13 Only a Chief can move the Phase.
――拝啓、先生へ。
詳細は省きますが、ざっくり言うと面倒なことになりました。いえ、むしろいつもの面倒だけでカタがつけばどれだけよかったことでしょう。
先生、マジでどこにいらっしゃいますか?
おれを……いや、スピカを、助けてください。
*
スピカはおれに手を引かれながら、何が何だかわからないという表情をしている。それはそうだろう、おれだってわけがわからない。
目の前に現れた敵が、先頭に立つおれへ襲いかかる。それを“水の波動”で伸す。息が乱れてる。らしくねぇぜ、おれ。
トレジャーバッグの中身はお世辞にも万全の量とは言い難い。この数日果樹園を手伝っていたおかげで、おじさんからおすそ分けしてもらっていた気持ちばかりのきのみが入っているくらいか。いや、それすらもとっさに引っ掴んでバッグにぶっ込んでなかったら早い段階でリタイアだっただろう。
「もずくぅ……」
トレジャータウンを飛び出してからいままで、先頭で技を繰り出して相手を倒さなければならないおれから、スピカは常に一歩分の距離を取ってくれていた。それだけでもだいぶ進歩だ。だが、おれが疲労し、わけもわからぬ状況にらしくもなく心を波立たせているせいだろうか。スピカが今日初めておれにピトリとひっついてきた。
「もずくも、こわい?」
上目遣いに、そういう。
馬鹿野郎。おれよりも、他でもないお前が一番不安だろうがよ。なんでおれの心配をする。
おれは、彼女に向かい合ってしゃがんだ。
「お前は、大丈夫なんだ、スピカ。何も心配いらない」
「うん、もずく、いるもね」
スピカはくしゃりと笑った。
「ああ、お前にはおれがいるもんな」
「もずく……ぎゅー、してい?」
「あ? ああ……ちょっとだけだぞ」
封印から復活した化け物、その最後の腕、リング。
それがいったい、どうしたというんだ。
おれは、お前が普通のヒトカゲだって……いや、お前が普通だろうとそうじゃなかろうと、お前がおれを必要としている限りそばにいる。
お前にはおれが、必要なんだ。
「……ここにずっといるのも危険だ。行くぞ」
スピカがギルドに来ることとなった原因は、一つのメモ……探検家・カイの誘導があったからだ。そしてほどなく“サンバーク”が現れた。化け物をこちらの世界に来させないために、スピカを消すとのたまった。
探検家カイは、本当にスピカを消すためにギルドへ差し向けたのか? その真意を問わねばなるまい。
行き先は決まった。正直危険な上に博打だがやるしかない。化け物も、何もかもがみんな、でっち上げである可能性も否定しきれていない。
カイの手がかりがあるかもしれない、“謎の秘境”へ向かう。
*
ギルドの親方の机の上に、紙が置かれている。そして席に座っているシャナは、その紙から目を離せずにいた。
調査団団長の進言書だ。
モズクがスピカを連れ立ってギルドを発ってから二日目に差しかかろうとしている。だが、この紙を目の前にして何もできずにいる自分をひどく呪いたくなった。
調査団“サンバーク”はモズクの行動を、スピカが“謎の秘境”の化け物の最後の一部であるという証明とした。彼らはスピカを抹消しようと後を追って行ったのである。
その際に、彼らから受けた“提案”は二つだ。
ひとつ、スピカを追う調査団の邪魔はしないこと。
ふたつ、カイのためを思うなら、後からでもスピカ討伐の増援をよこすこと。
我々の提案を受け入れれば、きっと調査団との亀裂は免れる。だが、代理の判断でそのどちらかを破れば、長年築いてきたビクティニのギルドと調査団の友好関係は絶たれるであろう――彼らはそう言い残してギルドを去った。これは決して提案などではない。実質的な脅しだった。
スバルとリィから、スピカとモズクを捜索する隊と、カイを救うために“謎の秘境”を探索する隊をそれぞれ組むべきだというの進言がなされた。すなわち調査団の脅しを無視する構えだ。だが、“謎の秘境”という高難度のダンジョンの踏破できたものは未だにいないうえ、親方ではない自分の判断がのちのギルドにどう影響するのかを考えると、どこにも動けない自分がいる。
「失礼します」
声とともにシャナは弾かれたように進言書から目を離した。気づけばスバルが目の前にいる。部屋の外にいるかと思ったのだが、これでは「失礼しています」だ。
「ノックが聞こえなかった」
「ノックも聞こえないほど悩んでるんですね」
「あぁ……」
「悩む必要もないのに。あんな人たちの言葉を、真に受けるんですか?」
スバルはため息をついた。彼女自身、自分が親方の代わりに決定を下す立場にないからこんなことを言えるのだとわかっているから、強く彼を責められないのだ。
だが、カイはその間にも苦しんでいる。
「リィは、もういつでも出られるように準備万端みたいですよ」
「わかってるよ」
「シャナさん……! 私たち、あなたの号令を待つだけなんですよ……!?」
「わかってる……俺が行けたら、どれだけいいか……!」
そう、カイを救うだけなら“サンバーク”の邪魔をすることにはならない。彼らはあくまでスピカに固執している節があるからだ。だが、シャナはたとえ“謎の秘境”へ救助へ向かわせる命令を下すことはできても、親方も副親方もいない以上実質のトップである自分がここから離れることはできない。自分が行けばあるいは踏破できるであろうダンジョンへ、向かうことができない。だが自分以外のギルドのメンバーでは火力不足なのだ。それを知っていてみすみす無駄足を踏ませるわけにはいかなかった。
「くそ……!」
シャナは机に片肘をついて、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「こういうとき、親方ならどうするんだ……!?」
「えっ? なになに? 僕だったらなんだってぇ?」
「……」
「……」
いきなり割って入った声に、場が一瞬にして静まり返った。スバルも、シャナも、しばらく動かないでいたが、数秒後にやっとこの場にいない声の存在への違和感に気づく。シャナはバッと顔を上げ、スバルはキョロキョロとあたりを見回した。
「やっほーーーーー!!!」
親方の部屋の入り口にで、手を振っている者がいた。他のポケモンよりもひときわ大きくクリクリとした青い瞳、クリーム色の羽のついた背中に、目立つのは額から耳にかけて走る赤いVマーク――。
勝利ポケモンのビクティニが、そこにいた。
「「ウィント親方!?」」
「やぁ! やっとここに戻ってこれたよぉ。はぁつーかれたぁ! あ、スバルにシャナ、グミちゃんあげるねー!」
「お、おやか……もぎゅっ!?」
「い、いままでどこ……もぎゅっ!?」
二人の口に、それぞれ赤いグミと黄色いグミが詰め込まれる。
あどけない顔をして、この重い空間には場違いな挙動を取るビクティニ。彼が紛れもなくビクティニのギルドの親方、ウィント=インビクタであった――。
「お話はだいたいわかったよ」
ウィントは自分が不在の間の出来事のかいつまんだ説明を、シャナとスバルから受けた。殊、最近起こったカイの失踪とモズクとスピカの件ついては切羽詰まった様子で詳細に語られた。
「親方様、申し訳ありません。代理である俺には、どうしてもモズクとスピカ、そしてカイを助ける判断を下せず……! 不甲斐ない限りです」
シャナが苦渋の顔でウィントへ頭をさげる。そんな様子の副親方代理の姿を見た彼は、そっと彼の頭上まで浮遊して、その頭をなでた。
「シャナ……ごめんね」
「え?」
「君はこのギルドのことをずっと考えていてくれたんだね。僕がいない間にそんな重いことを背負わせて、ごめんね!」
「い、いえ……! では、親方、我々はどうすれ――」
「――決まってるじゃない!」
ウィントはさも当然のようにシャナの言葉を遮って言う。
「みんなでカイとモズクたちを助けに行こうよ!」
「……!」
数秒すら考える間もない即断即決であった。その言葉にスバルは目を輝かせて「さっすが親方様ぁ!」と歓喜の声を上げる。シャナは目を白黒させた。
「ちょ、調査団との関係は……!?」
「大丈夫、大丈夫〜! ちょっと誰かと仲が悪くなったところでギルドは無くなったりしないから! なにせこのギルドには君達がいるからね! さぁすぐにしゅっぱーつ!」
シャナは戦慄した。これが親方の判断力か、と。
二人はウィントの号令に突き動かされ、すぐに親方の部屋から飛び出した。だがスバルの後に続いたシャナは、「あのね、シャナ」というウィントの声に引き止められる。彼は足を止めてウィントを振り返った。
「僕がいない間、そしてカイが行方不明になったあともずっと、君は副親方の代理、並びに親方の代理だった。立場をずっと考えるが故に、仲間を誰よりも大事にしているのに、仲間のために動けなかったね」
「はい」
「でも、今から一歩ギルドの外に出れば君は、どこまでも、どこまでも仲間のために突き進むマスター三ツ星ランクの探検隊――“爆炎”のシャナなんだよ!」
「……親方……!」
思わず、シャナは涙ぐみそうになった。
そうだ、自分は……こんな親方だからこそ、卒業後もこのギルドの探検家でいるのだ。副親方が引退すると決めた時、後任としてギルドを支える決意をしたのだ。
ウィントはにっこりと笑った。
「いってらっしゃい、シャナ」
「はい。ありがとうございます!」
シャナは部屋から飛び出した。そして、大広間に向かう。
そこには、すでに準備が整った探検家が整列してシャナを迎える。スバル、リィ、そして忙しいと言っていたはずの、ルテアであった。
「やっと出番がきましたわね、わたし、くたびれてしまいましたわ。ねぇ、スバルお姐様?」
「ほんとにね! さぁ、いつでも準備万端ですよシャナさん!」
「まるで昔に戻ったみてぇだぜ。だとしたらやっぱり、お前の声がないと始まらないよなぁ!」
ああ、とシャナの胸が熱くなる。
このメンバーなら、どこまでも行ける。
“謎の秘境”にいるカイを救い出せる。
たとえ“サンバーク”と衝突しようとも、モズクとスピカも救い出せる。
「調査団“サンバーク”より先にモズクとスピカを探し出して、保護する! モズクならきっとカイの手がかりを探すだろうから、自ずと目指す場所は決まってくる。――総員、“謎の秘境”へ!」
*
ギルドから発つ直前に聞いたジェムの話によると、“謎の秘境”は大陸の北西、文字どおり“北の砂漠”周辺での地殻変動で現れたダンジョンらしい。ビクティニのギルドは極東も極東に位置しているから大陸の真反対側に行くということだ。遠征のメンバーとして探検家カイが派遣されたのも頷ける。
「ここが、“謎の秘境”の入り口……」
ここまで来るのに長かった。いつ追って来るかわからない“サンバーク”に神経を張り詰め、ここに来るまでのダンジョンで目の前の敵を倒し続け、そして負の感情に触れるといつ光るかわからないスピカをそばに置いている。
先生の変人じみた戦闘の仕込みがなければ、おれは早いうちから“サンバーク”にスピカを奪われるか、ダンジョンで倒れることとなっていただろう。
「はぁ……はぁ……」
「も、もずく……ここ、こわいよ」
スピカがおれの手をぎゅっと掴んで背中に身を隠した。
「ぐ……なに……言ってんだ。怖いって言ったって、お前の手がかりをもつカイってポケモンの手がかりが、ここに……」
おい、冗談じゃない。本当に疲労の蓄積でシャレにならない体力しか残っていない。
だけど、ここでモタモタしていたら調査団に追いつかれるぞ。そしたらスピカはジ・エンドだ。
中には化け物もいるかもしれない。だが、正面から挑む気は毛頭ないし、手がかりが一つでもつかめればそれで十分だった。
「いくぞ」
「や、やぁだ……」
「スピカ! お前、“サンバーク”と鉢合わせたら、死ぬんだぞッ!」
びくっ、とおれの叫びにスピカは怯えて押し黙った。わかってる。怒るな。心を波立たせたら、スピカが暴走するぞ。
「……さぁ」
おれはそれ以上スピカに何かを言うのはやめ、強引に彼女の手を引いてダンジョンに踏み込んだ。
今までのダンジョンで拾えた道具が役に立つ。だがどうもこのバッグは探検隊じゃないおれが詰め込める道具の量が限られているらしい。それに、ここのダンジョンポケモンは非常に強敵だ。フロアを上がり次第おれは順次ワープできる不思議な道具や、次のフロアへの階段を知らせてくれるタネ、敵に見つからずに透明になれる道具を使ってできる限りダンジョンのポケモンとの接触を避けた。
そして、道具もそろそろ尽きて来る頃。
なにか、いつもと違う重い空気の漂うフロアにたどり着いた。
からりとした風が背後からこのフロアに向けて吹き抜ける。もうすぐ出口か? だが、この奥地になにか手がかりがないとここにきた意味がない……。
「も、もずく……」
スピカが、震えている。
「お、おい。大丈夫か……」
「このさき、いきたくないよぉ」
「もう少しの我慢だ、たぶん、この先に、カイってヒトが、いるんだ、きっと」
震えているのは、おれも同じだ。疲労で立っているのも結構辛いうえ、この先で何か低く唸るような音が聞こえる。耳鳴りか? 多分、そうだと信じたい……。
ズズ、と。もう歩いていると言うよりは足を引きずっているに近い感覚で、おれはスピカと奥へ踏み込んだ。
ダンジョンの最深部と思しきこの空間、四面を囲むのは風化しかけの岩肌だ。そして、その一番奥、中央にあるのはその風化した石で積まれた、台座……。
「なんだ?」
よく、目を凝らしてみる。
その台座に、“浮かんでいる”何者かがいる。黒い鼻、青い耳、鍛え上げられたしなやかな四肢、そして耳の下についた房……。いや、違う。あれは浮かんでいるのではなく……。
――オォオオオオオオオ……。
「も、もずく! かえろうよぉ!」
あれは、ルカリオだ! ルカリオが、なにか“黒いオーラ”のようなものがひも状に天井から台座へと伸びて、空中に縛り付けられてる! 彼は、まさか――!
「きゃああああ!」
! スピカの叫び!? な、なんだ!?
おれは慌てて声のした方を振り返る。が――ッ!?
「か、は……ッ!」
振り向きざま、何者かに首を締め上げられた? い、いや、締め上げられたんじゃない、巻きつかれたのか! これは……!
「よぉ、やっぱりここにきたか、モズクとやら」
おれの目の前に現れたのは、デカグースのデンゴ! じゃあ今おれを締め上げて拘束しているのは、アーボックのカーラかッ……! や、ばい。俺は片方で首を絞め上げる奴の尻尾に抵抗しつつ、もう片方の手で水クナイを作って尻尾に攻撃しようとする。
「おっと、水クナイで攻撃されちゃあ困るね。やっぱり全身を拘束しないとだめかねぇ」
奴はするりと体をくねらせ、おれの全身に巻きついて完全に動きを封じられた。く、くそ……!
「ちょっと、うごくんじゃないよ」
し、締め付けが強くなる……!
「ぐ、ああああッ!」
「次動いたら骨を折るくらいに絞め上げるからね」
「もずくぅっ!!」
ぐっ……スピカが泣いて叫んでいる。おれはかろうじて目を開けて彼女の方を見ると、彼女はオーベムのレムに念力で拘束されていた。
くそ! やつら、ここで待ち伏せてやがったのか!
「お、おい……! 目の前にカイがいるのに……ッ、なんで、たすけないんだよッ……!」
それに、すぐにおれとスピカを始末しようとしないのはなぜだ!?
メンバーの中で唯一手ぶらなデンゴは、締め上げられているおれと、念力で浮かばせられてもがいているスピカとの間を通り抜けた。
そして、台座の上の、拘束されたルカリオ――その下にある何かの置物へ、“語りかける”。
「魔神様、言いつけの通り、最後の一部をここに持ち帰ってまいりました」
「なにッ……!? どういう、ことだ……!?」
おまえら、化け物の復活を阻止するためにスピカを追い回していたんじゃないのか!? それに、化け物のいるであろう置物――いや、あれは壺、か!?――に向かって、“魔神様”って……!
「て、てめぇら……! 最初から化け物の手下かッ……!」
ぐるり、とデンゴが振り返る。なんの表情も張り付いていない顔だ。だが、よく見ると目元だけが怪しく赤色に光っている気がする。そして奴は、おれの言葉などまるでなかったかのように再び壺へ向き直った。
なにか、デンゴの様子がおかしい。いや、デンゴがおかしいんなら、きっとカーラとレムも……!
「……はい。最後の、リングは、まだ心が残っています。あなたさまを封印したポケモンたちへの、恨み、憎しみ、苦しみ、それらに染まりきってはおりません」
「――理性を、失わなければ」
カーラは、さっきまでとは打って変わった棒読みで、おれの真上で声を上げる。だからて絞め上げる力は弱まらない。
「理性を、失わなければ、完全たる魔神の、復活とは言えない」
「お、おいッ! お前ら! なんの話をしている!? あのバケモンに操られてんのか!? ぐわぁッ!」
ギリッ、とカーラがおれを黙らせようとさらに締め上げる力を強めた。や、やめろッ、本当に骨が折れる……ッ!
「ビビッ……」
壺の中から、呻きのような、声が漏れた。
「……はい、魔神様。最後の理性を、あなた様のような負の感情で、染めなければなりません」
「その、ために。このゲコガシラは、とても使えます」
「ぐぅッ!?」
なんだと? おれが“使える”? 一体なんのことだ!?
そうおれが締め付けの痛みとともにかろうじて考えていると、スピカを拘束しているはずのレムが、おれとカーラの方へ近づいて来た。そして、もう片方の手を、おれの目の前にかざす。
「ビビッ」
「レムが、モズクの過去の記憶を――負の感情を、呼び覚ます」
ゾクッ。
背筋が凍る。
おれの、記憶、だと?
「そして、このヒトカゲにそれを流し込む」
デンゴの言葉に続いて、カーラが言った。だが、おれには、まったく頭の中に入ってこない。
や、めろ……。やめろ、やめろ! おれの記憶を、覗くな……ッ!
レムがおれの頭を押さえた。そして、その緑の目でおれの目を覗き込む。
目を、見てはいけない。目を閉じなければ、閉じなければ……!
「ビビッ、“サイコキネシス”」
「やめろ――ッ!」
念力で、無理やり瞼をこじ開けられる。緑の目が、こちらを覗き込んでいた。
だ、だめ、だ。頭が、割れる……!
ぐるぐると視界が回って、ちかちかと、さんしょくの、ひかり、が……。
「――……ッ! もず……ッ! ――」
だれ、かが……さけんで……。
…………。