2 What's it that you ordered;“OTSUKA”?
――拝啓、先生へ。
おれ……いや、ぼくは、あなたの指示通りトレジャータウンを目指してしまったばっかりに、なんだか妙なヒトカゲを見つけてしまいました。いえ、決して先生のせいになどするつもりは毛頭ありません。ただ、先生ならばこのヒトカゲを同じように連れて行ったでしょうか。きっとそうでしょう――きっとそうだと信じないことには、ぼくはどうも納得がいきません。
*
朝起きて、ヒトカゲを助け、森を出たのが朝のこと。そして今は、太陽がちょうど空の真ん中にきつつある。
「そういえば、お前の名前を聞いてなかったな」
「う! すぴか」
「スピカ?」
「すぴかは、すぴか」
ふーん、また変な名前だな。
「スピカは、男の子か?」
「すぴか、おんなこ」
……女の子か? こいつと会話してると、脳内変換で忙しい。
「う、なまえ、きみ」
「おれか? おれは、モズク」
「もず?」
「いや、モズク」
「もーず!」
「モズ、ク!!」
「ずく!」
今度は“モ”かよ!
その後、おれはヒトカゲ改めスピカへ、おれの名前を正しく呼ばせるのに十五分もかかった。名前を覚えさせるのってってこんなに大変だったっけか。
「もずく! もずく!」
だが、名前を正しく覚えるとスピカはなぜかすごく上機嫌になった。さっきまではおれの腰のあたりでおそるおそる道を歩いていたのに、いまやおれの数歩先をぴょんと飛びながら進んでいる。
「もずく、ぎゅー!」
「うおぁ!」
そして、なぜかおれの腰あたりに急に突進して来る。おいやめろ。張り倒す気か。
「もずく、ぎゅーする! ぎゅー!」
ぎゅーとはなんだ? ハグのことか? そういうことはよそでやれ。
スピカがおれの腰に、文字通りぎゅっと抱きついてきたもんだから、歩きにくい。おれはそれを無理矢理ひっぺがすことにする。
「ああ……たのむからベタベタしないでくれ……」
「もずく、すぴかきらい……?」
「好き嫌いを議論するほど仲良くなった覚えはないぞ」
「すぴかは、もずくすき。たすけ、たすけ!」
はん、助けてくれたから好きってか? ゲンキンな奴だ……。
「ほら、見えてきたぞ」
いまおれたちがいる道の先は、緩やかな下り坂になっていた。そして、その先の眼下には遠目ながらに多くの家や店が集まって見える。あれがトレジャータウンか。
「思ったよりも大きな街だな」
「ぎるど、ぎるど!」
「え? あ、ああ……ギルド、な」
ここまで大きな街なら探検隊か救助隊のギルドが一つや二つあってもおかしくはない。だが、スピカよ。なぜおれの名を覚えるのにそんなに時間がかかったのに、ギルドという単語は最初から知っているんだ?
「ま、いいや。とりあえずさっさとたどり着いちまおうぜ」
トレジャータウンについてしまえば、この不思議なヒトカゲのスピカともおさらばなんだからな。
先ほどスピカがギルドのことを口にしたのはあながち的外れでもなかった。街の中での困りごと――それこそ迷子のヒトカゲを預かってもらうにギルドはうってつけだろう。
いまさらギルドに関しては定義する必要もあるまい。ダンジョン攻略のために働くポケモンたち、探検家。そしてダンジョンに迷い込んだポケモンを救助するポケモンたち、救助隊。彼らはみなギルドを拠点として活動するのが常だ。
どうやらこの街には探検隊のギルドが存在するらしい。この街の一番奥のはずれにある、古い歴史建造物を改築したという物々しい黒いドーム状の建物がそれだ。街の住民が親切に教えてくれた。
昼間ということもありギルドの門は開きっぱなしになっていた。侵入者が入った場合どうするんだ、とかを考え始めるととても面倒なのでやめる。
したがって、おれらはなんの検査もなしにギルド内へスルーすることとなる。
「――はぁい! ようこそ、“ビクティニのギルド”へ!」
……そして、なぜか熱烈な歓迎を受ける、はめになった。
*
「うわぁ! ひさびさのお客さん! 弟子入り希……いえ、見て行くだけでも大歓迎!」
「は、はぁ」
ドドド、とギルドの奥から突進せんばかりに現れ、おれたちの眼前に来たかと思うと高い声で早口にまくし立てる。そんな彼女は大きくて長い稲妻形の尻尾に大きな耳を持ったライチュウという種族だ。
「うわ、しかも小さいお客さんはもっと久しぶり! ゲコガシラさんに……そっちはヒトカゲさんね。ここは探検隊の活動を支援するギルドです。親方がビクティニという種族のポケモンだからビクティニのギルド。で、ご用件は?」
やっとこっちに発言権が回ってきた。
「実はこのヒトカゲを」
「当ててあげる。そう、あなたたたちは弟子入り希望!」
「いや、実のところそうではなく」
「探検隊になりにきたのね!」
「違います、こいつのことを」
「いやぁ、若い子の入隊希望者なんて最近じゃめずらしいわぁ」
「おれの話聞いてます?」
「いや、もうほんと楽しいもんね、未知のダンジョンとか、未知のお宝とか」
「あ、すいませんおれたちはもう帰ります」
どうもこのライチュウはどうしてもおれたちを入隊希望者に仕立て上げたいつもりらしい。おれは早々にこのギルドへと見切りをつけて出口へ向かうことにした。ギルドがダメなら次は保安官のところでスピカを保護してもらうか。
「お邪魔しまし……」
「あああ、待って! 本当ごめん! 私が悪かったから待って!」
チッ。おれがスピカの手を引いて回れ右をした瞬間、ライチュウが先回りをしておれたちの進路の先に立ちふさがりやがった。
「押し売り勧誘、ダメ、絶対」
「お願いよぉおお、本当に見て回るだけでいいんだってぇ! 最近の若い子たちは押しと勢いに飲まれる子も少なくなりやが……いえ、ほんっとうにいまこのギルドは慢性的な人員不足なのよ……」
一瞬腹黒そうな本音が聞こえた気がしたが、空耳か?
「私が入った頃はたくさんいた探検隊も、未知のダンジョンが未知じゃなくなるにつれて加速度的に数を減らし……。ギルド内でも年の波に負け引退、寿退職に転職でメンバーが減る一方だし、しまいに行方不明者が出る始末。私は探検隊兼経理兼雑務兼案内係……。それでもせめて、訪ねてきたお客さんの数くらいは久々に報告したいのよぉ。ね? だから見ていくだけでも……」
「見学、入隊うんぬんはさておき、おれたちは本当にギルドに用事があって来たんですが」
「エッ?」
長々と喋った挙句、たぶんこのあと泣き落としの計でも謀ろうとしたのか目元にウルウルと涙をためていたライチュウは、おれのその言葉に一転、パァッと顔を明るくした。
「なによー! それを早く言ってくれればよかったじゃなーい!」
話の腰をぼきぼきに折ったのはどっちだと思っているんだ!
「あはは、ごめんなさいね。で、改めまして要件は?」
「このヒトカゲ……スピカって名前らしいんですけど」
おれはざっくりと、朝から今にかけて起こったことを探検家兼その他諸々のライチュウに話すこととなった。
「へぇ、ふぅん。こんな可愛い子がたった一人でおつかいね」
「おつかいとやらの詳しい内容は聞いていないのですけれど、まぁこちらで一旦保護していただきたく」
「もちろん! ギルドをあげて親元へ返す手伝いをするわ」
ああ、助かった。面倒はこじれる前に潰すに限る。
「では、おれはこれで……」
「やぁ! もずく、おいてかぁ!」
ビトッ、とスピカがおれの腰に張り付いてはがれない。いや、置いてかないでと言われても。
「やーめーろーよぉ、はーなーせーよぉ」
「やぁあだぁ!」
「このライチュウ――」
「――スバルよ」
「スバルさんとやらが面倒見るからさぁ」
「やぁだぁああ!」
“ス”の付く名前のやつはみんな面倒だ。できれば次に現れる奴はサ行以外の名前で頼む。
「あらら、すごく懐かれてるね」
そしてスピカを預かるであろう当の本人はまるで他人事だ。
「ねぇ、スピカちゃん、だっけ」
スバルと名乗ったライチュウは、スピカと目線を合わせるためにしゃがんで目を覗き込む。
「お姉ちゃんじゃ、いや?」
「やだぁ、ずくがいい」
また名前が間違っている。
「うん。そうだよね。じゃあまた今度モズク君とギルドに訪ねるまでに、お姉ちゃんがスピカちゃんのご両親の居場所を調べてみるね」
おい、さりげなくおれを道連れにしようとしてやがるな。
「だから、スピカちゃんのおつかいの内容だけ、いま教えてくれない?」
「うー、おつか?」
「そう、“おつか”」
スピカはスバルさんの言葉に多少心を許したらしい。おれにそうした時と同じように、カバンからあの紙切れを取り出してスバルさんに手渡した。その間、もう片方の手はおれの手首を掴んで離さなない。これじゃ逃げるに逃げられん。
「ありがとう、ちょっと見せてね」
スバルさんが手に取った紙、これはどうも手紙というよりメモの切れ端に近い。彼女は二つ折りになっていたそれを鼻歌交じりに開き、書いてあるであろう文字を目で追う……が。
「こ、これ……」
どうも、気のせいではないらしい。スバルさんの表情が固くなっていた。スピカに発したのかそれとも自問自答したのか、とにかく絞り出された声が若干震えているのがその証拠だ。いや、顔が固くなるという表現すら生易しいのかもしれない。初めて出会った子供を前にして、そんな表情を見せられるのか、というほどだ。
そして、彼女はスピカに問う。
「これ……一体、どこでもらったの?」
*
「これ……一体どこでもらったの?」
「うぅ……」
スバルさんが青ざめた声でそういい終わらないうちに、スピカは彼女におびえた様子でおれの後ろに隠れた。そして、それもうなずける。先ほどまでの陽気な雰囲気は、おつかいの内容が書かれているであろう紙切れを見た瞬間、嘘のように鳴りを潜めていたからだ。
いったい、その紙切れに何が書かれていたというんだ? いや、だがそれを聞いたらそれこそおれも道連れじゃなかろうか。そんなことを考えているうちに、スバルさんはスピカの方へズルズルと近づいていく。つまるところ、スピカに隠れられているおれに彼女が近づいてくるわけだ。
「す、スピカちゃん。これをどこでもらったの? 教えて、お願い」
「う、うぅ! こわい……! こわいよぉ、もずく……」
おれを挟んで真剣だが不気味だかわからないやり取りを始めないでくれまいか。スバルさんは切羽詰まっているし、スピカは怯えて頭をかかえる始末だし……というか、スピカが異常に怖がりなのは否めないが。
おれが間に入らないと埒があかないか。
「お、落ち着いてくださいよ。その紙切れに一体何が書いてあったというんです?」
「それは……私だって、この子に説明してもらわないと状況がよめないの」
「こいつ、どうも年に比べてうまく言葉を喋られないっぽいんです。だからおつかいの正しい内容をうまく話せるかもわからない」
「そう……」
おれがそう言うと、スバルさんはやっとショックから落ち着いたのか、深いため息をついて少しばかり冷静さを取り戻した顔になった。そして、手に持っている件の紙切れをもう一度開き、閉じる。まるでこれが現実なのか、と確かめるかのように。
「わかった。――ごめんねスピカちゃん、びっくりさせて。とりあえずここで話すのもなんだね。奥に案内するから、そこで話しましょ」
――What's it that you ordered;“OTSUKA”?――