Steal 1 “プー太郎”
闇夜の間を縫い、数々のセキュリティと包囲網をもろともせず堂々と盗みを行うモノ。そして、彼らの活躍を心から待ち望んでいるモノ。
この社会は、怪盗という存在がエンターテイメントとなりつつあった――。
――Steal 1 “プー太郎”――
朝っぱらからめざまし以上にやかましい奴が騒いでいるようだった。近所迷惑、騒音被害、安眠妨害……様々な単語が頭の中を飛び交うが、なんにせよ今俺は眠気に従順であったから、別段そいつの叫びに反応しようとも思わなかった。
「おーーーきーーーろーーーーっ!」
そう、それが甲高く耳に響く子供の声だったとしても、俺の眠気には勝てない。
「起きろプーたろーー!!!」
そう、それが無職の者をからかう単語だったとしても、俺の眠気には勝てない。
「んもぅーー! プーたろーったら! ……よし、こうなったら……」
そう、それが何か不穏なことを考えるそぶりの発言だったとしても……。
「とぅっ!!!」
いや、まてそれはさすがにまずい……。
「ぐふぅっ!?」
「起きろーーーー! 朝だぞーーーー!」
俺の腹に、例の目覚ましよりやっかいな奴が飛び乗ってきた。いくら掛け布団という緩和材があるといえ、空っぽの胃の中から胃酸が飛び出そうになった。
ああ……たぶん吐く……。
「プーたろーってばぁああ!!」
「わかった。わかった。わかったから耳元で叫ぶな……」
俺はなんとかそいつの叫びを止める。我ながらつぶれたひどい声だったが、肺を圧迫されていたのだから仕方がない。
朝の日差しは、ねぼけ眼には少々きつかった。チカチカと痛む目をどうにか無理矢理にこじ開けると、目の前にはもふもふとした白と茶色の毛並みがある。
「やっとおきたねプーたろー!」
遺伝子ポケモンのイーブイと呼ばれるポケモンだ。まだ幼いその年相応に、元気はつらつで、むしろ少々やんちゃすぎるほどだ。
「……プー太郎とはなんだ」
「プーたろーはねぇ、うんとねぇ、ナイルお兄ちゃんみたいな仕事してないで昼までぐうぐう寝てるヒトのことをいうんだって!」
「そんなことは知っている」
いったい誰からそんな単語を吹き込まれやがった? こいつの母さんか? それともあんさんか?
「重い。起きられない。降りろ」
「ふふん」
自分のおかげで俺が起きられたのがご満悦だったのか、やかましい目覚ましはやっとこさ腹から飛び降りた。顔としっぽが得意げになっている。起きあがると腹が痛い。なかなかに痛みの余波が強くて困る。
とりあえず俺は布団を片づけた。先に敷き布団を三等分にし、そのあと掛け布団を放る。老朽化の激しく禿げ逆立った畳が、俺の歩調にあわせてぎしぎしと音を立てた。
「おはよう、ナイルお兄ちゃん」
「マル、学校は?」
「お兄ちゃん今日は日曜日だよ……」
「ああそうか」
マルのため息がいちいち大げさだった。
部屋から階段を下りて居間へ向かう。
下宿というのも今ではとても珍しくなった。部屋はそれぞれあてがわれているものの、台所や居間、風呂やトイレは共同なのだ。木造で、築五十年は有に経っている。いつ天井が崩れ落ちてもおかしくはない。次の冬の雪の重さに、果たして耐えられるかどうかも怪しい、といった状況だ。
それにしても、この下宿はそんなもろい構造をしていながら、なんだかんだで取り壊されていないのだから不思議だ。ちなみに、今述べたこととなにも関係はないが、この下宿の名前は“不思議荘”と言う。縁側から見えるささやかな庭が自慢の、古き良き家屋である。
空き部屋がそれなりにあるので、絶賛入居者募集中とのこと。いつ天井が崩れ落ちるかわからないスリルを味わえる。
俺はいつものように不思議荘の居間のテーブルに腰掛けた。ありがたいことに、ここでは毎日朝飯をまかなってくれている。マルの母親の手作りだ。
と、テーブルには先客がいた。俺の正面に座っているヌマクローだ。その先客が俺を見て、爽やかに片手をあげる。
「やっ、おそようナイル君。夜勤明けかな?」
「まぁそんなところだ」
「新しい長期を始めたの?」
「いや単発」
「それは残念。しかし相変わらずひどいクマだね」
「そっちは相変わらず爽やかだなアフトのあんさん、マルのボキャブラリーをまた変に増強しやがって」
アフトの全身から放たれるキラキラした爽やかさが妙に癪にさわったので、一呼吸でそう言ってやった。彼は苦笑するが、そんなところまで爽やかすぎる好青年なのがアフトだ。ちなみに彼は公務員であり、顔と性格と職業、どれをとっても好青年というわけだ。
アフトは社会人になっても変わらず、この下宿を借り続けている。どれくらいかと言われれば、俺が不思議荘に来るより前からだというのだから、古参も古参だろう。
「プー太郎のことかい? それなら濡れ衣だよナイル君。今回は僕じゃない」
「じゃあ誰だ」
「私」
と、俺とアフトの会話に割り込む声があった。美しい女性の声だ。三人同時にその声の方を向く。
白とピンクを基調とした体に、リボンとも布ともわからないひらひらとした帯が垂れている。ニンフィアという種族で、マルの母親だ。名前はティオさんという。
現在、不思議荘の住民は俺を含めこの四名だ。ティオさんとマルは親子だが、二人とあんさんも、あんさんと俺も、二人と俺も、だれも血は繋がっていない。
「ティオさん、頼むから変な言葉をマルに吹き込まないでくれ」
「あら、だってナイル君がプー太郎なのは本当のことじゃない。ねー?」
「ねー!」
ティオさんとマルが顔を見合わせてうなずきあっている。親子してなんてことだ。
「いつまでもすねてないで早く昼ご飯をすませてしまいなさいな」
「彼には朝ご飯ですよ、ママさん」
「あらやだ、ごめんあそばせ」
親子二人だけでも面倒なのに、アフトがさらに調子を合わせてきた。こうなったら俺に勝ち目などない。ただ黙って遅めの朝飯を咀嚼するだけだ。
俺だって、好きで無職やっているわけではないのだが。
「いやしかし、今日の新聞も怪盗の記事で踊ってるねぇ」
一足先に昼飯を食べ終えたアフトは、マルが床に広げて遊んでいる新聞を眺めながらぼやく。マルは束になっていた新聞を盛大にまき散らしていた。
「マル、新聞を散らかすのはやめなさい」と、ティオさん。
その中の一枚が俺の足下にもすべってくる。一面だ。そこには『怪盗“黒影”がまたもや出没! 警察為すすべなし』と大きな文字があった。
「そうそう、これだよ」
アフトはその記事を持ち上げて難しい顔をする。
「昨日は別の怪盗がへまやらかして捕まったっていうし、今日は今日で大怪盗“
黒影”がまた予告通り盗みに入ったらしいね。ナイル君どう思う?」
「どうもなにも。有名だろうとただの犯罪者だ」
「手厳しいねぇ。まぁ本当にその通りなんだけど」
この世界は今、犯行予告を出し、その通りに盗みをしてみせる怪盗の存在でにぎわっている。あまり住み心地がよくなくなってしまったこの社会で、数十年の間に急速にその数が増えだしたのだ。
姿がかっこよく(例外もいる)、警察もかなわない手腕(例外もいる)で、“弱きを助け強きをくじく”という大義名分で金持ちから金銀財宝を奪う義賊(例外以下略)。
景気も悪く、“ハッピーニュース”が流れてこないこの時代、皆が怪盗に幻想を抱き始めたのだ。この暗澹たる社会に光を灯す存在として、である。
世間は、犯行当日となればテレビ中継にかぶりつく。盗まれる側は、躍起になって警備会社に多額の金を積む。怪盗が現れたその裏では、果たして本当に盗みが成功するのかどうかが、賭博という形で議論される。有名どころの怪盗になると、関連グッズの売れ行きも好調だ。
奇しくも、怪盗という犯罪行為がむしろこの社会の景気を好転させるにいたってしまっているのだ。そして、ポケモンたちの心も。
今、怪盗の存在で一番頭をやなませているのは、盗まれる被害者と警察関係者だけであろう。だがその幻想は、一般人を盲目にさせている。怪盗は、どこまで行っても、どれだけ偉大でも、犯罪者でしかないのだ。
「ぼくは“黒影”すきだよー! だってかっこいいもん!」
「ふん、ばかばかしい」
「あ、お兄ちゃんが鼻で笑った! むぅ!」
もう俺は考えるのをやめた。最後の味噌汁を喉へ流し込む。
「ねぇお兄ちゃん? 今日も“はろーわーく”にいくの?」
「ぶっ!?」
味噌汁を盛大に吹いた。
「マル……!」
俺はまたおかしな(いや、文脈上は全くおかしくはないのだが)発言をしたマルを凝視した後、大人二人をおもいっきりにらんだ。二人はサッと視線を逸らす。
「貴様等いったい今度はなにを教えやがった……!」
*
視線をおろすとそこには自分の顔が紙に張り付けてある。これを見た不思議荘の住民は、声をそろえて「どうしてにらんでいるのか」と聞いてくるが、決してにらんでなどいない。
その紙にはほかにも名前、種族、年齢、住所など様々な事柄が書き記されている。
「残念ですが……」
そんな俺のプロフィールを手に持ち上げて見るそぶりをした後、デスクを挟んで俺の目の前に座っているビーダルはめがねを外したりかけたりした。
「ナイルさんに紹介できるような職は今のところありませんね……」
「……そうですか」
毎日のように聞く言葉だった。落胆もなにもあった訳でもないが、プー太郎という言葉をマルが知ってしまった今日だけは、そりゃあ声のトーンが若干落ちたりもする。
「あなたのような若い方なら、職を案内する間バイトでしのぐこともできるでしょう。がんばってください」
「……バイト、ね」
つい一昨日クビにされたばかりだ。通算五回目のクビだったが、理由はやはり過去四回と変わらない。仕方のないことなのだが、まぁ、なんというか、自分以外の者のせいでこんなことになるのはまことに不愉快でならない。
俺の席の後ろには、俺と同じような境遇のポケモンが列をなしていた。それをみた後で俺はビーダルを見る。案の定彼は「あとがつまっているので」と言いたそうな顔をしていた。
俺は立ち上がった。ため息しかでなかった。
道を歩いていると、名門らしいなんとか大学の校門が、視界の端っこに入り込んできた。学徒の門をくぐるのは、俺と年の近い者たちばかりで、まぁだからといって別段何か思うこともないのだが。
とぼとぼと不思議荘へと歩を進める。早くまっとうな職に就きたいというのが本音だ。まさか、学びたいというわがままが通ると思っていない。今不思議荘へ滞納している家賃のことを考えると、そんな感情は押し殺していかないと、と思う。下宿の住民は暖かい人たちばかりだが、俺はあくまで“住まわせてもらっている”のだ。そこを決して勘違いしてはいけない。
「あ! お兄ちゃーん!」
太陽も南から少しずれて、一番気温の上がる時間帯になった頃。不思議荘へ戻ってくるとマルがこちらへ走り寄ってきた。俺を門の中へ入れようとする。
しかし。
「ヨノワールのおじさんがきてるよー!」
そいつの名前を聞いた瞬間、そいつの姿を見た瞬間、俺のすべての動きと思考が止まった。マルが俺の手を引っ張ろうとするが、足が動くはずなどなかった。
「――お邪魔しております」
そいつは、のうのうと不思議荘の門をくぐり、下宿入り口の前に立っている。手にはアタッシュケースを提げていて、一つしかない赤い目玉が、不気味に光っていた。
「なぜ、門をくぐった」
マルは、俺の声を聞いてその手をそっと離した。ヨノワールは肩をすくめる。
「あなたがいらっしゃらなかったもので、門の外で待っていようと思ったのですが、この坊やに招かれましてね」
「あ、お、お兄ちゃん……」
「今すぐに出ろ。ここへ一歩たりとも踏み込むな」
なぜ、なぜこいつはわざわざ俺の家まで……。俺がいなかっただと? 探そうと思えば、俺でなくともどんなポケモンでも探し当てられるくせに!
「やれやれ、あなたの形相に坊やがおびえていますよ」
ヨノワールは白々しくそう言って俺の前まで来る。そして、おびえるマルの頭にその汚い手を乗せやがった。
「また来ますからね」
俺の全身、頭に伸びている長い葉の先まで、怒りと緊張が走っていた。マルに乗せているこいつの手を、今すぐにでも斬り落としてやりたいくらいだ。
「ここでの会話はお望みではないようだ、場所を移しましょうか」
ヨノワールは俺に笑みを浮かべていた。お前のすべてを知っているぞ、と言っているような目だ。いや、実際、こいつは俺のすべてを握っている。
「……お兄ちゃん」
「マル。家でおとなしくしてろ」
気づけば歯ぎしりをしていた。
今の俺は、どんな顔をしているのだろう。きっと、ここの人たちには見せてはいけないような顔だ。
すまない、マル。
*
俺とヨノワールはしばらく無言で歩いていた。俺の後ろ三メートルぐらい後をあいつが音もなくついてくる。俺が離れろと言ったからだ。
そして少し経つと、俺たちは公園のベンチに腰を下ろした。ポッポなど鳥ポケモンのフンがついていて、お世辞にも綺麗とは言いがたく、昼過ぎにも関わらず誰も訪れることのない公園だ。つまり、誰にも聞かれずに会話をするには絶好の場所と言える。
「あそこには近づくなと何度も言ったはずだ」
「あの坊や、なかなかいい子ですね。顔を覚えていてくださって、お茶を出すとも言ってくださいましたよ」
「ふざけるな」
先ほどからこいつといると妙に血の巡りが早くなる。冷静になれ、相手はあのヨノワールだ。
「何か勘違いをなさっているようですが、私にはあなたの命令を聞く義務などありませんよ」
今度は逆に、体から血の気が引いた。思わずヨノワールを見る。
「いつでも、私どもは見ていますからね。あなたのことも、あなたの居場所も」
俺はなにも言うことができなかった。
そうだ、こいつは……いや、こいつらは。いつだって俺の居場所を壊すことだってできるんだ。そんな奴と、俺は関わっているんだ。
「そのことをお忘れなきように――」
そうだ、忘れてはいけない。
俺はまっとうなポケモンではないこと。俺はどこにも身を寄せてはならないこと。そして俺は、不思議荘の彼らとの一線を越えてはならないこと。
「――“黒影”様」
俺が、怪盗だということ。