17 Living Legend and Real Hero.
「あー……まだ頭にモヤがかかったような感覚がする」
会議が終わりメンバーが三々五々散った後、カイはスバルとともにギルドの自室へ戻ってきていた。部屋に戻って一番に、彼は寝床の上にドサリと仰向けに倒れてそう言う。
もともと一ヶ月近い間自分の生命力を魔神に吸われ、飼い殺しに遭っていた身だ。ジェムの言う通り歩けることすら奇跡だろう。横にいたスバルはカイの言葉に内心でそうフォローしつつ、心配とその他の感情をごちゃ混ぜにした表情でカイを覗き見る。
「カイ、本当に少し休んだら? 目覚めてから全然そんな時間なかったじゃない。だから頭がぼうっとしても仕方がないよ」
「あ、いや、違うんだよ」
カイは体を起こした。そして、自分の失言に苦く笑う。
「体の方は、本当にもう大丈夫なんだ。そりゃ、疲れちゃいるけど……。ただ、何かを、忘れているような気がする」
「え?」
「何か……うーん」
首をひねって唸る。ギルドを発ってから今日に至るまで思い出せない箇所はなかったはずだ。会議の時に説明しても漏れはなかった。なのに、記憶ははっきりしてるのに、なぜか家から出て戸の鍵を閉めたかどうかを思い出せないような、何を忘れているかも思い出せないようなチクリとした違和感がある。
「あるいは、スバルが“十万ボルト”でも僕に撃ってくれればなにか思い出せるだろうか」
「え、なに、その物騒な発言は」
カイは立ち上がった。そんな彼からスバルは一歩距離を取る。
「スバル、一発頼むよ」
「い、いや、本気?」
「さぁ、かもん!」
「待ってよっ! ただでさえギルドが非常事態なのに、こんなところで電撃なんて放ったら何事かとみんなが寄ってくるじゃない!」
「そのときは、カップルの久しぶりの再会でイチャついていたとでも言えばいいさ」
至極当然とばかりに放たれたカイのセリフに、スバルが赤面しながら叫ぶ。
「あ、あらぬ誤解を受けるのはどっちだと思ってるのよっ!!」
「――お楽しみのところ、申し訳無いのですが」
第三者の声が部屋の入り口から聞こえてきた。何かの攻防でも繰り広げるかのごとくじりじりと向き合っていた二人は、同時にその方へ振り向く。流浪探偵ローゼが、入り口のかどに背を預けてニヤニヤと二人を見ていた。
「ろ、ローゼさん、いつからいたんですか……」
「最初からですよ」
ボン、とスバルの顔が沸騰したかのごとく赤らんだ。それを隠すかのようにうつむく。
「い、いた時点で声をかけてよぉっ……!」
スバル以外の二人は、腹からこみ上げる笑いを必死で堪えた。
しかしそれも一瞬のことで、ローゼはいつもの顔つきに戻る。
「で? カイ君、何を忘れているですって?」
「あ、いえ……大したことじゃありません。あれ、ローゼさんは何しにここへ来たんですか?」
「ああ、そうでした。――今から“サンバーク”に事情を伺いにいくところです。カイ君、あなたにも同行してもらえませんかねぇ」
*
「本当に、申し訳ねぇことをした……!」
魔神の洗脳から解かれたことをカイの読んだ波導で確認できところで、三人は縛り付けられた状態からやっと解放された。だが、解放されても彼らは座り込んだまま頭を上げられずにいる。カイとローゼは、お互いに顔を見合わせた。
「い、いや……僕が逃げてしまったばっかりに、君たちは魔神に操られてしまっていたんだ。仕方のないことだよ。謝るのは僕の方だ」
「だ、だけど……!」
カイの言葉の語尾に食いつくかのごとくアーボックのカーラが悲痛に言う。
「あたしたち、ありもしない団長の進言書を偽造したり、平気で小さい子を攻撃したり、挙句には殺そうとしたりしちまったって聞いて……! これじゃあ調査団失格だよ……!」
「良心の呵責があるのなら、操られている間に何か気づいたことがあれば、どんな些細なことでも結構ですので、教えていただけますか?」
ローゼはあくまでも淡々としてた。自分の連れ、つまりモズクを攻撃した相手を目の前にして何事もなく振る舞えるのは、探偵たるローゼの精神力ゆえなのだろう。カイは黙りこそしていたものの、ローゼに対してそんな印象を抱く。
「ビビッ、覚えていること」
だが三人は、レムの言葉を最後に、考え込む仕草のまま沈黙してしまっていた。全員が静まり返って“サンバーク”の発言を待ったが、しばらくして耐えかねたようにデンゴが言う。
「すまねぇ。操られていた時の記憶はごっそり抜けちまってるんだ。だから魔神に関して気づいたことはなにもない。何も考えなくても体が勝手に動いて……文字通り操り人形だった。俺たちは発する言葉すらも操られていたし、正直今も記憶はないし、操られていた時も奴の暴力的な負の感情が常に脳内に奔流していて何かを記憶するどころじゃなかった。……苦しかったんだよ」
「つまり、記憶を保持すらできない状況だったというわけですね」
ローゼの言葉にデンゴはうなだれた。
「だから、探偵さんが今まで知り得た以上の情報は、持っていないと思うぜ」
「そうですか……」
ローゼは小さく嘆息した。
「スピカさんの救出の糸口がほんの少しでもつかめると思ったのですが、そう上手くもいきませんねぇ」
“サンバーク”のいる部屋から出た後、ローゼは独り言だかカイに向けたのだかわからぬトーンで言う。横に立つカイも、彼にしては珍しく肩を落としてしおれていた。
「僕も、悔しいです。ただ、スピカのそばにずっといたであろうモズク君はもっと辛いと思います」
「ええ」
「そばに、いなくていいんですか」
「わたくしじゃあ、どうしようもありませんよ」
ローゼにしては珍しく、くしゃりとした笑い方だった。どんな複雑なトリックも片手間で解いてしまうようなあの探偵が、モズクに対して何もしてあげられないとお手上げの姿勢だった。
「ほら、わたくしたちは……人生でさまざまなことがあったとはいえ、愛されながら生まれてきたでしょう?」
カイは大きく頷く。
「モズクは、そうではない。彼はあまりにも不憫ですよ。生まれてからすぐに親に捨てられ、それから今まで一人で孤独に生きてきたのですから」
「捨てられた……?」
「ええ。ですから、わたくしがボロボロのモズクを拾うまで、彼は自分を捨てた親に復讐するためだけに生きてきました。わたくしに会ってからは、その感情があまりにも醜いと、必死に心を押し殺していました。だから、わたくしから離れられなかったのですよ。わたくしから離れたら、醜い感情が復活してしまうと思ったのでしょうね」
「醜い感情、ですか」
「そんな彼が、やっと出会えたスピカさんまで失ってしまって……本当なら何かそれらしい言葉をかけてそばにいて差し上げたいのですが、正直わたくしの言葉がそうそう彼に響くとも思えません。以前の押し殺した自分にきっと逆戻りです。だから、わたくしはどうしても、こんなときでも、彼を突き放すことしかできない……不甲斐ない限りです」
歩き続けながら言葉の述べていたローゼは立ち止まり、そして向かい合った。
「カイ君……こんなことを言うのはおかしなことかもしれませんが、あなたの言葉ならあるいは、モズクに前を向いてもらえるかもしれません」
「僕の?」
「わたくしが苦しんでいた時、あなたの言葉で救われたように……きっとあなたの言葉は誰かの心を導く力があるのです。本来なら、彼を拾い上げたわたくしがすべきことですが、どうか、お願いします――」
厳かに、低く、ローゼは真っ直ぐな視線でそう言った後、あまりにも美しすぎる姿勢で、カイに向けて頭を下げた。
「――彼の……モズクの、そばへ行ってはくれませんか」
「ろ、ローゼさん」
カイは少なからずうろたえた。ローゼが、未だかつて彼が、ここまで切実に誰かへ頭を下げたところを、カイは見たことがなかった。その様子が逆に、ローゼの本気の度合いをうかがわせた。
「僕は、あなたにお世話になりっぱなしです」
カイの答えは、初めから決まりきっていた。
*
おれは先生のそばにもいられなくなって、いよいよ独りになるしかなかった。どこに行っても大人たちは魔神の後処理に追われるばかりだ。あれは、魔神じゃない……スピカなのに。
だけど、スピカはもういない。おれが、彼女を黒く染め上げてしまった。果樹園に行ったところで、スピカの姿はもうないんだ。
やっと、おれを必要としてくれる存在が、見つかったと思ったのに。
本当に、おれは、どこにいても“いらない子”なんだろうか。
「――やあ、モズク君」
背後で声がかかった。振り向かなくったって声の主が誰かなんてわかる。もう、誰かと話し合う気力なんてなかったけれど、でも、声をかけられたら振り返るしかない。
月の光に照らされて、おれの前に立つ彼の姿はさらに威厳を放っているように見える。“生きとし伝説、生ける英雄”――ルカリオの、カイだ。
「大丈夫? ……だなんて、聞ける立場は僕にない。だけど、君はこれからどうするんだい?」
「これから……なんて」
おれに“これから”なんてあるわけがない。
「おれは、望まれて生まれてきたわけじゃない」
“いらない子”、と。確かにおれは言われてしまった。あの言葉が、おれの人生の全てを決めた。そう、言うなれば、両親と思っていたモノから言われたあの言葉は、呪いだ。
一生解けることのない、呪いなんだ。
今も両親の顔だけぽっかりと黒いままなのは、きっと自衛だ。彼らの顔を思い出してしまったら、きっとおれの心は壊れてしまう。
「おれは、なにもできません。何かをする資格なんて、ありません。先生から聞いたんじゃありません? おれは今まで、先生について行くことしか能のないポケモンでしたし」
依存、か。先生から言われた言葉が今更おれの心に突き刺さる。
「親への復讐しか考えられなかったおれに、先生はそれ以外の道を示してくれた。だけど、おれは心を殺すのに必死だった。先生についていれさえいれば、あの心に支配されずに済むと……先生がいない独りの夜なんて、考えることもできなかった」
おれとカイさんとは、少し声を張らないといけないくらいの距離があった。そんな彼はおれの言葉を聞いてふっと微笑んで、目の前にまで距離を詰めてくる。
「聞きかたが悪かったようだね。言葉を変えよう……君はこれから、どうしたい?」
「どう……って」
「スピカを、助けたいんじゃないのかい?」
「助けたいに、決まってるだろッ!」
な、なんだ? おれは、まだ自分の腹のなかにこんな爆発するような気持ちを残していたのか? 叫ぶはずなんて、なかったのに……!
「助けたい……助けたいけど、どうすればいいかわからないんだよ! おれが、おれが……スピカを消してしまったんだ! そんなおれに、彼女を助ける資格も、力もないんだ……っ!」
「悪いのは、君じゃない。悪いのは君の心を利用した魔神だよ」
「でも、間違いなくおれの心は、醜かった。そんな心を、持っていなければ、スピカはきっと……!」
「醜くて、なにが悪い?」
「え――?」
おれは半分自分の耳を疑った。うつむいていた顔を上げて、確かめるようにカイさんの顔を見るけど、彼はおれが聞き間違ったんじゃないんだ、というふうにもう一回言ってのけた。
「醜い感情の、なにがいけないというんだい? 心を持つ者が誰かに捨てられた時、捨てた相手を憎まないと思うかい? まさか君は、自分以外に醜い感情を持つポケモンがいないと思っている? この僕にも醜い感情がないと?」
「だ、だって、あなたは英雄だって……」
「ははっ」
カイさんは、なにが面白いのか短く笑った。
「僕だって、誰かを憎くて憎くて仕方がないと思って、たくさんのポケモンを傷つけたことがあるんだよ。それでも、そんな僕を支えてくれるみんながいた。僕はたくさんのポケモンに支えられて今があるんだ。大事なのは、醜い感情を隠し続けることじゃない、うまく昇華させることだ」
カイさんがしゃがんで僕と視線を合わせる。
「あのね、モズク君。君が言われた言葉の数々でついた心の傷は、僕には想像もできないだろう。だけどね、君の価値を決めるのは、誰かの言葉なんかじゃない――君が何を為したかだ」
親になにを言われようが、先生に依存だと突き放されようが、それで君の価値が決まるわけじゃない……カイさんはそう言った。
「君にとって、スピカはどういう存在なの?」
「スピカは……」
独りで、寂しくて、生きる価値もないと思っていたおれの、初めての希望だった。
おれに優しいと言ってくれた。
おれの身を心配してくれた。
おれの醜い心の暴走を、止めようとしてくれた。
おれを、抱きしめてくれた。
スピカが、おれを必要としていたんじゃない。
――おれがスピカを必要としていたんだ……!
涙が溢れてきた。でも、さっきまで流していた苦しい涙とは違う。そうだ。おれは、スピカに、たくさんのものをもらっていた。
それに今更気づいて、嬉しくて、そんなスピカになにもできなくて、悔しくて、だからこんなに涙が溢れてくるんだ。
カイさんは言う。
「君が出会ったギルドのポケモンたちは、みんなわがままだっただろう?」
あらゆる手段を使って、無理やりおれを探検隊に引き込もうとしたスバルさん。
おれの言うことを全く聞いてくれず、バトルに持ち込んで挙句に本気を出してきたシャナさん。
ルテアさんへの嫉妬を理不尽におれへぶつけたリィ。
スピカをギルドに託して、“サンバーク”とかち合う遠因を作ったカイさん。
そして、自分が動きやすくなるために、おれを気絶させてまで一人にした先生。
「今度は、君のわがままに僕らが付き合う番だ。さぁ、君がいま、何をしたいのかを教えてくれ」
「おれは」
頬をつたう涙を拭う。
おれの価値を決めるのは、誰かの言葉じゃない。おれが、なにを為したかだ。
たとえ、望まれずに生まれてきたとしても、おれは生きて、スピカにもう一度会いたい。
おれを必要としてくれる誰かをずっと探してた。だけど、おれには今スピカが必要なんだ。
いま、使命感でもなく、誰かに命令されたでもなく、おれが一番やりたいこと――。
「おれは、スピカを救いたい。もう一度、あいつと会って話がしたい……そんな方法、ないのかもしれないけど、もう手遅れかもしれないけど、もう叶わぬ願いかもしれないけど、魔神討伐に動くギルドの邪魔をすることになるかもしれないけど……! でも、どうか、助けてください!」
カイさんにむかって、頭をめいいっぱい下げた。
「スピカを救う、力を……貸してください……!」
「もちろんだよ」
清々しいほどの即答だった。
「君の心を踏みにじるような大人は、ここには誰一人としていない」
彼はおれに手を差し伸べた。
「さぁ、行こう。そうと決まればぐずぐずしている暇はない!」
おれは嬉しくてたまらなかった。
「……ありがとうございます……!」
もう、きっと、大丈夫だ。
おれはカイさんの手を取った。
――Living Legend and Real Hero.――