17 鋼の律動 その2
【1年前だったら、どうなっていたのだろうか】 ゴールド
17 鋼の律動 その2 仮に、アサギシティのジムをハゲ頭とたとえる。
39ばんどうろは、アサギシティへ向けて比較的なだらかな下り坂を見せる。モーモーぼくじょうを確認できたら確実だ。海へと続く川のせせらぎを耳にしながら、自分の気持ちにしたがって素直に歩いていけばよい。
その時点で、アサギの街並みはうっすらと遠望できる。ハゲ頭の北極点はその中でもずば抜けて目立っており、目印にはもってこいだった。アサギシティのゲートに迎えられたら、右向け右。『鋼玉』の砦はすぐそこだ。
その時点で、ハゲ頭は名称を変える。もはやドームと言い換えてもなんら問題はない。アカリちゃんを30匹ほど用意すれば、でっかいオーブンになるだろう。
リーダーや挑戦者の都合もあって、ジムが広いことはさして珍しくはなかった。ポケモンセンターとは違い、ジムのサイズに大きな制限はない。例えば、キキョウシティのハヤトは鳥使いだからここよりずっと空間的なものを意識させている。ヒワダタウンのツクシは昆虫それぞれの生態を考慮して、好ましい環境をジム内で独自に作り上げている。シジマは道場のようなものに増改築していた。コガネシティのアカネほどのツワモノにいたっては、ファンシーさのどぎついグッズなどをそこかしこに展示するという離れ業をやってのけた。挑戦者はいつだってアウェーなのだ。
缶コーヒー片手に、ゴールドはジム内をぐるりと見回す。
アサギのジムも例外ではない。
およそ少女の本拠地ではない。
幼なじみゆえかそれほど気にならないが、よそ者だったら十中八九戸惑って、コメントに窮したろう。やたら広くてやたら高い。無機質すぎて、なんの味けも趣もない。地面のところどころから突き出している岩肌が、静謐さを彩っている。光沢があったり、反対に乾燥していたり、苔が生えていたりと様々だ。中央は砂に近い地面を成している。そこらへんにピンきりサイズの岩の破片がごろごろしている。手で拾える石ころもあれば、大人三人が手をつなぐほどの大きさまで。よほど荒々しい戦い方をしているのか。
ミカンは、その向こうに居た。
ゴールドはコーヒーを一口すすり、
「もうこの際、口上抜きの略式でいいか? 今更って感じがするし、気恥ずかしい」
「そうですね」
ミカンは口元を弧に描いて、
「ね、ゴールドくん。せっかくだから3体同時エントリーしません?」
「お、いいなそれ。乗った」
ゴールドも軽く指をさして賛同し、半分ほど空いた缶を地面に置いた。
エントリーという言葉を使ったこの形式が流行となってからというもの、途中交代は実質負けを認めるような風潮となった。トレーナーが、ポケモン自身の戦意を尊重しているからだ。納得のいくところまで戦ってみて、ポケモンも勝ち負けを決めたいのだろう。
エントリーとは、一度の戦闘で同時に繰り出せるポケモンの数のことである。2体同時エントリーならば、2体を同時に場に出す。チームワークがカギとなり、かなり高度なバトルを要される。いずれにせよ戦闘不能になったポケモンは正式な「負け」とみなされ、バツ印をつけられる。過半数をバツ印にされたトレーナーの「負け」となる。1体エントリーの単騎戦でも、合計が偶数ならば、引き分けた場合のことを考慮してあらかじめ相談しあう必要があった。
そして、場所にこだわらない野生やトレーナー相手には、フィールドコンバットも適用される。野試合ゆえに審判もいないため、自己責任の割合が強く、トレーナーがポケモンと共に戦うかは本人次第だ。
ゴールドは右から左へ視線を走らせ、どこに誰を投げるかを検討する。
1年前、ここに立っていたはずの自分の姿を想像する。どちらが上等なこころ構えをしているかを天秤に落としてみる。
もう逃げない。
胸のその一点に、熱意がこもる。
「みんな、準備いいか? 久々のチーム戦だ」
3つのボールが、腰でここち良く揺れていた。
右足を引く。体を半分だけ開き、半身になる。後ろ腰の鞘から逆手で剣を抜くような右腕の回し方。両手で3つのボールをかっさらう。引いた体を正面に戻す。胸先で腕のクロスを作る勢いのまま、一斉に放り投げる。それぞれのボールが照明の光を無数に浴びて、
炯々としていた。
ふたつだけ、ゴールド側にとって不平等な点がある。
ひとつは、こちらの手持ちが完全にばれてしまっていること。
ふたつは、ミカンの残り1つが何者なのかまるきり分からないこと。
灯台では出さなかったのではない。出せなかったのだ。なおかつここのジムの大きさを考えれば、いくらか予測はできたはずだった。
ミカンは両腕を軽く広げ、その場で踊るように可憐にまわり、同じくボールを3つ、宙に託した。
「がんばって、RIVA、ELES! そして――NAIL!」
激震。
もはや「記念碑を建ててもいい」などと言うのどかなレベルではなくなった。
レッパクが、のべ三度目となる驚愕を、させられた。
― † ―
「ドロップ、お前ならあれを何回耐えられる」
「命が5つあっても足りない気がします」
「茶化している場合か」
ううん、とドロップは難しそうな顔を作り、
「みずでっぽうで抑えたとしても、3回が限度でしょうね。4回目からは神のみぞしる」
「グレンゲは?」
「1回くらいならなんとか耐えてみせらあ。3回もくらってみろよ、集中治療室であっぱらぱーだぜ」
「そうか」
そこでレッパクはなぜか勝ち誇ったように、
「おれは1回でもあれをくらったらそこで終わる自信がある」
揶揄のつもりではない。その言葉の裏を返せば、全部かわす気構えだということ。回避のみでやりすごすのは骨が折れそうだが、そうしなければ修辞表現抜きで、
本当に骨が折れる。
レッパクとグレンゲとドロップ、三者揃って、対峙する鋼の蛇を見上げる。金剛石をも砕きかねないアゴ。照明によってぬるぬると照り輝く硬質の肌。堂々たる体格は、銀色の岩石群を闇雲にくっつけたように見えなくもない。この図体で、今までよくも自分たちと同じ種類のボールに隠れ潜んでいたものである。
そのハガネール――NAILは今、エビのような円弧の姿勢をとっている。円錐形の巨大なしっぽで天を突き、おっかなげにちらつかせている。「今からそちらへ振り落としてやりますわよ」と言わんばかりの、触れるようなあおり具合。
あれをくらったら、一体何が起きるというのか。絶対だ。明言する。あいつはそんなことどうだっていいのだ。直感に頼らずとも目だけで判断できる。あのしっぽから繰り出される「ハエ叩き」は、技の範疇を飛び越えて、軍事目的にすら適さないレベルにたどり着くに決まっている。そこらへんの岩が無尽蔵に砕かれているのがいい証拠だ。逃げ回っている最中、破片を踏んでしまわないように気をつけねばならない。
長く伸びている影が、ついに動いた。
アイアンテールが振りおろされる。
レッパクとグレンゲとドロップが、瞬く間に三方へ散った。脅しのつもりだったのか、もしくは命中精度が悪いのか、避けなくても済んだところへと激突した。
しかし、破壊力を見せつけるのには十分すぎた。はぜるような音と共に岩が砕け、苔やカビと共に破片が飛び交った。
全員が、フライパンで焼かれて昇天したゴキブリを見つめるような顔をしている。
「――やっぱり2回に訂正します」
「無理はするな……」
レッパクが先行する。定石、『
疾風迅雷』。
グレンゲが後を続く。定石、『
一本橋』。
ドロップが見届ける。定石、『
双騎士防衛陣』。
「RIVA、ELES、叩き潰すわよ!」
NAILが迎え撃つ。RIVAとELESが双子の衛星のように、NAILの周囲を旋回。定石はドロップと同じく『
双騎士防衛陣』に似ている。遊撃として雷を落とす様子ではない。自分よりもまず、NAILに吸収されるからだろう、とレッパクは思う。NAILの護は
鉱と
地。ゆえに自分は雑魚も同然で、最初は相手にされないはず。ミサイルばりなんか、その名通り針で刺すようなもの。それよりも、あいつらにとって先に排除すべき脅威はグレンゲである。何か手を打って守らなければならない。
思考を巡らせることも許されず、しっぽが再び掲げられる。うごめく体の表面を、光が走って遊んでいた。
自分の背後を追うグレンゲに知らせる。
「来るぞ」
「おう!」
定める狙いが自分だと悟ったグレンゲは胸を膨らませ、炎でつっかえす準備に入る。逃げることはやめ、男らしく真っ正面で立ち向かう。
空気を裂き、またも悪魔の鉄槌が降りてくる。初撃よりも数段早い。
「よっしゃこ」
いや、と言おうとしたのだろう。
この世の物理学なんざ知ったこっちゃねえとばかりに、突如アイアンテールの落下軌道がデタラメにねじ曲がった。グレンゲをまっすぐ狙いすましていたそれが、右にいたレッパク側へ浮気した。
思いつく限りの動きでなんとかよけた。
代償として、寿命5年は支払った。腹の中がきゅううと絞られている。背筋も過冷却されている。
「――い、いま、お前のほうへ曲がった、よな?」
グレンゲの表情も、異様な気色にまみれていた。
おかしい。あそこまで勢いに乗った攻撃をむざむざ殺すわけがない。NAILも本当にグレンゲのほうへ落とそうとしていたはずだ。
「アイアンテール、あんたたちが思ってるとおり、命中率は最悪よ。目をつぶって当てたほうがまともなくらいね。でも、わたしのそれは違う。どうしてだか当てて≠イらんなさいな」
しっぽを引っ込め、今度は水平になぎってきた。レッパクは宙を跳んで、グレンゲはしりぞいて対処する。
またも法則が狂った。獲物を逃がした途端、無理を承知のリターンを始め、押しつぶされたくの字を描いてもう一度グレンゲを横から打ち据えようとした。
遠巻きのドロップがいちはやく決断。水と鋼の衝撃力を割り切り、RIVAへ放とうとしたみずでっぽうの照準をグレンゲへと修正。アイアンテールの射程内からグレンゲを突き放した。距離があった分だけ水の勢いもなかなかで、グレンゲは壁まで吹っ飛んだ。
「ごめんなさい、これしか思い浮かびませんでした!」
「か、かたじけねえ、助かった――」
おれが狙われてなくてよかった、とレッパクは心底安堵する。
「レッパクはどうするんですか? みずでっぽうとあのしっぽ、どっちとります?」
「自分で避ける」
そんなあと3年考えても決められないようなことを今迫るな殺す気か。
「んなことよりもレッパク、あの攻撃のからくり見破れっか?」
空中から観察してみたが、二撃目もNAILが意図的に曲げたようには思えない。もっと情報が欲しい。敵の攻撃を分析するのが先か、攻めるのが先か。レッパクにしては意外なほど時間をかけている。
必死に見切って正体を探ろうとするも、かなりの体力を費やした。かすめた程度だが、グレンゲとドロップに一発ずつ接触してしまった。想像していた以上の威力なのか、明らかに動きが鈍くなっている。更に速い判断力を求められるが、もう避けきれないかもしれない。
見た限りでは、一般的なアイアンテールと一緒だ。単調だが威力は恐ろしい。なおかつ、器用に目標へ向かうのならば、まさに怖いものなしだ。自分は何かを見落としているのか、もっと別の強烈な何かがどこからか作用しているのか。
3体同時エントリー、という言葉が唐突に脳に去来した。
レッパクは、一向に電撃を放とうとしないRIVAとELESを睨む。
不覚。避けることに夢中で、ここの空間の磁波を検出しそこねていた。一日中あいつらのそばにいたものだから、すっかり慣れてしまっていた。
「――あいつらか。あいつらが電磁波でアイアンテールの方向を調整しているんだ」
6つの目がたじろいだのを、レッパクは確かに認めた。
「グレンゲ、ドロップ、定石を解除、ターゲットを変更だ。RIVAとELESからやるぞ!」
役割が決まった。レッパクは臨戦心理を高速で焼き直す。電磁合戦なら自分だって朝飯前だ。こちらも負けないくらいの力場を作ってやれば、アイアンテールの動きは引力に右往左往するはず。
「すごいわ。ぶちのめす前に見切られたの、久しぶり」
「でもそれだけがお前の持ち味じゃあない、と」
「もちろんよ。甘くみないで欲しいわね」
無謀な挑戦者を追い払うだけなら、先ほどの補正アイアンテールで勝負は決したろう。しかしもっと他に、このトリオには重大な秘密がある気がする。それが長所なのか短所なのかは判断がつかないが、自分の奥にある何かが何かをしきりに訴えている。
「RIVA、ELES、わたしのことはいいわ。小虫どもをこらしめてあそばせ」
さっきから気になっていたが、こいつ口がいいのか悪いのかさっぱり分からない。親の顔が見たい。丁寧な口調だけを手本にしろ。レッパクは固く固くそう思う。自分もあまりそんなことを言える舌ではないが。
ELESが虚空へ向かって電撃を放ち始めた。その先のRIVAが中継していた。NAILへうっかり吸い込まれてしまわないよう、丁寧に連携された奇襲。威力も増幅されたそれが、レッパクが盾になるよりも一歩早くドロップに命中。ぐっとこらえ、精一杯のれいとうビームを返す。グレンゲもそれに続く。NAILの巨体がその先を阻み、身を呈して射線を遮る。
NAILが、ぎらりと笑う。
あ、やばいな、と思う。
NAILが長い体をのたくらせ、竜巻を食ったように暴れ始めた。RIVAとELESが上空へ待避したのを、レッパクは視界の端っこで見た。何かを考えるよりも先に、縦横無尽の気配になぶられる。土煙が邪魔で、あちこちからはじけ飛んでくる破片がうっとうしい。本体だけを正確に捉えてかわしたいのに、これでは破片すら冷静に対処できない。
挙句の果てにやって来た横殴りの衝撃。レッパクは地面を跳ね、横たわったままがりがりと滑っていく。
地鳴りがひどい。
土色の煙がジム中にもうもうと満ちる。