15 闘の律動 その2
【真っ白い闇の世界へようこそ】 ドロップ
15 闘の律動 その2 さて、お次はドロップとダゲキ。
ダゲキも、ナゲキと寸分違わないあいさつをしたが、箱入り娘のドロップはいまいちこころ得ないまま、頭を下げるだけに済ませた。
次こそ普通のバトルである。
少なくともドロップはそのつもりでいる。
「ちょ、反則っすよみずでっぽうは!」
「そんなこと言われましても。からて?、は私できませんし」
「第一なんすかそのウェイト! 自分は毎日師範のもとで修行し、鍋をどか食いし、やっとの思いで階級を上にすることができたというのに! それなのに、ああそれなのにそれなのに!」
ナゲキよりも小やかましい。自分がさっきの戦いをすればよかったと思う。体重が3ケタキログラムの自分なら、そう易々と投げられないだろうし。形式にこだわって、細かいところをつつかれるくらいなら、体と体をぶつけ合わせ、力でねじふせる戦いをしたほうがドロップだって数倍ましだった。オスって単純なくせしてどうしてこうも面倒くさいのか、ちょっと理解に苦しむ。
「ああもう、じゃあ無差別級のつもりで、全部忘れて遠慮なくいくっすよ。それで文句ないっすね?」
「よく分からないので、あなたの納得いくようにしてください」
後悔すんなよ、とばかりの動きだった。
速い、と思ったときには遅すぎた。
数メートル先にいたはずのダゲキは、空間を超えたように、ドロップのそばにあった=B
ドロップが確認できたのはそこまでで、残るは黒帯のはためきだけだった。すぐさま自分に向かってれいとうビームを吹きつけ、青々とした氷を鎧う。その間にも、ダゲキはひるまずにふところへ踏み込んでくる。両の足は畳をしっかりととらえ、上半身からみなぎる
勁道は凛々として十二分。無呼吸運動による体の緊張が、ダゲキの筋力に加速をかけた。左の手刀に信頼のおける破壊力を添え、しかし本命は死角からのローキック。円形の打撃線を描き、ドロップの繊細な氷もろともぶち壊し、破片を食い込ませ、首筋に痛烈な一撃を与えた。
スタイルがどうであれ、ダゲキの実力は本物だ。その認識がもう一度脳裏に来た。むしろ遠慮なしになったおかげで、セフティがはずれている。
ドロップは好き放題にやられた。ひじ鉄砲やひざ蹴りが肉を噛んでくる。ダゲキ3体を同時に相手している気分。痛みを痛みでどんどん重ねられる。砂浜で足腰を鍛えたダゲキの動きに、陸のドロップはどうしてもついていけない。気配を追って向きを変えたそのときにはダゲキはすでに背中側をとっている。首の後ろにからてチョップを何度も叩き込まれるが、かろうじて持ちこたえる。隕石のように降り注いてくる拳を次々くらっては痛みの方向へ遅すぎる反撃をし、当たり前のように避けられる。
霞がかった頭が、ダゲキの声を聞いた。
「大したもんっす。ここまで耐えぬくとは。あの嵐の海を渡ってきただけはあるっすね」
――ああ、
そうだった、と思う。自分はあの海をまた渡らなければならないのだ。
旗色が悪くなると、ご主人は自分を引っ込めて負けを認めるかもしれない。自分が倒れると、その分アサギへ帰るのが遅れてしまうからだ。それだけはたとえご主人だろうと許さないし、初めからさせないつもりだ。気力なんて時間があれば取り戻せる。真剣勝負は一回きり。ここで連勝をおさめ、バッジを手にし、そのまま堂々と帰る。目下、それが自分に課せられた使命だ。ご主人の新たな決意にさっそく水を差すようなことなど、絶対にあってはならない。片道切符なんて破り捨ててしまえ。一度ご主人を連れて海を渡ったからには、責任をもって再度連れて海を渡る。それが自分の種族の礼儀というもの。たとえ記憶が知らなくても、体を巡る血がそれを憶えている。伊達や酔狂で背中に甲羅など乗せるものか。
勝つ。
勝ってみせる。
その意地が、ねじくれたやる気を生んだ。
痛覚を一旦無視することにした。
感覚をより鋭敏にし、深く息を吸い込む。腹痛をこらえるような面持ちをし、やや伏せる。上目遣いに視線を宙に向けると、その先には「心技体」の額縁が壁に吊るされてあった。
定石、『
静寂洋琴』。
吸い込んだ空気を体内で別の力へと再構築し、やがてゆっくりと吐いた。
「むっ!?」
すぼめた口からもうもうとあふれる霧が、白いえんまくのように道場全体へ広がってゆく。
とっさに大きく後退してしまったダゲキだが、この程度の間合いなら方角を確かめるまでもない。再度まっすぐ突撃すれば――
――たぶんそっちに私はいませんよ。
響き渡るような、それでいて優しいささやきだった。右足を出していたダゲキはなんとかその場に踏みとどまり、左右と背後を確認している。
――このしろいきりは、言わば私の結界です。つながりのどうくつでの体験がこの技に結びついたと言いましょうか。皮肉なものですよね。だからあんまり使いたくなかったんですが、全力を惜しんではこっちがご主人に怒られますもの。光や音、嗅や触、気や在、磁や波……は言い過ぎですね。とりあえず、あなたの感覚をある程度奪います。私の気配が消えたのではありません。あなたが察知できなくなったのです。
そして、ドロップには、この霧の中のことがほとんど把握できる。
今言ったことに嘘もはったりもない。相手は幻覚に陥るが、本当に「ある程度」しか麻痺らせない半端な代物だ。ダゲキは気配だけでこちらの居場所を察知できる、本物の武闘派。こんな
虚仮威しからの追撃をただ食らうだけには終わらないだろう。すぐさま場所を割り出して反撃にかかるはずだ。自分から攻めるということは、自分がどこにいるかを知らせることに他ならないから。
しろいきりが立ちこめるとともに、気温が徐々に下がってゆく。
早い段階でダゲキは決心したらしい。目をつぶって腰でどっしりと構え、一歩もその場から動かない。その定石、『
肉切骨断』。
一方のドロップは音を立てずに回りこむことに成功し、向かって左から狙い撃つ体勢に入った。これでもかというほどべったりと全身で伏せ、頭だけをちみちみとずらし、ダゲキの右のこめかみを狙っている。乙女のまごころを尽くし、軌道の補正に刻一刻と時間を削っているその見てくれだけは、獲物をワンショットキルで終えようとするスナイパーと例えてもよかろう。意を決して動かなくなったのはありがたい。体内で圧縮したみずでっぽうは、瞬間的にはとてつもない威力を発揮する。その一発だけでいい。それが決まりさえすれば、あとは――
本当に、ちょっとした偶然の差だった。
定石を解除したダゲキが、突如こちらの方角へ跳びかかった。
本心ではダゲキも「どうせやられるくらいなら動きまわってたほうが得だ」とか、「いきなり動いて相手をびっくりさせてやろう」くらいに思い直しただけなのかもしれない。現に、今までとは違う、なんだか投げやりな跳躍だったことは確かだ。それでも、ドロップはかなりのほどで驚いたし、その驚きの波が完全な気配としてダゲキに伝わったことも、結果的にはやはりまずかった。そもそもドロップが左に回ったことにも大して意味はない。レッパクの定石のように右へ回っていたり、ダゲキが別の方角へ駆け出したりすれば、また未来は変わっていたのかもしれない。
今となっては、全部後の祭りである。
状況を一からたどりなおそう。
定石を解除したダゲキが、突如こちらの方角へ跳びかかった。
――気づかれた!?
驚いたドロップはうっかり射撃体勢をやめた。
その気配がますますダゲキの決意を不動のものとさせた。
描写をあえて伏せておいたが、その距離、コートの真ん中から端まで。およそ15メートル。
何を隠そう、ドロップはできうる限りの遠さからダゲキを撃つつもりで構えていた。
お構いなしに一散に向かってくるダゲキ。間に合わなかったかな、と頭のツノを低く据えるドロップ。ここまで詰め寄られたらもう絶対に逃げられない。まっすぐに放つ馬鹿正直なみずでっぽうなど、ダゲキにとっては障害にすらならないはず。正面から迎え撃つ体勢に整える。
5メートルを切るか切らないかと言ったところで、地をはうようなダゲキの走りが粘っこくなる。しかし勢いはまだまだ死んでおらず、拳を腰のところにたくわえている。
3メートル、
1メートル、
ドロップが眉間に力を寄せる。
ツノめがけて襲いかかるゲンコツが、寸前でぴたりと止まった。
つまようじがやっと入りそうな間隔だった。
「ま、間に合いましたね」
目のそばを伝った雫は、きっと冷や汗であって、霧をかぶったせいではあるまい。
「何を、やったんすか――!?」
運動エネルギーを完全に失ったダゲキが両膝をついた。
「あなたの体がご存知のはずですよ」
射撃体勢の時は遠くにいたのではっきりとした確証はなかったが、いざこうして至近距離で見てみると、うまくいったようである。ポケギアも顔負けなくらいの震え方だ。
「ひとつ、言わなかったことがあります。あのしろいきりの直後、私はれいとうビームも微量ながら散らしていました。ダイヤモンドダストみたいなものと思ってくださって結構です。霧が感覚を狂わせる同様、それはあなたの肺や四肢から力を吸いとります。それはちょっとかわいそうだったのでみずでっぽうで終わらせようと思ったんですが――まあ何事も用心ですね」
気温はもはや氷点下。視界の悪さの理由は、霧の白さからではなく、氷のそれへ移っている。ダゲキはもう立ち上がれない。立ち上がったとしても、数手早くドロップが至近距離みずでっぽうで残りの体温を根こそぎ奪い、引導を渡すだろう。
勝負ありだった。
「体力がつくかと思って、あたたかい気候のところで修行し続けたのが裏目にでたっすね」
「この町にとどまらず、武者修行の旅に出ては? 私のような規格外の相手がたくさんいますよ」
「いえ、自分は師範と共に、このジムを守るって決めてるんで」
「――そうですか」
ダゲキは膝の笑いをこらえて直立し、頭を下げた。
「恐れいりました。いかなる環境に適応しきれなかった自分の負けっす。そのことを教えてくださってありがとうございました。まだまだ修行不足っすね」
「こちらこそ勉強になりました」
ぺこりと頭をさげたドロップは嬉々として振り返り、霧の向こうへ、
「ご主人、やりました! 私、勝ちました! これで帰れますね!」
1年ぶりの刺激。おいうち試験などとは比べものにならないほどの充足感があった。目標が全力で自分を動かしてくれる。勝つのはもちろんのこと、自分の成果でみんなが喜んでくれるのはやはりよいものだった。
霧の向こうからの声。
――ああ、よくやったよ、ドロップ。ところでな、
「はい?」
グレンゲの「ぶしんっ」というくしゃみ。
――は、速いところ霧を解除してくれないか。寒すぎて生身にはかなりこたえるぞこれ。頭ん中シャーベットになる。
ドロップはやっと、そのことに至る。
自分が無事勝ち残っても、ご主人が風邪をぶり返してはなんら意味がない、と。