5 Never can be an Explorer.
――拝啓、先生へ。
スバルさんがおれ……いや、ぼくたちと一緒にシャナさんの家についてこなかった理由が、なんとなくわかってきました。彼女は最初からこうなることを予想していていたのでしょう。スバルさんの策略に嵌ったとわかった頃には、ぼくたちはギルドの地下に引きずられていました。
いや、みんなヒトの話は聞こうぜ、まったく。
*
ビクティニのギルドの地下は、ご丁寧にバトルフィールドになっている。ここは探検家たちの道場であり、だがその実、騒ぎ好きの住民の憂さ晴らし場所でしかない。おれはバトルはまっぴらだってんのに、目の前の副親方代理様は聞き入れもしない。ここのギルドは他人の話を聞かなさすぎる自由人ばかりだ。
「おれ、内職希望です。バトルの必要性に異議を唱えます」
これももう、十回くらいは言った。
「まぁ内職にしてもダンジョン回りにしても、ギルドで働くからには面接がてら一度戦っておくのが決まりってやつでな」
とってつけたような嘘をつくな。フィールドで肩慣らしをしているやつのセリフなんざたかが知れているだろうが。
わくわくしているよな? 柄にもなくわくわくしているよな? シャナさんとやら! 顔に書いてあるぞ!
「――まぁ、ごめん。諦めてあげて」
「うお!?」
いつのまにかおれの横にスバルさんがいた。このライチュウめ……! おれが彼女をにらんでやると、おれの腰にひっついていたはずスピカが、怖がってスバルさんの腰にひっつきチェンジしやがった。
「おねちゃん」
「わぁ、モズク君こわいねぇ」
「ぶん殴るぞ……」
「いや、ほんと、軽くでいいからバトルしてあげて。ああ見えて一流探検家を育て上げている指導者なの。だけど、最近は指導するポケモンもめっきりいなくてフラストレーションを溜めているというか……」
「おれを欲求不満のはけ口にするのやめてもらえます?」
「この時間、時給で換算してあげる」
「仕方ないですね」
だめだ、おれはもうこのライチュウに籠絡されている。
「も、もずく……がんば」
スピカがスバルさんの後ろから、心配そうな顔でこちらをのぞいてきてそう言う。
「スピカちゃんは、モズク君の勇姿、見たいよね」
「たい!」
元気に満面な笑顔で手を上げないでくれ、スピカ。おれの逃げ場が地盤ごと崩れていくぜ。
「じゃあ、スピカちゃんのために頑張らなくちゃん!」
「もずくっ! がんばん!」
「語尾ごとつられてんじゃねぇ」
仕方がない。これも仕事だってんなら付き合う他ないか。
目の前に対峙するは、炎タイプの最終進化系・バシャーモ。対するおれは水タイプ。相性では有利だが二進化と最終進化ではたっぱも腕力も差がかなりある。
先生よりも強いとは考えにくいが、才ある探検家の指導者とあらば全力警戒必至だろう。全力は、できれば出したくないのだが……。
「先攻は譲る」
シャナさんが短く言った。強者の余裕ってやつだろうか。腕から炎を出し臨戦態勢を整えているものの、あくまで自然体で俺を迎え撃つつもりらしい。今やっと気づいたが、この彼の近くの空気だけやけに熱を帯びている。そんな様子から彼の強さなんて、想像したくもなかった。
短く息を吸って、地面を蹴る。彼の正面に向かって駆けつつ、“水手裏剣”で先制をかけた。
時間差で飛んでいく手裏剣。だが、シャナさんは腕に炎を纏って拳を作った。元よりここにはもう陽炎ができているほど空気が熱い。彼に手裏剣が飛んでいく前からそれは水分を奪われて、“炎のパンチ”ごときで打ち落とされる始末だ。
だが、接近を許せればそれでいい。
おれは手に持つのを飛び道具の手裏剣からクナイに切り替えた。そう、“水手裏剣”ならぬ“水クナイ”。おれはそれを逆手に持ち、足元から飛び出してバシャーモに向かって振るう。
がきぃん、と音が鳴るような、錯覚。彼はおれのクナイの刃を“かわらわり”で受け止めていた。なんつう動体視力だよ。これをとっさに受け止めるなんて。
おれはすぐにその場から離れてシャナさんから距離を取る。
「“水手裏剣”をクナイの形に変形させて、接近戦用に改良するとは恐れ入る」
「そりゃどうも」
そう、この“水クナイ”は先生の案だ。先生の得意なのは接近戦だった。“抜き打ち訓練”とかいう名の下に、無理矢理に何回も懐に不意打ちを食らっていれば、これくらいはできるようになる。
「楽しくなってきた」
シャナさんは、おれに聞こえるくらいの高揚ぶりでそう独りごちて跳躍。高い。
そしてくるりと翻って炎を纏った蹴り……“ブレイズキック”か!
とっさに後退して避ける。そしてダンッっと、彼が先ほどおれのいた地面に足を食い込ませるや、おれは首回りの泡をとって足元に投げつけた。
白い泡が足にまとわりつけば、しばらく身動きがとれまい。動きを封じたシャナさんに向かって“水手裏剣”を放つ。彼は体を捻ることでおれの手裏剣をやり過ごすが、通り過ぎれば元の場所に戻って来るのがおれの手裏剣だ。
「ぐおッ!?」
ターンしてきた手裏剣がバシャーモの体のちょうど首後ろにヒットした。
「うわぁ、シャナさんが先にダメージ食らった」
スバルさんが、何か信じられないものを見た、と言うふうに呟くのが聞こえてきた。
「シャナさーん、ちょっと腕が鈍ったんじゃありませーん?」
「スバル、おまえ……ちょっと黙ってろ」
そう言ってから、シャナさんの全身が赤いオーラに包まれた。これはやばそうだ、何が来るんだ?
おれは彼に次の挙動をさせまいと、“かげぶんしん”で狙いを撹乱する。あの赤いオーラは熱風だ。足元を拘束していたはずの白い弾力のある泡が一瞬にして蒸発する。
そして、砲弾のような爆速突進。“フレアドライブ”!
まて、こっちは影分身を作っているんだぞ、闇雲に突進しておれの本体に当たるはずが――!
「がッ……!?」
な、んだと……!?
炎の肘打ちを、もろに食らった。その衝撃で、木偶ばかりで役に立たなかった影たちはすっかり霧散。おれはシャナさんごと地面に叩きつけられる。
「か……はッ……!」
「もずくっ!」
スピカの叫びが遠くから聞こえるように感じる。耳鳴り。
くそ……息できねぇ。なんて奴だ。まさかこのバシャーモ、勘でおれの影の本体を当てやがったのか? バケモンかよ。
こりゃ叶わなないぜ……!
目の前のバシャーモは、おれの首元を三本の指で抑え込んでいた。冷静な表情だが、その奥に滲むような戦闘への悦が見え隠れしている。もう片方の握りこぶしには、炎がまとわれていた。
“炎のパンチ”。
「しゃ、シャナさん! そんな、子供相手にっ、ちょっとま――」
こりゃ、詰んだかな。
はぁ。そうだよな。
まぁ、おれの実力はこの程度ぐらいってわかっただけでも収穫か。
十分、大健闘。相手はベテラン探検家だし。
あれ、でもおれって、なんで戦ってるんだっけ。
おれ、内職希望だったよな。
バカな、何を本気で戦おうとしてたんだろう。
「もずくぅっ!」
バシャーモと目があった。今まさに拳を振り下ろそうとしている彼に、おれは鋭くにらまれている、気がした。
とどめを前に、獲物を逃さんとする本能のにらみか? それとも――。
おれの眼前へ炎の拳が振り下ろされる。
ああ、もうやめちまおう。
*
ドガッ!
派手に拳を打つ音が聞こえたが、とっさに目を閉じたおれに、何の衝撃も襲ってこなかった。恐る恐る目を開けてみると、目の前には変わらずシャナさんの顔、そして横を向いてみると……。
正確無比、おれの数ミリ横の地面に拳があった――。
今更ながら彼の攻撃の威力に、おれが思わず彼の顔をもう一度見る。にらんでいるかのように見えたシャナさんは顔を緩めて、少しだけ慌てたようにおれの首からもう一方の手を離した。
「いや、すまん、つい。やりすぎた」
シャナさんが立ち上がったことで動けるようになったおれは、どうにかこうにか体を起こしてその場に座り込む形になる。さっき彼が殴っていたフィールドを見ると、拳くらいの大きさの焦げがついていやがる。まともに食らっていたらぞっとしない。
「モズク君、大丈夫!?」
スバルさんがものすごく慌てた様子で駆け寄ってきた。いや、おれは大丈夫ですと、自分でも聞こえるかわからないような小さい声で彼女にそう伝えると、幾分かホッとした様子になり、続けてシャナさんにずいと近づいた。
「あぁなぁたぁはぁああああ!」
「いや、ほんと……すいません」
「子供相手になに夢中になって本気出してるんですか!」
「や、反省しています」
「本当にしているんですか!? 一歩間違えたら事故じゃ済まないですよ!」
まぁ、そんなバケモンにバトルさせた張本人は他ならぬスバルさんだけどな。
「じゃあお前も責任持って止めてくれよ」
「言い訳無用!」
「はい」
あんたら、じつのところ立場はどっちが上なんだ?
「も、もずくぅ……」
スピカが、おびえた様子でおれに恐る恐る近づいてきた。なんでバトルしたわけでもないお前がそんなに震えているんだよ。そんでもってまるでおれがここにいるのかを確かめるように、腕に絡みついて泡のマフラーに顔を沈めてきやがるし……。
なんだか、スピカの様子がいつもと違う。
「スピカ……? お前、大丈夫か――」
「――それにしてもモズク君! あなたすごいじゃない!」
「へ?」
どうやらシャナさんとスバルさんの間の説教にはカタがついたようだ。すると彼女は目をキラキラと輝かせながらおれにそう言ってくる。
「シャナさん相手にこれだけ立ち回るなんて、尋常じゃないわよ、あなたの能力!」
「はぁ」
「いや、ほんとうに。世辞じゃないぞ」
どう反応すればいいかわからないおれの態度に、シャナさんがそう言う。
「誰かに習っていたのか? だとしたら、あんたに戦い方を仕込んだポケモンの話も聞きたい」
「ギルドの仕事も、内職にするには勿体ないわね! どう? やっぱり探検隊に……」
「すいません、よそをあたります」
おれは、間髪入れずにスバルさんへそう言葉を食い込ませた。
「え?」
「内職も、なかったことでいいです。すいません、お世話になりました」
「え、ええぇ?」
おれは、スバルさんが困惑するのもかまわず、二人の前で一礼をした。
面倒くさいことになった。ギルドの雑務をするはずだったのに、まさかバトルとは。このままだったら、たとえ希望通りにギルド内だけの仕事をできたとして、彼らから探検隊の仕事を任されるのは時間の問題だ。
面倒なことだけは、本当に勘弁だ。
おれは、波風立てずに生きていきたい。
「も、モズク君……!」
下げていた頭を上げ、おれは二人に背を向ける。スピカはと言うと、おれの行動が突然だったのか呆然とその場に立っている。ここに残るもついて来るもあいつの勝手だ。おれはスピカを無視してここを離れることにした。
あ、そういえばこのバトルは時給換算でお金もらえるんだっけ……いや、バトル自体は三分もなかった。やっぱり、彼女の口車に乗せられたか。
他の仕事を探そう。
地下から地上に上がる出口に差し掛かった時、スピカが音もなくおれについてきて、おれの腕にしがみついた。
ここに残るもついて来るも、お前の勝手なのに。
こっちにくるなんて、物好きな奴だ。
*
「シャナさん、なんで止めなかったんですか」
モズクが去った後、二人きりになった空間でスバルが非難がましくシャナへと告げた。
「あの子、あのくらいの年のポケモンたちの中ではずば抜けてますよ」
「俺がバトルでやりすぎたってのに、彼を引き止める権利があるとも思えないぞ」
「それをさし引いても、ギルドへ引き入れて余りあるポケモンだったでしょう?」
スバルは目聡くそう言った。シャナは困ったように息をついて頬を掻く。
「確かにな」
実際彼自身、たとえバトルで本気を出しすぎたとしても、それとこれとは話を別にして、目の前の優秀なセンスの持ち主を放っておかない図々しさくらいはあると自覚している。
「じゃあ、どうして……」
「実際、彼はずば抜けてるよ。だが探検隊には向いていない」
「え?」
「おまえ、確かに今のバトルを見てたよな?」
行なっていたバトルの展開自体は、一瞬といっても差し支えないほどめまぐるしかった。スバルは急に理由もなく自信をなくし、「ええ、まぁ……」と濁った返答しかできなくなった。
「だったらわかるだろ」
シャナは自分の手のひらを見る。先ほど、すんでのところでとどめを地面にそらした拳を作った手。
「彼は、最後の最後で足掻かなかった。……諦めたんだ」
長年戦ってきたシャナは、様々な感情を持つポケモンを飽きるほど見てきた。中には本気で自分を葬ろうとする殺気に触れたこともある。だから、わかってしまった。
あのモズクというゲコガシラは、バトルが終わってもいないのに、自分の拳を避けようとする努力すら、放棄した。
「たとえあの時足掻こうとも、さっきのバトルの結果はひっくり返らなかったかもしれない」
だから、とどめは初めからそらしていたのだ。間違って大怪我をしないように。
「だがああいう心構えは、いざダンジョンに出てピンチに陥った時、自分の身はおろか、一緒にいる依頼人や、それこそ仲間すらも簡単に諦める――」
シャナは自分のその手を、強く握りしめて、そしてにらんだ。
「――探検隊にとって、それはあまりに致命的だ」
――Never can be an Explorer.――