怪盗という仕事
Steal 8 最上階
 ホテルタワーの階段を駆け上がる。最初のうちは、しつこく俺のことを追いかけていた警察官の面々も、適当にあしらいながらタワーの中間をすぎる頃には誰も追ってこなくなった。人手不足なのか警備配置ミスなのか、はたまた何かの作戦のうちなのかはわからないが、どちらにせよ俺には関係のないことだ。
 だが。
「はぁッ!」
 登りかけの階段の死角から突如として現れた影。極限まで研ぎ澄まされた三本の鋭利な爪が、まっすぐに俺の頭上から振りおろされる。俺はとっさに“リーフブレード”でその爪を受け止めた。
「……!」
 さすが、というべきなのだろう。その一撃はほかの警察官の比ではない。俺は何とか刃を横にそらして一撃をやり過ごした。技を受け止めた左腕がじんじんと痺れている。
「怪盗……“黒影”!」
 そう、その一撃の正体は紛れもなく、レパルダスの刑事の“辻切り”に他ならなかった。彼女は、俺の目の前で臨戦態勢を整えながら、高らかに叫んだ。
「今日こそ、あなたを逮捕します!」




──Steal 8 最上階──




「全く、ご苦労なことだな……」
 口に出すつもりは全くなかったが、なんというか、あそこまで実直に、面と向かって真面目なことを言われると思わず本音の一つや二つは漏らしたくもなる。
「苦労を増やしているのはあなたの方よ!」
 エイミ刑事が俺の言葉に即座に噛みついた。まあ確かに、否定はしない。
「おとなしく、捕まりなさい!」
 と叫びながら、彼女は四肢に力を込めて爆発的なスタートダッシュをする。
「おい、ちょっと話を聞……」
「問答無用!」
 スタートダッシュで俺の一歩手前まできたかと思うと、その場で小さく跳躍、そのまま宙返りをして鋼鉄化させた長い尻尾を俺に振りおろしてきた。動作の時間はわずか数秒足らずだ。
「くっ……!?」
 あんなものよけられるか!
 身を翻す時間がなかった。俺は振りおろされる尻尾に対して腕の刃で応戦した。正直、重力を乗せた鋼鉄のそれと俺の緑の刃では、どちらが勝るかなどたかが知れている。
「チッ」
 前々から気になってはいた。いったいなぜ、まだ刑事に昇格してから日の浅い新人レパルダスが、俺──怪盗“黒影”の担当主任になったのか。
 理由は今ここではっきりした。彼女が今この地位にいられるのは、策略を練る頭脳のおかげでもなく、ましてや経験でもなく、このずば抜けた戦闘力のおかげだ。
「だから……」
 俺は両手の刃を総動員してから彼女の攻撃を横なぶりに払って距離をとる。
「話を聞けよ!」
 これだから、夢中になると周りが見えなくなる奴は!
「なにを話すことがあるっていうのよ!?」
「こんなところで茶番をやっているうちに、怪盗“スナッチ”に逃げられるぞ」
「……」
 エイミ刑事の動きが一瞬だけ止まった。
「誰がそんなハッタリ信じるのよ!」
 そう声を張り上げるものの、その口調の裏に潜む動揺を隠し切れていなかった。やはり、彼女はなにを考えているのか非常に分かりやすい。こういう真面目なポケモン相手には、少しからかってみたくもなるというものだ。
「俺のプレゼント、受け取ってくれたか?」
 気障な台詞は俺の趣味ではないが、ちょっと肩をすくめてそう言ってみる。すると、目の前のレパルダスは面白いぐらいに動揺した。
「そ、そうよ! なんなのよあれは!」
 そう、俺は今日このホテルへ盗みに入る前に、エイミ刑事の駐在している警察署へ忍び込んだ。そして、彼女が席を離れてデスクにいない間にメッセージをつづったカードを忍びこませたのだが……。
「わ、私のデスクの引き出しを、か、勝手に開けて!」
「反応するところはそこか?」
 もっと怒りのベクトルを向ける場所が他にあるだろうに。警察署に忍び込んだこととか、いろいろ。
「あ、あの引き出しには……その……ぷ、プライバシーの問題よッ!」
「……」
「だいたいなんなの、あのカードは! 『怪盗“スナッチ”の正体を知りたければ、私に協力をするべし』って」
 そう、エイミ刑事のデスクの引き出しにわざわざカードを忍び込ませたのは、すべて怪盗“スナッチ”を捕まえるためのプロセスだ。あのカードには、怪盗“スナッチ”の確保に協力してほしいという旨と、具体的になにをすべきかその指示をつづったものだ。
 もちろん、そんなカードを忍び込ませたところで、この刑事が簡単に俺の指示通りになど動いてくれないことは重々承知しているのだが──。
「それで? どうする? いまさら俺の申し出を無視するか? 俺を捕まえることなど出来やしないが、この機を逃して怪盗“スナッチ”までみすみす逃のは、警察として大失態だな」
 ──俺には、エイミ刑事が俺の指示通りに動いてくれる自信があった。
「本当に、怪盗“スナッチ”の正体があの人だとでも言うの?」
 先ほどまでのあふれんばかりの威勢はどこへやら、エイミ刑事は目に見えてしおらしくなり、そう力なく俺へ問いかけた。
「さあな。それを確かめられるかは、俺たちがいち早く最上階に向かえるかどうかにかかってる。つまり、俺たちはここで戦い合っている暇などないってことだ」
 俺は幾分か戦意を喪失したエイミ刑事をよそに、階段の一段目へ足をかける。
「わかったんなら急ぐぞ、最上階へな」
「勘違いしないで、あなたに協力しているわけじゃ……」
 やはり言うと思った。
「わかっている」
「というか、なんであなたを捕まえられないことを前提に話しているのよ!」
 全く。面倒だなこの刑事は。





 タワーホテルの最上階は水を打ったように静まり返っていた。この場を照らす光源は月明かりのみ。青白い光が、マナフィ像の周囲を無数に張り巡らさせている赤いセンサーを、薄く照らし出していた。
 本来ならば、誰一人として入ることの許されない空間だった。しかしこの場に、とある一つの影が躍り出る。
 影は、最上階入り口近くの壁に設置されたパネルへと一直線に向かう。マナフィ像を守る赤外線センサーを操作するためのパネルだった。影はそのパネルへ触れて二、三操作をする。すると、複雑に配置されていたセンサーがはじめから存在しなかったかのように一瞬にして消え去った。この場のセキュリティがすべて解除されてしまったことを意味していた。
 影はそれを見届けると、悠々とマナフィ像のある場所へ歩いていく。その歩き方にすら、あふれる余裕がかいま見えた。
 マナフィ像は等身大なので、子供でも両手で持ち上げられる大きさだ。だが、両手でかざしたマナフィ像は月明かりに照らされて、大きさに見合わぬ黄金の威厳を放っていた。
 影はうっとりとため息をついた。そして、そのマナフィ像を両手で抱え直す。
 すると。
 置かれていたマナフィ像をどかしたことで、見えなかった台座の表面が露わになった。そこには、一枚のカードが。

『残念でした。またどうぞ♪』

 影は息をのんだ。
 その瞬間、暗転していたはずの空間が、白く染まった――。





 覚えのないカードに驚く怪盗“スナッチ”へ、俺が照明をつけてやったときのそいつの顔と言ったら! このときの何ともいえない表情を、俺はどれだけ時間がたっても忘れることはないだろう。
 ここに来てやっと、ただならぬ状況に気づいた怪盗“スナッチ”は、俺たちの方へ振り返った。両手にはマナフィ像を持っている。
「やっとその顔を拝めるな、怪盗“スナッチ”……いや」
 両手には赤と青の花束、頭には美しい白のバラ。上品なマントを背中から垂らしたそのポケモン──。
「ロズレイドのマリア刑事、だったか?」
 そう、怪盗“スナッチ”の正体は、こいつだったのだ。
 俺の隣にいたエイミ刑事の表情は、見なくても驚きと戸惑いに染まっていることぐらいはわかった。一方、怪盗“スナッチ”改めマリア刑事は、オトナの余裕を見せながらもその口元はピクピクとひきつっている。おそらく、俺たちに犯行をじゃまされたことよりも、俺が意趣返しに置いておいたあのカードの方に精神的ダメージを食らったものと思われる。
「ふっ、よく私だとわかったものね、怪盗“黒影”。どうして気付いたのかしら?」
 平静を装いつつも、腕の花束に隠した鞭のように刺々しい口調だった。
「悪いが俺にしゃべらせて時間を稼ごうとしても無駄だ」
 自分からネタばらしをしてなにが楽しい。俺はそんなものに興味はない。今必要なのはアメジストだけだ。
「マリア刑事……! どうしてですか……!」
 エイミ刑事が一歩を踏み出してマリア刑事に問う。いや、もうこいつは刑事でもなんでもないのかもしれない。
「ごめんなさいね、エイミちゃん。私、あなたのこと嫌いじゃあないんだけれど」
 確かに、正体を隠すにはやりやすい相手だったのかもしれない。
「ふん、あなたもエイミちゃんを買収して試合に臨むなんて……ヤな男ね」
「ば、ばいしゅ……!」
「この窃盗試合(スティールマッチ)、おまえの負けだ。さっさとアメジストを返してもらおうか」
「あら、まだ勝負はついていないわ」
 俺と、顔を赤らめてわなわな震えるエイミ刑事に向かって、マリアはウインクをする。そして手に持ったマナフィ像を少しばかり持ち上げた。
「この試合、これを盗みだした方が勝ちだもの」
「確かに……な!」
 俺は床を蹴った。一直線に、獲物を持つロズレイドに向かって“リーフブレード”をぶち込む。そして寸分違わず、狙い目であるマリアの腹部に刃をのめり込ませた……はずだった。
「!」
 刃に手応えが全くない! だが、確かに“リーフブレード”は命中したはずだ。これは……!
「くそッ、“みがわり”か!」
「残念でした、またどうぞ!」
 気づけば、マリアは俺の背後の最上階入り口に向かって走り去っていた。階段から外へ逃げ出す気だ!
「刑事! “スナッチ”を逃がすな!」
 俺は入り口により近いエイミ刑事に向かって叫ぶ。
 叫びを受けた刑事は、自身を裏切ったマリアの方へ向かって走る……と、思いきや、なんと俺の前に立ちはだかったではないか。
 まさかとは思うがこの刑事、もしや──。
「悪いけど、もうあなたに協力する必要はなくなったの」
 ──今ここで俺を捕まえる気か!
「“スナッチ”が逃げるぞ」
「地上の警官に連絡は取ったわ。外にでればいくらマリア刑事でも警官に囲まれるわよ」
「詰めが甘いな。そんなことで捕まえられるのなら今まで捕まえることができたはずだぞ。そもそも奴は警察に潜り込んでいたんだから手の内もばれている」
 俺がそういってやると、その言葉に噛みつくと思ったレパルダスは、むしろ悪タイプ特有の八重歯を強調する笑みで俺に一歩一歩近づく。
「私は怪盗“黒影”専属刑事よ。最悪“スナッチ”を取り逃がしても、あなたの逮捕を何よりも優先します!」
「それが刑事の言う台詞か!」
 くそ、これだから怪盗家業はいやなんだ……。
「覚悟しなさい怪盗“黒影”!」
「もうやだ……」
 思わず本音が漏れても、もちろんエイミ刑事は待ってくれるはずもない。鋭い爪を床にえぐりこませる勢いで、俺を捕まえようと走り迫ってくる。
 仕方がない。本当はこの刑事の前で切り札を使いたくはないんだが……。
 俺は懐に隠していた細長い葉っぱを取り出す。相手はすでに俺のすぐ目の前にまで迫っているが、俺はかまわずその葉っぱを口に当てた。
「!?」
 彼女への異変はすぐに現れた。あれだけ俺を困らせた俊敏な動きも、音色を聞いた瞬間に鈍くなった。まぶたがとろんと垂れ下がり、エイミ刑事は膝を床につく。
「く、“草笛”なん、て……ひきょ……」
 そしてそのまま、刑事は崩れ落ちた。
 彼女が眠ったことを確認すると、俺は葉から口を離した。これでマリア刑事を追う俺に邪魔する奴はいなくなった訳なんだが……。
「今度会うときは、眠り対策もされちまうんだろうな」
 それを思うと、ものすごくげんなりした。

ものかき ( 2013/08/29(木) 20:05 )