20 名を冠する者 その2
【さー、じゃんじゃん行きましょー! どんな奴でもかかってこーい!】 ソニア
20 名を冠する者 その2 ポケギアが修理された。
わりと早い時間で。
「番号も変えず中身そっくり移したし、これでええはずなんやけど。なーんや調子悪いなあ」
マサキはポケギア2台を両手に持ち、それぞれのボタンを素早くかちかち押している。とてもじゃないがゴールドにはできない芸当だ。この人なら左右の手で丸と三角を同時に描けるんじゃなかろうか。
「あ、せや。古いほうのポケギアやけどな。案外と軽ぅにパーツ調達できたから、一応そっちも使えるで。データからっぽやけど」
「え、本当ですか」
しかし使い道が見当たらない。古いやつにも愛着はあるが、新品を用意された以上そっちを使わないことには不誠実だと思うので、新しいほうを装着し、古いほうはリュックのポケットにしまった。
マサキはしきりにテストシグナルを相互に送り合って、拾える電波を微調整している。何やら納得いかないところがあるらしく、こちらのほうがむしろ時間がかかったと見える。
眉をひそめ、下唇をぐぐっとあげたあと、
「ひっかかんなあ。そういや最近ワイとかのポケギアもおかしいし。直ったことには直ったんやけど、電波が変や」
「障害でも起こっているとか?」
「かもしれへん」
マラカッチのソニアもどいてくれたということで、マサキはいよいよエンジュをはなれてコガネに戻ってみるとのこと。ラジオとうにヒントがあるのかもしれない。
「新式はデザイン変わっとらんけどな、UIやパフォーマンスとかは向上しとる。ちょっとワイ流にいじらせてもろたけど」
「いえいえこれで十分です。ありがとうございました」
フレンドリィショップにてミカンのポケギアを預け、手続きを済ませたあと、ゴールドはエンジュを東に抜けてチョウジタウンへ向かった。
ゆるやかな道のりの38ばんどうろとは違い、こちらにはスリバチやまという険しい山岳と滝がある。運良くも道を阻むようなところには位置されていないため、町を第一に考えるならば脇道を通り抜けてもいい。山とあるが正確には山を登るのではなく、山を掘り進めた「トンネル」を進む。中にはもちろん、真っ暗かつ、干支が一周しそうなほどの迷宮。野生のポケモンがごろごろなので、修行するにはもってこいのところである。こんな風にしたのはここを住処とするポケモンたちであり、誰も文句は言えない。
暗いところは嫌だということで、ドロップは『中には入らずに進む』に一票。
水なんか絶対嫌だということで、レッパクは『中には入らずに進む』に一票。
水棲のポケモンも多く生息しているし、ソニアのためにここらへんで「慣らし」をしておいたほうがいいということで、ゴールドは『滞在』に一票。
他2名は『どちらでもよし』に一票。
参加者が5名ともなると、じゃんけんもなかなか決まらない。最終的に全員を納得させたラインは、『山の中には入らない。ふもとにある湖や川のほとりに沿って、ちみちみと移動しつつソニアの特訓』であった。5つの意見を煮詰めてこねて10で割って水で薄めたような、また微妙なところではあるがやむを得まい。水辺に近寄らなくてもいいのなら、とレッパクも妥協し、ソニアにつきあうことにした。
最初の小休憩。
湖に一匹の子供ラプラスが浮かび、その背中に少年が座っている。遠巻きに見つめると一枚絵のようで、物語を彷彿とさせる。
――山の中に滝があるのですか? それはすごいですね。
水の流れに身をまかせながら、ドロップはこの水がどこから来てどこへゆくのかを目でたどっている。
「ああ。もはや洞窟なのか山なのか分からないよな。中に入ったとたん、作ったような闇が広がっていて、ずだだだだずどどどどって轟音が耳に届くらしい。うっかり水にのまれたらおしまいだってさ」
怖いなあ、とドロップは水面に口をつけた。舌の上で賞味し、
――水温13度。硬度50mg/L。臭気度2。遊離炭酸20mg/L。蒸発残留物190mg/L。
「なんだって?」
――なかなかおいしいです、ここの水。滝で磨かれているだけはありますね。
ソムリエかお前は。
グレンゲはというと木を垂直に駆けのぼって最初の枝にたどり着き、なんで落ちないのか不思議で仕方ないくらいのものすごい体勢で寝っ転がっている。元気があるのかないのか、最近ムラッ気が激しいが今日はそっとしておこう。
視線を移す。アクロバティックなグレンゲの下、樹の根本付近へと転じる。そこにはレッパクがいて、おそるおそる湖のそばへ近寄っていた。ふくわらいのように揺らめいている自分の顔を射止めそうなほど睨みつけ、慎重に喉を潤している。
その背後をソニアが実に真剣な面もちでそろそろと近づく。突っ張った腕が届くまさにその瞬間、気配を察知してレッパクが右へ逃げる。後ろに目でもあるみたいと驚くソニア。今度やったら雷落として焼き焦がすぞと気が気でないへっぴり腰レッパク。適当に逃げるソニア。鈍足ソニアなんて全力を出せば瞬時に回り込めるレッパク。定石、『
時計返』。適当に黄色い悲鳴をあげるソニア。不倶戴天と躍起になるレッパク。適当に悪漢からの助けを求めるソニア。笑うゴールド。呆れるドロップ。ものすごい体勢で寝っ転がっているグレンゲ。
そんな風に、スローペースな二日が過ぎた。いつもの三倍の時間をかけてスリバチやまのそばを通り、ほとんど移動キャンプの体制だった。ちょっと歩いてはメンバーを鍛え、食料と相談しつつ、休息を取る。
レッパクたちがかなりのレベルの高さだから最初は少々心配していたが、ソニアもソニアなりに一生懸命頑張っていた。得意な定石は『
風見鶏』のもよう。足が鈍い以上、ドロップ同様に守りの戦いを繰り広げてくれそうだ。遠くの敵にはミサイルばりを、近くの敵にはニードルアームを手向けるというじゃじゃ馬っぷり。同時にいたずらも絶えず、それが証拠にレッパクはとうとう一回池ぽちゃをくらった。怒髪天の公開処刑ショーかと思いきや事の外にも寛大で、「気配を察せなかった自分の至らなさ」と自制し、次こそは避けてみせようと挑戦状を叩き返すくらいであった。成長したねえとグレンゲは男泣きのそぶり。それでは次は助けなくてもよろしいですかとドロップは千尋の谷の獅子きどり。レッパクもえらいが、いたずら魂だけで出し抜けるソニアもちょっとすごい。なんだかんだでチームはまとまりつつあった。
その他、チョウジとエンジュを行き来するトレーナーたちも何人か引っ掛けたし、食べ物をシェアして飯ごう炊さんまでやった。グレンゲとドロップがいればお手のもの。食用に適する植物はソニアから教えてもらい(もちろん『当たり』つき)、野生マリルの餌付けにも成功。野営を申し出たやまおとこから、星座の動きによる方角調べ云々などの話も聞いた。「さそり座が東から出てくるときには、オリオン座は西に隠れるんだ。上手く作られてるよなあ」
ぱきぱきと木切れの爆ぜる乾いた音が、ゴールドたちのこころを静かに叩いていた。
自然を背景に日夜を過ごしているのだという実感は、すぐそばまでやってきていた。
あと少しでチョウジタウンにたどりつけるその日、予定調和のようにヤツ≠ェ現れた。
― † ―
その日の朝は冷え込みが厳しく、霧がひどかった。指先と頬がしびれそうなほど寒く、ゴールドは3回、レッパクは2回くしゃみをした。
子供のころ誰しもが夢に描いた「雲の上に乗ってみたい」という願望をかなえるとするならば、きっとこんな感じなのだろう。海原の旅を思い出させる、密度の濃い霧だ。
ポケギアはこれまで以上にぐちぐちとノイズを漏らしている。
「それ本当に直ってんのか? ざりざりとうるさいだけだぜ」
――そのはずなんだけど。機械に原因があるんじゃなくて、ここの霧がなんかしら邪魔をしているっぽい。
一行は木に目印を残しつつ、立て札を頼りに慎重に進んでいく。
霧が晴れるまでその場に留まっていようという意見もあったが、2時間たっても果たしてこんな状態だった。食料もいい加減危なくなってきた。明日あたりまでにチョウジタウンにたどり着かなければご飯抜きでみんな死ぬしかない。
新鮮な経験が多かったためか、積み重なるトレーニングで、ソニアはすっかりいい気分だった。実際、レッパクたちの戦いの癖を意外な速度で見抜き、それに合わせた自分の力をうまく扱えるようにもなった。前述のように不意打ちをいただいたレッパクも、この点には一目おいた。今日も今日とて武者修行、闇討ち仇討ちなんでもござれ、と腕を嬉しそうにシャカシャカ振るっている。
レッパクと、そしてドロップが、いつもより集中していた。
「レッパク、気づいていますか?」
「ああ。嫌でも分かる」
またあいつかもしれない――レッパクは聞こえないような声でつぶやいていたが、ドロップには聴こえていた。
「静かで、それでいておぞましい殺気です」
「珍しいな。お前も揃って感じるとは」
ドロップでもそう思う。のろくさおっとりしたところが短所だと自覚している。そんな自分でさえ肌で感じるくらいの、びりびりしたものが周辺に漂っている。
「あの時も、こんな感じでしたか?」
「そう、だな。瞬間的に、というか爆発的にだけど。こう、『こいつは絶対危険だ』って信号が頭の中をすぐに埋め尽くすような、」
隣を歩くレッパクを見た。表情こそいつも通りだが、あの時のことを思い出せば思い出すほど饒舌になり、体の奥で熱いものをたぎらせている。会敵の直後、予想的中であろうとなかろうと食ってかからんばかりの様子だ。冷静に隠しおおせると思っているのだろうが、ドロップですらそれが見て取れる。
「前みたいに勝手に先走っちゃだめですよ。くちはばったいようですがこの際はっきり言いますと、力差は歴然としています」
レッパクが自嘲し、
「分かってる。同じ轍は踏まないさ」
「あと、それと、私は――」
ドロップはそこで数秒ためらい、
「私は、この気配、ライコウだとは思っていません」
なんだと――レッパクがそう言いかけたとき、身を斬られるような戦意が吹きつけた。レッパク、ドロップ、やや遅れてグレンゲ、ゴールド、ソニアの順番で戦闘体勢に入った。
霧が払われ、道が
開ける。
その
麗姿に、全員が度肝を抜かれた。
幸か不幸か、ドロップの予言は当たっていた。
殺気の正体は「紫電」ではなかったが、異質な雰囲気を放っているところは一緒だった。
かの者を雷曇と例えるように、この者を擬物化するのならば、オーロラが一番近しいだろう。邪鬼ですら切なくこころを痛めてしまいそうなほどの美しい光を、全身から穏やかに発散させている。花びらが滑りそうな、美艶でつややかな水色の体躯。後頭部から
靉靆と流れるのは雲ではなく、甘くウェーブした夜色の毛並み。ひたいには彫刻物のような巨大な水晶。六角形の輪をしており、ご主人の腕くらいなら楽に通せそうだ。世界の果てからでも見つけられそうなくらいの裂光を、その中に閉じ込めている。陽光を受けて照る表面のきらびやかさがそれと重なり、神々しさを一層引き立てていた。
感動と恐怖がいっぺんに来た。
存在感が格別すぎて身動きもままならない。
ありとあらゆる意味でライコウと違い、ありとあらゆる意味でライコウと似ていた。
戦うべきかどうかを、その瞬間まで迷った。
「あいつ」
オーロラがぼそりと口を開いた。
なんとも抑揚のない口調だったが、その一言だけで後頭部の毛並みが緩やかに波立ち、表面をなだらかに光が走った。
ご主人のほうをまっすぐに見つめて、しかしレッパクに言った。
「紫電がきみにことづて。『馬鹿うるせえ電磁波放つんじゃねえ。オレ様ならもっとスマートにやるぜ』って」
聞き覚えのある名前と口調を聞いた途端、ソニアをのぞく全員が緊張でおののいた。
事前に覚悟していたとはいえ、ドロップもその例外ではない。頭のてっぺんから、体の芯、しっぽの先まで岩のように硬直した。固唾すらうまく呑み込めない。ちょっとでも気の障るようなことをすれば2秒で八つ裂きにされるかもしれない、とよからぬ想像をする。かつてのレッパクもこんな気持ちだったのだろうかと、頭の片隅を同情がよぎった。かつて、ライコウと対峙したときは実はそれほどびびらなかったが、今度こそ無理だった。ライコウと寸分も違わないその目つきをさらされ続け、骨の髄まで完全に打ちのめされている自分が間違いなくここにいた。
「やっぱりお前――」
最初に勇気を出したのはレッパクだった。濃霧による湿り気を帯びているはずの毛が逆立ちかけている。左の前足だけを踏み出し、そしてどうしても次の足が出せずにいる。
ここまで畏怖してなお勇猛さを見せるレッパクに胸を打たれかけたが、一歩間違えればそれは無謀にすり替わるものだと認識し、ドロップはそら恐ろしくなる。どす黒い闘志むき出しのレッパクがこれ以上近づいたら、向こうのオーラに飲み込まれて、肉体ごと浄化されるのではないかとまで思う。あのライコウを目の当たりにして我を失うほどである、ややもすれば臨戦心理をバーストしてもおかしくない。それだけはまずい。今のうちにレッパクを制さねばとドロップは自身を鼓舞するが、不安で精神力を消し炭にされており、一欠片の度胸すら湧いてこない。砂利で口の中を洗ったように、喉が乾いている。
そして、おそらくレッパクの痺れが切れるあと一歩手前、という実に絶妙な間合いだった。
オーロラの気配が、ふと水のように四肢の筋肉から地面へと流れ落ちていった。反射的に全員は、南無三とばかりに辞世の句を考えている。
「それだけ」
あごをしゃくらせて翻った。しっぽのような長いリボンが後を追ってなびく。
言いたかったことはそれだけだから自分はもう帰る。そういうことらしい。
「ま、待ってください!」
あっけないほどの引き際にみなが呆然としている中、たまらずドロップがかすれた声で叫んだ。
これでは単にことづてをしにきただけだ。自身の「言葉」を、まだ自分たちは一切聴いていない。恐怖を押し殺してでもここで呼び止めておかねば、ドロップは一生後悔する気さえした。
けれど、このこと以外を訊く胆力など、今のドロップにはありはしなかった。
「あなたの、名前は――」
オーロラは振り返りもせず、ただ蜃気楼のごとく霧に溶けて消えた。
――『青嵐』。青嵐のスイクン。
霧が答えた。
15分ほどのちに霧が完全に晴れた後、付近一帯のこれがスイクンの仕業だったと至るのに、さほど時間は要しなかった。
― † ―
ドロップはしろいきりが使える。戦場に拡散すれば、自分の結界として使うことができる。内部のことはだいたい把握できるし、耳元で語りかけるような芸当もする。移動の苦手なドロップにとっては、相手の動きを封じるうってつけの技だ。
これを使って倒した、かつての者たちを思い返してみる。
敵からしてみれば相当薄気味悪いものだったろう。無尽蔵に広がる霧全体を相手に戦うようなものなのだから。人間も自分たちも、見えるものしか見えない生き物なのだから。
ドロップは、今まさに、そんな気分なのだから。