4 Would you hear my Talk?
――拝啓、先生へ。
スピカのおつかいは、ギルドのスバルさん宛に手紙を届けることと、自身を保護してもらうことでした。拍子抜けに目的が達成されておれ……いや、ぼくは自由な時間を手に入れたわけですが、彼女はすっかりぼくにべったりしてしまい、困ってしまっています。
先生、まさかとは思いますが、ぼくがこんな状況になることを、あなたは予想していたわけではありませんよね?
*
歩いても、歩いても、抜けられない森の中にいる。
何回日が昇り、沈んだだろうか。そんなことは分からない。日の光が届かないほど葉が茂った森は、生き物の精神すら狂わせる。
息を切らして、歩いている。だけど、目的があるわけじゃない。ただ、歩くのをやめた瞬間が、怖くて仕方がないだけだ。
「どうして……どうして……」
どうして、おれを置いて行ってしまったんだ。
おれの遥か遠くで、ゆらゆらと揺れている影たちを追う。追っても、追っても、追いつけないとわかっているのに。
おれは、何か悪いことをしたとでもいうのか? だとしたら、悪いことをしたというのなら、謝るから、教えてくれ。
何が悪かったのか教えてくれ。
そして、この狂ったような気持ちから、おれをどうか救い出してくれ。誰か……。
誰か――。
「――助けて」
「――もずくっ!」
その声で、一瞬で、目が覚めた。いや、目が覚めてしまった。
寝ていたおれの視界いっぱいに、ヒトカゲのスピカの顔がある。さっきの名を呼ぶ声の主は、いうまでもなくこのスピカだ。少し体を動かしてみると、じっとり汗をかいている。おれとしたことが。
「なんだよ……寝かせてくれよ」
「もずく、うぅ、いってた。だいじょぶ?」
そうやって、心の底から心配そうな顔をされてもこっちは困ってしまう。目がうるうるしてるし。そんな顔されたって、おれはお前に返す言葉が思い浮かばないよ。
「大丈夫に決まってんだろう」
昨日の宣告通り、おれとお前は今日からすれ違うだけの他人同士なんだからな。
おれとスピカが部屋の外に出ると、大広間ではギルドの弟子らしきポケモンたちが集まって朝礼の真っ最中だった。おれたちは少し離れたところでそれを眺めている。
「はい、で。親方は今日も不在です。副親方代理担当の方は、午後からギルドに出る予定だそうです」
スバルさんが寝起きなのか気だるげな声で朝礼の進行をしている。周りのポケモンたちは、昨日会った医療係・ハピナスのジェムをはじめとして、フワライドにバクオング、スカタンクにダンバルなど、大小様々なポケモンがいる。
「……以上、今日もよろしくお願いしまぁす。みんな元気で明るいギルドぉ」
号令らしきものも欠伸混じりで、それに続くメンバーたちも「うぃーっす」だの「おぃーっす」だの間の抜けた声を出す始末だ。このギルド、本当に大丈夫か?
ギルドのポケモンたちは持ち場に三々五々散って行った。おれはそれを見計らって、様々な種族のポケモンに目移りするスピカの手を引いてスバルさんに近づく。
「あら、おはよう二人とも。昨日はよく眠れたかな?」
「おかげさまで」
「あい!」
よくよくスバルさんの顔を見ると、目元に濃い隈が見え隠れしている。どうも、昨日のスピカのメモの一件があってから、よく眠れていないらしい。こういうところを目ざとく見つけてしまう観察眼は先生仕込みだ。彼女が昨日からどういう思いで夜を過ごしたかとか、色々いらぬ想像は掻き立てたくない。先生を呪いたくなるぜ。
「おれはそろそろおいとましようかと。スピカをよろしくお願いします」
「やぁだぁああ、すぴかはもずくぅ!」
意味わからないことを言っているぞ、こいつ。
「あら、スピカちゃんは離れたくないみたいだけど?」
「だからって、いつまでもこうしちゃいられないでしょう」
「モズク君はこれからどうするの? “先生”って方が迎えにくるまでのあてはあるのかしら」
「それをこれから探すんです」
たまたま一晩おいてもらったとはいえ、招かれた客はスピカだけ。おれは先生が戻ってくる間だけでもどこか職を探さないと、明日の食い扶持も稼げずじまいだ。
「じゃあ、ここで探検隊をするっていうのはどう?」
まだ諦めちゃくれないのか、このライチュウは。
スバルさんの提案を聞いた瞬間、スピカの瞳がキラキラと光る。おおかたおれが探検隊にでもなれば、いつでもそばにいてくれるとでも思ったのだろう。
「あぁ、おれの冒険への浪漫はすでに死んでいるのだぁ〜」
「おぉ、なんということだ若者よ〜」
意外とノリがいいな、スバルさん。
「いや、冗談はさておき、マジで探検隊はその場しのぎの食い扶持稼ぎにしてはハイリスクすぎますね」
探検隊などになってしまっては、毎日の修行とか鍛錬とかが欠かせなくなるだろう。本音としては、ハイリスクというより面倒さが勝る。わざわざそれをここで言うつもりはないが。
「私も冗談はさておき提案なのだけれど、ギルドの中の雑務を手伝ってくれるだけでだいぶ助かるわ。エネコの手も借りたい気分」
「はぁ。まあ内職なら……」
「寝床と三食、保証してあげる」
「報酬は?」
「まぁ、あなたの仕事ぶり次第かな」
「うわぁ。ブラックの気配がするぅ」
おれがそう軽口を叩いたとき、先ほど朝礼で見かけたスカタンクとフワライドがおれたちの前を通り過ぎた。通り過ぎざまに「はぁん、あんまりまともに受け取るなよぉ? そいつ腹黒だからなー」「自分の身のためにならないプワ〜」とニヤニヤ笑いながら捨て台詞のようなことを言われ――。
――刹那、その二人に電撃が落ちた。
「ぎゃぁッ!?」
「プワァッ!?」
ひいぃ。
おれは内心悲鳴を上げる。スピカがすかさずおれの後ろに隠れる。
「……内職、やってみる?」
にこりとスバルさんが笑った。
「……は、はい」
おれは、長いものには巻かれる主義だ。
*
ともかく、ギルドの内職であればそれなりに悪くはないと思う、と自分に言い聞かせる。
とりあえずおれとスピカは、スバルさんの指示に従ってとある場所に向かっていた。なんでも、おれがギルドの内職を手伝うからには、副親方代理には一度会っておくべきだろうということになった。それ自体に別論異論はない。働かせてもらうからには現時点でのトップと顔をあわせるのは当然だろう。
朝礼でスバルさんが言っていた通り、副親方代理は今日、午後からギルドに現れるらしい。今はまだ朝を過ぎたばかりだから、俺たちは代理の家へ直接訪ねて行くことになった。
トレジャータウンは活気にあふれ、様々な露店が並びポケモンたちにあふれていた。そのせいで、スピカは相変わらずおれから離れずじまい。非常に歩きにくい。わざわざギルドを出てまでおれについてこなくてもいいだろうに。もし働き始めるなら、こいつをひっぺがす方法だけはどうにか見つけておかなければオハナシにならん。
代理とやらの家は、活気にあふれたタウン中心より少し外れた場所にあった。中心地でひしめき合っていた家よりも数倍大きなロッジだ。やはり副親方級の探検隊となると、持つ家も立派なもんだ。
「スピカ、頼むから一歩でいい、一歩おれから距離を取れ。いまから大事な話をするんだ」
「いっぽ?」
「ああ、こ、の、く、ら、い」
ズズ、とスピカを押しのけて、おれは彼女との距離を歩幅一歩ぶんぐらい作った。うん、これが正常な距離感というものだ。
「大人しくしてろよ」
「あい!」
「わかってんのかよ……」
わかっていなかろうがどうしようもない。おれはとりあえず木でできた扉をドンドンとノックする。
「すいません、副親方代理はいらっしゃいますか」
しばらくたっても、返事がなかった。あれ、ここで間違いないはずなんだけど。
「あのぉ、スバルさんの紹介で来ましたぁ」
すると今度は、微かにだが家の中からどさり、と何かが落ちるような音がする。そして随分と待たされたあげく、ドタドタと足音が聞こえてきて、がちゃりと扉が開く音がした。
「はい……こちら副親方代理……」
どうも、寝起きだったらしい。現れたのは、おれの三倍近くあるんじゃないかという背丈をした、赤い毛の、鳥ポケモン特有の三本指を持ったバシャーモだった。だが、白く伸びた髪のところどころに寝癖ができている。先ほどはきっと、彼が寝床だかベッドだかから落ちる音だったんだろう、きっと。
「あー、スバルの客だって? どちらさん?」
「あ、はぁ。ビクティのギルドで働かせていただきたく」
「働く? 誰が?」
「いや、おれがですけど」
「え?」
「えっ?」
「ビクティニのギルドだぞ? 間違いないか?」
「ええ、まぁ多分」
「……マジかッ」
寝起きで頭が回らないのか、バシャーモはやっとおれの要件を理解したらしい。その一瞬後に彼はドタドタと先ほどのように騒がしい足どりでまた家の中に引っ込み、数分後に素晴らしい脚力と速度でおれの前に戻ってきた。立ち止まる瞬間にブレーキ音でも聞こえてきそうな勢いだ。その頃には先ほどの寝癖もしっかり整えられていて、目元も幾分かぱっちりしている、気がする。
「いや、玄関先で待たせて大変な失礼をしたな。――改めて、俺が副親方代理、バシャーモのシャナだ。よろしく頼む」
名前がサ行だ。
*
「ギルドに若いポケモンが来ること自体とても久しぶりだったもんで、びっくりして」
おれたちはやっとのこさバシャーモ――シャナさんに、家の中へ通された。
「モズクって言ったっけか。しかもギルドで働きたい、なんて。明日は槍でも降るのかな」
「いや、今朝色々ありまして」
スバルさんの電撃のことは黙っていよう。後々面倒になりそうだ。
とりあえずおれは必要最低限のこと――先生の指示に従いトレジャータウンへ来たこと、道中スピカを拾ったこと、スピカがスバルさんの探検隊仲間から預かったポケモンであること、とりあえずおれも仕事を探し始めようとしたことを簡潔に話した。
「ああ、そっちのヒトカゲがスピカか。カイの手がかりについては昨日スバルから報告を受けたな」
「あい」
「ただでさえポケモンが少ないのにさらにカイが行方不明となると、俺とあいつ、二人で回していた副親方代理の仕事すらもままならない。俺もあいつも、ギルドはとうの昔に卒業した身なんだがな」
「同僚が行方不明というわりに、あんまり心配している様子ではありませんね」
「あいつは強い。そうそう簡単にくたばるとも思えない」
なるほどな、と、ここは納得しておくしかない。
「ギルドに出入りする探検隊自体、今は少ないらしいですね」
「ああ。しかも最近の新参探検家は、中の下のランクのダンジョンを踏破できるようになると探検隊をやめる者も多い。街と街を行き来できるくらいの戦力があれば十分、という考え方らしいんだが……」
まさにおれはそのタイプ。
「そのせいで、探検隊のランクも高ランクと低ランクの二極化が激しい」
「へぇ」
「でも、そんな中はるばるギルドにまできてくれるとは、殊勝な心がけだ」
ああ、なんか壮大な勘違いをされていそうな気がするぞ。
おれはそんなに、思い描いているような殊勝で気骨あふれる若者じゃないぞ。
「いや、あのぉ、おれはあくまで、ないしょく……」
「そうと決まれば話は早い。午後の仕事までに色々と準備だ、ギルドの地下に行こう!」
いや、ギルドの地下って確か……。
「ギルドで探検隊をやっていくからには、まずは戦力を確かめないとな。とりあえずバトル、話はそれからだ」
だから、違うってばぁ!
――Would you hear my talk?――