12 さいしょにもどる
【こンな体の自分だからこそ、命の質感には過敏です】 ポリゴンZ
12 さいしょにもどる
前後していた話も、ここでそろそろ終局を迎える。エンジュシティのポケモンセンターにて、ゴールドはマサキやモミジ、ポリゴンZと出会えた。パソコンの預かりシステムのエラーで戸惑ったモミジと、そこをたまたま通りかかって直々にトラブルシュートしてあげたマサキと、4人目のジムリーダーを早々にやっつけてポケモンセンターに足を運んだゴールドが顔を合わせたのは、本当に運命的だったというほかはない。
「お、その帽子、サンダース――自分、ゴールドか?」
エンジュシティ付近で広まっている、独特のなまりのある方言。ずいぶん早い到着だ、と青年は驚いた様子だった。しばらくの間ウソッキーによって道を阻まれたため、キキョウからのルートを南に変更するのは仕方ないとして、それでも普通に考えるに、この短時間でエンジュまでたどり着けるのは大したものらしい。
「ワイはマサキ。そこの、」親指で肩越しに背後のパソコンをさす、「簡単に言えばパソコンとかのシステム管理をまかされとるもんや。やー、イーブイとは話に聞いとったが、こんな立派なサンダースになっとったなんてなあ」
ゴールドもレッパクも初めて会う人物だったが、そういえば名前に聞き覚えがある。どこで聞いたんだっけ、とゴールドは記憶のさじで頭の内側をごりごりこそぎ落としている。マサキもどうやらこちらのことを知っている距離の置き方だった。片膝をついて、警戒することもなくレッパクの頭をなでている。
「名前なんてゆうん? サンダースのままか?」
――レッパク。
「そーかレッパクか。ええ名前や。ほらZ、そんなとこおらんで、あいさつしたれ。あの<Cーブイやで」
マサキの後ろで何かがこそこそ恥ずかしそうに隠れてたのはゴールドもレッパクも気づいていた。Zという愛称で呼ばれたポリゴンZがちらりと顔をのぞかせ、木の葉がゆらりと宙を流れるような動きをもって、レッパクの前まで来た。定石、『精霊浮遊』を使ったことにレッパクが無意識に反応し、右前足を引いた。
――こ、こンにちは。
――どうも。
レッパクは目でおじぎした。緊張しているのか、ポリゴンZは宙をふわふわしてて落ち着かない。先程の定石に意味はないようだ。今後一戦交えることはまさかないだろうが、あなどれないやつと念のためマークしておく。
「俺とレッパクのこと、知っているんですか」
当たり前田の、とマサキは笑い、
「レッパク――イーブイのタマゴを見つけたんはそのポリゴンZやで」
ようやく全ての合点がいった。
レッパクのタマゴを渡してくれた人だったところまで思い至らず、ゴールドとレッパクは固い軋み音が出そうなぎくしゃくした自己紹介を改めておこなった。マサキは爽やかな笑顔を浮かべ、モミジと一緒にポケモンセンターのソファーに座り、レッパクのあれこれについてしゃべっていた。
「まーあのあといろいろあってな。タマゴをギッてからしばらくしたら、こいつも急に『2』から『Z』にシステムアップデートされるし、ワイもびびったわ。やっぱなんらかのトラブルを起こすかもしれん、ってことでタイムトンネルの開発はひとまずおあずけ」
服装が独特だからか、レッパクはずっとモミジのほうをぼんやり見つめている。それでいて話を聞き流していたわけでもないのか、ふと自責の念を感じたように、
――まさか、おれのせいで?
「いやいや気にせんでええ。そもそもが無理なテーマだったっちゅうのは否定でけへんしな。ポリゴンもZになってから半固形流動演算素子が改善されたんか、処理速度が爆速になって、変な笑いはでてきたけど。でも、なんやかんやで楽しかったし、ワイもこいつもええ経験になったやろうし、結果オーライ。妙な因果やけど、レッパクが元気ならそれでなんも言うことないわ」
――体、どこも異常ないです?
――このとおり健康そのもの。普通に生きてるよ。他のやつとどう違う感覚を持ってるかだなんて比べられないしな。
そう言って再び、モミジへ視線をすっと向ける。レッパクがこのように他人に注目することは珍しい。モミジもその視線に気づいたのか、ちらっと返すと、レッパクは慌ててそらした。
「で、さっきの話の続き。タマゴがとんとん拍子でゴールドのところまで渡ったっちゅう話はワイのところにも届いてた。んでその数年後、こうして旅を始めたのもウツギ博士から聴いた。もうちょっと時間かかるかと思いきや、なんてことあらへん、えらい早さで来たから驚いたわ」
「それなりにのんびり楽しんで来たつもりなんですけどね。ジムはさっさと制圧してきましたが」
まさに道場破りやな、とマサキは苦笑する。黙って聞いていたモミジも続いて、
「お強いんどすなあ。やはり最終的には、リーグを目指すつもりでっしゃろか?」
あ、と思う。
「そういえばそういうことになりますね。風呂敷がでかすぎてイメージが追いつきませんが」
そういえばそういうことになる。ジョウトを旅し、各ジムリーダーを倒し、バッジを集めるとなると、次なる目標はやはりそことなる。バッジも折り返し地点の4つ目だった。あと2つほど手に入れたら、本格的にその現実味を味わうこととなるのだろうか。
その途中で、もしくは最後に、あいつと対峙することとなるかもしれない。
その未来だけは、たやすく想像できたというのに。
薄情な話、リーグに挑むことは二の次で、あいつが望んでいるように、自分も単純に頂点でブラックと激突してみたかっただけなのかもしれない。そのためにはまずリーグを制覇する必要があるというのに、目的と目標が相殺されてしまっている。緩い志で何か功を成し遂げられるのならば、この世に難しいことなど何ひとつ存在しないに決まっていた。
できるのかな、と弱腰ゴールド。
できるんちゃう? と適当マサキ。
モミジだけがじっと何かを考え、ふと、
「なれるかどうかは、そらゴールドさんたちの努力次第やけど――ひとつ、それとは別に試せることがありますえ」
「え?」
口元を隠し、目を線にして笑った。
― † ―
かつてマダツボミのとうを登ったこともあったが、それ以上の階層と古めかしさだ。中には陰湿な空気が立ち込めている。
大鋸屑のような埃が積もっており、かなり滑りやすい。鼻腔をつんとつくにおい。青みを帯びた暗さがどこまでも広がっていて、高いところに位置する窓から入ってくる太陽の光は弱々しい。イトマルの巣がそこらじゅうにできているし、床はぎしぎしとうるさいし、こんななりで150年以上も崩れないで済んでいるものだと思う。グレンゲが暴れたらさぞかしよく燃えたことだろう。構造もやたら複雑で随分なまわりみちをさせられた感じもした。もうはしごはしばらく登りたくない。
なんとかスズのとうの頂点までたどり着いた。
エンジュの町が一望できた。
人々が米粒のように小さい。褪せた色の民家たちが点在している。コガネシティのような区画というものを意識させない、自然に沿った町並みである。この空の先に、アサギとあいつが待ち受けているのだろうか。
ゴールドは別段高いところは嫌いじゃない。ブラックとの木登り競争よりもぐんと高いところにやってこられた気がして、むしろわくわくする。吹きすさぶ風で前髪が踊る。先程までの息が詰まるような屋内よりかはずっといい。瓦屋根の四方にぶら下がっているスズが、切なげに鳴いている。
上着のポケットから、とうめいなスズを取り出した。
親指と人差指で緩くつまむように持つ。
前髪が乱れるほど風が強いのに、このスズだけは不思議と揺れない。
ふと、豪華な屋敷で主人が従者を呼びつけるイメージを持つ。どこにいてもすぐに駆けつける、ある意味怖い魔法のアイテム。あれの名前なんて言ったか。思い出せない。ハンドベルでいいんだっけ。楽器っぽいから違う気がする。ええとなんだもやもやする。
鳴らした。
青空に透き通るような綺麗な音色を想像していたが、それよりもずっと遠く、頼りなかった。
1分たっても、3分たっても、5分たっても、いつまでたっても、何も起きなかった。
ずっと腕を突き出していたので、がちがちに疲れた。
今度はくだりか、と思う。
― † ―
「残念でした。ホウオウには会えずじまいです」
「そうどすか」
モミジも神妙な顔つきになり、
「堪忍しておくれやす、変な期待させてもうて」
「いえいえ。あ、これお返しします」
スズのとうのふもとで待っていたモミジに、とうめいなスズを返した。実に優美な動作でモミジはそれを受け取り、巾着袋に丁寧にしまう。
やっぱり中途半端な実力を持った自分ではまだまだか、とゴールドは思う。こんな簡単に伝説のポケモンとやらに出会えるのであったら、なんの苦労もない。姿を表さないから伝説なのだ。あのスズがそれほど強い力を持っているとも考えられなかったが、モミジを疑うつもりではない。自分を力あるトレーナーと判断し、授けてくれた。そのこころ遣いは認める。モミジだけでなく、他の人々も、こうしてスズを手にする『本当に強いこころを持ったトレーナー』が現れることに想いを馳せ、いつか再び舞い降りるホウオウを、ずっと待っているのだろうか。
ふと思う。
自分は、強くなりたいのだろうか。
それとも、強く生きたいのだろうか。
その差を見切り、ホウオウは自分のもとに訪れなかったのかも知れない。
それならそれで何も言うことはない。完全に自分の不足だ。次こそは、だなんて未練がましい思いも捨ててしまおう。
ということで、長居は無用と判断。エンジュを出てアサギに向かうべく、ゴールドは歩く。せっかくの縁だということで、マサキとモミジが最後まで見送りに来てくれていた。今までの町でそういう送迎はなかったので、ちょっとだけ嬉しかった。
「んー。ワイもゴールドなら会えるとは思てたんやけどなあ」
「買いかぶりですよ。ただのトレーナーの端くれなんですから」
「それでも、や。ワイは確かにゴールドの実力なんもしらんけど――さっきもゆうたやろ。これまで例を見ない常識はずれの速度でここまで旅してきたんや。きっと事前にごっつい修行積んだに違いあらへん。一応これでもトレーナー見る目、ワイもあるからな」
見抜かれてる。表情を保てているか気がかりだ。
「なんやったら、Zに計算させてみよか? 結構『おせっかいなこと』も出来るようになってきたかんな。今後の動向についてごくシンプルなパーセンテージで」
あのですね――ゴールドは、そう言って振り向こうとした。
冗談や。自分の将来のことは自分で決めたいわな――マサキは振り返ることを予想しており、手を振って笑い流そうとした。
なんだこの気配――レッパクが、ボールの中でびくんと跳ねた。
ゲートの入り口。太陽がさえぎられ、三人をすっぽりとエンジュから隔絶するような影がふと出現した。
それらは、ほぼ同時に起きた出来事だった。
― † ―
記憶が断片的で、ひどく曖昧になる。たった1分間の出来事を、ゴールドは頭の中の映像としてうまく結べない。亀裂が走りまわって砕けた鏡に写る映像のようで、正体がつかめない。
激しい砂埃/怪鳥ともいうべき巨大な体躯/第二の太陽が出現したかとも思えるような輝き/しかし熱は感じられない/正の感情負の感情全てをおさえこむ威圧感/あたたかでしかしぞっとする目つき/思念波を使って紡がれる言葉/
――吾を呼んだのはお前か。
誰も何も答えられない。
――ふむ……なるほど……。
誰も何も答えられない。
――生意気な面構えだが、その清しい魂、悪くはない。
誰も何も答えられない。
――吾ごと凍てつかせた150年の歳月が、ついに息を吹き返すやも知れぬな。
ホウオウだけが、ゆっくりと話を語る。
――永かった。傷が癒えるのを待った。しかしこころは未だに癒えぬ。吾も、友も。
ホウオウは、首を下へ曲げ、羽ばたきの体制に入る。
――少年よ。器となってもらうぞ。否とは言わせん。そのためにも『半分』を『預かっておく』。吾の羽根を懐に携えておけ。いつか導いてくれるはずだ。
再び巻き起こる砂埃。
――思い知れ。
うっすらとした虹色の一閃を描き、ホウオウは空のかなたへ吸い込まれてゆく。自分から道を譲るように、雲がホウオウを避けていく。
ゴールドは、棒を飲んだように立ち尽くしている。
静寂が落ちた。
ゲートの付近だというのに、自分たち三人以外の人間がまったくいなかったことにも気づかない。
― † ―
そこで記憶が焼き切れた。
ジャーキングでも起こしたように体が跳ね、ゴールドは忌々しげにうめく。両目を覆っていた右腕を下ろした。
鏡を見なくても分かる。きっと業病にでもおかされたように真っ青だ。
どういったいきさつでマサキやモミジと別れたのかも、どういった道のりでポケモンセンターに戻ってきたのかも憶えていない。
こころここにあらず、という言葉が今の自分に一番ふさわしい。
30分前の、1分間の出来事が、まるで遠い昔のことのように思える。
――なんだってんだ。
ソファーの背もたれに頭を預けたまま、舌打ちにもならない弾きをひとつ。
ホウオウの台詞だけが、何度も鮮明に再生される。
他には何も考えられない。
不可解なものをこころの奥底で拭いきれないでいる。ひとつは、情熱的で力に満ち満ちた精神の熱量。もうひとつは、あの日――ワカバへ引っ越す当日のような、清々しい寂しさ。一晩費やして別れの言葉を選んだ挙句、いざ面と向かうと頭の中が空白になっていく、あのどうしようもない虚無感。
無性にブラックとミカンに会いたくなり、ちょっと泣きたくなった。
でも、今のざまを見られるのはきまりが悪かった。
――主、
レッパクの気配。目だけを向けると、意外なほどたじろいだ。自分はそんなにひどい顔しているのかと思ってしまう。レッパクはしばらくためらったあと、
憔悴しきった控えめな口で、
――拳。
やっと気づいた。ゴールドの左手は、ホウオウが残していったしろいはねをがっちりと握り締めていた。これもどのように受け取ったかはっきりしていない。手の平に爪を食い込ませたまま、岩石のように硬直している。手首から先を誰かに支配されている気分。右手で一本一本丁寧に指を立てていけば、今までの固まった力は嘘のようにほどけ、汗に蒸れた左手の平はより一層空気を敏感に浴びた。
あれだけ力強くつかんでいたのに、羽根は一切変形していない。汗を吸って、むしろ一層輝きを得たようにも見える。
ふと思い立って、リュックの中を漁る。服装が破れたとき用の小さなソーイングセットを引っ張り出し、糸を適当な長さでカット。しろいはねをレッパクの左耳に添えてみた。
――え? あ、主?
「嫌か? 鬱陶しいなら――」
レッパクは弾かれたように戸惑いから目を覚まし、即座に首を強く振った。
「――そうか」
――あ、ずるい。大将、俺にもなんかくれよお。
「お前にやっても全部燃やしちまうだろ」
ゴールドはそう言って実に嫌味っぽく笑った。
少なくともゴールドはそのつもりだった。
誰がどう見ても泣き出す一歩寸前のようだった。