怪盗という仕事
Steal 2 怪盗の仕組み
 公園は静かだった。長めのベンチの右端に俺、左端にヨノワールが腰掛けている。俺たちの間には中型ポケモン一匹分のスペースが空いていた。
「さて、では昨日のご依頼のお話からいたしましょう」
 ヨノワールはアタッシュケースをベンチの上に置いて、ロックをぺちんとはずす。
「昨晩のあなたの犯行は見事なものでした。依頼主様も期待以上だと驚いていらっしゃいましたよ」
 返す言葉など出てこない。身も心も肥えきって、こんな“犯罪娯楽”に興じるしかない依頼主どもにはな。
「報酬の方なのですが、これが明細となります」
 奴が紙を手渡してきたので、俺はその方を見ずにひったくった。文字を確認しないで細切れに破り、風に乗せて捨てる。
「おや、確認なさらない? 困りますねぇ、必ず目を通していただかないとこちらとて帰れないのですが」
「じゃあ一生戻らなければいい」
「ではあなたに一生ついていきましょう」
「やめろ考えただけで身の毛がよだつ」
「では、明細を読ませていただきます」
 気づけば舌打ちをしていた。
「依頼主様からの報酬は×××ポケでした」
 一戸建が丸々買える額だった。
「今回はそのうちの四十パーセントを私ども“仲介所”がいただきます」
 ぼったくりもいいところだ。
「ですので、本来残りの六十パーセントがあなたの元へ振り込まれるのですが……」
 様子を伺うかのごとく、ヨノワールがぬらりとこちらを見た。気持ち悪くて仕方がない。
「わかっている」
 間をおかずに俺はそう言ってやる。
「かしこまりました。あなたへの報酬の九割五分を、お父上の損害賠償分として充てさせていただきます。ご了承くださいませ」
 白々しい。ご了承もなにもない。最初から搾れるだけ搾り取るつもりだったくせに。まぁ、それはいい。とりあえずこれで家賃の滞納分と、当分の生活費と、マルへの小遣いが入ったわけだ。
「……ふん」
「ちなみに今までの返済分をトータルすると、あなたお父上の賠償額のうちの二パーセントが返済されました」
 余計なことを言ってくれたおかげで、一気に肩へ見えない負荷がかかったような感覚におそわれた。
「以上が明細になります。報酬はいつもの口座へ振り込んでおきました。“仲介所”のご利用まことにありがとうございます、“黒影”様」



――Steal 2 怪盗の仕組み――




 改めて言うまでもないが、今やこの世界に怪盗は当たり前のように存在している。そして、怪盗の数がここ数十年で増えたことで、他にも増えたものが二つがある。
 一つは何らかの理由により、とあるターゲットから怪盗に何かを奪ってほしいと頼む依頼人たち。
 二つは、怪盗の犯行を“エンターテイメント”として鑑賞したがる依頼人たちだ。どちらかというと前者は社会的に非力な者が多く、後者は私腹を肥やした金持ちが多い。
 しかし問題なのは、クライアントが怪盗と接触する方法を知らないことにあった。
 いや、なにもクライアントだけの話ではない。ここ最近で爆発的に数が増えた怪盗たちにも同じことが言える。
 大怪盗とまで呼ばれるベテランなら、本当に自分を必要としている依頼主を自ら探す観察眼が存在する。が、成り上がりの怪盗では盗みの方法以前に、依頼をもらう方法すら知らないという始末だ。
 そんな依頼主と、怪盗たちを引き合わせる組織、それが“仲介所”だ。
 文字通り、怪盗とクライアントを仲介することを主な仕事としている。だが、その組織の全貌も、規模も、具体的にどういった方法で依頼人と怪盗を引き合わせているのかも全く不明だ。現に、俺は目の前にいるヨノワールの名前すらも知らない。
 一言で言うと、彼らは得体が知れない。
 もちろん、“仲介所”ができたことで怪盗の活動も活性化され、つまるところ社会の景気を良くしたとも言えるのだが、俺は一刻も早くこいつらとは縁を切りたいと思っている。
 “仲介所”に所属する怪盗には、不文律がある。
 ひとつ、“仲介所”を裏切らないこと。
 ひとつ、“仲介所”から逃げ出さないこと。
 この鉄則さえ守ることができれば、たとえ言葉を覚えたての赤ん坊だろうと、八十を越えた老人だろうと、実力さえあれば所属することができる。
 だが、もし逃げ出そうなどと考えれば、次の日の太陽を拝めることはないだろう。いかなる方法を使おうとも──密告しようと、告訴しようと、ただ無言で去ろうとしても──彼らの未知なる情報網で所在を暴かれ、必ず消し去られる。
 そんな組織と関わっていては、早晩不思議荘の人たちにも被害が及ぶだろう。だが“仲介所”の不文律に加え、こいつらに逆らえない俺だけの理由がある。
 そのしがらみに、全身を縛り付けられている。

「私は、長年あなたのお父上の専属仲介人をしておりました」
 話せとも言っていないのに、ヨノワールはぽつりと語り始めた。いかにも感慨深く語っているように見られるが、白々しさが全面ににじみ出ている。
「あなたのお父上はまさに、生きた伝説にふさわしい大怪盗でした。お父上がこの怪盗社会の先鞭だったと言っても過言ではありません。しかしながら、“黒影”様。あなたもお父上と同じほどのすばらしい手腕をお持ちです」
「微塵もうれしくない」
 そう、俺が“仲介所”に逆らえない理由は、紛れもなく大怪盗とやらだった父にある。
「お父上があんなことをしなければ、親子でさらに怪盗社会の隆盛に貢献するところを見ることができたものを……私はとても残念です」
 あんなこと。
 そう言われても、父がいったいなにをしたのかを俺は直接目撃したわけではない。それどころか、俺は生まれてから一度も、父を見たことがない。
 あいつは……俺の父とやらは、“仲介所”から、依頼を掛け持ちするだけ掛け持ちして、ある日忽然と蒸発したのだという。行方をくらませた父を、その後見た者は誰もいない。もう十何年も前のことだそうだ。
 もちろん“仲介所”は血眼になって父を捜したらしい。だが、いったいどんな手を使ったのか、組織の情報網をもってしても父の居場所を探ることができなかった。
 “仲介所”はあらゆる手段を講じた。あげくには彼の家族や身内を探し出して、人質にするかもしくは殺してさらしものにしてから引きずり出そうとも考えたそうだ。しかし天下の大怪盗は、家族や身内すらも巧妙に隠していたという。
 “仲介所”はついぞ、父の捜索を諦めざるを得なかった。後に残ったのは、彼が受けた膨大な依頼の処理をどうするかという問題だけであった。(被害の額は相当なものらしいが、俺はその額を聞かないようにしている。聞いたらおそらく失神してそのまま昇天するだろう。)
 そこで、白羽の矢が立ったのが俺だった。
 俺は生まれてからの数年間、ろくな生活をしてこなかった。理由は簡単だ。とんでもなく治安の悪い場所で生まれ育ったからだ。家になど住んだこともなかった。その日一日、雨風がしのげる場所があれば万々歳だった。食べ物は盗みでもしなければ得ることができなかった。
 だが、皮肉なことに、当時父を捜すことをあきらめていた“仲介所”は、巧みに食料を盗むとんでもないキモリがいるという噂を聞きつけて、俺が大怪盗の息子であるということに気づいたという。これは“仲介所”にとって奇跡以外のなんでもなかったそうだ。その噂のキモリと父との関係は、把握していたわけではなく全くの偶然だったのだ。
 組織はすぐに俺を連れていって、父をおびき出すための材料にしよう、とは思わなかったようだ。そんなことをして大怪盗が現れるのなら、今までの方法で現れただろう。
 こいつらは、さらに数年がたち俺が物事をある程度わかるような年齢になった頃、初めて俺の前に現れた。
 父が残していった被害額を、俺が怪盗となって返済しろと言ってきたのだ。おそらく、もう父は死んでいるとでも考えているのだろう。
 “仲介所”がもし本気を出したらどうなるか、しばらくしてさんざん思い知らされることとなった。俺がもし、あそこで逆らっていたら……俺の大切な居場所が、大切な者たちが、笑えてしまうほど簡単に雲散霧消していたに違いない。
 いや、その状況は今になっても変わっていない。俺がもし今後一度でも、“仲介所”からの依頼を失敗しようものなら、不思議荘がある場所は明日にでも更地になっているだろう。俺は今、会ったことも見たこともない父の借金返済のために働いている。
 本来“盗み”というは、盗むしかない状況に追い込まれてやむおえず行うものだと俺は思っている。
 俺はまっとうな職に就きたい。年相応に学びたいなんてわがままを言うつもりはない。ただ、借金返済をするにしても、まっとうな職で得た金で返したい。
 俺は盗みが嫌いだ。ましてや、半ば娯楽化している“怪盗”など……もってのほかなんだ!
 今までのバイトは、シフトを入れた後から盗みの依頼が重なってしまって辞めさせられてきたが、いつか必ず近いうちに就職をして、怪盗から足を洗ってやる。


「ところで」
 もう用もないから帰ろうかと思っていたときだ。そのタイミングを見計らったかのようにヨノワールが新たな話題を切り出す。
「なかなかよいご依頼がありますが、どうなさいますか?」
「……は?」
 まさかいきなりそんな話がでるとは思わなかった。
「断る。俺はつい昨日仕事をしたばかりだ」
 短期間の間に何回も仕事をすることは、怪盗をやっていく上で非常によろしくない。それは仲介自身もよくわかっているはずなのだが……。
「おや、いいのですか? いつもより割のいいご依頼ですよ? 借金返済の手だてになると思って親切に紹介しているのですが……」
 目がおもいっきり笑ってやがるぞ、このカマトト野郎。
「というのもですね、最近は私どもが仲介しているこの地域の怪盗が、よくご依頼を失敗なされていましてね。全体的な依頼額のレートが上がっているのですよ」
 依頼の失敗?
 訳の分からない話だ。レートが上がるほど依頼が失敗しているとなると、警察か、あるいは他の……いずれにせよ何らかの人為的な力が加わっているのかもしれない。どちらにせよ、俺の直感が今は仕事をするなと言っている。
「それでも、今回は断る」
「おやおや、さようですか。残念ですねぇ」
 ヨノワールは音もなく立ち上がる。
「しばらくこの依頼はストックしておきますので、気が変わりましたら……」
 そう言って奴はアタッシュケースのふたを閉じた。そして幽霊ポケモンらしく、音もなく俺の前から姿を消した。
 俺はベンチの背にもたれ掛かって、今は真っ青な日曜の空を仰ぐ。

 なにか、いやな予感がする。





 マルに謝らなければ。そう思いながら、俺は不思議荘へ戻ってきた。しかし、先ほどヨノワールが立っていた場所に、今度は別の先客が立っている。
 見知らぬ奴らだった。二人組のコマタナのようだ。コマタナたちの向かいには、ティオさんとアフトが、険しい表情で話している。いや、入り口を塞ぐように立っているといった方がしっくりくる。
 俺の胸に、何か不穏な感情が渦巻いた。これを見ただけで状況はよくわかった。おそらく、あのコマタナ二人は、俺の居場所を壊そうとする連中だ。気づけば俺は、気配を消してコマタナたちの背後にゆらりと立っていた。
 ティオさんとアフトは、俺の出現に対して同時に驚いた。コマタナたちは、俺に気づかずにしゃべり続けてる。
「だから、親方がこの場所を気に入ったっていってんだろうが。こんなぼろっちい宿を捨てて立ち退けっていってんだよ」
「サツに言って解決しようったって無駄だぜ。サツには親分の息がかかってる。親分にさからったら怖いぜ?」
「怖いというのは」
「「!!」」
 俺が声を上げるとやっとコマタナたちは気づいたようだった。だが、振り向く前に俺は両手の葉を二人の首もとに押しつけている。
「このぐらいのことはするような親分なんだろうな」
「ひっ……!?」
 俺が押しつけた葉は緑に発光し、鋭利に光っている。いくら鋼をまとっているコマタナとは言え、いまならこの刃で首を飛ばすこともできるだろう。
「さっさと失せろ。手違いでうっかり刃が動いてしまう前にな」
「す、すいません……!」
「もう来ません……!」
 コマタナは、さっきの大きな態度からは想像できないような声音でそう言うと、光の速さで俺たちの前から逃げていった。
「ありがとうナイル君、助かったよ……!」
 そう言ったアフトの足が笑っていた。





 夜。テーブルには俺とアフト、ティオさんが座っている。マルはティオさんの後ろに隠れるように縮こまっていた。上の部屋で待ってろと言ったのだが、そばにいたいと泣きじゃくって聞かなかった。仕方がないから、マルも一緒に会議に参加させることとする。
 事の一部始終を聞いた俺は、思わず頭を抱えていた。
「ここを壊して邸宅を建てるから立ち退け?」
「そうなんだよ。どうやら彼らは有名どころのマフィアか、ヤクザとかのたぐいだと思うんだけど……」
「マフィアはまた違うと思うけど」
 律儀に訂正するティオさんの横で、俺の脳内では、『海の藻屑にしてやろうかエェ!?』と叫ぶサメハダーが泳ぎ回っていた。
「しかし、警察も彼らの息がかかっているとなると、やっかいなこときわまりない」
「どうやら、ここの立地をその“親分”とやらが気に入ってしまったようだ。ナイル君のおかげで今日は事なきを得たけど、ああいう類はもう来ないと言っておいて、明日には大所帯でくるパターンさ……」
 さすがの好青年アフトも、これには頭を抱える始末のようだ。
「なにか手はないのか」
「あのコマタナ二人組は、」
 と、これにはティオさんが発言する。
「冗談半分で、『もし俺たちに大金でもおさめてくれりゃあ、手を引くことを考えないこともねぇがなあ』とは言っていたけど……」
 ぴくっ、と。不覚にもテーブルの上に置いた俺の指が条件反射を起こしてしまった。
「それは、本当なのか」
「本気かどうかは、わからないわ。でも、お金で解決できるのなら、明日からでもどうにか働いて……」
「ティオママさんがそこまでする必要はないよ!!」
 目を細めて意気込むティオさんに、アフトがあわてて止めにかかる。……ティオさんは本気だ。彼女は第二の大家でもある。そして、彼女はやるといったら必ず実行に移す屈強な意志を持っている女性だ。
「それに、彼らの言うことがまともなわけない。反故にされるに決まっているよ。落ち着いてもっと他に手を考えよう。何かあるはずだよ」
「……マル?」
 俺は、ふとテーブルの近くの床で何かをしているマルを見た。他の二人も同じ方を向く。マルは、恐れているのだろうか。コマタナたちが来たとき、ティオさんはマルを俺の部屋へ押し込んでいたそうだから、直接コマタナを見たわけではない。しかし、恐怖というものは伝染する。もしかしたら、敏感な子供であるマルは、その恐怖を感じ取っているのかもしれない。
「マル、なにをやっているんだ」
 マルは、紙に何か必死に文字を書いているようだった。俺はそれをのぞき込む。黒いクレヨンで、画用紙に書いていた文字は……。
「あのね、マルね、“黒影”にお願いするの」
「……っ」
 怪盗“黒影”への“依頼”だった。
 胸の鼓動が高まった。もちろん、いい気分という意味ではない。
「“黒影”にね、お金を盗んでぼくたちを変な人から助けてくださいって、お願いするの。“黒影”は優しい怪盗だから……“ぎぞく”だから、きっとね、これを見たら、助けてくれると思うの」
「マル……」
 ティオさんが小さく息子の名を呼んだ。
「マル、もう寝ましょう? 明日から学校でしょ? 怪盗さんには、私からも頼んでおくから、ね?」
「早く寝るいい子にしか、“黒影”は来てくれないぞー!」
「きゃぁあっ!」
 アフトが、そう言いながらマルを追いかけるふりをした。マルは笑いながらアフトの手を逃れて、ティオさんと一緒に自分の部屋へ戻っていった。
「マルは、“黒影”が怪盗の中で一番好きだったっけ」
 残された広間は静かだった。蛍光灯のティンという点滅音だけが響いていた。
「怪盗は、決して善人ではないのだけれどね」
 そんな中、アフトの言葉だけが妙に大きく、俺の脳天に響いていた。





「おやおや、あなたから私を呼び出すとは、珍しい」
 ホーホーも寝静まった夜。俺はもう一度ヨノワールと会っていた。
「あの依頼。しばらくストックしていると言ったな」
「はい?」
 俺の言葉を聞いたヨノワールは、何とも見るに愉快な顔をしていた。俺はそんな表情にいちいち癇癪をたてる時間も惜しかった。言いたいことは、一言だけだ。

「気が変わった。その依頼、受けよう」

ものかき ( 2013/07/08(月) 20:53 )