14 Death or Not Living.
おれに、名前なんてなかった。
なぜ、ないのか。
誰も名前を呼んでくれないからだ。
生まれてから、ずっと、一人だったから。
ここ、どこだ……?
ふと気がつくと、ぼくは知らないところにいた。ぼくはうまれてからあんまり時間もたってない。さっきまで、おとうさんと、おかあさんがどこかにいてくれた気がする。
まだ、顔も覚えてないのに、ふたりはどこに行っちゃったんだろう?
周りをみわたすと、ぼくの背なんかじゃ全然届きそうにないほど、高い木がいっぱいあった。森の中かな。太陽の光は、ぼくのところにまではぜんぜん来てくれそうにない。
ここは、どこ……?
「おとうさん、おかあさん……?」
がさがさと枯れ木を分けて、ぼくはすすむ。ここにずっといちゃいけない。なんだか、くらい森の中がぼくにむかってこっちにおいでと笑っているような気がするんだ。
ニタリと、ぼくにむかって笑っているような気がするんだ。
歩き出す。ぼくは歩く。
二人を探して、声をだす。
「どこにいるのぉ?」
声をあげても、だれも全然きてくれそうにない。
歩いて、歩いて、何日経ったかもわからないけど、ぼくはくたびれた足を引きずって、森を歩きつづけた。
「……あ!」
ぼんやりと……ぼんやりとだけど、ぼくの目の前に黒い二つの影が見えて来た。もしかして、あれは? ぼくは疲れた足を無理やりに引きずって、影を必死に追いかけた。
やっぱり、そうだ。あれはきっと、顔もまだ覚えていないけれど、きっとおとうさんとおかあさんだ!
ぼくは、はぐれただけなんだ!
「まって! まってよ!」
ぼくはやっとのことで、二つの影に追いついた。だけど、おかしいなぁ。その姿は青い体に舌を首のまわりに巻いたような、僕の知っているおとうさんたちの姿なのに、顔はいつまで経っても黒いままなんだ。
でもきっと、それはぼくが顔を覚えていないからだ!
「ねぇ! おとうさん、おかあさん! どうしてぼくを置いて行ったの? いっしょにいこうよ!」
「……」
「……」
ふたりの、顔だけぽっかりと黒いゲッコウガのぼくの両親は、お互いに顔を見合わせる。
「たしかに、置いて行ったはずなのに」
「なぜか、追いついてしまった」
「ねぇ! ぼくの話、聞いてよ――ッ?」
がつん。
頭から全身に痛みが走ったと思ったら、ぼくは、近くの木にふきとばされて、叩きつけられていた。なんで? どうして? いったい、いま、なにがおこったの?
ぐらぐらと、世界が揺れる。意識が保っていられなくなる。
だけど、どうにか、ぼくはふたりを見た。
おとうさんが、“はたく”を終えたところだった。
――ぼく、お父さんに、はたかれたの? 木にぶつけられたの……?
「か、かはっ……! ま、まって……!」
だん、と、今度はおかあさんが、ぼくの首を持って木に背中を叩きつけた。
しめつけが、つよい。息が、できない。
苦しくて、涙の溜まった目で、おかあさんをみあげるけど、でも、やっぱり、顔は真っ黒だった。
「ど、どうして……ッ!?」
「“どうして”? 特に理由はないけれど、あなたがいちゃ邪魔なの」
「え……!?」
「――あなたは、ここにいちゃいけない子……いらない子なの」
どさり。
ぼくは、おかあさんと思っていたものから手を離されて地面におちた。
「げほっ……げほっ……!」
やっと、息が吸えるようになって、苦しくて、生きた心地がして、何回も咳き込んだ。でも、そのあいだに二人はがさがさと枯れ葉をかき分けて、さっさと向こうへ行ってしまうんだ。
「ま、まっ……!」
立ち上がって、そして、いっぽを、踏み出す。
でも、その先のもう一歩が、どうしても、どうしてもぼくは踏み出せなかった。
――いらない子なの。
その言葉が、ぼくのあたまのなかでぐるぐるとまわっていた。
「どういう、いみ……?」
遠ざかっていく、影に、ぼくは理解できないこの気持ちを、問いただしたかった。だけど、一歩が、どうしても、固まって、動けなかった。
ぼくは、倒れた。
もうずっと、ずっと歩いて来た。でも、やっと見つけた親と思っていたモノに、はたかれ、木に叩きつけられ、そして、こう言われた。
もう、起き上がれなかった。
「いらない、子……」
ぼくは、どこにも、いちゃいけない子……?
じゃあ、ぼくは、いったいどうすればいいの……?
「ううぅ……うぅうううう……ッ」
やめ、ろ……それ以上、おれの記憶を掘り起こすな……。
「うあああぁああああ……ッ!」
――そうだ、ぼくは……。
やめろ、やめろ! やめろッ! それ以上、思い出してしまったら――。
――ぼくは、捨てられたんだ――。
おれは、なぜ、親に捨てられたのか、まるで理由が思いつかなかった。
まず、なにか悪いことでもしたのか? いや、生まれてからあまりにも間もない頃に言われた言葉だ。
だったら、生まれちゃ、いけなかったのか……?
おれは、生まれるべきじゃなかったのか……!?
だったら、そんなの死ななきゃいけないって、ことじゃないか……。
だめだ、だめだ、だめだ。
そんなことは、だめだ。おれは、どこかで、きっと、どこかの世界で、誰かに必要とされているんだ。
じゃなきゃ、そうじゃなきゃ、たとえ生きていても、誰も必要とされていなければ、死んでいるのと一緒だ。
だって、親にすら、捨てられた、おれの、生きる意味なんて――。
どうして、おれを捨てたんだ。
どうして、おれがいらないなんて言ったんだ。
おまえらが、勝手に産み落として、勝手にいらないと言って、勝手に消えたんじゃねぇか。
理由が知りたい。そう思って、親を探し出そうと躍起になったこともあった。だけど、そんなこと、何の意味もないことに気づいた。
理由を聞いたところで、おれがいらないことに変わりはない。
憎い。苦しい。この怒りを、どこにもぶつけられない。
消えてしまいたい。
親を、殺してしまいたい。だが、殺したい相手が、世界どこを探しても見つからない。旅をして、先生に会うまでの数年間、どこをさがしても、だ。
おれは、ここで生きる価値もない。そんな、誰にも必要とされていない存在ならば、おれ自身でおれを、殺すしかない。
生きてる意味なんて、最初からおれにはないんだ。
おれの心が軋む。
ビキッと音を立てて、ひび割れて、そこから溢れる感情に、溺れていく。
息ができないまま、このまま、沈んでいく。
そう、だ。
おれは、捨てられたんだ。
*
気づけば、涙が、あふれている。
全身が、異常に先走る心臓の鼓動に合わせて、脈打っている。
「はぁッ、はぁッ……!」
息が吸えない。過呼吸になって、酸欠で……。なのに、なのに、体が軋むほど締め付けられて、痛いのに、もう、呼吸もやめてしまいたいのに、涙は枯れたと思っていたのに――。
おれは、あいつらを憎いと……おれは、どこにも必要とされていないんだと。
――嫌でも、その感情が、あふれ出ていた。
そんなおれに向かって、デンゴが近づいて来た。やめろ、来るな。
奴は不思議なオーラを纏っていた。黒い、黒いオーラだ。まるで、台座にいるあのルカリオを締め上げている鎖のようなオーラと同じ色だ。
その色をまとわせて、その腕をおれの前にかざす。
「ぐぁあああああッ――!」
手から放たれた黒い澱が、おれに襲い掛かった。長く、長く、叫ぶ。自分でもどこに隠し持っていんだ、こんな声を……! 苦しい。力が、奪われていく……! 涙の飛沫が飛んでいく。
や、やめ、ろ……!
「も、もずく……っ!」
奪われた力とともに、おれの感情の全てを含んだ黒い澱は、空中で球状になって漂っていた。
「やつの憎しみ、怒り、そして苦しみは根深い」
カーラの声がぼんやりと聞こえた。
「その心は、きっと、最後に残った理性を吹き飛ばすだろう」
そして、そう言ったデンゴは、その黒い澱を、スピカへと、流し込む……。
「う、うううううぅ……!」
「や、やめ……ろ……」
全身に力が入らなくて、絶望で頭がついていかなくて、おれは、泣いていて。でも、それでも、これだけはわかった。スピカに……スピカに、そんなことしたら……!
「うぅうううううッ!」
スピカの体が、光りだした。その瞬間にあたりの気流が乱れて、地面の砂塵を舞い上がらせる。そして――。
「わぁああああああッ!!」
果樹園の時とは、比べ物にならない眩しい閃光! それに次いで飛んで来た全方向への衝撃に、おれと“サンバーク”はひっくり返った。
カーラの拘束が外れ、おれは無様に地面へ叩きつけられる。
やっと自由になれた。だけど、立てない……。
「す、スピ、カ……!」
スピカはもはや、ヒトカゲとしての原型は何一つ留めていなかった。彼女は太陽のごとく丸い光になって、その光が……。
――月食のごとく、黒く、染まっていった。
「あ、あぁっ……!」
おれの、おれの醜い感情で、スピカが黒く染まっていく。
そして、彼女を核としたその黒い澱はが、台座の壺に向かって、流れていった。
「――魔神の、復活だ……!」
デンゴの声。
「ま、待って……まって、くれ、スピカ……!」
地面に、這いつくばって少しでも台座に近付こうとする。でも、全然、全然とどかない。もう一度、手を伸ばさないと……!
ダン、とおれの手は叩きつけられた。震える息を吐き、涙もおさまらないまま、おれの手を叩きつけた主にやっとのことで視線を送る。
目が真っ赤に染まったアーボックが、おれを見下ろしていた。
「あんた、もう用済みだね」
操られているとしか思えないような、低く冷徹な物言いだった。おれはなすすべもないまま、再びアーボックの尻尾で首を締め上げられる。
「ぐ……あ……!」
「さぁ、死になぁ!」
も、もう、だめだ……ッ!
「――氷刀、“瞬き”」
「!」
薄れる視界の中、凛とした声が響いた。この場の誰でもない声だ。
そして、その声に全員が気づいた瞬間――。
「ぎゃあああッ!?」
電光石火の速さで、オレンジ色の何かがカーラのすぐそばを一閃通り過ぎた。その瞬間、鋭く放たれるカーラの叫び声、そして、おれは奴の拘束から解放されて地面に落ちた。もう今日何回になるかわからないが、おれは強く咳き込む。
「いやはや、少し遅れていれば、文字通りあなたは終わりでしたねぇ。ええ。間一髪、といったところでしょうか」
這いつくばっている姿勢のおれの頭上から声が降って来た。こ、この声は……! おれは恐る恐る声の主を見上げる。
オレンジ色の体、尻尾は二股に割れ、背中には黄色い浮きを背負っているように見えるポケモン、フローゼル。
フローゼルの鼻の上には縁の太い“みとおしめがね”がのっかっている。
「せ、先生……ッ!」
なぜか今、おれの目の前に、おれを置いていったはずの先生――ローゼという名のフローゼルが、立っていた……。
*
「じゃますんじゃないよッ!」
「せ、先生! 後ろ!」
おれを間一髪助けてくれたのが先生とわかったのもつかの間、さきほどの攻撃で吹き飛ばされていたカーラが、先生の背後から襲い掛かって来た。“かみつく”だ! だが先生はそんなものは予想済みとばかりに、振り向きざまに再び、彼女の顔のような腹へ真一文字に手を振るう。
彼の利き手は今、刃の形に凍っている。ピンと伸ばした手に氷をまとわせて戦う先生独自のスタイル――氷刀だ。
氷刀で斬られたカーラは、今度こそ目を回して倒れた。
「せ、先生! なぜここに……!」
「話は後です。魔神が復活します。なんとか今からでも阻止しなければ!」
「な、なぜそんなことまで知って……!」
「――モズクくぅううううん!!!」
次から次へと今度はなんだ!? 甲高い声がフロアの入り口からして来て、続いてなだれ込んで来る足音。現れたのは、バシャーモ、レントラー、キュウコン、そしてライチュウ。
ビクティニのギルドのみんなだ!
駆け抜けざまにリィがれいとうビームを放つ。その軌道の先にいたデンゴは、一瞬で全身を氷漬けにさせられた。同時に、電気を纏ったルテアさんが矢の如く走り抜け、レムの懐の中に突進する。“ワイルドボルト”! 高威力の技に、レムもきゅう、とダウンする。
一瞬にして調査団“サンバーク”が倒された。
となれば、自然と残りのメンバーの視線は台座に注がれる。
すでに蓋が外れている壺の中から、まさにいまザァッと霧のような黒いものが溢れ出て、それらが太い腕のような形を六本作り上げる。その腕についたリングのうちののうちの一つを、六本の腕が一斉に掴み上げて引っ張った。引っ張られたリングが大きくなっていく。
だがそれよりも、ギルドのポケモンたちの視線は、台座の上で縛り上げられているルカリオ……カイに集中していた。
「か……カイーッ!!」
リングが大きくなって、そこから唸り声がきこえてくるも、そんなことは彼女の眼中にも耳の中にもなかった。スバルさんは大きく叫んで、走りだす。
「ローゼさん、援護を頼むッ!」
シャナさんはスバルさんとともに走り、おれたちを通り過ぎるときに先生へ叫んだ。なぜシャナさんが先生を知っているのか聞く間も無く、先生はシャナさんと並走して行ってしまった。
三人はカイへ向かって走った。同時に、台座をくぐれるほどに大きくなったリングから、ゆっくりと、頭のようなものが現れる。ピンク色の頭、そして目は赤く染まっている。それはすなわち、カイの真上に魔神が顔をのぞかせたということだ。
最初に動いたのはシャナさんだった。彼は台座の前で足を止め、地面に拳を強くたたきつける。
「“ブラストバーン”ッッ!!」
その瞬間、地面から無数の火柱が迸った。その火柱の先には、今まさにリングの向こう側から顔をのぞかせた化け物――魔神の頭、そして目に直撃する。
「おぉおおおおお!?」
これはたまったものではない。火柱で目つぶしをくらうという普通であれば失明必至の状況に、魔神はいちど顔をリングの奥へひっこませた。
これが最大の隙だった。先生は台座の上で一度足を踏み、跳躍、構えた氷の刀を、ルカリオに巻きついている鎖のような黒いオーラへ振るう。斬、と氷の刃で鎖がちぎれた。実際は本物の鎖ではないから音こそしなかったが、鎖の支えを失ったルカリオは、そのまま台座の上にどさりと倒れる。そこに駆け寄ったのは、スバルさんだ。彼女は探検隊バッジを掲げて、横たわるカイと一緒にこのフロアから脱出する。二人の姿が光に包まれ、そして消えた。
場に残されたシャナさんと先生が、阿吽の呼吸で同時に魔神から距離を取る。そして、“ブラストバーン”のダメージから回復し、リングの向こうから顔をだした魔神は――。
「オォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
咆哮を上げた。
ビリビリと、空気が、震える。
「くっ……!」
そして、頭から、肩、胴、足、そして尻尾……全身が、こちら側に現れる。
「――魔神の、復活です……!」
先生が、魔神を凝視して呟いた。その額から頬には、冷や汗が伝ってる。
「おぉおおおおお! オレを封印した忌まわしき壺め! こんなもの――!」
魔神は、壺を足で踏み潰す。派手な音を立てて砕かれた魔神の壺は、粉々になって地面の砂と同化した。
「シャナさん、どうします!」
先生が叫ぶ。
「どうするって、冗談だろ!? 脱出だッ!!」
シャナさんのやけくそだかなんだかわからない叫び声を機に、場に残っていたリィ、シャナさん、そして元救助隊のルテアさんが同時にバッジをかざす。
脱出のための光が、おれたちもろともを包み込んだ。
スピカを、置いていったまま――。
――Death or Not Living.――