怪盗という仕事
Steal 5 虚勢
 俺は早足に道を歩く。その後ろを、公務員で今日は休暇をもらっているアフトがついてくる。俺はいつもと変わらぬ顔で道を歩く。その後ろを、少々挙動不審ともとれなくないアフトがついてくる。
「ナイル君……本当にいくのかい?」
「怖いんなら無理してついてこなくてもいい」
「あのね、『どこいくの』って聞いたら『やくざの巣窟』と答えるポケモンを、一人にしておく馬鹿がどこにいるんだ」
「冗談だと笑い飛ばすかと思ったんだが」
「今までに君が冗談を言ったためしがあったかい?」
「なかったのか?」
 アフトが盛大なため息をつく。
「……なかったよ」
「さいで」


 俺がいまから片づける別件というのは他でもない。例のコマタナ二人組をけしかけた、やくざか暴力団かもわからない集団を訪ねるためだ。だが一つ誤算だったのは、いざ外に出ようとしたとき、アフトが行き先を尋ねてきたことだった。
 アフトは普段、俺の行動にいちいち口を挟んだり確認をとったりしないが、気になっただけなのか、俺の立ち振る舞いから不穏な空気を敏感に感じ取ったのか、このときばかりは別だった。
 そんなアフトへ俺は冗談混じりに『やくざの巣窟』と答えたのが、これまたいけなかった。それを聞いたアフトが、『ナイル君が危なっかしくて一人にしておけない』と言って、俺についていくと言い出したのだ。普段はやんわりとした好青年なのだが、このときばかりは頑固だった。こんなはずではなかった。
「だいたい、彼らに会っていったい何をするというんだい? 話が通じる連中だとも思えないんだけど」
「それは会ってからのお楽しみだ」
「だいいち、やくざの拠点がどこにあるかわかっているのかい?」
「コマタナ二人組を尾行したら手っとり早かった」
「ナイル君……」
 アフトが再びため息をついた。




──Steal 5 虚勢──




 俺たちはやくざ(仮)の拠点へたどり着いた。何の変哲もない巨大な和式の邸宅だった。
「何の変哲もなくない!」
 アフトの叫びは無視することにする。
「あんさん、本当についてくるのか?」
「そりゃあ、君が海の藻屑にされるかもしれないって言うのに回れ右はできないよ」
 足はしっかり右を向いているぞ好青年。
「まあいい。さっさと終わらせよう」
 とりあえず、俺は大股で入り口へ歩み寄る。これまたなんだか柄の悪そうなコマタナが扉を守っており、俺たちに警戒の視線をなげかけていた。だがこの際、そんなことはどうでもいい。
「不思議荘から来た。(かしら)に会わせろ、さもなくば押し通る」
「ちょ、ちょっとナイル君……!」
 後ろのアフトが狼狽えるのはわかるが、普段から千客万来する様々な『客』たちをいなしているはずの門番たちも、一瞬面食らっていた。
「ば、ばかな。通すわけが無かろう!」
 しばらく惚けていたコマタナが、我に返ったのか、どうにか威厳を保って俺にそう告げた。
「そうか」
 ちょうどいい、最近暴れ足りなかったところだ。



 バコン、とコマタナたちの鋼の後頭部が壁に打ちつけられる音が響く。というか、しばらくはその音しか響かなかった。
 俺が軽めにそいつらを放り投げて、アフトがその後をついていくだけという簡単な作業の繰り返し。この際、俺の背中に放たれる痛い視線には気づかなかったことにする。
「……さて、ここが親分の部屋、か?」
 だだっぴろい和式の邸宅も、ここが最奥部だ。大抵こういう組織の(かしら)は、一番奥にその身を置いているのが決まりだろう。障子の向こうからの気配も、それを裏付けている。
 障子の取っ手をつかんで、がらりと開けた。
「──何事だ?」
 視界に広がった畳の部屋の奥から、低い声が響いた。その声の主は、コマタナを二倍にしたような鎧のポケモン、キリキザンだ。
 肘枕に頬杖をつきながら座っている。たたずまいは、まるで俺たちがここまでやってくることを想定しているような余裕っぷりだった。
「不思議荘から来た」
「ほう?」
「俺の名はナイル。そしてこっちがアフト。あんたと話がしたいだけだ。危害を加えるつもりは毛頭ない」
「ふん。名乗ったあたり、たしかにそのようだが……」
 キリキザンはそこまで言うと、障子の外を一瞥してまた俺に視線を戻した。
「私の部下を傷つけた落とし前はどうつける?」
「あんたは何の挨拶もなしに不思議荘の住民を脅しつけた。おあいこだろう」
「……くく、あっはっは!」
 キリキザンは肩を揺らしながら、張りのある声を部屋中に鳴らすように笑う。肘枕に寄りかかっていた状態からやおら姿勢を正した。
「なかなか面白いこわっぱが来たものだ。いいだろう、話を聞こう」
「単刀直入に言う。あんたが不思議荘の建っているあの土地をほしがる理由についてだ」
「ふむ、“気に入ったから”、というのではご不満か?」
「いったい何に気に入った? あのぼろい下宿が気に入ったのか? それとも、不思議荘の近くにある昔ながらの商店街に懐古の情でも感じたか? それともただの娯楽のために、うちに白羽の矢が立ったのか?」
「いったい何が言いたいのだ?」
「ああ悪い、単刀直入じゃなかったな。じゃあ聞くが……いくら払えば手を引く?」
 この質問には、今まで余裕を振りまいていたキリキザンも、目がぴくりと動いた。
「な、ナイル君、あんまり怒らせない方が……!」
 むしろ今俺の方が猛烈に怒っている。
「いいか、あんたがけしかけたコマタナ二人組が、『金を払えばあるいは手を引くかもしれない』と言っていた。その言葉に嘘はないんだろうな。(かしら)であるあんたのことを信頼している部下の言葉だ。戯れ言などとは言わせない」
 キリキザンが口を挟まないように、一口にまくし立てた。だが、さすがに息継ぎの時間は必要だ。
「部下の発言の責任くらいは持ってくれるんだろうな? で、いくらあれば手を引く? はっきり言え、どうなんだ!」
 アフトは、俺の物言いにびくびくしていた。堅着ではない集団の親玉相手に、挑戦状をたたきつける口調でまくし立てた自覚はある。さあ、吉と出るか凶と出るか。
 俺が言いたいことだけ言い終わると、キリキザンはしばらく沈黙していた。そして……。
「なるほど、面白い!」
「へっ?」
 アフトは、どうやら自分たちはもう生きては帰れないとでも思っていたらしく、キリキザンの予想外の反応に、素っ頓狂な声を上げた。 
「ナイル、と言ったか。つまり貴様は、私が提示した額をきっちりと用意できるというわけだな?」
「もちろんだ」
 俺は即答する。背中から聞こえた「えっ」という声はこの際無視だ。
「いくらだろうがきっちり耳をそろえて期限内に用意してやる」
「いい度胸だ、気に入った!」
 キリキザンは膝をたたいて立ち上がった。そして、俺たちの目の前に紙切れ一枚を滑らせる。
「誓約書だ。ここに書かれた額をきっちりとそろえてくると誓ってもらおう」
 俺は誓約書を手に持った。そしてアフトと二人で提示された額を確認する。
「うわ……」
 アフトが露骨に声を上げる。いくらぐらいかかったか? 紙に書かれた金額を口に出したらアフトが失神しそうなのであえて伏せておくが、都会のど真ん中にある小規模なビルをまるまる買える額とだけいっておこう。
「怖じ気付いたか? ナイルとやら」
「まさか」
「では、その誓約書に書印なりなんなりするがいい」
「上等だ。だが指は切らんぞ」
「……名前で結構」
 どうやらこいつに冗談は通じなかったようだ。俺はキリキザンがよこしてきたペンを無造作にひったくって、同じく無造作に名前を記してやった。いつもの癖で仕事用の名前を書きそうになったときはさすがに肝を冷やした。
「いいか、期限までの一週間、絶対に不思議荘の住民に危害を加えるな」
「わかった、私の名において誓おう」
「確かに聞いたからな」
 俺は誓約書を床に放った。金で解決できるということがわかれば、もうここに用はない。俺は半ば放心状態のアフトの首根っこをつかんでからさっさとここから退散する。
「待て。まだこちらは名乗っていなかったな」
 キリキザンが俺の背中にそう投げかけてきた。
「そちらが名乗ったのにこちらの素性を明かさないままでは不公平だろう」
「“兜組”のハヨウだろ。主な事業は違法武器の生産、販売。つまり武器商人」
「……」
「俺が正義のヒーローでも気取って、あんたの素性も知らないまま乗り込んできたとでも思ったか」
 非力な一般人が、やくざか暴力団かもわからない集団を相手に、馬鹿正直に真っ向から挑んでいては勝てない。ここでハヨウが俺の要求に応じなかった場合、他に講じる策はいくらでもあった。
「ふん……こわっぱが」
「では、失礼する」





「ちょっと、ナイル君!」
 “兜組”の邸宅から離れたあと、しばらく俺は早足で道を歩いていた。アフトは俺のペースについていくことに必死になっていたが、ついに耐えられなくなったのか俺の名を呼んできた。足を止めて振り返る。
「ナイル君、どういうことだよ、説明してくれ」
「何の説明だ?」
「どうしてあんな……素性のしれない相手に啖呵を切るようなことをしたんだ」
「頭領から直接、言質をとったまでだ。だって、あのコマタナ二人組が気まぐれに言ったことを真に受けて、金を献上した後に『そんな話は無かった』と言われたら困るじゃないか」
「あんな大金! 工面できる当てがあるのか!?」
 いつもの温厚な彼とは雰囲気が少しばかり違っていた。語気が強い。
「まさかさっきのは虚勢とか、ハッタリとか、そういう類だったっていうんじゃないんだろうね?」
「アテならある」
「どこのアテだい? きっちり説明してくれ! いったいどこだい?」
 どこのアテと言われても、ただ怪盗で得た金をそのまま充てるだけなのだが。まさかそんなことをアフトに言うわけにもいくまい。
「心配するな、不思議荘の住民に迷惑をかけるつもりはない。俺が何とかする」
「なんとかするだって……!?」
 アフトは、俺の方へ一歩踏み寄る。
「こんなこと言いたくないけど、君は下宿の家賃も期間内に払えないようなジリ貧生活じゃないか。なのに、僕の貯金の数十倍以上もかかるお金なんか、一週間以内にどうやって準備するんだよ!」
 失敗した。ここまで面倒くさいことになるならアフトを連れてくるんじゃなかった。
「消費者金融に借金するなんて言うんだったら、僕は許さない。それとも闘技(バトル)場で荒稼ぎでもするとか言うんじゃないだろうね!?」
 まさかアフトの口から違法闘技(バトル)――ポケモン同士が戦って勝てれば法外の金を手に入れられるが、負ければ最悪死に至るバトル――という単語で出るとは。
「なるほど、そういう手もあったな」
「冗談で言ってるんじゃないんだよ、こっちは!」
 アフトがどうしてそんなに怒っているのか、俺にはよくわからなかった。いやそんなことより、もっと気になることを彼は今言ったような気がする。
 『僕の貯金の数十倍以上』? ということはつまり、ハヨウの提示額の数十分の一に相当する額が、今アフトの口座に貯金されているということか?
「あんさん、あんたいつからそんな大金をためていたんだ? スパコンでも作る気か?」
 こう見えて、アフトの趣味はパソコン全般、特にプログラミングが大好きだ。だがもちろん、俺がそんなことを言ったところで好青年の怒りは収まらない。
「ああ、ああ! できることならそんな夢物語に金をつぎ込んでみたいものだよ! でも違う!」
「じゃあ何だ?」
「今の君には、教えても意味がない! 一人で何でも解決しようとする君にはね!」
 とっさに、なんて言葉を紡げばいいのかわからなかった。俺は、いったい、どこでアフトを怒らせたんだ……?
「不思議荘の誰にも相談せずに、君一人で勝手無法者とやりあうなんて。ティオさんやマルに迷惑がかかるとは考えなかったのか?」
「迷惑をかけるつもりなど毛頭ない。というか、そんなことにはならない。絶対にだ」
「報復にあったらどうする!?」
「万が一、いや、億分の一、報復を受けることがあったら、俺一人で被る。不思議荘を出て行ってでも……」
「出て行く!? 出て行くだって!?」
 あんさんはその言葉を最後にしばらく黙った。黙って、俺が何も言わずに待っていると、俺へずいと体を突き出した。
「君は自分自身のことを一人前のように思っているかもしれないし、実際自立している! でもまだ未成年だ! 僕やティオさんからしたら君はまだ子供だ! ガキなんだよ!」
「いや……あんさん」
「どうして……どうしていつも君は僕らに頼ろうとしない? どうして何でもかんでも一人で解決しようとするんだ!」
 一人で解決しようとしているわけじゃない。ただ、俺は不思議荘のみんなに迷惑をかけたくないだけだ。だが、なんというか、アフトにそう思われていたと思うと、喉がつまってうまく言葉が出ない。
「もういい……もういいよ」
 アフトは、先ほどの熱気のような怒りが嘘のように、今度は疲れた声でつぶやいた。そして一人、すたすたと歩き去ってしまう。
 いったい、俺の何が悪かったんだ? 俺は、俺のできる最大限のことをしたつもりだった。なのに、なぜあんなことを言われたのか全くわからない。

ものかき ( 2013/07/24(水) 21:32 )