怪盗という仕事
Steal 3 夜の姿
 ヨノワールが意味深で鳥肌の立ちそうな笑みを浮かべながらよこした依頼は、なんのこともない単純な盗みだった。
 今回の獲物は、近々大々的な展覧会の目玉になる宝石だ。種類はアメジストと言い、水晶に分類される。
 アメジストは、小さめのものなら別段珍しくとも何ともない。誕生石としてアンティークショップに行けば売っているし、子供でも手が届くほど廉価なものでもある。
 しかし、それがまだカットされていない天然物の巨大水晶だとしたら話は別だ。一般庶民からしたら到底手に入るものでもないし、手に入れてもむしろ、巨大な文鎮以外に使い道がない。
 だが、資産家ほどの者なら、金にものをいわせてそのアメジストを買い取ることなど造作もないことだ。わざわざ怪盗に盗みを依頼するほど価値のある宝石とも思えない。それでも俺に盗ませたいのは、“怪盗鑑賞”が目的だからだろう。
 まぁ、それはどうでもいいとして(第一、クライアントの意図など全く興味がない)、問題は盗む場所のセキュリティだ。
 展示場所はこれまた狙ったかのように巨大なビルの最上階だ。(決して忍び込んだのではなく、展覧会スタッフを装って入れてもらった)下見の結果、警備員の数・システムの精度・ガラスの強度まで一級ときた。
 アメジストごときにかける警備ではない。これはどう考えても、依頼主が俺の手腕を鑑賞するために手配したものとしか思えない。
 はさみを持つ手が重くなる。新聞の文字を切り抜きながら、俺は何度目になるかわからないため息をついた。
「プーたろーはなにやってるの?」
「ん?」
 学校から帰ってきたらしいマルが、俺の背後に立ち、そう尋ねてきた。本人は俺にばれないように忍び足で近づいたつもりのようだが、気配でばればれだ。切り抜いた文字はすでにしっかり隠している。
「めぼしい仕事先を切り抜こうと思ってな」
「えぇー? 予告状作ってると思って期待したのにぃ!」
「妙な期待をするな、俺は怪盗じゃない」
「むぅ」
 ふてくされたマルへ、俺ははさみをおいて向き直る。
「マル、怪盗に幻想を抱くな。奴らは善人じゃない」
「でも、みんな笑顔になってるじゃない」
「警察は困ってる」
「ニュースでやってたよ! 最近のけいさつは“しょくむたいまん”だから、怪盗を捕まえることはいい薬だろうって!」
「しょ、しょく……」
 またこいつはどんどん変な言葉を吸収していくな……!
「いいか、職務怠慢なのは一部のお偉い警官だけだ。現場の警官は……その……とにかく忙しい」
「でも、みんなが笑顔になってるのに、どうして怪盗がいけないことなの?」
「法がそれを許さないからだ」
「でもそれって、昔のポケモンが作ったんだよね?」
「……」
 確かに、法は所詮完璧ではないポケモンが線引きをしたにすぎない。たとえそれが過去の人権運動やら、差別撲滅やらの歴史から積み上げられたものだとしても。
 もし、もし本当に、怪盗がこれからポケモンたちを笑顔にしていけたら……。

 そのときは、そのときこそ本当に、“犯罪”が“犯罪”ではなくなるのだろうか?



──Steal 3 夜の姿──



 警察とマスコミに予告状を出してから数日。太陽はとっくに地平線の彼方へ消えている。
 世間はいやでも“黒影”について騒ぎ立てているようだった。特に、日にちを置かず再び犯行をするということで、今まで以上にメディアが盛り上がっている。ご苦労なことだ。
 今俺は、獲物のあるビルから少し離れたビルの屋上にいる。
 雑音とともに飛び交う様々な声が流れるイヤホンをはずした。警察の無線を盗聴していれば、完璧までとはいえないがある程度の警備状況が漏れてくる。情報はそこから十分に得ることができた。あとは、獲物を盗むだけだ。
 さて──。
 俺は両手首と両足首に、銀色に輝く薄い腕輪を取り付けた。そして、顔の上半分を隠す漆黒の仮面をかぶる。
 これが俺のもう一つの顔――“黒影”の姿だ。
 この仮面と、手首にまとわりつく腕輪は、俺の気をいやでも引き締め、そして高揚させる。そして、今日はいつもの装備と別に、俺の体をすっぽりと多い隠せる大きさの布を、手に持って広げた。
 ふと眼下をのぞくと、そこから無数のサーチライトが正面のビルを照らしている。風が吹く。追い風だ。今日の作戦を決行するには絶好の風向きといえる。黒い布がバタバタとなびいていた。
「一仕事やるか」
 覚悟は決まった。俺は、一歩足を踏み出して、三十階はゆうに越えるビルから飛び降りた。





 警備員は、完璧な位置に配置させたはずだ。入り口と呼べる入り口は、警官にしっかりと見張りをさせているし、外から壁をじ登られたときのためにも、ビルの周囲には夜目の利くドンカラスや素早いオオスバメが巡回している。ここの警備は元々最新技術を用いているから、あまり私が手出しをすることもない。
 しかし正直なところ、“黒影”にとっては機械によるセキュリティなど紙も同然といってもいい。あの怪盗がどこでクラッキング技術を会得してきたのかは知る由もないが、彼に電子ロックはいっさい通用しない。セキュリティシステムは気休め程度にしかならないだろう。
 そのため、私たちはアメジストの展示してある最上階の部屋の入り口を固めている。“黒影”が堂々と部屋に侵入するとしたらこの入り口からだ。はち合わせることができれば万々歳。たとえ危険な戦闘にもつれこんだとしても、“黒影”と戦う覚悟が私にはある。
「あぁら、エイミちゃんちょっと力みすぎよ」
「マリア刑事」
 私と同じく入り口の警備をしているマリア刑事が、声をかけてきた。頭に白い花弁をのぞかせていて、手にも鮮やかな赤と青の花束を持った、ロズレイドという種族だ。
 マリア刑事は私と同じ“怪盗課”に所属している。ここ最近の彼女は、幾人もの怪盗を刑務所送りにしていて、知名度と信頼が急激にあがりだしている。なので、本来は私が主任であるはずの今日の警備にも、彼女が急遽参加することとなった。
「せっかく美しいレパルダスが、そんな表情してちゃ台無しよ?」
「“黒影”がいつ来るかもわからないんです、緊張しておくのは当然でしょう」
 私は、刑事になったときからずっと怪盗“黒影”を追い続けている。今日こそは、捕まえたい。
 マリア刑事は悠長にも鏡を取り出して、自分の顔を眺めている。
「女はどんなときでも余裕を持たなくちゃ」
「少し余裕過ぎではありませんか?」
「どう構えていても必ず現れる、それが怪盗でしょ? だったら気楽にいく方が得策よ」
「そんなものですか」
「エイミちゃんはまじめねー」
 正直、こうやって大人の余裕を持っていながら、しっかりと何人もの怪盗を捕まえているマリア刑事がうらやましかった。私には、女性としての品格が足りないのかもしれない。
『――な、なんだあれは!?』
「「!」」
 事件以外のことを考えかけていた私の耳に、無線からの声が響いてきた。マリア刑事にももちろん聞こえたようで、二人して筋肉を緊張させる。
「状況は!?」
 半ば怒鳴るように無線に声を吹き込む。
『か、怪盗が現れましたッ!』
「どこから!?」
 常套手段を使った? それとも外の壁をよじ登ってる? いや、それならもうとっくに誰かに取り押さえられているはず……!
『そ……空からですっ!』
「は!?」
 一瞬警官の目が狂ったのかと思った。もしくは、私の耳が狂ったのかと思った。しかし、それが決して聞き間違いではないことが、次の警備員の叫びで証明される。
『く、“黒影”が空を飛んでいます!』
「なんですって……!?」
 二人で目の前の窓に額を押しつけて、警官から随時流れてくる“黒影”の飛行場所の方角を目で追った。すると……!
「まったくとんでもない怪盗ね……!」
 私たちにも目標を確認できた。マリア刑事が感嘆したのだか、呆れたのだかわからない様子でつぶやく。
 “黒影”は、本当に空を飛んでいた。どうやら、お馴染みのコスチュームである両手両足の腕輪に、巨大な布の四端を繋いで、布を凧のように使って飛行をしているようだった。私は無線のマイクのスイッチを入れる。
「飛行警官! 滑空中の“黒影”を追跡、確保!」
 まさか、鳥ポケモンがあんな即席の凧を使って飛んでいる“黒影”に追いつけないはずがない!
 しばらく無線は雑音だけになる。しかし。
『怪盗はビル風の動きを完全に読んでいてこちらと同等のスピードを出しています! 追いつけません!』
「あなたたちは鳥ポケモンでしょ? 凧に負ける気? その筋肉をフル活用しなさい!」
 こう叫んだのはマリア刑事だ。
『無理です! 私たちでも強いビル風には逆らえない!』
「まったく、使えないわね」
 マリア刑事は早々に無線イヤホンを耳からはずした。怪盗はすでにこのビルの屋上へたどり着いている。屋上の扉にも警官は配置しているが、相手は武術すらも一流だ。瞬く間に、痛みもなく急所を突かれて眠らされているだろう。
「予告通り、深夜零時にアメジストを盗むつもりね」
 私は瞬間、新聞の切り抜きで作られた予告状を思い出した。彼の予告状は必ず、私たちをあざけるかのごとく『お勤めご苦労』の文で締めくくられている。
 気づけば私は、歯を強く噛み合わせていた。





 警察も、まさか俺が空からビルへ堂々と侵入するとは思っていなかっただろう。いつもは警察の一人に紛れ込んだり、壁を伝ったりして獲物を盗んでいたが、あのレパルダスの刑事は、さすがにその対策もこなしているに違いない。
 屋上の警備は数こそ多いが、ほかと比べて手薄だった。とはいえ、場にいる警官全員を相手にする気はない。
 俺は凧を操った。扉へ一気に近づく。扉には電子機器によるカードキーロックがかけられているが、本体を壊してしまえば解決することは下調べでわかっていた。閉じ込め防止のために、電源が落ちるとロックが解除される仕組みだ。
 凧に使っていた布を瞬時にしまい、床に落下する勢いを使って、思い切り“リーフブレード”を機械へお見舞いしてやった。それは親切にロック解除のランプを点滅させた後で、煙を立てながら壊れる。
 自動ドアが開かれた。ビルへの侵入に成功する。わらわらと警官が後を追ってくるが、その前に内側のパネルを使ってドアを強制遮断させる。彼らの叫び声も遮断されて、一気に辺りは静かになった。



 地上からみれば、ビルの最上階は一番遠いため獲物を盗みにくく見えるが、上から侵入すれば最上階ほど盗みやすい階は存在しない。俺は空気ダクトから問題のアメジストがある部屋へ侵入することができた。赤外線センサーをよけながら床に着地する。部屋の入り口の外では、女性二人の声が聞こえた。どうやらこの部屋の鍵を開けようとセキュリティ解除にいそしんでいるようだ。厳重にかけたはずのロックが、かえって相手に盗みの時間を与えてしまっている。
 さて、後はアメジストを盗み出すだけだ。俺は例の宝石が展示されているガラスへと近づく。
 だが。
「……ん?」
 ガラスの展示ケースの中に、アメジストはなかった。代わりと言ってはなんだが、ケースの上には、はがきサイズの紙が置いてある。そこにはこう書かれてあった。
『残念でした、またどうぞ♪』
 そして、ケースの中には黒い四角形の物体……。

「爆弾!?」

 反射的に飛びのいたときにはもう遅かった。爆弾がガラスケースの破片を粉砕させるほどの小規模爆発を起こしたかと思うと、部屋の中の警報がけたたましく鳴り出した。
「開いたッ!?」
 そして、入り口近くでは驚いたような口調のレパルダスと、その横には見慣れないロズレイドがいる。最悪だ。警報が作動したことで入り口のロックが解除されたのか!
「いたわ! 怪盗“黒影”! 観念しなさい!」
 いつも俺の前に立ちはだかるレパルダス──確か名前は、エイミ刑事だったか──が走りながら俺へ叫んだ。ふざけるな、こんなところでのこのこ捕まってたまるか。
 床に落ちている先ほどのカードを無造作につかみ、跳躍して空気ダクトに再び飛び込んだ。そのまま先ほどと全く同じルートで屋上の入り口を飛び抜け、屋上へ──。
「──どこへ行こうっていうの?」
 屋上には、すでに大量の飛行警官の姿があった。俺の背後にはエイミ刑事とロズレイドが迫ってくる。
「おっと、まずい」
 絶体絶命。この状況は俗にそう呼ばれることだろう。
「怪盗“黒影”! あなたを逮捕します!」
「ご苦労なことだ。だが、その台詞はまだ早い」
「逃げ道なんてないわよ!」
「逃げ道はな、そこにあるんじゃない」
 俺は、背中からピンポン球サイズの球体を握る。
「逃げ道は作るものだ!」
 俺は、球体を地面に投げつけた。刹那、それは強力な閃光を放ち、警官たちの視界を奪う。
「閃光弾ッ!?」
 走る。全速力だ。ためらいもなくビルから飛び降りて大の字の姿勢になる。再びビルの間を滑空する。
 とっさに手足へ凧の四隅を取り付けておいたのは正解だった。
「お勤めご苦労!」
 俺はなんとか空中から、まだ視力の回復していない警官たちに叫んだ。しかし、俺が余裕の表情を装って余裕の声を出せたのはそこまでだったのは言うまでもない。
 盗むはずのアメジストがなかった。つまり、アメジストを盗めなかった。

 依頼は、失敗した──。

ものかき ( 2013/07/14(日) 00:45 )