3 Where did you meet Him?
――拝啓、先生へ。
道中偶然に見つけたスピカというヒトカゲ、どうも彼女についてはわからないことばかりですが、特に不可解なのは“おつか”についてです。スバルさんに“おつか”の内容が書かれた紙切れを見せた瞬間、彼女の顔から血の気が引きました。そのままなしくずし的にギルドの奥へ案内されることになりましたが……。
先生、おれ……いや、ぼくはどうにも、この状況から面倒くささしか感じられません。
*
「本当は親方に話を通しておくべきなんだけど、今不在だから仕方がないわね。私たちだけで話をしましょ」
「ギルドには副親方がいるもんなんでしょう?」
「少し前に前任が年齢的な問題で引退してから、後任が決まっていないの。でも空席のままじゃまずいから、今のところ何人かでシフトを組みながら回しているのだけれど――」
副親方の座ですらシフト制か。世知辛い世の中だなぁ。
「――今ちょっと問題があってね。今日は不在よ」
ギルドのツートップが不在。人員不足、ね。先ほどのスバルさんの言葉もあながち大げさではないらしい。
そんな世話話をしているうちに、スバルさんはとある部屋の前で立ち止まった。入り口には「医務室」と書かれている。
「他の部屋はちょっと散らかっているし、ここでならゆっくり話せるかな。――ジェム? 入るよ!」
入り口の向こう側から、良いとも悪いとも返事がしていないのに、スバルさんは当たり前のようにズカズカと入っていく。おれの腰にびっとりとくっついているスピカを一度だけ目で確認して、二人して一緒に医務室へ足を踏み入れた。
「ジェム、緊急事態。席空いてる?」
部屋に入ると、大きめな切り株の椅子に座っているポケモンがいた。ジェム、と言う名前らしいそのポケモンは、スバルさんの声を聞くが早いが、おれたちの方を向いて声をあげる。
「もちろん。もう、暇で暇で仕方がなかったよ」
卵型の体に、お腹についたポケットの中には文字どおり卵が丁寧に入れられている。ピンクの髪の毛のような耳と羽のついたような手が特徴の、ハピナスという種族だ。
「あら、その子達は? 急患? 緊急事態って言っていたもんね」
「いいえ、急患じゃなくて別件で緊急事態」
「おやおや……あたいはハピナスのジェム。呼び捨てで構わないよ。君たちは……モズクにスピカかい。はいはい、じゃあみんなお座りなさいな」
緊急事態と言っているのにもかかわらず、ジェムという名のハピナスはおっとりとマイペースにそう言って、ゆったりとした動きでおれたちの席を用意してくれた。スバルさん、思うんだがわざわざ彼女のいるところで話を聞かなくてもよくないか?
「――で、本題ね」
スバルさんはおれたちと向かい合う形で切り株の椅子に座り、そう切り出した。ジェムはその後ろにある自分のデスクの前で、ゆったりとした構えで座っている。本当に医務室の係って暇なのか。
スバルさんは、先ほどから騒動の発端になっているスピカの持っていた紙切れを再度取り出した。
「『スバルへ。そっちに着いたらしばらくの間ギルドで預かっていてほしい子がいる。名前はスピカというんだけど、説明もなしに唐突にごめん。詳しいことは、』
……ここで文章が途切れてる」
「えぇ?」
そのメモって、スバルさん宛てじゃないか。それってつまり……。
「まさか、スピカのおつかいの目的は、他でもなくあなただったということですか」
「そうみたい……」
スバルさんはワントーン落とした声でそう言って、おれにその紙切れを見せてくれた。かなり乱雑に書かれた足型文字だ。どうも急いで書いたっていう雰囲気が全面に伝わって来る。しまいには最後の文字の最後の画がぐにゃりと曲がっていた。
スバル、という名前はそうそう多くいるわけではないと思う。現におれは目の前にいるライチュウ以外に“スバル”という名前のポケモンを知らない。だからポケ違いというわけではないと思う。
図らずもスピカの“おつか”の目的は達成されてしまったということか。目的地が一緒なら初めからそう言ってくれればよかったのだが、言葉がうまく喋れないスピカにそれを求めるのは酷ってやつか。
「それはそれでいいんですけど。この紙切れ、何か問題でもあります? まぁ、文章は途中で途切れてますし、誰が書いたかわからないですけど」
「差出人は筆跡でわかるわ、私のチームの仲間よ。カイという名前なのだけれど」
「へぇ」
じゃあ、カイって奴が、仲間であるスバルさんにスピカを託した、という流れになるけれど。ん? よく考えたら、そいつがスピカを単身危ないダンジョンへ歩かせて、トレジャータウンのギルドを目指すように指示した張本人か?
なるほど、スピカがギルドという単語を知っていることには納得がいった。そのカイっていうとんでもない奴から、ビクティニのギルドに向かえと事前に言い聞かされていたわけだ。
「さっきの話、覚えてる? 副親方はいま、何人かで回しているけれど少し問題があるって」
「ええ、もちろん」
「問題というのはカイのことなの」
「へぇ、どんな」
聞きたくねぇなぁ。面倒くささを回避したと思ったら更に面倒ごとがやってきそうだぞ。
「カイは副親方の代理のうちの一人だった。だけど彼は今――行方不明なの」
「……はいぃ?」
一匹のポケモンが行方不明。まぁ、これに関しちゃ別段珍しいことでもない。危険なダンジョンと隣り合わせのこの大陸じゃ、行方不明者なんてものはザラだだ。言っちゃあなんだが先生も今だって行方不明だぜ。
おれがそんなことを考えていると、今まで沈黙を通していたジェムが唸った。
「まさか、ここにきて一ヶ月近く行方が分からなかったカイの手がかりが舞い込んで来るなんてね。……そういや、モズクだっけ? あんた、カイの名前を聞いてもピンときてないみたいだねぇ。知らないのかい」
「そりゃまぁ。失礼ですが、いち探検家の名前をおれが知っているとも思えませんね」
「ああ、だから噛み合わないのか。彼が一ヶ月も行方不明って、あたいたちからしたらそれなりに一大事なんだよ」
「なぜ?」
「“生きとし伝説、生ける英雄”……ってね。彼はかつてこの街を未曾有の敵から守った文字通りの英雄であり、大陸で最強と言われている探検家様なのさ。トレジャータウンの住民のみならず、この大陸を超え海向こうにまでもその筋には名前が知れている」
いや、おれは名前を聞いたことがなかったけど……。先生からそんな話も聞いたことなかったし。いや、あんまりポケモンの多い里やらに降りる機会が少なかったからかな。
スバルさんが話を続ける。
「二ヶ月ほど前に、ここから離れた砂漠の奥地で地殻変動が起きたの。その影響で今まで見つからなかった未知のダンジョンが発見された。その調査に乗り出した調査団からの依頼で、カイはギルドから派遣されて未知のダンジョン――“謎の秘境”に向かうことになったわ。それが一ヶ月前のこと」
だが、遺跡探索のためにギルドを発ってから、今の今まで一切の音沙汰はなかった、と。
確か、探検隊のバッジというのは、たとえダンジョンで倒れても最低限の身の安全を保証するワープ機能が付いていたはずだ。それを持つ探検家が戻ってこないというのは、確かに不可解ではある。
「カイと行動を共にしていたはずの調査団も行方不明よ。それで、探検隊をつのって“謎の秘境”へ何回も向かったのだけれど、あのダンジョン自体がすごく深くて、しかも強いポケモンたちも多い。今まで踏破できた者はいないわ」
そして事態が膠着状態のまま一ヶ月、まさに今日現れたのがスピカだったというわけか。
「ということは、このメモを託した時までは確実にその……カイさん? は無事だったってわけですね。まぁ、メモ自体が途切れていますけど」
「モズク君、スピカちゃんと会ったのは今日の朝と言ったよね?」
「はい。トレジャータウンの最寄りの森ですね」
「“謎の秘境”からかなり距離があるわ……」
このメモが一体いつスピカに託されたのか、それが分からないと正確な彼の消息は掴めないというわけか。そんでもって、スバルさんの動揺ぶり……そりゃ、仲間の行方が分からなくなったら、顔も青ざめるってもんか。
おれには、分からない感覚だ。
「なぁ、スピカ」
おれは、スバルさんのスピカへの追求の理由を知ったところで唯一の手がかりらしい彼女に声をかける。スバルさんに加え、ジェムという初対面のポケモンが更に増えたおかげで、スピカはおれの座る横にびっとりと密着して萎縮している。動きにくいぜ。
「このメモ、いつ、どこでもらった?」
「うー、うぅ」
スピカは、心底困った顔でしばらく考え込んでいた。その間も、えっと、えと、としきりに言葉を発しようとしている。
「カイさんには、会ったんだよな?」
「う……あい」
「いつ?」
「えっと、えと……うー、まえ」
「まえ?」
「けっこ、まえ」
それじゃ具体的にいつか分からんだろうがよ……。
「はあ。会ったのは結構まえだそうですよ」
「どこで会ったか、わかるかしら。やっぱり“謎の秘境”で?」
「ま、この調子じゃ返答はたかがしれてますね」
もしかしたら、“謎の秘境”からヘルプのつもりでスピカにメモを託したのかもしれないが……いや、その仮説には無理がある。
「もしカイさんが助けを求めてスピカにメモを託したなら、内容も救難信号的でなければおかしいですし。仮にそうだったとして、戦うことすらままならないスピカが“謎の秘境”を無事に脱出することはできませんよ」
「そうさねぇ。もしかしたら、“謎の秘境”じゃない、なにか別のトラブルに巻き込まれたのかもしれないよ」
ジェムがおれの言葉に続く。おれも概ね同じ意見だ。
「スピカを頼む、って内容なら、意外に心配いらないかもですよ。ある時突然ひょっこり戻って来るかも」
「……そうじゃなくても、スピカちゃんをギルドに託したのは、何か意味があるのね、きっと」
スバルさんは、暗い顔を無理に隠そうと努力しているように見えた。
それも仕方はない……のだろうか。
一人の仲間を、ここまで心配する必要が、あるのだろうか。
だって――面倒じゃないか。
本当に、心底おれには理解ができない感覚だぜ。
だが、わざわざこの話を医務室のジェムのいる前でする理由はいくらかわかった気がした。ギルドの探検隊のことなら、ギルド内のポケモンもこの話を知っておくべきだろう。だが何より、この重い話を聞くのに一人じゃ耐えられないかもしれないもんな。そういう意味じゃ、いかにも包容力のありそうなジェムさんは、聞き役でうってつけだろう。
「こういうやり方、いつもきっちりしているカイらしくもないけど……でも、スピカちゃんがきてくれたおかげで、少し望みが見えてきたよ」
だが、彼女のその顔も一瞬のことで、次にはパッと、それこそ入り口で見せたあの明るい笑みに切り替えていた。
「改めまして、ようこそ“ビクティニのギルド”へ! ギルドの探検隊に預かって欲しいと言われたからには! ……スピカちゃん、私たちはあなたを歓迎するよ。もちろんモズク君、望めばあなたも、ね!」
*
「本当にお前、離れてくれねぇのな」
「あい!」
「あい、じゃねぇだろーがよ」
おれのささやかな抗議は語尾にかけて急速に消えていく。そして、ギルドの部屋の天井へ消えていった。ああ、きっとこいつには何を言っても無駄なんだろう。
あの後すぐ、おれとスピカはギルドの弟子の一室に案内してもらった。今日はここがおれたちの寝床になりそうだ。ま、もとよりスピカは最強の探検家様に託されたお客だから、明日も明後日もここが寝床になるだろうが。おれは、今日一日の宿の心配がなくなった。それだけで収穫だったとは言える。
「もずくー」
「おい、寝床はふたつあるぞ。こっちにくっつくなよ、いま考え事をしているんだ」
「もずく、ぎゅー」
そんなに抱きつかれたら暑苦しいぜ。
「なぁんで、そんなに懐かれちまったかなぁ」
ああ、こんなことになるならあのとき助けていなければよかった。
いや、ああ。おれはなんて馬鹿なことを考えているんだ。目の前で今にも襲われそうなポケモンがいたら、そりゃ助けるよな。はは。
ほら、先生だったらきっとそうするだろうし。
いや、でも誰かを助けたからって、おれの価値が変わるとも思えないや。
代わりに、なんだかすごく面倒くさいことに巻き込まれているかもしれない。
「……あぁ。めんどうくせぇよ、くそ」
ずきり、と心がきしみをあげている気がする。
ああ、もう考えるは、やめよう。
心は、波風立たせないのが一番だ。
「スピカ」
「うー?」
「ぎゅーするのは、今日が最後だぜ。明日からは、本当に知らないからな」
「あい!」
「わかってんのかよ……」
まぁ、トレジャータウンに着いてからのことは全然決めていなかったが、そんな面倒なことは明日にでも考えるとするか。
もしも明日になっても、スピカがおれから離れないなら、あるいは――。
――Where did you meet him?――