04 エンジュの三人
【ま、なんや。健康が一番ってな】 マサキ
04 エンジュの三人 エンジュシティまでは難なく行けた。
旅立ったあの日、夕方までにはヨシノシティにたどり着き、休憩し、その後二日かけてキキョウシティにまで行った。キキョウについたときにも同じくとっぷりと日が暮れていたので、すぐにポケモンセンターで休み、明日に備えて一晩を過ごした。翌朝を迎えると以前ウソッキーがとおせんぼをして通行止めになっていたという道路を渡る。
道中、バトルを申し出てきたトレーナーはばっさばっさと踏み倒してきたので、さほど時間はとられずに済んだ。旅費を稼ぐのにも、コンディションを整えるのにもうってつけだったと言える。
まあ、そこまではいい。
ゴールドは苦心する。ここさえ乗り越えれば、自分はどれだけ救われるだろう。かくなる上はもう今日はポケモンセンターに寄ることはやめにして、問答無用で横切ってしまってもいい。
念のため断っておくが、エンジュシティ自体に恨みはない。ほんのりと漂う香の匂いは自分にもポケモンにも平穏を与えてくれる。コガネシティとはまた違った賑やかさを持っているし、綺麗なまいこはんが大勢いるし、地味で落ち着いた色合いの町並みだし、ゴールド一行がここを嫌う理由などどこにもない。
どこにもないはずだったのだ。
好きなところ全部ひっくるめて、逆流した気分。
ゴールドは横切ることを半ば本気で考えた。
「グレンゲ、大丈夫か?」
あいにくそうもいかなかった。ゴールドはおろか、グレンゲまで容態が若干おかしくなった。今朝までは普段以上に元気はつらつだったのに、エンジュに近づくにつれて、口数が減ってきた。ついには地面を向きはじめ、あのドロップよりも遅い足取りでついてくるのがやっとになるほどだった。
――なんか……調子、わりいんだよなあ……。面目ねえ、大将もここに長居はしたくないはずなのに。
「気にするな。だいぶ無理して進んだし、ここでゆっくり休め」
場所はエンジュシティのポケモンセンター。グレンゲは横倒しになったSサイズストレッチャーで楽な姿勢になり、悔しそうに笑った。
30分もすればぴんぴんして戻ってくるだろう。あいつはそういう奴だ。あ、やらないとは思うけど、そういえばあいつ注射苦手だったっけ。自分といいレッパクといい、どうも苦手意識が子供っぽい。ドロップはともかく。
たいした運動もせず、自室のイスとスクールのイスを二股し続けたツケが回ってきたのか、ゴールドも相当疲れていたのは確かだ。場所は最悪だが、休息はやむを得ない。
ドアの向こうに吸い込まれていったストレッチャーを見届けた後、ホールのソファーに腰掛け、ポケギアを立ち上げる。デジタル表記の時刻は11:10のわずかを過ぎたあたりを示している。ヒトヒトヒトヒト。
ゴールドも今日ほどポケモンセンターに感謝した日はない。どこの町であれ、内装のデザインから医療器具にいたるまでほとんどが一緒なので、外の景色を連想させることがなくなり、ひとまずは切り離される。どこの町のそれを選んでも、ポケモンセンターはポケモンセンターとしてひとつの世界を成り立たせることに成功していた。
これにはもちろん意図的な工作が仕込まれている。ポケモンセンターに設置されているパソコン端末のためだった。ここのパソコンは特殊な規格に則った回線が敷かれてあり、ポケモンを瞬時に預けたり連れ出したりできるシステムが、常時マウントされている。両手に余る数を捕獲してしまった際、大いに役立つ。不安に思われる生活面や衛生面だが、そこも心配には及ばない。預けられる直前のポケモンには、脳内に特殊な「さいみんじゅつ」を焼きつけられる。言ってしまえば冬眠にほぼ近い状態となり、広大なネットワークの片隅で安寧の時を得る。
さて。
ポイントは、起きた直後の環境である。ポケモンには当然、最後の記憶としてポケモンセンターのことが残っているだろう。別の場所にあるポケモンセンターで起こしたときに記憶の齟齬が生じないよう、配色や配置、広さ、何から何までが統一されているのだった。夜寝て朝起きて部屋が模様替えされていたら、人間だって驚く。
なおかつ、その名に恥じないよう、人にもポケモンにも気兼ねなく利用してもらいたいというコンセプトのため、非常に落ち着いた設計となっている。「畳の上で死ねないのならせめてここだ」とゴールドはこころに決めている。
そして、預かりシステムの膨大なネットワークを作ったのが――
「おんろ? その帽子――ゴールド、やんな?」
「あれまあ、お久しぶりどす」
聞き覚えのある2つの方言。ソファー越しに振り返る。
マサキとモミジだった。
― † ―
「いやあほんまひっさしぶりやな。なんや背ぇ伸びたんちゃう?」
「気のせいでしょう。1年間ずっとぐうたらしてましたから」
「1年――早いどすなあ、月日が流れるのも」
――元気そうで何よりです、レッパク。
――お陰さまで。
妙な巡り合わせである。1年前もこうしてゴールドは、天才発明家のマサキ、まいこはんのモミジとポケモンセンターで出会った。ふたりとも変わらないようだったので安心した。マサキの相棒であるポリゴンZも健在で結構だった。
このポリゴンZ――当時はポリゴン2だったが――は、レッパクの「第一発見者」である。5年前、タイムトンネルの中で静かに眠っていたタマゴをポリゴンZが見つけだし、ゴールドが孵すと、イーブイの子供がうまれた。
それがレッパク、なのだった。
どうやってタマゴがゴールドのもとまで渡り歩いたのか、その経緯は紆余曲折あるのでここでは省いておこう。ゴールドが育ての親なら、ポリゴンZは見つけの親だった。
というわけで、レッパクもゴールドも、ポリゴンZとマサキには足を向けて眠れない。
「モミジさん、」
「はあ」
「えっとその、あのときの『とうめいなスズ』は――」
察したモミジは口元を隠し、くすりと笑った。
「やはり手放すのは惜しかったんでっしゃろ? ちゃんとありますえ。持っていきはります?」
「ああいやそういうつもりじゃなく、ちょっと気になっただけです。まだ預かっててもらって結構です」
ゴールドは慌てて手を振って否定した。
「ホウオウ、か――」
マサキのつぶやきは自然と漏れた。沈黙がその場を覆った。三人がこうして再び揃ったのだから、話題に上がるものといえばどうあがいてもそれになる。
ゴールドは無意識に記憶の残骸を組み立てなおしていく。
左右に広がる、虹色にも近い彩色。太陽の光を受け止め、ひとつひとつの繊維が極め細かく照り返し、脳裏にその存在感を焼き付ける。しなやかでたくましいその両翼は見る者全てを圧倒し、深層心理にあらゆる意識を植えこんだ。
戦おうとも、捕まえようとも、思わなかった。
ただ、眼前に立ちはだかるその優美究めし姿に、三人はこころを奪われていた。
――吾を呼んだのはお前か。
値踏みをするかのような目。そいつは頭の中に直接語りかけてきた。思考を覗かれているような感じがして、ひどく不快だったことを憶えている。
「きみが腰抜かして立てんようになるのも無理ないわ。ワイだって三日は作業に手ぇつかんかった」
「ゴールドさんは、あれ以来旅は諦めたんどすか?」
固唾を慎重に飲み下し、うなずこうとしてあごをひき、ひいたまま視線を伏せた。
手を組み、親指同士をくにくにといじる。
「はい。俺は何もかもを捨てて逃げました。ある意味、死んだも同然です」
美しさはまた、恐ろしさにもなる。
――小生意気な面構えだが、その清しいこころ、気に入った。……『半分』を『預かっておく』。吾の羽根を懐に携えておけ。いつか導いてくれるはずだ。
意味深な言葉を残して、ホウオウはすぐに飛び去っていった。
遭遇してからその場を去るまで、1分とかからなかったはずだ。
あの日のその1分以来、ゴールドのこころにはぽっかりと何かが欠落したようになった。
恐怖とはまた違う、別のおぞましい感覚。比重の重くて黒いタールをどろりと垂らされたような、そんな気持ち。
いずれにせよ、白状する、自分はホウオウと遭遇して以来、ポケモンリーグを目指そうという目標をすっぱりと諦めた。
レッパクも、グレンゲも、ドロップも、何も言わなかった。
ホウオウが残していった「しろいはね」は、今もレッパクの左耳のところに飾ってある。
「せやかて、そのトラウマ承知で来たんや。きっとなんか理由あるんやろ」
気まぐれでここまで来られたら敢闘賞ものである。
「アサギにちょっと用事が。灯台のデンリュウが病気だそうで」
ああ、とモミジが納得する。
「その話はエンジュにも届いておりますえ。アカリちゃん、大変やねえ。あの子がおらんとアサギも寂しいでっしゃろ」
「幼なじみの声聴いてたらちょっと懐かしくなって。断れるような感じじゃなくなってしまって」
「いや、それだけやあらへんやろ」
その先を遮るように、マサキはピシャリと言った。
「きみは、きっかけが欲しかったんとちゃう? 逃げ帰った自分をもう一回外へと引っ張り出してくれる、強いきっかけが」
ゴールドは組んだ手を太腿の間に落とす。
「そうかもしれません。一端のトレーナーのくせに、とことん指示待ち体質になっちまいましたね」
悲しそうに笑ったそのときちょうど、ポケモンセンター特有のメロディコールが鳴った。
― † ―
「しかし気ぃつけや。デンリュウの件以外にも、ここ最近なんやまた物騒になってきとるからな。エンジュに来た途端、グレンゲのように調子ナナメなポケモンが時々出てくるんや。がら悪い連中も増えたしな」
「へえ、穏やかじゃないですね」
「多分、もしかしたら、ありゃきっと――」
マサキはかぶりを振って、自分の意見を否定する。
「――いや、忘れてくれ。ロケット団はとうの昔に解散したらしいしな。レッドが潰してくれたんやし」
レッド。
その名前は、伝説級の破壊力を誇っていた。
ポケモンリーグ歴代チャンピオンの一人。
ポケモンリーグを目指す上で、初代チャンピオンのトレーナーを知らない者はいても、レッドを知らない者はいない。
かつてカントー地方を蹂躙していた悪の組織、ロケット団を解散にまで追い込んだ英雄。自分が幼少だった当時は、解散の旨でずいぶんな騒ぎになったと記憶している。自転車をのりこなす颯爽とした姿があちこちで評判となり、100万円もするそれが飛ぶように売れたと書けば、経済的な影響力が多少なりとも理解できよう。
特別意識したことはないが、機会があるならば、ポケモンリーグにたどりつけたならば、一度は会ってみたい、程度には思っていた。1年前は。
「他に何か変わったことありました?」
「あー、そうやな」
マサキはあごさきに指を添え、
「エンジュの北西にある、やけたとうって知っとるか?」
「名前くらいは」
「ボロボロで危なっかしい、って理由で閉鎖しとったんやけどな、ゴールドが1年前ここに来て帰った数日後の早朝、扉が蹴破られとったんや。蹴破られた、というのもかわいいくらいごっつい穴やけどな。中覗いてみたら、床もぶち抜かれとった。散らばった木くずの位置を考えるに、内側から吹っ飛ばされたのは間違いないらしいて、おそらく焼けた塔の地下に住んでたポケモンが逃げ出したんちゃうかって話や」
聞く限りでは、さほど自分とは関係のなさそうな話である。
「ま、なに、ホウオウの件も、無理して克服することあらへん。ぼちぼち慣らしていきぃや」
「今度来たときは踊り場にでもおいでやす。ホウオウにも負けぬ美しい踊りをゴールドさんに披露しますえ」
「そいつはおおきに」
――なんでえ、俺がひいこら言ってる間にみんなでにこやかに茶ぁすすってたのかよ。
――ぼやかない。とにかく、どこも異常はないようでよかったです。
――まーな。なんてったって不死身だからな俺ぁよ。
――よく言うよ。
グレンゲが完全復活したので、ゴールドはちゃっちゃと荷物整理を行い、ふたりに礼を言い、エンジュをあとにすることにした。
― † ―
「しかしたいした子どすなあ。一度挫折したとはいえ、強いこころをお持ちや」
小さくなっていく後ろ姿を見守りながら、モミジはぽつりとそうつぶやく。
「ほんまに」
「これなら、本当にまた――」
「おん?」
今度は口元を隠さなかった。
「また、会えるかもしれまへんえ」