15 Outside the Dungeon;Named“Unknown”.
ダンジョン“謎の秘境”にて。
「みんな……逃げろ」
その言葉を絞り出した後、黒い衝撃波が“サンバーク”の前に躍り出た僕へ襲いかかった。
一瞬、意識が飛ぶ。そして気づけば、地面に叩きつけられていた。
「ぐっ……!」
だが、すぐに立ち上がって態勢を立て直すくらいの余力はある。あれはきっと、“悪の波動”だったんだろう。とっさに全身へ力を込めて身構えていたから、比較的軽傷で済んだ。
「デンゴ、カーラ、レム!」
だが、“サンバーク”は“サイコキネシス”で未だに空中に縛り付けられたままだ。三人はどうにか拘束から逃れようともがいているけれど、リングからこちらに出られない化け物は、彼らを離そうとしない。
だめだ、どう考えても形成が不利すぎる……! 僕一人じゃ、とてもじゃないが三人をかばってさらに目の前の未知の化け物を倒せるほどの力量と装備がない。
一度退いて……態勢を立て直す!
そうと決まればやることは限られる。僕は走った。フロアの端にさっきの攻撃で飛ばした化け物の腕――腕にはめてあったリングをつかんだ。これが手元にある限り、奴がこのダンジョンから出ることはない。
「みんな……ごめん! 必ず助けに行くッ!」
そして、僕は後ろ髪を引かれる思いでバッジを手に取った。
「うでぇえええかえせえぇえええ!――」
奴の叫びが空気を震わせる。この場に充満した負の波導が、一斉に僕へ重力のようにのしかかった。だが同時に、バッジから広がった光に包まれる。
ワープ。
“謎の秘境”の入り口にたどり着いて、腰から力が抜けた。
何年ぶりだろう。
この僕が、敵を目の前にして仲間を見捨てたのは。
ダンジョンを踏破できないままワープして、しかもその場にへたり込んだのは……。
あの波導の重圧から解放されてから、僕は初めてブワリと全身から冷や汗が流れ出た。
あれは、いったいなんだったんだ……!?
“謎の秘境”の最深部には、台座があり、そこに置かれた置物――壺の中に化け物が封印されていた。
となると、何百年前かは想像がつかないが、とにかく過去のポケモンたちがアレをどうにか壺の中に封印したということか。だとすれば、その文献か記録がどこかに残っているかもしれない。
だがこの大陸でピンポイントに目的の資料を探すことは非常に困難だ。しかも、僕は仲間を秘境に置いてきてしまっている。彼らが無事でいられるかは、僕がどれだけ迅速に行動できるかにかかっているんだ。記録を調べてもらうのは、誰かに協力してもらった方がよさそうだ。アテはある。だが、そのまえに……。
思わず、僕は自分の手を見下ろす。
その手が、震えている。
僕はもう片方の手で、震える片手を押さえ込むけど……だめだ、これはしばらく止まりそうにない。
僕の体は、あの化け物の全身から放たれる、吐き気を催す波導をもろに受けた。あれは、封印されたポケモンたちへの、憎しみなのだろうか。恨みと、悲しみと、怒りと……複雑に絡み合った感情。あんなに強い負の感情は今まで感じたことはない。
あれは、封印されていた時間に比例した、感情の重み、なのだろうか。
僕は、咄嗟に掴んできてしまったあの化け物の一部であるリングを手に取った。
金色に光り輝く輪。大きさは僕の肩に引っかかるくらい。これだけを見ていたらあの化け物の腕に引っかかっている腕輪だとは想像もつかないだろう。
この腕輪から、何か波導を感じ取れるだろうか? 目を閉じ、意識をリングに集中してみる。
――ドクン!
「!」
僕は、思わずそのリングから手を離してしまった。キィン、という音を立てて、それが地面に落ちる。
なんだ、いまの? リングが脈打ったぞ……!?
そう思ったのもつかの間、地面に落ちたリングが、その金色のメッキと同じ色をした光に包まれる。
「ど、どうしたんだ……!? いみがわからない!」
この場に誰もいないのに、思わず声に出して心のうちをだだ漏れにしてしまった。だがその間にも、リングの光がさらに増していく。それは、ただの輝きを通り越して、まぶたも開けていられず、目を腕で覆わないと失明してしまうかのような強さに……!
「うっ……!」
だがそれも一瞬のことで、僕を襲う光はしぼんでいった。やっと目を開けられるようになって、僕は慌ててリングを見る、が――。
「……へっ?」
――さっきまでリングがあった場所で、ヒトカゲが、丸まって気を失っていた……。
「あ?」
まったく状況が飲み込めない。
「へ?」
僕はその場で首をひねるしかない。
「ん?」
だがその間にも、丸まっていたヒトカゲはうっすらと目を覚まし、そして立ち上がって、挙句に、僕と目があってしまった。
「う?」
「……あ、はい?」
“う?” と首を傾げられても。
「き、君は、何者なんだ?」
とりあえず、声が出せるということは、受け答えもできるだろうか。試しにヒトカゲへ尋ねてみる。すると彼(彼女?)は首を横に振った。
自分が何者か、わからないということか。
「そ、そうか」
しかたがない、か。試しに目を閉じて、ヒトカゲの波導を探ってみることにした。つくづくルカリオに生まれてよかったと感じる。波導を感じ取れなかったころ、リオルの頃を、いったい僕はどうやって過ごしてきたんだっけ?
「……これ、は」
ヒトカゲの波導はまぎれもなく、先ほど僕が触れたリングの波導と、寸分たがわず一致していた。つまり、このヒトカゲは、さっきのリングということか?
つまり、あの化け物の……重い負の圧力を放つ謎のの化け物の、一部ということになる。
だが不思議だ。このヒトカゲからは、さっきまで感じていた恨みも、憎しみも、悲しみも、怒りも……何も、感じないのだ。
あるのは、ただ暖かい、ポケモンとしての優しい感情だけだ。
「君は、もしかして……」
――あの化け物の、最後に残った“優しい感情”、なのか?
とりあえず、この場で立ち往生したところでしょうがない。僕はヒトカゲの手を引いてひとまずギルドへ戻ることにした。ヒトカゲは抵抗することもなく従順に僕についてくる。
「君、名前はあるの?」
「ううん」
「そうかぁ、それだと不便だよねぇ」
「ふべ?」
「ふべん。そうだな、僕が何か一つ、名前をつけてあげようか」
珍道中、と、僕らのこの状況を見たポケモンは言うだろうか。
「そうだな、君はさっきまぶしく光り輝いて、リングからヒトカゲへと姿を変えた。まるで一等星のようだったよ」
だから、星の名前にしようか。
「う?」
「実は、僕の大切なポケモンも星の名前を持っていてね。スバルというんだけど……。君は、そうだね。スピカって名前はどうかな?」
僕がスピカと名付けたヒトカゲが、大きく見開かれた瞳で僕を見上げる。
もしかしたら……。
「う? すぴ?」
「スピカ」
もしかしたら、このスピカが。化け物から派生したはずのこのヒトカゲが。
「ぴか?」
「ちがう、スピカ。それじゃピカチュウみたいになっちゃうよ」
「すぴか!」
「おー! 言えたね、えらいえらい」
このスピカが、あの化け物を止める、唯一の星になるかもしれない――!
「――北の砂漠に隠されていた秘境の、壺に封印されていたポケモンについての文献、ですか……」
夜、スピカは僕のあぐらの上でスヤスヤと寝息を立てていた。焚き火の光で照らされた顔だけを見ると、とてもあの化け物の一部とは思えないんだけど……。
「いやはや、大変なことになりましたねぇ。あなたのヒーロー体質には困りものです。“英雄歩けばトラブルに当たる”、と」
そう言うのは、焚き火を挟んで僕の向かい側に座るフローゼル・ローゼさんだった。途方にくれた僕の頭に一番最初に思いついた“アテ”だ。ひょんなことで知り合ってからかれこれ十数年の付き合いになるということもあり、彼に連絡をとったらすぐに飛んできてくれた。
ローゼさんは探偵だ。街から街へ流れ、困りごとがあればどんな難解なトラブルでも調査に乗り出し、代わりに報酬を得る、通称“流浪探偵”。だが彼は基本的に気まぐれで、僕の一報にまさかここまで迅速にきてくれるとは正直思ってもみなかった。
「なにやら、重大そうな雰囲気を手紙から感じ取ったものですのでねぇ。そりゃあ最優先で馳せ参じますよ、はい」
「僕の思考を読むの、やめてもらえます?」
前にもらった手紙では、最近道中で拾って以来ひっついて離れないゲコガシラがいるっている話だったけれど、ローゼさんは一人で待ち合わせ場所に現れた。
「ローゼさん、助手はどうしたんです?」
「あれはわたくしの助手ではありません」
「はぁ」
あくまで助手ではないらしいゲコガシラを連れていない理由を聞きたかったが、長くなりそうだったのでやめた。
「そのポケモンについて調べるのは構いませんが、あなた、大丈夫なのですか? 話を聞く限り、あのダンジョンでの一連のトラブルは相当ショッキングだったのではありませんか。ギルドにまっすぐに戻って、そこで少し休んだ方がよろしいのでは?」
「そうする予定だったのですが、このスピカの存在で少し事情が変わりました」
「彼女は、化け物の言わば“半身”。彼女がいなければこちらの世界に完全復活できない、と。化け物の方も“謎の秘境”から動けないなりになんとしてでも彼女を取り戻したがるでしょう。だからギルドにまっすぐ戻ったら、ギルドに被害が及ぶかもしれないということですか」
「ええ」
「なるほど、わかりました。なるべく早く、“謎の秘境”と化け物の周辺情報について洗ってみましょう」
「助かります」
「カイさん」
ローゼさんは、今ので話がひと段落したのにもかかわらず、僕の名を神妙に改めて呼んだ。
「なんでしょう」
「あなたが
辛くも仲間を置いて逃げてしまったのはわかります。それに負い目を感じて、迷惑をかけまいとするのもわかります。ですが……あまり長くギルドを空けると、スバルさんはじめギルドのみなさんが心配しますよ。くれぐれも、無茶だけはしないことです」
「……はは、そうですね」
苦く笑うしかなかった。強くなったと自覚しているのに、やはり心配されてしまったか。
僕は、ローゼさんからそう言われたあと、“謎の秘境”から逃げてきてから初めて、まともに寝ることができた気がする。
とりあえず、スバルに心配かけないよう一筆したためておくのも悪くないか。最寄りの街のペリッパー郵便局に一瞬だけ寄ろう。そのタイミングでピンポイントに襲撃されるなんてことは、まさかあるまいし。
僕は舗装された道を歩きながら、バッグからペンと紙を取り出す。貴重な紙はあと一枚しかない。誤字は許されないな。
「う?」
「ああ、これ? 次の街に着いたら手紙を送ろうと思ってね。街で手紙を書く時間もなさそうだし、いまちょっと書こうと思うんだ。えっと、“スバルへ”……っと」
“そっちに着いたらしばらくの間ギルドで預かっていてほしい子がいる。名前はスピカというんだけど、説明もなしに唐突にごめん。詳しいことは”、
「“いかりのまえば”!」
「!」
筆を投げ捨てて、振り向きざまに片手でスピカを背中に回して、いきなり迫ってきた茶色のポケモンの前歯を避けた。あれは、確か……!
デカグース!
「デンゴ! ッ!?」
無事だったのか!
僕は彼に駆け寄ろうとした。だけど、近寄れなかった。
何かが違う。なにか、違和感がある。
デンゴの後ろに、カーラとレムもいるけれど、彼らもどことなく違う気がする。
咄嗟に目を閉じた。集中して、波導を探る。
波導の世界に広がった彼らのオーラは、僕があのときに見た、化け物の、黒い澱のようなオーラと、同じ色をしていた。
「なるほど、ね」
僕は手に持った紙を、書きかけのスバルへの手紙を、片手で二つ折りにして潰した。それを、背中にいるスピカへ握らせる。
「さぁ、スピカ、走れ」
「お、おにちゃん……っ!」
「はやくッ! トレジャータウンへ……この手紙をスバルのところへ……ビクティニのギルドへ、向かうんだッ!」
ギルドなら、スピカがたった一人でも、きっと保護してもらえる。彼女は、訳がわからないまま走り出した。
すまない、スピカ。
君は非力だろう。
一人じゃ不安だろう。
きっと、化け物が持っている感情……負の感情がいつか自分に襲ってくることを、恐怖しているだろう。
そんな君を一人で走らせる僕を、許してくれ!
「三人とも……あの化け物に操られているんだね?」
僕はスピカを守るように仁王立ちになって、できるだけ不敵に、虚勢を張って、彼らの前に立って、そう声をかけた。もちろん、彼らは答えない。
僕は、大陸を救った英雄と言われるようになってからも、あいかわらず虚勢を張るしかないわけか。
彼らは三人とも、本来ならそれぞれの色をしている目を、赤く光らせている。
いや、虚勢を張れるようになっただけ進歩したか。
「君たちは、強い。一緒に探検をした僕が保証するよ。だから……三人同時に相手をして君たちを止められるか、試してみよう」
覚悟を決めて、地を蹴った――。
*
「……ここ、は……」
目を開ける。数回瞬きをする。目の前に広がったのは、何年も見慣れたギルドの部屋の天井だった。
――僕はいったい、どうなったんだっけ……?
どうやら自分は、長い間眠っていて、夢を見ていたらしい。彼は呻きとともに片手で頭をおさえ、起き上がった。
「カイ?」
そして、起き上がったすぐ横で彼の名を呼ぶ声がする。駆け寄ってきたのは、自分がもっとも大切にしているライチュウ――スバルだった。
「あぁ、カイ……!」
スバルはカイへ抱き寄った。彼はそんなスバルを、涙を流しながら再会を喜んだ彼女を、同じように抱き返した。
「無事で、無事でいてくれて……よかった……!」
「スバル、君が、僕を助けてくれたんだね」
長い間あの化け物に囚われて、波導をエネルギーとして吸われ続けていた。もし誰もこのまま助けに来なければ、きっとカイは死んでいただろう。
自分の命が終わるまで秒読みだった。全身から抜けた力がそれを証明している。
――そうか、僕はあの後、“サンバーク”に捕らえられて……。
「カイ……! 心配したんだから……!」
「ああ。心配かけて、ごめん」
今は、何も考えなくていい。
今は、生きて目の前の大切な存在と触れ合えることに、心から感謝しよう。
――Outside the Dungeon;Named“Unknown”.――