14 闘の律動 その1
【返しに来たぜ、色々とな!】 グレンゲ
14 闘の律動 その1 おっさんなだけはある。さすがに年季が入っている。伊達に自分の二倍以上は生きていない。まるで数時間前からそうしていたかのような、なかなか堂に入った立ち尽くしっぷりだった。
シジマは道場の奥側で待ち受ける形をとり、ひとりの来訪者を臨んでいた。
「やはり来たか」
「来てやりました」
なんとなしに予感していたゴールドも、さほどシジマの正体に驚かなかった。タンバシティのジムリーダーがかくとうポケモンを扱うことくらい、ジョウト地方の最東端を務めるワカバにまでとうに知れ渡っている。2個のサイコロがゾロ目になる程度の確率で、スクールの定期試験に出るほどだ。名前はさておくとして、『かくとうポケモンを連れる人間』と『タンバのジムリーダーの正体』を重ねることなど、子供でもたやすい作業だった。
「――いい目になったな」
「そうですかね。あの時は風邪ひいていたのかもしれないので」
無理もなかろう、とシジマは笑いをひとつ。
ゴールドも、不本意ながらもスクールで授かった名を使い、改めて仁義を切る。
「タンバシティジムリーダー、『柔剛』のシジマとお見受けする。手前、生まれはアサギ、育ちはワカバ、『三色』のゴールドと申します。本日、貴殿のバッジを頂戴したく、挑戦しに参りました」
ゴールドはまだまだ青い15歳だ。語彙も覇気も貧弱のこと甚だしい。これ以上どう立派に言葉を編んでゆけばいいのか、知らなかった。
シジマは黙ってそれを聞いていた。組んでいた腕をほどき、ボールを手にした。
「その意、しかと受け止めた。全力をもってお相手しよう」
いつの間にかセンターラインの脇に突っ立っていた弟子に、ルールを訊ねた。
「1体エントリー! 合計2体の勝負っす!」
ゴールドはグレンゲを繰り出した。
シジマはナゲキを繰り出した。
― † ―
互いに一礼。
ナゲキは角度すら洗練された見事なあいさつをし、対するグレンゲは体を伏せて例の曲線美を作る。
「うおっ、結構タッパあるなお前さん。その柔道着、中々さまになってるぜ」
「うっす。師範に鍛えてもらったっす。体重差があっても手加減はなしっすよ」
「あたりきしゃりき!」
じり、という音が聞こえてきそうな間合いのうかがい方だった。
図体に差があれど、グレンゲにだって腕力の自信がある。こちらはあの柔道着を引っつかんで力まかせにぶん投げればいいのだが、相手はこちらの体を直接わしづかみすることになる。相当痛いだろうな、とその考えの隙を察したかのように、まずはナゲキからとっくみかかってきた。腕は思った以上に長く、すぐにグレンゲは大きくしりぞいた。足先を慎重にほぐす。左右と正面、どこから来てもおかしくない、一切無駄のない構え。広がる長い腕がじわじわとグレンゲを威圧してくる。
そろそろお気づきだろうが、この際言ってしまおう。グレンゲが悪い。
勝利を飾りたいのなら、火を噴くなり煙を出すなりすればよかったのだ。
しかしいつもの悪い癖は、ジムリーダー戦だろうと遺憾なく発揮される。相手の畑が柔道と分かってしまった以上、それに対抗したくなった。飛び道具などもってのほかで、敵の技を受け流して制する気持ちよさを味わってみたくなった。
この体格差で。
この体重差で。
6歳児と12歳児の対決とどう違うというのか。
とにかく。方針を決定した以上は、今更曲げるわけにもいかない。背後をいただくような礼に失したこともしない。お互い正面衝突のみ。相手の持ち味は柔道一本なのだから、こちらもそれに合わせたほうが、向こうにとっても後腐れがなくていいだろう。身長差があるのはいかんともしがたいが、それは相手も同じこと。腰を必要以上に沈めて出方をうかがう必要がある。無理な姿勢を続けていれば、いつか必ず好機が訪れる。
もっとも、グレンゲがそこまで分かっているのかどうかが問題ではあるが。
そのことはとりあえずさておこう。グレンゲが勝てばいい話である。
次も、ナゲキから仕掛けてきた。
今度は対処しきれなかった。
ナゲキはグレンゲの右二の腕あたりと首根っこ左あたりへ手を伸ばし、それでいて決して痛みの残さないような最小限の握力でつかむ。逃げ出す間もなくナゲキは体をひねる。己の肩甲骨を両者の空間に差し込ませる。足に自分と相手の体重を乗せる。身体を前へ折り曲げ、ものすごく丁寧な動きでグレンゲを綺麗に投げた。
頭を軸に置かれ、天地をひっくり返されたグレンゲも、周りから見ればまた綺麗だったろう。元々身軽なため、後ろ足が鮮やかな円弧を描き、空気投げに等しい旋回。
差が生きた。
あまりにも軽すぎて小さすぎたグレンゲは、普段稽古してもらっているシジマよりもずっと投げ慣れない相手だった。投げられる側のグレンゲも、そのゆとりを瞬時に察した。
やはり考えるよりも先に、体が敗北から逃れようとした。
腰から発火。
畳に打ちのめされるまさにその刹那、酸素と体内成分を爆発的に消費し、力を相殺。ナゲキの拘束から逃れることができた。
「熱つつつ! ず、ずるいっすよそれ」
「わりいわりい。つい火が出ちまった。――とと、まだちょっとくらくらするな」
すぐさまナゲキから離れ、様子を見る。またつかみ合う。
判断が間に合えばいくらでも背中を守れるだろうが、さすがに何度も同じ手を許してくれないはずだ。こちらの反応速度よりもずっと俊敏に倒してくる。もしくは絞め技、固め技を狙ってくるか。短すぎて、足技をかませられないのは苦しい。相手の仕掛けた技を流して自分の勢いとするしかない。
それに、先程からだんだんとナゲキが大きくなってきているような気がしてならない。
「来てもらって早々で悪いっすけど、1分以内に一本奪うのが我が道場の流儀なんで。次で決めさせてもらうっすよ」
よしきた。グレンゲは内心ほくそ笑む。次で決められるべきなのが果たしてどっちか、最後の瞬間で見切るしかない。
「ほーお。んじゃ十八番出してきな。受け止めてやらあ」
後悔すんなよ、とばかりの力が両腕に伝わってきた。ナゲキがグレンゲを巻き添えに畳を蹴り、天井を突き破らんばかりの勢いで跳躍。意外な行動をとられたので、そのときのグレンゲは間抜けにも、柔道にこんな岩石落としみたいなのあったか、などと考えていた。
――違う、上から落とすんじゃねえ。場所を変えたんだ。
その読みが正しいかどうかを確かめる間もなく、ナゲキはグレンゲとともに、ゴールドのそばまで着地。グレンゲの体を思い切り懐へ引き込んだ。自ら背後へ倒れる。そのまま足と足を絡ませ、巴投げにも等しい遠心力を生み出す。
ナゲキはグレンゲと対となり、車輪のように転がり始めた。
世界が回る。ヤスリのような畳に脳天をこすられつつ、グレンゲはやっと理解した。
巴投げじゃない。じごくぐるまだ。
一気に向こう端まで回転するつもりだ。
遅かれ早かれ、このままだと自分は間違いなく気絶する。
打つ手を迷う余裕など無かった。
歯を食いしばる。
「おらああっ!!」
食いしばったすぐ後に叫んだのは、こっちのほうが気合が入るかもしれないとほんのちょっとだけ思ったからで、特に深い理由はない。くそ度胸を火薬にして、再度腰と頭に着火。次いで全身にまとう。相手の力を存分に利用し、かえんぐるまを作った。向こうが自分を転がせば転がすほど、真っ赤な火勢が増し、
燦然たる火の粉が飛び散り、紅蓮の車が膨れ上がってゆく。
世界が回る。頭をすりおろされることにいい加減嫌気がさしてきたので、炎を出すことだけに意識をしがみつかせる。向こうへ渡り切るまでにナゲキの体力を燃やし尽くしたら自分の勝ち。負けはそれ以外の全部。最初からこういう単純な根競べで張り合えばよかった、なんてこともちらっと考えたのだが、油断するとあっという間に意識を押しつぶされる。何もかもが乱され、半ばやけっぱちな猛火がとめどなく溢れでてくる。全身の血がうっすらどこかへ引き始めると同時に、思考力が重く鈍くなる。自分たちが回っているのか世界が回っているのか、そろそろ区別がつかなくなってきた。勝ち負けはさておき、胃の中もひっくり返されることをこころのどこかで気にしている。船酔いも車酔いも陸酔いも経験したことのないグレンゲだが、今なら『気持ち悪い』という感覚に深く納得できた。
ぐらり、といきなり世界が自転をやめた。次の回転にさしかかるぎりぎりまで上り詰めた瞬間、世界はあろうことか逆走を始めようとして、
何かが落ちる音と一緒に、そのまま止まった。
「――あ」
勝っちまったのか――と言おうとした。
三半規管が馬鹿になったグレンゲは、酒に溺れたような足取りでふらつき、間もなく尻餅をついた。全身が痛いのは確かだが、それ以上に頭が混乱している。耳から変な液体が漏れてきそうな気分。回転の制御を失った世界が、右へ傾いたり左へ傾いたりしている。
視界の隅っこには、仰向けで力尽きているナゲキがいた。
「――参ったっす。自分の負けっす。じごくぐるまをかえんぐるまで返すとは見上げたもんっす」
「いやあ、俺も結構ギリだったぜ。結局最後はどっちがしぶてえか、ってことだったな。あー疲れた」
グレンゲもナゲキも締めの礼をすることもなく、大の字に寝っ転がっている。天井の木目を追う。焦げた畳のにおいをかぐ。ぐるんぐるんと宙を泳いでいるかのようなめまいでむしろ遊んでいる。
その光景は、一見すればだが――ひょんなことから決闘をし、やがて互いの力を認め合う青春謳歌野郎たち、に見えなくもない。