16 鋼の律動 その1
【いいポケモンに恵まれたのですね、お互い】 ミカン
16 鋼の律動 その1 旅というものにはやはり、なんかしらのサプライズ、予測不能の出来事が待ち受けているものである。
冷静沈着なことで名を博しているレッパクが、一日で二度も驚かされた。
これはすごい。驚いたということそのものが、みんなにとってもなかなかの事件になるほどだ。今夜は白い米を食ってもいいし、その気なら記念写真を撮ってもいい。
一度目は、かの無愛想ビブラーバがフライゴンに進化していて、ひでんのくすりをアカリちゃんのために届けてきてくれたことだ。青色しか表現しなかったバルコニーから侵入してきたものだから、それなりにびっくりした。同時に感心の念も抱いた。主たちとは同行しないのかと問うたが、向こうは何も返さず、オレンジ色の翼をはためかせて飛び去るだけだった。
さあ問題は次だ。タンバシティから帰ってきたゴールドが、目にしたことのないバッジを新たに身につけていた。
外見がどうであれ、かつてのジムバッジと同じところに装着される以上、それもまさしくジムバッジだということの記号的表現であって、ひとつのジムを制覇したという事実であって、主が再度ポケモンリーグに挑むという意志の表れであった。
二度目こそ口をぽかんとあけていた。「あんぐり」の一歩手前にさしかかるほどだ。これはもうとてつもなく珍しいことである。海が沸騰するどころの話じゃ済まされない。勘弁願いたい。グレンゲとドロップはにやにやしながら、「見て驚くな」と事前に断っていたが、こればかりはどうだろう。この先、いじられまくることうけあいだった。
しかし、そんなことも気にならないほどの大きな感情が、レッパクの中で芽生えていた。
――お前との相談なしに勝手に取り決めちまった。そこはすまないと思っている。
それくらい別にかまわなかった。それ以上に嬉しかった。主がついに
帰ってきてくれたのだから。色々な意味で「おかえり」と言いたくなった。祝砲がてら、特大級の雷でも灯台に突き立ててやりたいくらいの気分だ。事実を呑み込めなかった自分がむしろ謝りたい。多少なりとも驚くということは、
帰ってくるのをこころのどこかが信じていなかったことになるのだから。
そのように、2割は主の復帰自体に驚いた。残り8割はあまりの急激な再起動ぶりに驚いた。「くすりを取りに行くこと」と「リーグを再びめざすこと」。「それ」と「これ」とは話が違う。道中の主の様子をうかがっている限りでは、アカリちゃんを治してワカバへ戻った後、またゆっくりと自分を見つめ直し、いつか頂点へ向かうのだと思っていた。タンバシティで一体何があったのだろうか。それだけが、レッパクは気になる。
でもまた、ここからやり直せる。
はしゃぎたくてたまらなかった。
主を信じていて本当によかった。
何度くじけてもいいとすら思う。
何度くじけても、そのたびにもう一度立ち上がるまで、自分はずっと、ずうっと待っているつもりだったから。
主の進む道が、自分の進む道だったから。
─ † ─
そうでなくとも、ポケモンセンターは24時間賑やかだ。
ゴールドたちが帰ってくるよりも一足先にアカリちゃんが完治したので、灯台で缶詰になる必要もない。レッパクとミカンは英雄たちの帰還を祝福していた。昔の距離感を少しずつ思い出してきたのか、他人行儀な態度もこの時ばかりは少し柔らかさを取り戻していた。なんなら港関係の人々も呼ぼうかと申し出てきたが、そこまで盛り上がられるのも気が引けるのでゴールドは断った。
ソファーに並んで座った両者。顔はあわせず、目線は平行している。遠い先には、窓から覗かせる海の景色があった。
「本当にありがとう。これでまた、アサギに光と音が戻りますね」
「どっかのゲームみたいなの台詞だなそれ」
「そう?」
「そうだよ。お前いつも誰かに感謝するときそんな堅苦しい言葉使うの? あなたのおかげでアサギはより云々、って」
ミカンは下唇に指をあて、
「それは変ですね」
「だろ?」
苦笑したゴールドは、ソファーのわきから腕を伸ばし、レッパクの頭をなでた。
「お前も留守番ご苦労さん。これから大変だろうけど、ついてきてくれるか?」
――もちろん。
ありがとな、と黄色い毛をくしゃくしゃにしてやった。
「さて、と。じゃあ次はここのジムだ」
「え、ちょっと早すぎません? もう少し休んでからのほうが――」
「まあどっちでもいいんだけど」
ゴールドは表情を崩さないまま、流し目をとなりのミカンに向ける。皮がほんのりとめくれている細い肩は、日焼けしてもなお白い。いつもの癖で、右の髪留めを触っている。ゴールドはこれをよく知っている。何かを言いたげで、しかしためらいが勝りがちで、どうしても話を切り出せないしぐさ。
不意に、
「バッジくれ」
「あげません」
途方もない時間の空白。
ミカンが血相変えて立ち上がった。
「い、いつから気づいてたんですか!? あ、そ、それともかまかけるつもりで、」
あのなあ、とゴールドは足を組む。背もたれに両ひじをひっかける。
「お前、自分の周り見てないだろ。そこらへんの人ひっかけて訊ねりゃそりゃ分かる。この町の知り合いがお前だけとか寂しすぎるっての。俺は忘れていたのに向こうが憶えてくれていたっていう手合いまでいたんだむしろ」
あう、とミカンは押し黙る。ゴールドは意地悪くも続ける。
「ここを訪れたとほぼ同時に、お前が『鋼玉』の名を冠し、ジムリーダーを務めていることを耳にした。厄介な考え事をしているとき、無意識に手が右側の髪留めへ行くことも俺は忘れてはいない。んで、昔俺たちがたまり場としてたあの食堂に相変わらず通いつめてることとかもな。大食いコンテストのディフェンディングチャンピオンのままらしいが、まあ疑う余地はどこにもないか」
あ、耳の先まで真っ赤に染まった。
ミカンはたまらずそっぽを向き、顔を両手で覆った。5年前と今ではその言葉の意味合いがまったく変わってくる。その気になればまだまだ悪態を並べられるゴールドだが、この場で舌を噛み切られたら面倒なのでもうやめることにした。シジマもきっと大食いの部類だろうが、ミカンはそれ以上だ。だのにこうもシルエットに格差ができるとは、人間というものはなかなかどうして神秘である。ミカンがあんまりにも皿をカウンターに敷き詰め、腹の中にカビゴンでも飼っているんじゃないかというくらいがばがばと食うため、相対的にどうしても自分とブラックの取り分は小さく見えていた。いつも食堂のおっちゃんにひやかされていたことを、ぼんやり思い出す。
5年前よりもずっと長くなったシエナ色の髪を、櫛ですくように上から下へ見つめる。
呆れを含めたため息。
「冗談だって。貸しはできたけど、バッジをタダでいただくつもりなんてさらさらないよ。いわばカンニングして満点取るくらい意味のない行為だろうし」
頭と耳から湯気を出してしばらく背を向けていたミカンだったが、再度ゆっくりとソファーに腰をおろす。
「では、シジマさんともきちんと?」
うん。とゴールドはうなずく。
「アサギから船が出せないってことは、タンバから船が出せないってことと同義だ。つまり両者は不可分の関係。だから困るのはアサギシティだけじゃない。アサギシティのアカリちゃんを助けることは、タンバシティを助けること。だけどそのこと全部黙って堂々と戦ってみせたよ。他の町のポケモン一匹救ってやっただけでバッジもらうだなんて、あまりにも虫が良すぎる。いやまあ、向こうも感づいていたんだろうけど」
感づいていても、黙ってひとりのトレーナーとして自分の挑戦を受け入れてくれた。その気遣いがありがたかった。少なくともゴールド本人はそういうことにしている。
「グレンゲとドロップだけでですか?」
ゴールドはぞんざいなちょきを作って、3時間ほど前に繰り広げられたバトルの結果を告げる。
「向こうも手数を調整してくれた。1体エントリー、計2体による勝ち負け。出してきたのはナゲキとダゲキ。1勝1敗で引き分けたら、勝ったもん同士でサドンデスのつもりだったんだと。ああそうそう、タンバに向かうあの日、灯台ふもとでブラックにも会ったぞ。顔見せてきたか?」
ミカンはまたも見開いた目をよこしてきた。ゴールドは帽子をはずして頭をかき、
「まあそういうやつだよな。なんの用もなしに来ないよな。ポケギアも持ってねえし。俺が引っ越した後、きっとお前にも大した言葉残さずここを飛び出したんだろう。いざ戻ってきてみたはいいが二の足を踏んでしまって、1階でずっとうじうじしてたクチかもしれん。でもいずれ、あいつも俺同様に挑戦者となる。そのときは遠慮なくもてなしてやってくれ。そう遠くない日のはずだ」
わっ、と騒ぎが起きた。
ゴールドとミカンが揃って声のしたほうを見ると、男の子のタッツーが薄ら白い光を身にまとい、シードラに進化しているところだった。周囲から温かい拍手が広がる。男の子はいきなりのことに面食らい、驚愕と歓喜の表情が行ったり来たりしている。あの歳でタッツーをあそこまで育て上げるとは、将来に望みをかけていいかもしれない。しかしどこか不自然な、荒々しさの残る進化に見える、気がする。トレーナーの腕がポケモンの成長に追いつかなかったか。
ミカンが視線をニュートラルに戻し、
「――私、本当はバッジさしあげるつもりでした」
「? じゃあさっきなんで、」
「いやその、なんていうか、こころの準備が出来てないまま急に言われると、あまのじゃくさんがですね、」
アホか、とゴールドは思う。
ミカンほど純情に輪をかけたトレーナーも貴重といえば貴重だ。内心ではミカンもバトルしたくてしたくて仕方なかったから、とっさに口が拒否を選んだのだろう。ジムリーダーの件といい、まことに分かりやすい。恩を着せて苦労なくバッジをもらうだなんて無慈悲な行為、さしものゴールドでもやらない。それがたとえ幼なじみという関係が背景にあろうと。お互いこころ残りがあってはやりきれないので、ゴールドとしてもやはり拒絶を選んだはずだ。
ミカンがやおら立ち上がる。出口へ向かって歩こうとし、一度だけ止まる。
「では、明日。ジムで待っています。具体的な場所は言わなくてもいいですね?」
あんなでかいもん無視するほうが難しい、とゴールドは思いつつ、幼なじみの長い髪を再度見つめる。
トレーナーの背中だった。