Steal 9 対峙
相手は怪盗の獲物を横取りするような性格の怪盗だ。そんな奴がわざわざ正面玄関から逃げ出すという図を、俺はどうしても想像することができなかった。もし俺が怪盗“スナッチ”だとしたら、逃げるためにどこを通るか……。
──Steal 9 対峙──
ビルの最上階へ行ったかと思えば、すぐに地上一階へとんぼ返り。いくら不思議荘の存亡がかかっているとはいえ、まったくもって面倒なことになった。
なにもかも“スナッチ”が悪い。“スナッチ”がアメジストを横取りしたことがすべての元凶だったのだ。あのロズレイドめ。
階段の壁には“1F”と表示されている。やっとこさ最上階から一階へ降りてこられたわけだが、俺はそのまま地下へ通じる階段へ向かった。
まさかあの“スナッチ”が、地上一階の正面玄関から逃げるとはどうしても考えられない。だとすると、彼女は地下の駐車場を通って逃げるはず。彼女がホテルを出て姿をくらませる前に、なんとしてでもここでくい止めたい!
果たして、俺が地下駐車場へたどり着いた時、怪盗“スナッチ”は地下出口から外へ飛び出す瞬間だった。
駐車場を警備しているはずの警察官は、マリアによって伸びてしまっている。身内、もとい上司の予期せぬ行動にとっさに反応できなかったものと思われる。しかし、これだけ多くの人手を動員して置いて駐車場の警備がここまで少ないとは……エイミ刑事の引く警備体制にはどれだけムラがあるんだ。
まぁ、いまは警備体制云々などどうでもいい。
「待て!」
俺は、怪盗“スナッチ”に向かって叫びながら、出口の前に立ちふさがった。ロズレイドとジュプトルの、種族の差もさることながら、俺の足の速さをマリアが上回るということはまずない。
彼女は俺に聞こえるか聞こえないかといったぐらいの舌打ちをし(もしかしてわざと俺に聞こえるようにやったのか)、すぐに不敵な笑みをこちらへよこす。
「あら、しつこい男は女に嫌われるのよ」
「獲物を横からかすめ取る女も、男どもはおろか女からも嫌われるぞ」
「あらそう。……まあいいわ」
この期に及んでも余裕綽々とした表情だ。いったいどこにそんな自信を隠し持っているのだろうか。もしや、まだこいつは自分が優位な状況に立っている思っているのか?
「一つ教えてくださる? どうして私が怪盗“スナッチ”だとわかったのかしら?」
「種明かしは俺の趣味じゃないんだが」
そんなことよりさっさとマナフィ像とアメジストを奪い返したいのだが……。
「あら、いいじゃない。それとも怪盗“黒影”様は、種明かしもできないほど心の余裕がないのかしら?」
「……まあ、いいだろう。今まで怪盗“スナッチ”の正体にすら気づかなかった自分が信じられないくらいだしな」
考えてみれば実に単純な事だった。
事前に犯行予告をした怪盗の獲物を横取りする、自称「怪盗の怪盗」。セキュリティや難易度といった盗みの条件は全く一緒のはずなのに、なぜか怪盗の行動を二つも三つも先回りすることができる、一見恐ろしいように思える相手。
だが、発想を転換すると実にあっけなく正体が分かった。
「怪盗“スナッチ”が仮に、警備状況やセキュリティの解除方法、獲物の情報や相手の怪盗のことまですべて筒抜けに知ることができる立場だとしたら?」
皮肉にもそれに気づいたのは、あのくそったれな仲介と会話をしているときだ。
『まぁ正直に申し上げると、普段はただのフリーターであるあなたが手に入れられるような情報なのですから、そこまで難しいことでもなさそうなのですが……』
『ふざけるなよ、たかが一般人である俺が、企業秘密だらけのセキュリティや盗品の情報をいったいどれだけ苦労して集めてきていると思って──』
そう、怪盗“スナッチ”が俺と立場の同じ一般人であれば、情報収集能力で俺が劣るということはまずない。だが、企業秘密ですら簡単にわかってしまう立場にそいつがいたとすれば? そんな立場まど、まず一つしかない。
怪盗“スナッチ”は、警察官だ。
「そこまでたどり着けば、今までのこと全部がすんなり納得できた。あの馬鹿げたカードのからくりも、警備が厳重な状況でアメジストを盗み出せたからくりも」
盗みに失敗したあの晩、盗もうとしたアメジストがガラスケースの中に入っておらず、代わりにカードだけがあったのは、マリア刑事が事前に獲物の場所を移していたからだ。
鑑識を装って現場を見たとき、『残念でした、またどうぞ♪』のカードは、爆発して粉々になったガラスの下にあった。それにも関わらず、“スナッチ”が警察各位に向けたメッセージカードは、散乱したガラスの上にあった。駆けつけた警察に紛れてカードを放ったからだ。そんなことが可能なのは同じ警察官だけだ。
「あら、だからといって、警察官は私以外にもたくさんいるわよ? それこそ、エイミ刑事なんか容疑者筆頭にあげられれるんじゃないのかしら?」
「あんた、警察内じゃ怪盗を大量に捕まえて腕利きの刑事だと言われていたみたいじゃないか。ちょっと気になって、あんたが警備を担当した怪盗がらみの案件を、調べさせてもらった」
怪盗“スナッチ”に妨害された怪盗は、俺を除いて全員逮捕されたわけだが……それらの案件すべての警備に関わっているのは、マリア刑事、あんた一人だけだったってわけだ。
「これをふまえると、怪盗“スナッチ”はマリア刑事という方程式ができあがる。つまり、すべてはあんたの自作自演だった、ということだ」
「お見事だわ」
マナフィ像を小脇に挟んだロズレイドは、花束の手で、決して響くことのない拍手を俺に送った。
「それで? 警察官を捕まえるには警察内部の協力があった方がやりやすかったって訳ね。でも、あの真面目なエイミちゃんをどうやって? まさかあなた彼女を」
「まさかもくそもあるか。レパルダスに、警察内部に“スナッチ”がいるから協力しろと言ったら真面目なあの刑事が聞かないと思うか?」
そう、だからわざわざエイミ刑事の引き出しの中に協力してほしいという旨のカードを忍び込ませておいた。どこかに呼び出して直接協力を仰ぐのも考えたが……。あの刑事のことだ、俺を目の前にしたら何を言おうと聞く耳なんて持たずに、逮捕しようとするに違いない。
「あの子がたやすく“黒影”に協力するかしら? その情報ですら罠だと思うかも知れないわ。私なら信じるよりまず疑うわよ」
そうだと思って、わざわざ今まであんたにしてやった説明をすべて、あの刑事にしたんだよ……。あんな長ったらしいメッセージを送ったのはあれが初めてだ。
「あのレパルダスが罠だと思おうが思うまいが、重要なのは結果だ。結果として彼女は俺に協力した。それ以上もそれ以下もない」
「なるほど、警備で隙の無いはずのマナフィ像の下にカードをおいたのはあの子で、指示はあなただったってわけね」
まぁ、彼女は俺に協力したその上で、俺を逮捕しようとしたわけだが。そこのところはご愛嬌という事にしておいてやろう。
「種明かしを聞けて満足か? ならば、こちらも一つ質問がある」
「なにかしら?」
「あんたは別に職や金に困っているわけでも、怪盗鑑賞を娯楽としているわけでもない。しかも警官という立場にいながら、なぜあえて怪盗などやっているんだ」
「あら、簡単な事よ」
「……なに?」
マリア刑事は、マナフィ像と一瞬だけ目を合わせた。そして明後日の方向を向く。
「スリル、よ。警官と怪盗。その両方を行き来しながら、同時に私自身も、捕まるか捕まらないかの一線を行ったり来たりする。刺激のないただの警察官じゃぁ人生はつまらないわ」
そして今度こそマリアは、俺の方をまっすぐに見据えた。不敵な笑みを崩さずに。
「あなただって、そうじゃなくって?」
「……」
あなただって、か。まったく、こんなおめでたい奴に、俺は振り回されていたのか。いや、俺だけじゃない。俺と、俺の家族の運命をも、だ。
もういい。もう十分だ。
「それを返してもらう。力づくでもだ」
「それはどうかしらねぇ」
「……」
おかしい。どうして彼女はここまで余裕でいられるんだ。何かの罠か? それとも、時間稼ぎか? と、そのとき。
バサッ、と地下の出口から続く階段の外で、何かの羽音がした。俺がその音に気を取られた一瞬の隙をつき、怪盗“スナッチ”は階段をかけあがる。クソッ、俺としたことが。
俺はマリアの後を追って、階段をかけあがった。視界が晴れると、そこには……。
帽子をかたどったような頭、全身の黒い羽と首を覆う白い毛が特徴のドンカラスがいた。そこへ、今まさにマリアが乗ろうとしていたところだった。まさか!
「飛行警官! 怪盗“黒影”からマナフィ像を取り返したわ! すぐに上昇して!」
「了解!」
クソッ! あいつ、俺が追っている間に、無線で密かに飛行警官の一人を呼び寄せていやがったのか! まだマリア刑事の正体を知る者はエイミ刑事のみ! 彼女は下の階に連絡を取ったはず……。だがそういえば、すべての連絡を回す前に俺が眠らせてしまった!
馬鹿野郎! 俺に種明かしをさせていたのはやはり時間稼ぎか!
悪態をついている間にも、飛行警官はマリアとマナフィ像と一緒に上昇を始めている!
「に、がすか……よッ!!」
上昇を始めているとはいえドンカラスの羽ばたきはそこまで強くない。まだ数メートルほどだ!
俺の身体能力を……なめるなよ!
足のバネを最大限に使って斜めに飛び、ビルを足場にしながらドンカラスと怪盗“スナッチ”に向かって飛んだ。
「なっ!?」
まさか俺が執拗に追ってくるとは思っていなかったらしい。そうだろう! あんたのように怪盗をスリル程度にしか思っていない奴が、俺がここまで追ってくることなど想像できるわけがない!
俺は……俺は! 盗みの一つ一つに……人生をかけてんだよッ!
ドンカラスに乗り移る間、あたりの動きがスローモーションに感じた。あわてて臨戦体制を整えようとするロズレイド。何があったのか対応し切れていない飛行警官のドンカラスは、羽ばたきながらも振り返ることができない。
隙はありすぎるぐらいだった。俺はロズレイドが持っているマナフィ像に片手を伸ばしながら、もう一方の手に刃を作り、ドンカラスの左羽の付け根を切り裂いた。
瞬間、ガクンとすべてが左側に傾く。ドンカラスだけでなく、その背に乗ったロズレイドも、そして俺すらも。
俺は無我夢中でロズレイドの手から離れたマナフィ像を抱いた。これに決して傷が付いてはならない。
落ちる瞬間、彼女の信じられない、という表情と目があった。
急転直下。
地面にたたきつけられたその直後の記憶は、無い。