11 私は森
【呼ばれているのも、違う、引っ張られているのも、違う――】 レッパク
11 私は森 それから一週間としばらくが過ぎた。
森は静謐な空気を包み込み、燐光を飛び交わしている。ハゲイトウが生い茂り、フジカヅラはひしめくように
万朶に巻きつき、そのまま時を止めている。日差しが感じられず、涼しいというよりかはいまいち寒い。
ラプラス――ドロップを新たにメンバーに迎え、ゴールド一行はウバメの森に訪れた。かすかな光と共に群青色の草道を進む。少し生臭い地面を踏みしめると、ぬかるみのような腐葉土の嫌な感触が足に伝わり、レッパクの背筋を内側からなぞった。見たこともない樹がこぶだらけの幹を並べていて、複雑に入りくねり、無節操に伸び、行く手を遮っているようにも受け入れているようにもとらえられる。木々の隙間からは太陽の光が申し訳程度に滲み出ており、むしろ薄暗さに貢献しているようにも感じ取れる。湾曲した根は波打って地面にもぐりこんでいた。
「ここも鬱蒼としているな」
「ドロップのいたところよりかは数倍ましだろうぜ」
レッパクだけが、影が無駄なく滑るような目の動きで、あたりを警戒している。自分でも解釈しかねる不思議な感情が、こころにふつふつとわいてくる。
聞くところによると、この森には神様がいるらしい。最深部にはほこらがあり、滅多なことをすると神隠しにあってしまう、という根も葉もない噂までささやかれていた。しかし今の時代ともなると、どこのパワースポットにもそういう言い伝えに輪をかけたような「客人用の話」のひとつやふたつはあるものだ、と認識していて、レッパク以外はたいして気にもとめない。からかわれるだけ損だからだ。「第一、森の最深部って言葉がうさんくせえんだよ。要は真ん中だろ? それ以降は出ていくことになっちまうんだからよ」「そういうなぞなぞの問題でもないと思うが」
薄暗さはなおも続き、一向に明るくなろうとはしない。万物を取り込んだかのごとく、森はどこまでも穏やかな闇を四方六方に染み込ませており、ふと油断するとあっという間に迷ってしまいそうなほどであった。それでいてなぜか、ワカバの雑木林よりも整合性がある。ジョウト地方すべての植物をかき集め、ここに詰め込んだような独特の空気を漂わせている。
前回のこともあるため、あまり発光して野生のポケモンを刺激しないように、の路線に誰も異議を唱えなかった。
―― 。
不意に来た。
誰かに耳元でつぶやかれた気がして、レッパクはびくりと反応した。
「今、何かの気配が、」
直感にはこれまで自分自身幾度も驚かされてきたが、空耳なんて今まで一度もなかった。森は生き物の気配すらも食うらしい。初めての体験に、妙な焦りを覚える。
――この森には、神様が、
ばかばかしい、とレッパクは思う。
言い訳がましくも念のため、みんなに気づかれないよう、微細の電磁波を放ってみる。周りの樹木が波動を受けてせわしなくエコーするだけで、肝心のターゲットが特定できない。左右に反響すればするほど感覚が揺さぶられ、もどかしさが増幅されてゆく。
ついで、まもなく自覚した。先程から感じていたこの気持ちは、懐かしさであった。みんながここを訪れるのは最初のはずで、デジャヴとはいささか違う。道のりもまったく知らない。神秘的な感覚と空耳の幻覚がまぜこぜになり、レッパクは勝手に虚像を膨らましていく。
やはり、臨戦心理に火を入れておいたほうがいいかもしれない。そう思い始めた折も折、しげみが激しく揺れた。小枝を無遠慮に踏みしめる音。ゴールドとグレンゲには見覚えがあり、レッパクとドロップにはそうでない人物が大儀そうに現れる。標識に従わず無理にルート短縮をはかっているのか、服のあちこちに葉っぱがしがみついている。
――ブラックじゃないか。いつの間にか追いつきかけていたのか。半年くらいたったのに。てっきりエンジュあたりにいるのかと思っていた。
――気になることがあってヒワダに逆戻りしてるだけだ。
――なんだそりゃ。
ブラックがそのまますれ違いざまに立ち去ろうとしたとき、
――待てよ。せっかくなんだ、ちょっと腰おろしていけって。
― † ―
「で、その気になることって?」
ビニールシートをぞんざいに広げて座ると、ゴールドはタンブラーからお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを作った。白い湯気がほんのりと立ち込め、頬をかすかにあぶった。
グレンゲはというと、ここで会ったがとばかりに鼻息荒げてベイリーフとにらみ合っている。目線の間に何かを遮らせてみれば、たとえそれが白い紙だろうとアルミホイルだろうと、火が溢れそうなほどである。場所が場所ならとっくに宿命の対決ごっこをやっていてもおかしくない。まあこれでもそれなりに楽しんでいるのだということは、ゴールドとブラックはこのときはまだ分かっていない。
「ヒワダタウンの名物を知っているか」
ブラックは切り株に座りながら、ぞんざいに腕と足を組んでいる。
「ヤドンとガンテツじいさん」
「前者だ。今もヤドンは行方不明のままなのか?」
ん、ちょっとぬるいな。悪いけどグレンゲこれあっためてくれ。
カップを手渡す間をおいて、ゴールドは、
「俺たちが来たときもそういえば一匹も見かけなかった」
「異常だとは思わないか。多く出現するはずのヤドンが忽然と姿を消した」
言われてみれば、確かに奇妙である。ヤドンの町という呼び名は、ワカバにまでもちろん届いていた。
「あまり気にしてなかった。なにせジムリーダー倒すのに夢中で」
むしろ、ヤドンがいなかったからこそ、自分は自分の目的を果たすだけに済んだのかもしれない、とゴールドは思う。ヤドンがいたら、そののどかな空気とずんどこペースに引きずられて、もうしばらくはヒワダをゆったりしていただろう。
「――2個目のバッジか」
ブラックが水にさらした刃物のような冷たく鋭い目で、レッパクたちを
睥睨し、力量を推し量っている。ゴールドは上着のジッパーを下へややスライドし、内側を見せた。1個目はレッパクの活躍、2個目はグレンゲの活躍で難なく勝利を収めていた。多くは語るまい。
「にしても、なんか立場が逆になっちまったな。普段なら俺が先に何かをやって、お前がついてきた構図だったのに。でも、この道に関しては俺もまだまだだ。いつか追いついてやるから待ってろよ」
「来いよ。踏みつぶしてやる」
ブラックはなおも表情を変えず、抑揚も愛想もない返事をした。ゴールドは大して気にもとめずにからからと笑い、かちんと来ていたらしいレッパクの頭をぽんぽんと叩いた。
「ブラック」
「なんだ」
熱を取り戻したコーヒーを少しすすり、
「その切り株、湿っていないのか」
ピジョンのなきごえでも聞こえてきそうな森閑。
口をへの字に曲げていたブラックはゆっくりと立ち上がる。荷物が少なすぎるあまりにしぼんているカバンを背負い、ゴールドが進んでいた道へ向かって歩き出す。途中で止まる。
「この先を抜けるとコガネシティにつく。それほど複雑じゃない。よほどのあまのじゃくでない限り、迷うことのほうが難しい」
お前がたどり着けるほどだもんなそりゃ。
「どうも。――ブラック」
「なんだ」振り向きもしない。
「ズボンのしりのあたりが濡れてるぞ」
赤い髪がひるがえり、とんでもない眼光が返って来た。
ゴールドはまた笑う。
― † ―
なんか歩きづらい、と思ってたら、足に靴擦れをこしらえていた。
結構なペースで旅してきたせいだろう。
なにもつけずに平気で地面を歩けるレッパクやグレンゲが、このときばかりはうらやましい。裸足で歩いてもケガをするし、靴をはいてもこうして靴擦れを起こすのだから、人間はつくづく不毛だ。便利な世の中になったというなら、かがくのちからがすげーっていうのなら、親知らずを一切の痛みなく抜いたり靴擦れを全然起こさない魔法の靴下などが開発されてしかるべきだ。ゴールドは今そう思う。
――え、あいつ、主の幼なじみなのか?
わずらわしいし、いっそめくれた部分はちぎりとってしまおうか、とゴールドは大きな賭けに出る。
「ああ、うん。お前と出会う前までのな。アサギにいたころの10年間は、あいつとの思い出ばっかりだよ。――そうか、レッパクはあの時溺れてたんだったか。グレンゲなら知ってるだろ?」
ものすごく慎重に皮をちぎっていくが、いかんせん指がふるえる。やばい、敵陣に深く切り込みすぎだ。戻れ戻れ。
――大将、いつかまたあいつと戦うんだよな。
うぁいてっ。あーやっちまったいてててうおおおおおっ。
「いずれそうなる。トレーナーとしての時間はあいつのほうが長いはずだから、気を抜くなよ」
消毒液。一滴たらしただけでもじんとしみる。むき出しの神経を直接触られるような
通痒。
――ご主人のこと、結構目の敵にしていたような。
絆創膏。あ、すぐにはがれちゃ困るから補強テープもいるな。
「気にしなくていいよ。あいつは昔からああなんだ。鉄面皮だけど悪いやつじゃない。それは俺が一番よく知っている」
はー終わった終わった。
3分にも及ぶ大手術が、あまり無事でない状態で完遂された。背中を曲げすぎて疲れたので、帽子をはずしてビニールシートの上で仰向けになってみる。枝と枝が交差しあって、天然の屋根を作っているのが遠目でも分かる。ここ最近はポケモンセンターの個室の天井しか眺めていなかったので、こういうのもなかなか新鮮味があっていい。晴れの日でも雨の日でも、たまには空を見上げる癖を身につけようと思う。
よく分からないけど痛そうだ、といった顔つきでレッパクたちがゴールドの足に注目している。視線がくすぐったい。
陸でまでドロップの背中の世話になるわけにはいかないのが、少し辛い。
― † ―
その後、ゴールドもブラックもウバメのもりを抜け、それぞれの目的地を目指した。
結局ほこらなんて見かけなかったが、ひとまず出られたのでよしとする。次にたどり着く町はコガネシティ。ラジオとうやゲームコーナー、デパートなど、今までとはうって変わって高いビルが背伸びしあっている都会だ。これまでの町は長い期間滞在することなくさっさと次へ行ってしまっていたため、今回はゆっくりとしてもいいかもしれない。体力と英気を取り戻すのには、少々騒がしいところだが。
そして、コガネシティへ続く34ばんどうろの半分にも届かないところでゴールドの靴擦れが白旗をあげ、そだてや老夫婦のところで一旦休息をとるのは、もう少し先の話だ。
― † ―
もう一方の話も、一応ここに記しておこう。
ヒワダタウンで起きたヤドン行方不明事件。井戸の底で息を潜め、暗躍していた者。それらの真相をつきとめ、見事ヤドンたちを救った人物がまさにブラックだということを、この時のゴールドは知る由もない。