時間の穴ぐら
15回目、だった。
序幕 時間の穴ぐら シグナルエレクトロパルス. トゥー:ハチゴサンヒトマルマルゴ.
チェックサム. リスタート.
ローディング. ダン.
コネクション.
オールクリア.
自分だけが知りうる128ケタものマスターキーをにべもなく突っ込む。寸分の狂いもない接続認識コードを提示し、自分が何者なのかを証す。ポリゴン2は害虫駆除のファイアウォールを丁寧に解除し、精神をタイムカプセルの波へとゆっくり溶かし入れた。内部からもう一回シールドを張り、外敵を寄せ付けなくする。これまでにも何十回と踏んできた手順のため、無駄な予備動作などは一切なく、もはや芸術の域だった。
順調に進めている。実体こそチーフのそばにあれど、ポリゴン2はデータアクセサー端末のコネクターを経由し、自身のシステムを一部切り取ってデジタルの海へと投じた。
『チーフ、入りました』
チーフと呼ばれた青年、マサキがいじっているデータアクセサーのモニターに、その表意信号が言語となって表記される。マサキもマサキで、実に手慣れた10本指打法でキーボードを小気味良く叩いていく。
音響センサーをアクティヴ。文字に対してマサキは音声で返してきた。
「分かった。まあほとんど問題ないやろうけど、これが最終的な
走査や。適当な気分でうろついてもらったらええ」
『了解です。何事もなければいいンですが』
タイムカプセルの中、「タイムトンネル」は煩雑としていた。よくもまあこんな状態で今まで正常に動作してきたものだとポリゴン2はつねづね思う。量子論の極致。X線フレアバラージによる偶然と必然の噛みあわせ。ケタを数えるのも面倒くさい定義TIPSの集合体。無意味としか言いようのない指示がそこかしこに散らばっており、有象無象のアドレスが互いの栄養を奪い合う大樹のように複雑に絡み合い、奥へ奥へと続いている。いくら主に力を入れて開発したのがチーフと自分といえど、この迷路を把握しきるのに約三日、270キロセカンドは費やした。
仕方のないことなのだ。
なにせ、このタイムトンネルを経由すれば、時間を超越する。
時間を超越すれば、現在の時間だけにとらわれない贈り物が実現可能となる。
チーフからこの話を持ちかけられたときは、一体全体なんの冗談かと思った。
しかし、ポリゴン2の中に湧き起こるのは、呆れよりもむしろ好奇心だった。
開発自体は、人材に恵まれていたこともあり、思いのほかてきぱきとはかどっていた。外部の設備は人間が調整し、ポリゴン2はこうして内部を走りまわった。何かしらのバグが生じればたいていそれはヒューマンエラーであり、ポリゴン2は余計だと判断したオブジェクトを取っ払い、喧嘩しているコマンドをなだめ、回線の交通整備をし、外から入り込んでくる無人アタックを撃墜するのが仕事である。外部からのインプットがされないかぎり、内部は不具合を生じ得ない。
そんな研究詰めの毎日だったが、ポリゴン2は不満をこぼさない。ポリゴン2は失敗を繰り返す人間たちが好きだった。自分にないものを色々と持っていて、新たな道を切り開いていくそのひたむきさに憧れていた。だから力を貸すことにためらいはない。
完成は間近に迫っているが、念には念を、とチーフとの意見が合致し、ポリゴン2は今日も庭へと帰ってきた。
ごちゃごちゃしているとはいえど、好みでそれなりに整理整頓したので、まだいくらかは見栄えがいい。そこら辺に転がっているプロトコルは全部頭に入っていて、そらで全部読み上げることもできる。自分の部屋を持てたみたいで落ち着く。外界から隔絶された、静かな時間と空間がここにはある。
ここを経由して時を越えた贈り物が来るのだと思うと、自分がそんな大きな開発に携われたのだと思うと、感慨ひとしおである。
――っ?
突如のラグを覚えた。二日寝かしつけていたせいで電圧に乱れでも生じたか。開発当初は並行プロセスがオーバーフローしまくるものだから、アンペアの調整具合がつかめず、ブレーカーが癇癪を起こすことなど日常茶飯事だった。電子情報処理に長けたポリゴン2といえど、こっちの世界に置いてけぼりにされるのは厄介だったので、インタラプトの準備は万全だった。
――いや、違う。
あるはずのものがない、という違和感。
ないはずのものがある、という違和感。
今回に限っては後者だった。
0と1だけでは処理しきれない興奮が、自分に何かを告げている。
――おそらく、こっち。
メモリーを3割だけ解放。あらゆる感覚を動員し、ポリゴン2は本格的に動いた。自然と駆け足になっていく。クロスデータは演算するまでもなかった。ここは自分の城である。勝手知ったる世界だ。なんなら目をつぶって一周してみせよう。堅牢なバリアを施したとはいえ、ハッキングされているかも、という気もしなくはない。一応のこころ構えとして、2つの先行機を揃え、逆三角形のフォーメーションを作る。定石、『
双騎士防衛陣』。
が、その必要はすぐになくなった。
3つ先のオブジェクトの曲がり角、違和感の正体があっさりと発覚した。
ポリゴン2は呆然と『それ』を見つめる。
プロセッサーが混線し、前後不覚に陥りかけた。バグか何かの残響かと思ったが、ここ最近は自分もこのコンピュータシステムも重大なエラーを吐き出した記憶がない。そして、「驚愕」以外にこの感覚を表現できる神経言語を、ポリゴン2は持ち合わせていない。
再度申し添えておこう。仕方のないことなのだ、と。
この世界の工事現場監督を務めたとはいえ、ポリゴン2だって分からないことくらいある。まったく何もない新しい地点からの発明に、未知数のトラブルはつきものだ。作り話のほうが現実味があるくらいの『何か』が、いつだってどこだって待ち受けている。
ものすごく。
ものすごく、どうしよう。
『あの、その、チーフ』
「どないした?」
ポリゴン2は自前の言語野を耕して、該当する言葉を必死で探す。
『なンと言えばいいンでしょう。ええと、この最終チェック、ボクたち以外にどなたか別の回線でおこなってます?』
「――いや、んなことあらへんと思う。今はワイの端末だけでしかそこへ行けへんはずやで。他のスタッフが最近使うたって履歴もない」
確かにそうだったとポリゴン2は思い出す。開発はレベルS機密に近い極秘だったので、コガネシティのポケモンセンターでのみおこなっていた。他の町からの接続は切っておこうと、一週間前にひとつひとつのゲイトウェイを遮断したのは、他の誰でもない自分自身だ。
「なんかまずいことでもあったんか、2?」
2とはポリゴン2の愛称だ。
返事をするのに15秒も考えた。ミリセカンドの世界で演算をするポリゴン2にしてはかなり長い。
この現実を、チーフが認めてくれるだろうか。それ以前に、自分が認めたくないのもある。
悩み、うんと悩み、死ぬほど悩み、
意を決して、告げた。
『タマゴ、が、あります。ニワトリのでもなく、ウズラのでもなく』
そして、ダチョウのそれでもない。
チーフからの応答はなかった。指でキーを叩くよりも先に、驚きが口から漏れたのだと思う。気持ちは痛いほど分かる。
10秒後、
「ほんまか? 擬似プロパティ張られてへんか? ブラックボックス化は?」
『見る限りでは本当にタマゴのようです。
論理爆弾の可能性もありますが、どうします? 回収するンです?』
チーフからの応答はなかった。おそらく向こうも頭を引っ掻き回すほど悩んでいるのだと思う。気持ちは痛いほど分かる。
7秒後、
「一応回収するか。気ぃつけや。ブービートラップやったら――」
『ええ』
だが、チーフの意に反して、不思議と緊張はしなかった。二日前には存在しえなかった謎の物体だが、きっと大丈夫だという自信になぜか溢れている。
定石、『
精霊浮遊』。ポリゴン2はゆらりと近づく。適当な信号を送りつけてみる。疑似ウイルスのサンプルをあてがい、別の姿に化けないかも確かめる。
何も問題はなかった。
だとすると、これはもしかして、ひょっとすれば、本当に――。
――う い と いね、今 こ 。
『誰です!?』
反射的にポリゴン2は叫んだ。LaCチャンネルが繋がったままのため、マサキのモニターにも驚声が表記された。
「やっぱ誰かおるんか!?」
字面から焦りをつかんだらしいチーフが無事を確かめてきたが、ポリゴン2はこれを無視。免疫系がやられていないかをすぐさま調べた。バッファに乱れが生じていないかも確かめた。思考プロセスに変なプラグがつっこまれてないかを自分自身に尋問。
全部異常なしの応答が来ると、思いきって現行プロセスのほとんどを殺し、パワー全開でレンジいっぱいにセンシング。
誰もいなかった。このタマゴ以外は。
ロガーを『タンス』から引っ張り出して、記録を1行ずつ慎重にチェックしていくが、自分がここに入り込んできてからのデータしかやはり残されていない。記録が残っていないのだから、二度とあの言葉を物理的に再生することもできない。が、それでも、どうしても、空耳にしては精度が高すぎて、気のせいだったとは思えない。ましてや電子世界で。ヒューマンエラーにつきあわされすぎて、とうとう自分までその高度な精神処理ができるようになってしまったのかとさえ思った。そちらの可能性に少しでもすがりたい自分がいる。
誰もいないこの世界。タマゴはしゃべれないし、幻聴が聞こえた自分にも嘘はつけない。途方もない二律背反であり、ただの方程式を2ミリセカンドで処理するのとはわけが違った。
こんな経験初めてだった。
チーフだってそうだろう。
これ終わったら、フォーマットしようかな。
一瞬そこまで考えた。
いや、絶対チーフにどやされる。ポリゴン2にとってフォーマットとは脳髄くり抜いてあらゆる経験や記憶を綺麗さっぱり消去することなので、自害にも近い行動を意味する。これ以上不可解な現象が起こるのは勘弁願いたかったが、チーフの想いには代えられない。
考えるのはもうやめにした。とにかく、これをここにずっと置いておくのはまずい。今すぐアンチウイルスのソフトウェアを展開するとして、これがその農薬に耐えうるという確証がない。
手が届く距離になってもなお、タマゴはぴくりともしない。ええいままよ、と地雷を踏んづけるのにも等しい覚悟でとっつかまえ、ポリゴン2は通信プロセスをリバースコマンド、即座にラン。