20 I'm Looking for……
くそっ……! 万事休すか!
おれは強く目を閉じた。降りかかるであろうおれの体の何倍もの太さの拳の痛みに耐える準備をした。
「…………」
なんだ? おかしい? いつまで経っても痛みや衝撃が襲ってこない……!
おれは勇気を出して恐る恐る目を開けてみる。片目から、ゆっくりと。
「うぉ……ッ!?」
情けない声を上げるはめになった。
おれの数センチ目の前で、魔神の拳が静止している!
「ぐ……! も、モズク君! 大丈夫か……!?」
その直後におれの背後で呻きに似た声が聞こえた。そうだ、拳から距離をとらなければ……! 声のおかげでやっとすくんだ足が動けるようになって、おれは腰が抜けた姿勢のまま後退した。
声をかけたのは、先ほどの魔神の拳の猛攻をくらってもなお、頭を手で抑えつつ起き上がったカイさんだった。そのすぐ向こう側ではシャナさんがどうにか両腕を震わせながら上半身だけ起き上がっている。リィは……まだ倒れたままだ。
「ぐ……っ! 大丈夫、気絶しているだけだ。本当にダメなら、バッジがリィをワープさせている」
そうか……、なら、一安心だ。
全員の無事に胸をなでおろし、そしておれたちは再び前を向く。
「オ、オオオオ……ッ!」
腕はおれを殴らんとしているにもかかわらず、まだ空中で静止したままだ。魔神が叫びながら力を入れいているが、どうも腕が動かないらしい。それは他の五本の腕にしても同じことだ。
まるで、目に見えない力が自分の腕を抑えているかのように――。
「うごけよぉおおお!」
六本の腕が一斉に引き、そしてもう一度おれたちを殴ろうと迫った。唯一動けるカイさんがおれの前に出る! あぶない、なんてことするんだカイさん!
ビタッ!
だが、先ほどと同じように、おれや、カイさんや、シャナさんたちの眼前スレスレのところで拳たちは動きを止めた。力を精一杯入れてブルブルと筋肉が震えているのに、なぜか、魔神はおれたちを殴れない。
もしかして……。
「スピカ……!?」
お前、なのか? お前が魔神の動きを止めているのか?
「――モズク!」
「!」
フロアの入り口から鋭い声が飛んできた。そして残像すらみえるんじゃないかという素早さでおれのほうに走ってくる……フローゼル!
「先生!」
「無事ですか!」
先生はおれとカイさんの横で急ブレーキをかける。まさか、おれたちを後から追ってきたのか?
「ローゼさん!」
「カイ君、あなたも……みなさん無事ですね?」
「魔神が急に動きを鈍らせて……! でもどうしてここに!?」
「魔神が動きを? やはり、まだスピカさんは消えていないのですね!」
先生の言葉に、おれは今日初めて一縷の希望を見出した気がした。そうだ、おれはスピカを救いにきたんだ。
「詳細は省きますが、魔神の急所がわかりました」
「どこですか!」
おれは鋭く切り込む。先生は指を立てて、それをまっすぐに、動けない魔神の胴に向けて指差した。
「あの腹の中央部分、リングの中の黒い空洞です!」
「モズク君、乗れッ!」
カイさんはこれ以上の会話を待たなかった。走りだすと同時に彼は腕をおれに差し出す。おれはそこに足をかけ、言われるがままにカイさんの肩へ飛び乗った。彼さんは一点、魔神の黒い腹に向かって走る。
魔神は思い出したように再び動きを取り戻した。空気を震わす咆哮をあげ、再び俺たちを叩き潰そうと動く。そんな迫り来る腕を、カイさんはしなやかな動きで避け、払い、飛び越えた。
そしてもう一度、今度は魔神の胴に向かって跳躍する!
「さぁ、モズク君――」
カイさんは両手を伸ばし、手を握ってレシーブの構えをとった。
「――行くんだッ!」
頷いて、彼の手首に足をかける。彼が腕を上げたのと同時に、おれは飛ぶ。
魔神の黒い腹に、飛び込んだ――!
*
気がついてみると、辺りは一面真っ暗だった。
それも当たり前だ、おれは魔神の腹の、リングの中の黒い空間に飛び込んだのだから。ここは、おれたちのいる世界とは、違う世界……。
魔神フーパの心の世界だろうか。
耳の痛い静寂のなかで、おれは何も見えない真っ暗闇を歩き出す。かすかに耳を澄ましてみると、なんだが小さい囁きごえが聞こえてくる気がする。
シクシクと泣く子供の声。
呪ってやるという女の声。
憎い、と低く唸る男の声。
寂しいと訴える老いた声。
「やめろ……」
思わず耳をふさいだ。
これは、きっと魔神の心の声だ。同じポケモンだというのに、力が強大すぎるという理由で、封印され閉じ込められ続けた魔神の、おれたちに対する呪詛の声だ。
この感情を、おれはどこまでも知っている。
おれと魔神は、比べられないかもしれないけど、多分、似ている。
おれを捨てた親を憎む気持ちと、自分を封印したポケモンたちを憎む気持ち。
共鳴しているから、耳を塞ぎたくなる。
「ある、かなきゃ」
歩かなければ。おれは、スピカを見つけなければいけないんだ。
気を、しっかり持つんだ。
この空間が負の感情の澱だとしたら、そのなかで、きっとスピカは泣いているに違いない。
スピカ。
お前はいったい、どこにいるんだ。
「スピカ……! ――うっ!?」
真っ暗な世界の中で、なにかがチカリと光った気がした。暗闇に目が慣れきっていたおれは、その小さな光にも痛みを感じて瞼を閉じる。
光。
まるで、星が放つような光。
思わず走り出していた。そうだ、あの光はきっと……。光にむかって走り出す。どんどん近づいて行く。光はだんだん淡くなる。少しずつ弱まって行くが、距離はだんだん近くなる。
そして――。
「……はぁ、はぁ……」
おれはそいつを見下ろした。
「きたぞ……」
おれの足元に、丸まって横たわるヒトカゲがいた。
「なぁ、おれはきたぞっ……!」
気づけば、泣いていた。
「――スピカ……ッ!」
おれはしゃがんで、スピカを抱きしめていた。
「やっと、あえたな……」
まだ消えてなんか、いなかったんだな……。
「……むぅ」
おれの腕の中でもぞもぞとヒトカゲが動く。そして寝ぼけ眼をこすって目を覚まして、おれの姿を認めると……。
「も、もずくぅ! わぁあああん!」
大粒の涙を流しておれに抱きついてきた。おれは強く抱き返した。
「スピカ、ごめんな……! 暗いところで独りぼっちにさせて……!」
「うう、こわかたよぉおおお!」
「ああ、ああ、そうだよなぁ」
しばらく、泣き続けるスピカをそのまま抱いていた。少しだけ落ち着いて、ひっくと嗚咽を漏らして、おれの胸から顔を離したスピカに、おれは視線を合わせる。
「さぁ、ここから出よう」
出る方法なんて、わかりやしないが――。
「お前が望むなら、またおれと一緒に果樹園の手伝いをしようぜ」
「ううぅ」
おれはスピカの手を引いて歩き出す。
ぐい。
繋いでいた方の腕は、だがおれが歩き出した途端に引っ張られた。どうしたんだ? おれが不思議に思って振り返る。
スピカは、その場から動こうとしなかった。
「お、おい……、はは、なぁ、どうしたんだよ」
「ううぅ、すぴか、いけなぁの」
「え?」
いま、聞き間違いじゃないよな?
“いけない”――?
「どうして、ど、どうしてだよ……?」
おれは、お前を連れ戻すためにここまできたってのに。
「ここ、こわい。こわい、きもちたくさん。でも、みんなすぴかなの。すぴかのきもちなの」
おまえの……?
「すぴかがいなくなしたら、だれも、ほんとに、とめられなぁの。みんなを、けすまで、あばれの」
「お前が魔神から出て行ったら、本当に魔神の暴走を止められなくなるってのか?」
「だって、すぴか、さいごのやさし、なの」
“最後のやさしさ”……。
「そ、そんな……そんな……!」
全身から力が抜けた。膝をついた。立てなかった。
「お、おれは……おれはっ、ずっと、お前にはおれが必要だと思ってたんだ。だけど、違うんだよっ! おれがお前を必要だったんだっ! それを伝えたくて……! ずっとそばにいたくて、ここまできたんだっ!」
この気持ちを、どうすればいいんだ。
憎しみでもない。
依存でもない。
不信でもない。
おれの中にあふれるこの気持ちを、なんと名をつければいいんだ。せっかく芽生えた気持ちなのに、それでもスピカは行けないと、いうのか。
「なぁ、たのむよ……そばにいてくれよ……」
うつむいて泣く。涙がおれの手の上にたくさん落ちた。
「もずくぅ」
スピカがおれの名を呼ぶ。顔を上げる。スピカも泣いている。泣きながら笑っている。
「ぎゅー、していい?」
「……ッ!」
おれは、スピカを強く抱きしめた。
強く、強く抱きしめた。
それだけでわかってしまった。
「う、ううううっ、わぁあああ……!」
「もずくぅ……!」
そうだ、そうだよな。
おまえはスピカだ。
だけど同時に、魔神の心なんだよな。
魔神の、優しい、優しい心だ。
離れられるわけが、ないよなぁ。
「もずく、だいすきだよ」
「ああ……おれもだよ」
抱きしめているスピカの体が、淡く光り出した。
ゆっくりと、だけどだんだん強さを増していく優しい光に、おれの視界は明るく、そして真っ白に染められた――。
*
――オォオオオオオオ……。
魔神が、声を上げる。低く、低く、そして小さく声をあげる。
カイたちを攻撃しようとしたままの姿勢で制止していた魔神の腕は、その声と同時に、ゆっくりと魔神の本体へ戻って行った。
魔神の全身が、淡く光りだす。
黄色とも、白とも見分けがつかぬその光に包まれた魔神は、そのまま頭の先から光の色の粒子になった。
そして肩も、胴も、六本の腕も、足、尻尾にかけてまで。
魔神だったものの粒子は、風に乗って、上昇し……。
最後には、消えて行った。
カイと、シャナと、リィと、ローゼ。
四人は確かにその様子を見ていた。
そして、消えた魔神のいた場所で――モズクが静かに横たわっていた。
――I'm Looking for……――