番外編 華と滴
人間の世界が移ろいでいくのと一緒で、ぼくたちの世界も時間を重ねて変色していく。
番外編 華と滴 仁義とはいわゆる自己紹介だと解釈してもらって構わない。が、ぼくたちの世界では、もう一つの重要な顔がある。
いわば、一種の護身術みたいなものだ。
しんちょうな「彼女」をなだめるときにも、ぼくは――なかば自分自身を落ち着かせたいがために――緩衝材のごとく、これを使った。
立場が対等だと示したかったのもあるし、敵意がないと伝えるにはこれしかないと思った。
「ひとつ、訊いてもいいですか」
「おん?」
「どうしてあのとき――つながりのどうくつで、わざわざ旧式で名乗ったのですか? 新式も使えるのでしょう?」
「ああ、使えるぜ」
ラプラスである彼女は、言っちまえば世間知らずの箱入り娘だ。
齢が参のぼくがあんまり口にしていいものではないが、それでもまだまだ子供だった。逐一説明するのもアホらしいくらいの。多感なオトシゴロなのは了解しているが、そこまでぼくたちは面倒見きれない。
「お前さんガキんちょだしな、新式旧式どっちにしろ、仁義そんなに詳しかねえだろ?」
「ええ、まあ」
ガキんちょと言われてむっとしないところは偉い。
「だから、だよ」
「――やっぱり分かりません」
だからなあ、とマグマラシのぼくは彼女の甲羅によじのぼる。
「もしも、だぜ。お前さんの言うとおり、あのとき新式で仁義を切ったとする。
齢、
生、
護、堂々とまくしたてて挨拶しましたっ。どうぞよしなにっ。さて、錯乱状態だったお前さん、ついてこられたか?」
間もなく彼女は、
「無理だったと思います」
だろうが、とぼくも思う。
新式は、
齢と
生と
護も同時に明かす。旧式は全部省略し、字だけをはっきりと告げる。時代が移ろうごとに、形式というものは風化して簡略化されていくものと考えられがちだが、それはあくまでも人間の世界の話だ。人間とともに生きることを決めた以上、ぼくたちはなおのこと温故知新という言葉に対し、丁寧な気持ちでいなければならない。うまれた土地、生きることを許してくれた時間、内包された素質。自分に関わるもの全てを自覚することが、ぼくたちなりのわきまえというものになりつつあった。
「人間がつけてくれた字には退魔や厄除けの力があるってえのは古くせえ話だが、今でも十分通用している。真偽はさておきな。だから旧式ではそっちを強調するため、あえてそれら以外を全部略すんだ。んで、話戻すか、なぜに俺が旧式でいったのかっつうと、」
ごろん、とあおむけになり、前足を組んでみせる、
「あえて俺も新式を知らねえふりをしたんだ。新式を使って、両の足で闊歩するような偉そうな態度をとるよりかは、旧式を使ったほうが甘ったれな未熟者≠印象づけられると思ったんだよ。まあ、とっさに、だけどよ」
「子供である私に、少しでも近づけたかったのですか」
「んなところだ」
「――そもそも、ですよ、」
今日はやけに舌が回るなと感じるも、彼女の言葉には終始まじめさが透徹している。余計な口は挟ませないという真剣な気配が、ぼくの耳を傾けさせた。
「どのようにしてこんな文化が、私たちの世界に広まったのでしょう」
「あー、そうさなあ。俺も説明できるほどまではこころ得ているつもりはねえけどよ、」
結局のところ、礼儀の志が成し得た結晶なのだろう。
ぼくはそう結論づけている。
戦いに身を投じる道を選んだ以上、敵味方という線引きがある。敵はいつだって自分以外の誰かだ。相手にガンを飛ばす日だって巡ってくる。いちゃもんつけただのつけなかっただので半日を費やすこともありうる。やめておけばいいのに、自分の腕っ節に少したりとも自信があるからといって、それを鼻にかける。威勢だけを武者と化す。思い込みだけで旅をする。
そんな生き方してみろよ。
いつか袋にされる。
昔のように法が名誉を守ってくれない時代、不条理な仕打ちをされたといっても――そこはもう、筋合い云々の話ではなくなってくるのだろう。世の中にごまんといるおっかないあんちゃんたちを相手に図太い神経を見せるのと、花を持たせるのと、果たしてどちらが賢明なのか。考えるまでもない。矜持というものはあくまで自我を支える芯であり、突き動かす原動力ではないはずだ。目的と目標が相殺されあってはならない。
だから、義のかけらもない輩は、そもそも戦いの日々を送れるような器ではない。
だから、今からあなたと同じ土俵に立ちますという経緯を込めて、ぼくたちは名を名乗る。抵抗、服従の意を込めて、仁義を切る。
ぼくの経験上、戦いというものに正対して考えるやつほど、こんな傾向が強くあったように思える。大将と出会う前も、出会った後も。
そういうところに、ぼくたちは行き着いたのだろう。
強くなる以前に大切なのは、生きることだ。これまでがそうであったように、これからもそこを絶対に間違ってはならない。何が起きるかも保証できない俗世間。明日には無いかもしれない命。ならば、最期まで「いいやつだった」をまっとうして終わるほうが、よほど悔いはない。
ヤッパやゲンコツを交えぬ強さとはすなわち、そういった誠実さなのであろう。あいつとは戦いたくない。あいつの牙は見たくない。そこには目に見えない力が働いており、それを真の強さと言うのかもしれない。
ぼくは、そういうことにしたい。
「私、そうして知らない間に誰かに無礼をはたらいていたと思うと、ちょっと不安になります」
「過ぎたことを今から悔やんでも仕方ねえさ。間違いがあったら正す。その精神は立派だと俺は思うぜ。自分だけで抱え込むなって。お前さんはもう孤独じゃない。相談できる大将や俺たちがいる。だめなものはだめだと言いあえる。お互いのことを伸ばしあえる。違うか?」
「違いません」
「それでいいじゃねえか。逆を言えば、だ。自分はそんな常識は知りません、じゃあこれからは通じなくなる。大将に手招きされたとはいえ、一緒にいることを最終的に決めたのはお前さんだ。お前さん自身で選んだことだ。楽しいこともありゃあつらいことだってある。後生だから折れないでくれよ」
「もちろんですよ」
力強い返事にぼくは軽く笑うと、彼女の甲羅に体を預け、そのまま寝ることにした。
彼女の鼻歌が、耳に染み透る。
― † ―
損な性格だとは思っていないが、それでもぼくは少々喧嘩っぱやい。生傷をうんとこしらえ、大将たちによくたしなめられる。が、やはり一番印象的なのは彼女からのおとがめだ。一触即発の事態、事なきを得る機会は何度となく訪れた。
彼女はいいやつだ。
それは認める。
じゃあ、ぼくはどうなのか。
世間知らずで無鉄砲なのは、果たしてどちらなのか。
分かりきったようなことを滔々と講釈したくせに、いざ実行にまわせていないのは、ぼくもではなかろうか。
それを考えると、体裁の悪さで胸が塞がる。
でも、それでいいのだとも思える。
ぼくには、過ちを正してくれる仲間がいる。
配慮の至らぬところがあったのならば、少しずつでも直していけばいい。
そうやって時代とともに、ぼくたちという個々もまた、ゆっくりと変化していくのだろう。