1 Why don't you come with Me?
――拝啓、先生へ。
あなたと別れてから数週間経ったでしょうか。おれ……いやぼくは、やっとこさあなたの指示通りにトレジャータウン近辺にたどりついたところです。
そちらの方はどうでしょう? 先生が今、どこにいらっしゃって、なにをされているのか……ぼくには検討がつきません。
先生、きっとまた会えますか? 会えると信じてもいいですか?
今ほどあなたを直接お目にかかりたいと思うことは、きっと今後ないでしょう。なぜなら、ぼくはあなたにお会いしてどうしても申し上げたいこと……いえ、やって差し上げたいことあるのです。それは、そう――。
一発、ぶん殴らせろ。
*
「まぁ、あなたももう十分強いでしょう」
その言葉はあまりにも唐突で、おれはついつい、はぁ? と先生への態度にはふさわしくなであろう声をあげた。だがよくよく考えてみると、先生の言葉が唐突でなかったことなどほぼ皆無だ。
先生の発した言葉の意味だけを捉えるならば、確かにおれは十分強い。入るたびに地形が変わるという特殊な森や、山……いわゆるダンジョンと言う名の脅威にも十分耐えうるほどの戦闘力は持ち合わせているつもりだ。
だからって、それが今更なんだというのだろう?
「なので、あなたには一人でとある場所に行っていてもらいます」
話が全く見えない。
「トレジャータウンという場所なのですがね」
あんたはどうするんだ。
「ちょっと単身で調べることができまして……そこで待っていてくれれば、事が済み次第あなたを迎えに行けるのですがねぇ」
ここ数年間一度たりとも離れて行動したことがなかったのに、いまさら単身でやりたいこと、だ? もし調べ物なら一人より二人だろう。
「ふっ……あなたならそう言うと思いましたよ」
なんでそういちいち偉そうなんだよ。
「ただ今回は、いつものようにどこまでもついて来られると困るのです」
そう言って先生は、腕を振り上げる。
「なので、一度気絶してください」
はぁ。一度気絶ねぇ……え?
ドカッ。
笑みとともに放った言葉の意味をおれが察知するより先に、一瞬にして視界が真っ暗になった――。
ふと目を覚ますと、昨夜寝床に決めた森の木々から朝日が差し込んでいた。
なんだ、夢か。
「はぁ……最悪の目覚めだ」
そばには誰もいないのに、ついついそう口に出してしまう。だが悪態の一つでもつかないと、おれの受けた仕打ちが報われないってもんだ。
何週間も前にあった突然のことがまさか今になっても夢でフラッシュバックするなんて、本当になんたる目覚めだろう。おれは早々に身支度を整えて立ち上がった。おそらく今日あたりには、目的の場所へたどり着くことができると信じて。
「めんどくせぇよ、くそ……」
またついつい悪態を垂れてしまったが、よくよく考えれば、先生に悪態を吐くなんてこんな不毛なことはない。そもそも先生は根が奇人変人の類だ。二、三年もの間行動を共にして来たおれが言うんだから間違いない。一つの場所に落ち着かず、自身の知的好奇心を求めて町から町への根無し草……家を数年開けるなんてザラだ。その証拠に、おれは未だに先生の家を見たことがない。
性格の方はというとこれが救いようもない。なまじ頭が切れるせいで相手の痛いところを突いてしまい……いや、痛いとわかっていながら突き、トラブルを招くどころかトラブルを好む確信犯的で面倒な体質だ。にもかかわらず相手に迷惑をかけようがなんだろうが、自分のやりたいことだけをやる。それこそ「ついて来て欲しくない」と言う理由だけでおれの脳天をぶっ叩くほどだ。
普通のポケモンなら――いや、普通のポケモンでなくとも、誰が好んで先生に近づいたり行動を共にしたいなんて思うだろうか。否、断じて否だ。
じゃあそんな先生についていたおれはどうなんだという話だが、いかに奇人変人とはいえどもおれは彼に面倒な恩義がある。
先生とは、ちょうど今おれが今歩いているような森のダンジョンの中で出会った。ダンジョンといえばおれらのような者とは違う、野生に住む攻撃性の高いポケモンがうじゃうじゃといる。その頃のおれはまだ弱かったので、例に漏れずダンジョンのポケモン達に追いかけ回される羽目になったのだが……。
「――た、たすけっ!」
そう、まさに今しがた聞こえたような感じで、助けを求める声をあげていたら……。
あ?
「たっ、たす……たすけっ!」
空耳、か? だが確かにいまおれの近くで誰かが助けを求めている……らしい。どうも言葉の区切り方が独特だから、ちょっと自信がなくなって来た。
いや、でも本当にこの先に何かあるとしたら、面倒臭いなぁ。迂回しようかな。
「た、たす……ひやぁ! やっ……たすけ!」
「……」
“たすけ!”のすぐに続けて聞こえるのは、ガサガサと茂みを乱暴に掻き分ける音、そしてウォオオといううめき声だ。
「ああ……」
どうも気のせいではないらしい。この先で誰かがダンジョンのポケモンに襲われているみたいだ……。
――めんどくせぇ。
道を迂回しようと踏み出していた両足を、本来の進路へ戻す。
おれが先生との出会いを思い出していなければ、きっとこんな面倒なことはしなかっただろう。
そう、先生。あんたならきっと気まぐれでおれを助けた時のように、この場にいたら興味半分で目の前の誰かさんを助けるだろう?
助けを呼ぶ声のする方に、茂みをかき分け歩を進める。おれの頭近くまでの伸びた雑草が正直チクチクと無駄に痛い。だが、声の主のところまでたどり着くのに、さほど時間はかからなかった。
「ひゃ、ひゃぁ! ついて、くな! あっち! しっ!」
「ウォオオ!」
どうやら、追いかけられているポケモンは全体的に橙々色の体にお腹の部分だけが白い色をしていて、一番特徴的なのは伸びた尻尾から燃える火か。たしか、ヒトカゲという種族だったはずだ。おれの記憶よりも一回り小さいそのヒトカゲが、妙な言葉の区切りかたで助けを叫けんでいる声の主で間違いなさそうだ。肩から下げている探検用のちいさいカバンがあるから、まずダンジョンのポケモンではないだろうし。
一方そんなヒトカゲを追い回しているのは、大木に腕をつけ、そして不気味な目と口を幹の間につけたかのようなポケモン――オーロットだ。
「でーてーけーーー!」
「ひゃああああ!」
「……」
うーん、ヒトカゲを追い回すオーロット。どうもこの状況を見ている限り、ヒトカゲが誤ってオーロットの縄張りに入ったとか、森の木々を炎で傷つけてしまったとか、おおかたそんなところだろう。オーロットはもともと自分の住む森には優しいおおらかなポケモンだ。侵入者が縄張りから出て行けばこれ以上追ってこないだろう。だがヒトカゲはそこまで頭が回らないのか、さきほどから同じ場所を、尻尾を追いかけるエネコのようにぐるぐると走り回っている。
「はぁ……」
面倒だが、仕方ない。
おれは、ゲコガシラの種族のみが持つ首回りの泡を、ちぎって手に取った。そしてそれを……。
「よっと!」
オーロットの目元にびたん、と貼り付ける。
「オォオ!?」
「ひゃあ!?」
我ながらナイスコントロール。悪いねオーロット、もともとあんたにゃなんの恨みもないんだが……。
オーロットがおれの目潰しに驚いたことで、ヒトカゲはびくりと肩をすくめながら足を止めた。その隙におれはヒトカゲの手をとって森の出口へ走る。
「さぁ、逃げるぞ!」
「ふぅ、ま、ここまでくればさすがに追ってこれないだろう」
少しオーロットから離れるつもりが、ダンジョンのフロアを一段くぐり抜けていたらしい。手を掴んでとっさに連れてきてしまったヒトカゲの方を見ると、息がかなり上がっている。まずい、おれの体力を基準に走ってしまったか……。
「大丈夫か?」
「……?」
ヒトカゲは声をかけられたことで、まるで初めておれの存在に気がついたかのように、大きめの瞳をこちらに向けた。そして、なぜかそこに涙をためる。
「う、うう! わぁあ!!」
「うおぁ!?」
そしてなぜか、足元に抱きつかれた……。
「こわかたぁああ! うわぁああん!」
「お、おいやめろ……」
「あり、ありが……ありがぁああ!」
「お、おう……」
ど、どうやらいまのはお礼だったらしい。わかりにくい言葉の区切りかたをしやがる。
さっきオーロットから逃げ回る時も同じルートをぐるぐる回っていたことといい、ヒトカゲという種族にしては一回り体が小さいことといい、この言葉遣いといい……。まだ幼い子供なのか? それとも年より成長が遅れているのか……? 声からも性別がどっちか判別つけられないし……。
「おい、お前みたいなそんな年端もいかない子供がどうしてこんな危険なところにわざわざいるんだよ。責任者をよべ」
「う? せきに?」
「あー、すまん。つまり親はどこだ」
ヒトカゲは首を横に振る。
「おいまさか、一人でここにきたのか」
「う!」
「また、なんでそんな……」
「おつか!」
おつか? なんじゃそりゃ。
謎の言葉に俺が首をひねっていると、ヒトカゲは肩に提げていたカバンからごそごそと何かを取り出す。紙切れ……手紙、か? いや、だが手紙にしてはあまりにも紙の端がビリビリに破けている。
「おつか!」
「あー、もしかして……“おつかい”、か?」
「う!」
アホなのか? ……アホなのか。マジで責任者でてこい。この世界のどこに、ダンジョンを踏破できない子供をダンジョン向こうへおつかいに行かせる奴がいる?
「とりあえずその紙切れを見せ……いやー、いや。面倒臭いことになりそうだ。わかった。“おつか”だな。だったらとりあえずダンジョンの外までは一緒に行ってやる」
*
このダンジョン自体はさして深いわけでもない。おれがヒトカゲを連れ出してから半時間もかからないうちにダンジョンの出口だ。だが、その間もこのヒトカゲはおれの腰にぴったりと張り付いて離れようとしない。歩きにくいわ、戦いにくいわ、で不便なことこの上なかった。
「――ほら、出たぜ」
だから、おれはダンジョンから出た瞬間にヒトカゲを腰から無理矢理ひっぺがした。奴は少し寂しそうな顔をする。
「一応この先は安全だろうから、通りすがった大人に助けを求めるなり、“おつか”にでもいくなり好きにしな」
「……」
ウルウルとした瞳で、ヒトカゲはおれを見つめてくる。
「いや、そんな顔しても連れて行く気は無いからな、じゃあな」
とにかく、面倒ごとは勘弁なんだ。おれはスタスタと目的地の方へ歩き出す。
すると、おれが歩いた分だけ、後ろからもひたひたと歩く音がする。おれは止まる。すると足音も止まる。おれが歩く。すると足音もまた聞こえる。
「……」
いい加減にしてくれ……。
「ついてくるなって!」
ぐるん、と思いっきり後ろを振り返ってやると、やっぱりヒトカゲがおれの後ろについてきてやがる。
「お前の“おつか”とおれの目的地が一緒とは限らないんだぞ! マジでついてくるな、じゃあな!」
おれはさっきよりも早足で歩き出した。今度は足音もついてこなかった。よし、これでいい。本当に面倒なことは勘弁だ。ただただ、波風立たない方向に行くのが好ましいに決まってる。先生の指示に従ってトレジャータウンに行くのも、色々と面倒なことがないと思ったからであって……。
二十歩だか三十歩だか歩いた後だろうか、おれはついつい、さきほどまでヒトカゲがいたであろうその場所を振り返ってみる。
「……ああ」
くそ、やっぱりあいつは同じ場所にいやがる。もしかして、夜になってもずっとその場にいるつもりか?
「あああああああああ、くそ」
ズザズザズザ、と。おれは早足でヒトカゲのいる地点まで戻る羽目になる。
「おい、お前」
おれがヒトカゲに声をかけると、うつむいていたそいつはバッと頭をあげて、しまいには目にキラキラを乗せる追加効果つきときた。
「う!」
「ずっとこのままこの場所にはいられないだろ」
「うぅ……」
「お前の“おつか”の目的地は知らないが、とりあえずおれの目的地まで来るか?」
「う?」
「“おつか”の目的地より遠くなっても、文句はなしだぞ」
「あい!」
おれは歩き出した。そして、ヒトカゲはそのあとを、おれの腰に隠れながらついてきた。
「そのあとのことは、本当に知らないからな!」
「ありが!」
「ありがとうと言え!」
「あいがと!」
うーん、ちょっとちがう!
――Why don't you come with me?――