怪盗という仕事
Steal 6 頼れる人たち
「この資料が、怪盗“スナッチ”から横取りしたとみられる怪盗たちと、その案件のデータです」
 例のごとく、ヨノワールはアタッシュケースの中の資料を、俺に手渡してきた。昼下がりの公園のベンチである。
「集めるのになかなか苦労したのですよ?」
「“お勤めご苦労”とでも言ってやればいいのか?」
「お勤め……といわれましても、今回の作業は普段の業務の範囲外なのですがね」
 ヨノワールはそう屁理屈をこねながら、資料をこちらに押しつけてきた。まったく、こいつと会話をしているとろくなことがない。



──Steal 6 頼れる人たち──



 資料をめくりながら、“スナッチ”の関わった案件の概要に目を通していく。
「あ、その資料はごらんになったら私に返していただけますか?」
「あ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げて、束になっている資料に視線を落とした。結構な量があるのだが、これを俺にすべて覚えろとでも言いたいのか……?
「なぜ返さなきゃいけない?」
「あなた、まさか怪盗たちの情報が書かれた資料を間違って誰かに見られたらどうするつもりですか。最悪警察に渡ったら仲良くお縄ですよ」
「だって、お前いつも領収書を俺に渡してくるだろ。あれだって怪盗の情報といえなくない」
「あなたはいつも破り捨てているのでお忘れでしょうが、あの領収書はうまい具合に偽装してあるのですよ」
 ヨノワールは『破り捨てている』という単語に力を込めた。その口調がかなり癪に障ったが確かに事実だから仕方がない。偽装など、いよいよ“仲介所”はとんでもない組織だな。
 まぁそれはいいとして、こいつに資料を没収される前にさっさと目を通しておくことにしよう。 
 人気の無い公園に、しばらく紙のこすれる音だけが響いた。だが、あんまりにも俺が静かに資料を眺めているものだから、あちらから声がかかってきた。
「それで、何かわかりましたか?」
「まぁ、共通点という共通点は、“スナッチ”のターゲットにされている怪盗は、みんな犯行前に予告状を出しているという点か。俺を含めてな」
 まぁ、それは当たり前のことだ。正直、予告状を出していない怪盗が次にどこの何を盗むのかなど、エスパータイプでもない限り予想できるわけがない。“スナッチ”はおそらく、ターゲットを決める上での情報を、マスコミの報道から得るのだろう。怪盗の怪盗などと豪語しているが、中身は俺たちと変わらないただのポケモンだ。恐るに足りずというやつだ。
「しかし、“スナッチ”もあなたのように普段は一般人として生活しているにもかかわらず、あなたよりも先にアメジストを盗み出す手腕を持っているということでしょう?」
「そう、問題はそこだ。いったいどうやって“スナッチ”は、セキュリティやその他諸々の情報を手に入れている? しかも、ほかの怪盗よりも早く、だ」
「まあ正直に申し上げると、普段はただのフリーターであるあなたが手に入れられるような情報なのですから、そこまで難しいことでもなさそうなのですが……」
 仲介は一つ目を細めながら、人を小馬鹿にしたような物言いをする。
「ふざけるなよ、たかが一般人である俺が企業秘密だらけのセキュリティや盗品の情報を、いったいどれだけ苦労して集めてきていると思って……」
 ……待てよ。
「?」
 いきなり言葉を中断した俺のことを、ヨノワールが怪訝そうに見てくる。しかし、そんなことにはかまっていられない。もしかして、もしかすると……。
 俺は、資料とは別に二つのカードを眺める。一つは、俺に向けて作られた『残念でした、またどうぞ♪』のカード。そしてもう一つは、エイミ刑事が本来なら鑑識に回すはずだった警察宛のカード。
 このカードが置いてあった状況を思い出してみる。一つは、アメジストが入っているはずだったガラスケースの中に入っていた。そしてもう一つは、俺がビルから逃走した直後、散乱したガラスの破片の上に置かれていた。
 予想が、確信に変わった。
 俺は手に持っている資料を乱暴にめくる。知りたいのは、各犯行時の警備の状況……。
「チッ、何で書かれていないんだッ!」
 使えない資料よこしやがって! 俺はヨノワールに向かって資料の束を投げつけた。ついでに日頃の鬱憤も込めて投げつけたつもりだったが、奴はその大きな手で束を掴み取りやがった。
「おや、もうよろしいのですか?」
「もういい! 俺は行く!」
 こいつに言いたいことは山ほどあったが、今はそれどころではない。さっさと、今組み立てた確証の答え合わせをしなければならない。
 歩いている時間も惜しい。俺は強く地面を蹴って跳躍した。





 結局、あのあと俺はマルが寝る時間を過ぎても不思議荘に帰らなかった。答え合わせに予想以上の時間がかかってしまったからだ。
 目的の情報を集めるのには今まで以上に骨が折れたものの、成果はあった。怪盗“スナッチ”の正体はほぼ判明したも同然だ。あとはあいつをどうやって捕まえて、アメジストを取り返すかということだが……。
「あら、ナイル君遅かったわね、おかえり」
「!」
 と、いきなりティオさんに名前を呼ばれて我に返った。思わず身構えてしまうほど、考えに没頭してしまっていたようだ。危ない……。
「連絡しないで悪かった」
「まぁ、いつものことですからね」
 ティオさんはため息混じりに目を伏せて言った。ものすごく申し訳ない。いつもこんな風に連絡を忘れたりするが、それでも滅多に怒らない彼女には、まったく頭が上がらないな。
「それより、ナイル君」
「ん?」
 ティオさんの声音が、いつもよりも低くなった。とてもいやな予感がした。
 俺はどうにか平静を装うので精一杯だった。不思議荘の誰かと真剣な会話が始まると、いつも息が詰まる。どんな話題が飛び出すのかびくびくしている自分がいる。
 まさか、怪盗だということが何らかの形でばれたのか、それともここから出ていけとでも言うつもりなのか。あり得ないとわかっていても、いつも、そんな疑念が頭にこびりついて離れない。
 ティオさんはまっすぐに俺を見つめてくる。
「アフト君と、なにかあった?」
「……なぜ?」
 兜組との一件があってから、アフトとはまともに口を聞いていなかった。彼が俺のしたことを誰かに言いふらしたとも思えないが……。
「なぜって、あなたと彼が最近ぜんぜんしゃべってないからよ。なんかあったんじゃないかと思うのが普通でしょ?」
 そうか、そういうことか。さすがに、毎日顔を合わせているティオさんには、俺とアフトの数日間のぎくしゃくした雰囲気を隠しきれなかったか。
 兜組のことは、ティオさんには言わない方がいいだろう。無駄に心配をかける必要もない。
「別に何かあったわけでもないが」
「嘘。顔に書いてあるわ」
「……」
 どうやら、ティオさんの前ではどうあがいても無駄のようだ。俺はため息しか出なかった。片手で頭を押さえて椅子に座る。
「俺はわからない、ティオさん」
「あら、聡明なあなたにもわからないことがあるのね」
 ティオさんは笑う。
「冗談はやめてくれ」
「冗談なんかじゃないわよ、心外ね。家計簿の計算も速くて助かってるし、アフト君ともよくプログラムのことで議論を交わすじゃない。工作だって得意だし、腕っ節も強い」
「そういうことじゃないんだよ、そういうことじゃないんだ……」
 計算が速くとも、知識を持っていようと、腕っ節が強くとも、そんなものはさして重要じゃない。そんなもの……ヒトの心を知る力に比べたらまったく重要じゃないんだ。
「俺は……あんさんがどうして怒っているのかわからない」
 俺は、ティオさんにすべてを説明することにした。兜組のハヨウの邸宅に行ったこと。金を用意すれば不思議荘の取り壊しを無かったことにする約束を取り付けたこと。俺のやったことについて、アフトにきつく迫られたこと。
 ここ数日、俺は考えていた。俺が不思議荘のためを思ってしたことが、どうしてアフトを怒らせるに至ったのか。いや、確かにやり方は決してほめられたものではない。だから本当はアフトを連れていきたくなかったんだ。だが、アフトの怒りはそういう類のものじゃなかった。
 怪盗“黒影”として、幾多のセキュリティをかいくぐること、捕まらないようにうまく証拠を残さないこと、誰にも正体をあかさずにうまく世を渡ること……。普通のポケモンなら到底できそうにないことを、俺は簡単にやってのける自信がある。それは決しておごりとかではなく、事実として受け止めている。むしろ、それぐらいの自負がなければ怪盗としてやっていけない。
 だが、どんなに他のポケモンができないことができても、誰にでもわかりそうな人の気持ちが、分からない。
 笑っちまう。新聞でイヤと言うほど騒がれている怪盗“黒影”の正体は、ヒトの心もわからずにガキと言われる始末のジュプトルだ。
「俺は何が悪かった? いや、そりゃあ、いきなり家に押し入ってあんなことをしたのは悪いと思ってる」
「……ねぇ、ナイル君?」
「はい」
 思わず背筋が伸びた。それを見たティオさんは苦笑する。
「もう何年たったかしらね……あなたが不思議荘に来てから」
「は?」
 なんでここ最近、みんながみんな予想外の言葉ばかり投げかけてくる?
「確か、七年ぐらい、か」
「もうそんなに経つのね。懐かしいわ」
 ティオさんが感慨深く遠い目をする。俺は内心穏やかじゃなかった。あのころのことは、あまり思い出したくない。
「もう、ここに来たての頃のナイル君は触れたら噛みつかんばかりだったわね」
「そうだったか?」
「それはもう! ひとりにしてくれー、っていうオーラを全身から醸し出してたわよ」
 あのころの記憶を呼び起こそうとも思ったが、正直あまりいい記憶でもないし覚えていないのでやめた。
「でも、まぁ数年経ったらそれなりになじんではくれたけど、ナイル君はあのときから自立心が強かったわね。頑固とも言うけど」
「そうか?」
「そうよ! 迷惑かけたくないとか、そんないっぱしのことを考えていたかは知らないけど、ふふ、高校行かないで働くとか言い出すし一回言い出したら聞かないし……」
「仕方ないじゃないか」
 それだったらよく覚えている。中学までは義務教育だったから不思議荘のみんなが集めた金で通っていたが、高校からは働くということを、ずいぶんと前から決めていたような気がする。いつまでも住まわせてもらっている人たちの金食い虫にはなりたくない、という気持ちが強かった。
「何でいきなりそんな昔の話……」
「アフト君の預金。あれはね、あなたを高校へ通わせるために密かにためていたお金なの」
「え……?」
「びっくりした? 私もびっくりしたわ。あなたが中三になったときに急に通帳を私に出して来てね、『どこの高校でも払える額はあると思う』とか言って」
 そんな……。そんなことは初耳だ。
「でも、あなたは絶対に高校へは行かないと言って聞かなかったから、あのお金はキャリーオーバーになっちゃったわけ」
「……」
「あのときも、アフト君はちょっと怒ってたのよ、僕らのことを少しは頼っていいじゃないかって」
「でも、だったらどうして今でもその金を使わなかったんだ?」
「それは……もしかしてアフト君、まだあなたを大学へ行かせようとしているのかもね」
 どうして、そんなに俺のことをかまったりするんだ……。
「ねぇ、私たち家族よね? 血はつながっていないけど。ナイル君は、私たちのこと家族だと思ってる?」
「……そりゃ……」
 即座に答えられずに言葉に詰まってしまった自分がいた。そりゃ、みんなが俺のことを家族だと思ってくれていることは十分にわかっていたし、俺も、できればそう思いたかった。
 だが俺は、認めたくないものの怪盗という犯罪者でもある。もし、彼ら深いところまで踏み込んで、何らかの形で巻き込んでしまったら……。
「アフト君は、家族として当然のことをしたと思っているんだわ、きっと。なのにナイル君は、ぜんぜん私たちに頼ろうとしない」
 違う。俺は、家族のためを思って、みんなを巻き込むまいとして、一人で解決できる方法を模索してきた。
 みんなに、迷惑をかけたくないだけなんだ。
「アフト君は、一人で何でも解決しようとするあなたに怒っているのかもね。だって、ふふっ、かわいくないもの」
「かわいくないって……」
 いや、言いたいことはわかる。“家族”だから支え合うのは当然だということだろう。だが、俺たちは血もつながっていない。しかも俺など、どこからともなく現れた素性もわからぬ居候だ!
「アフト君が怒っている理由、ちょっとわかったかしら?」
「……」
「まあ、今すぐにわかれとは言わないけど。もう少し私たちに頼っていいってことよ」
 “家族”が優しくしてくれるとき、いつも俺は、洗いざらいしゃべってしまいたくなる。自分が“黒影”であること。見たこともない父の借金返済のために好きでやっているわけでもない怪盗をやっていること。
 本当は、何もかもを明かしてしまいたい。本当の家族になりたい。深いところまで踏み込みたい。
 だが俺は、そんなことを願うだけでも許されない。本当の家族を願ったその日から、ティオさんやマル、アフトにどんな汚い手が及ぶのか、想像もできない。最悪の事態を想定した時の、まるで自分の身が引き裂かれるかのような、半身をもぎ取られるような感覚に、気が狂いそうになる。
 そうだ。俺は犯罪者なんだ!
 本当の家族、そんなものは幻想だ。俺には許されないものだ。
 頼っていいと言うティオさんの言葉が、俺の脳裏で再生される。
 頼りたい……許されるなら、頼れるものなら、ほんとはみんなに頼りたいんだよ……!

ものかき ( 2013/07/27(土) 22:29 )