ヒワダタウンにてヤドンのしっぽを売りさばくこともやっていたが、それも何者かによって水泡に帰した。その時に聞いた特徴とは、年齢くらいしかこの少年の姿は一致しない。確か、ヤドンの件で妨害してきたトレーナーは、赤い髪をした少年だったはず。
まだ終わっていない、と思う。
まだ油断はできない、と思う。
ろくに歳月も経験値も積んでいない若造トレーナーたちにこれほど追い詰められることは屈辱的だった。
自分たちと彼らと、一体何が違うの言うのか。
なぜか居心地が悪くなった。自分でもよく分からず苛立ったアポロは、急にひとりになりたくなった。
したっぱに向かって告げる。
「もういいでしょう。先にコガネへ向かいなさい。尻拭いはわたしの責任です」
したっぱは無言のまま軽く敬礼し、スリーパーを引っ込めた。腰に携えたあなぬけのひもで、地下迷宮から脱出した。
べちょべちょに崩れた泣き声で、ドロップが言った。
――ご主人を……どうするつもり……なんですか……。
「どうもしませんよ。このままです。――そうですね、また歯向かわれても困りますので――」
アポロは足をどかし、ゴールドへ手を伸ばす。
扉の奥から雷撃が走った。
雷撃かと思われたそれはサンダースで、たてがみと耳に添えているしろいはねが白い軌跡をくっきりと残していた。跳ねる弾丸のように壁や床を縦横無尽に跳躍し、アポロに向かって
弩の突進、激突する寸前でヘルガーのたいあたりと相殺された。
――主から離れろ。
突き飛ばされるもかろうじて体勢を整えたサンダースが、全身の毛一本一本に殺意をみなぎらせて言った。
「立派なものですね。あなたのトレーナーがここまで傷ついているというのに、そこまでクールにいられるとは。あなたも相当息が上がっているようですが。足、震えていますよ」
サンダースの忠告を聴いてか聴かずか、アポロはゴールドの前髪のひと房をつかみ、上半身をぐいと持ち上げた。唇を切ったせいか、肺を揺らしたせいか、血を弱々しげに垂らしている。サンダースのまぶたがぴくりと動く。
ふと。放す。
あってはならない速度と角度だった。ゴールドの頭は順序を無視し、ひたいから落ちた。
殺伐とした空気が、重苦しそうにどろりと動いた。サンダースが猟奇的な歯ぎしりを立てた。阿修羅のごとき
憤怒の表情。今なら眼力だけでアーボックを倒せるに違いなかった。そのさまを見て、アポロは勝ち誇った表情を揺らめかせる。
ポケモンを相手に、お約束のような取引を持ちかけようとする自分が、どこか滑稽だった。
「また歯向かわれても困りますので、あなたたちはボールの中へと回収しましょう。おとなしく従うのであればこの少年には手を出しません。手持ちを失えば、もうこの少年も戦えないでしょうから」
そう言ってから、アポロは、ふと顔を曇らせた。
サンダースがその台詞を予想してたかのように、口の端を歪めたためだ。
それは、笑っているようにも見えた。
――墓石に刻みつけて憶えていろ。おれが再び出てきたときが、きさまが噛み殺されるときだ。
アポロは目を逸らすことができず、とっさにうまれた対抗心で、
「いけないお口だ。では今のうちに、あなたも動けなくなるほど傷めつけておきましょうか?」
サンダースがまた口の端を歪め、今度こそ、笑った。
― † ―
ものの10分で、レッパクは落ちた。
ゴールド、戦闘不能。
ドロップ、戦意喪失。
ソニア、戦闘不能。
レッパク、戦闘不能。
限りなき敗北だった。