12 Escape;from an Escape destination.
――拝啓、先生へ。
おれ……いや、ぼくたちの前にいきなり現れて、スピカを攻撃したのは調査団チーム“サンバーク”。彼らはカイとともに“謎の秘境”とやらを探索し、そして彼らのみがこのギルドに戻って来たのです。ですが、スピカを襲ったことといい、彼らには不可解な点が多すぎます……。
*
――置物の蓋が、外れた――。
ズアッ、と、調査団とカイを含めた四方八方に向かって、黒にも紫にも見える不気味なオーラが吹き荒れる。
「うぉお!?」
「くぅっ!」
「ぐうっ……!」
「ビビビ」
迫る黒い澱みに、目を開けていられなくなる。腕で顔をガードする。
――グオオオオオオオオオオオオォ……。
そして、壺の中から聞こえて来たのは紛れもなく“叫び声”であった。空間全体を震わせる叫び声とともに、蓋の外れた置物から溢れ出る黒い澱みが、何かの姿を形作っていく。彼らには、何かの化け物のように見えるその澱の顔の部分で、ギロリと、黄色く縁取られた赤い目玉が見開かれた。
「な、なんだ……ありゃ……!」
そして、黒い澱みは肉体を宿らせていく。最初に現れたのは六つの黄色く光る輪、そしてそこから現れるのは、彼らの体の大きさもあろうかという太い――腕だ。その間にも腕を出現させたリングのうちの一つが、台座の真上に移動する。それ以外のリングは腕輪として腕に収まった。
そして六つの腕たちは、リングを掴み力強く広げようとしていた。
腕に引っ張られたリングが、文字どおり伸びていく。少しずつ大きく、そして広く。
まるで、何かをリングの向こう側から呼び出すかのように。
ダッ!
「あ、おいッ! カイッ!!」
「先走るんじゃないよッ!!」
カイは黒い澱み、そして六本の腕の前に跳躍し躍り出た。波導で作り上げた白い刃を両手に込め、バケモノの灰色の腕の一つへ迫る。
「“ソウルブレード”ォッ!」
カイの波導の刃の渾身の一撃が、腕の一つにヒットした。キィン、とリングが刃と当たるの音がする。リングを広げようとしていたその腕は彼の攻撃に弾かれ、飛んでいった。
「カイ! なにやってるの!」
レムが切羽詰まったように叫ぶ。腕を一つ弾かれた影響で、引っ張られていたリングはそれ以上の大きさになることをやめた。そして、そこから何かの低いうめき声が漏れているような気がする。
カイはヒットアンドアウェイで、攻撃後すぐに三人の元へ戻って来ていた。だがその表情は切羽詰まっているよりもさらにひどいものであった。
「あれは、腕だッ! 本体が腕が引っ張っているあのリングから現れるッ! あのリングの向こうの……あるはずのない空間から、邪悪なものを感じるんだ……! あれを、この見たことのない波導をもつ得体の知れないこの化け物を……こっちの空間に蘇らせてはいけない……!」
カイが弾いたリングは、すでに行方が分からなくなっていた。
「じゃ、じゃあ、あの極太の腕をとにかく攻撃すればいいってこったな?」
「グォオオオオオオオオオオッ!」
ビリビリビリ、と。リングの向こうから叫びが聞こえる。そして、そこから、赤い髪を持つバケモノの顔が、少しずつ顔を覗かせていた。
「なんだよ、なんなんだよ、あれ……!」
頭、首、そして胴……リングからゆっくりとこちらの空間に姿を表す化け物に、“サンバーク”の三人はことごとく恐怖で腰を抜かした。だが、胴の一番大きな部分に差し掛かった時――。
「オ、オオオオオォオオオオ……?」
胴の大きさよりもリングの直径が小さいようだった。化け物はリングにそのまま引っかかり、体をこちらの空間に持ってこれない様子である。
「オレのぉおおおお、うでぇえええええええ、かえせぇえええええ」
「どうした! なんであいつ、ひっかかってる!?」
「カイがリングを大きく引っ張ろうとする腕の一つをはじいたからかね!」
「ビビッ! カイの機転、役にたった!」
「カイ! あいつはいってぇ……なにもんなんだよ!」
デンゴの叫びに、カイは額から顎にかけて流れる汗をぬぐった。どうも、あの化け物の波導で体が変調をきたしているのは間違いない。
「わか、らない……だが良くないものだっていうのは確かだ。だからあの置物に封印されていたんだろう。やつから感じるのは……長年封印されていたことへの、怒り、憎しみ、恨み……それ以外に感じられるものがない」
「……よし、俺たちもこうしちゃいられん! 胴が引っかかってる今がチャンスだぞ! 残りの腕もやつけるぞ!」
「「おおっ!」」
「待てッ!」
三人はカイの叫びを聞かず一斉に化け物へと飛びかかった。だが、その瞬間、ビタリと彼らの動きが硬直し、そして宙に浮かび上がる。
「おぉおおおおお! おまえらかぁあああ、オレのうでをぉおおお」
「や、やばい! “サイコキネシス”か!」
ギョロリ、とリングからのぞいた顔から、目玉が三人をとらえた。腕についていた残り四つリングが、拘束された彼らの周囲に浮遊する。そのリングの向こう側は、黒い無の世界が広がっている。
「やばい……!」
「デンゴ、カーラ、レムッ!」
四つのリングから、一斉に放たれる黒い衝撃波!
「かえせぇえええええ!」
化け物が叫ぶ。
終わった――。三者が三様にそう絶望した瞬間、彼らとリングの間に躍り出る影。
「カイッ!? まさか……! やめろッ!」
「みんな……逃げろ」
その言葉を最後に、黒い衝撃波が、彼らの前に立つカイへ襲いかかった。
*
「……」
「…………」
しばらくの間、副親方の部屋には沈黙が流れていた。
“サンバーク”から聞いた事のあらましに、ギルドの面々はもちろん、外から様子を伺っていたおれでさえも、声を出すことができない。
探検家カイは、攻撃から“サンバーク”をかばったのか……!
「……カイはあの化け物に捕らえられた」
「ビビッ、そして今でも、秘境の奥地に」
「ちくしょう、あたしたち、助けられなかったんだ……! ごめん、ごめん……!」
「ど、どうして……どうしてカイは捕まったままなの!? もしダンジョンで化け物に攻撃されて倒れたなら、バッジが秘境の入り口にワープしてくれるはずでしょ!?」
そう叫ぶスバルさんは目に涙をためていた。あれは、おれが最初に会った時に見せた泣き落としの時とは百八十度違う。
「ビビ……あの化け物は、リングから外に出られず、ダンジョンからでられなくなった。その代わりにカイを捕らえて、その波導を奪うことで無くした腕の代わりの力を、得ようとしているんだと思う」
ここで初めて、沈黙を通していたシャナさんが唸りと共に声をあげた。
「カイ自身が言っていた。波導は、生命の源そのものだと。それが化け物に吸い上げられ、そして枯れたら、彼は死ぬ」
「そ、そんな……!」
だから、デンゴはことは一刻を争う、と言っていたのか。
「ですが、その説明を聞いても納得がいかないことがありますわ」
と、そこへ淡々と言葉を差し込んだ者がいた。リィだ。この深刻な事態を前にしていつもの表情を一貫させている。
「カイお兄様が化け物に囚われていることはわかりますわ。でも、どうしてそれであのヒトカゲをどうこうしようとするんですの?」
それに答えたのはデンゴだ。
「奴は、頑なに自分の腕を探し求めている……カイが初めに飛ばしたリングさ。あれがもしやつの手元に戻れば、それこそバケモノの完全復活だ。カイが言った通り、あのバケモンが長年置物に封印されている恨み、憎しみで動くとしたら、襲われるのは他でもなくこの大陸のポケモンたちだろ」
「リングはいま、どこにある?」と、シャナさん。
「カイが飛ばしたまま行方知れず……だから俺たちは、リングの行方を捜すために一度調査団の方へ戻っていた。そして顛末の報告と、副親方、あんたの許可を取るのために、このビクティニのギルドにきたわけだ」
「許可、とは」
嫌な、予感がした。
ざわざわと心が波立つ。
リングを探し求め、彼らはギルドにやってきた。そしてスピカに、用があると言った。そして彼女は、負の感情に触れると光りだすという、特異な体質を持っている……。
「――そう、紛れもなく、あのヒトカゲがやつの最後のリングなんだ。リングを一つでも潰せば、化け物は永劫こっちの世界にこれなくなる……。カイを救うために、ヒトカゲをこちらに引き渡してもらおうか」
おれは、その言葉を聞いた時にはもう、その場から走り出していた。
*
「待て、スピカを引き渡せ、だと?」
シャナは耳を疑った。スピカはヒトカゲであり、ましてやリングの形も、腕の形もしていない。
「何かの間違いだろう。リングがヒトカゲに擬態したとでも言いたいのか?」
「思い当たらないわけでもないだろう? 兆候はあったはずだ。あんなバケモンのことだ、リングの一つがポケモンに化けたところで、俺はいまさら驚きもしない」
デンゴは鋭く食い込んだ。シャナは表情こそ冷静に保ったものの、内心で冷や汗をかく。そしてそれは、スバルとリィにしても同じことだった。
スピカは、ヒトカゲではありえない挙動をつい先日果樹園で起こしたばかりだ。
「数日前に、このギルドで何かが光り輝いたという報告をうけたもんで、ピンときたわけさ。トレジャータウンの住民たちに聞けば、なにやらポケモンが光り輝いたっていうじゃないか。普通のヒトカゲならあるまじきことだろ」
「待って」
そこにスバルが声をあげる。彼女は険しい顔で席に座るシャナと、“サンバーク”との間に立ちふさがった。
「スピカはね、まぎれもなくカイ自身に託されてここにきたのよ。あなたたちは、倒さなければ……消さなければいけないヒトカゲをわざわざギルドに呼び寄せるようなことを、カイがすると思ってるの?」
「リングを飛ばしたのは紛れもなくカイだ。俺たちは逃げろと言われて、そのまま情けなく逃げちまったわけだが……そのあとダンジョンに残ったそのリングを――ヒトカゲに姿を変えたそれを、メモと共にギルドに誘導しててもなんらおかしくはない」
「カイが、あんなに小さな子に対して、そんな騙し討ちみたいなこと……!」
「小さい子!? 対峙していないあんたにはわかんないだろうがね、あれはバケモンだったよ! あんなもんに捕らえられちまって、カイにもう戦う気力があると思うかい!? ギルドに誘導しておけば、あとあとあたしたちが処理してくれると踏んだんだろう。実際、そうなったし」
カーラが怒ってそう叫んだ。スバルにはまるで、腹にある模様までもが自分を怒っているかのように見えた。
「で、でも……!」
「ギルドがあずかってるってんなら、俺たちは手出しできねぇ。だがよ、副親方様。カイがほんとにピンチだってんだ。あのヒトカゲをおれたちに引き渡してくれ」
「ぐ……」
シャナは拳を握りしめた。まさか、本当にあの優しく臆病なスピカが化け物の一部だというのか? だが、実際に“謎の秘境”へ行って一部始終を見たのは彼らだけだ。
「クソ親……いや、代理ッ! 本当にあいつが最後の腕だっていう確証もねぇってのに、非力なガキに手を下すため調査団へ引き渡したなんて知られた日にゃあ、このギルド一生の恥だっつうの!」
リィが血管すら額に浮き上がらせる勢いでシャナへ叫んだ。だが、それを聞いたレムはビビ、と手についている豆電球のような灯りを点滅させて、バッグから一枚の紙を浮き上がらせる。
「これは、調査団団長からの一筆」
「団長からの……!?」
「ビビッ、化け物の復活で、協定を結んだギルドのある大陸が被害を受けるのを見るくらいなら、最後のリングを、派遣する調査団に引き渡して欲しいという内容の進言書だよ」
「俺たちは、長い間友好の印としてこのギルドとは協定関係を結んできたよな。団長の進言書を蹴って、その関係にヒビをいれるってんなら構いやしないが、困るのはそっちじゃないのか?」
デンゴがその紙をかざして鋭い視線でシャナへ一歩踏み込んだ。シャナは内心で狼狽した。彼はあくまで副親方の代理でしかない。本来であればここで重い決断をするべきは親方なのだ。だが、親方はいつ戻ってくるかわからない。ギルドの決定は、今やシャナにしか下せないのだ。
「自分の弟子を、救いたくはないのかよ!」
デンゴが叫ぶ。シャナは歯ぎしりをして、しばらく沈黙をしていた。
そして……。
「スピカは、本当に化け物の最後の腕なのか? それが確実にわかるまでは、引き渡しを受けいれかねる」
「く、クソ親父……!」
リィは顔を明るくさせて一瞬だけそう言いかけて、そして慌てて黙った。だが、シャナは二の句を繋げる。
「ただし、俺はカイを助け出したい。もしあんたらに、スピカが化け物の最後の腕だと証明できれば、話は変わってくる……スピカを、ここに連れてくるんだ」
「お、おい正気かよ……!」
「シャナさん!」
リィとスバルが同時に叫んだ。
「このままじゃ埒があかないだろう! スピカがただのヒトカゲならこの話は無しだ!」
デンゴはニヤリと不敵に笑う。
「ほう。俺たちはかまわねぇぜ。攻撃の一つでもしてみりゃ、自衛のために本性を表すに違いない。で? ヒトカゲはどこにいる?」
「……チッ……たぶん、医務室だと思いますわ。だったらお望み通りさっさと終わらせましょう、この茶番を!」
リィは諦めたようにそう言って副親方の部屋の出口へ向かう。その後をついて、“サンバーク”とスバルとシャナも、一斉に医務室へ向かった。
「――え? スピカかい? 彼女ならさっき、血相を変えたモズクとここを飛び出して行ったけど」
医務室の医療係、ジェムは、いつものように白紙のカルテをもてあそびながら、リィに問われたスピカの所在をありのままに話す。
「な、なんですって!? あのゲコガシラが!?」
「うーん、モズクがなんだか慌てた様子だったねぇ……バッグも地図も、バッジまで全部揃えて、まるで今からダンジョンに向かっていくみたいに慌ただしくスピカを引っ張って行っちゃったけど……」
「なッ……!」
――あいつ、わたしが貸した探検隊道具一式を、全部……!
「な、なんで止めないんだよぉおおおおお! ジェムぅうううう!」
「え。え? あたい、なんかやばいことでもしたかい?」
リィが丁寧な口調も外れた様子で叫んだ。スバルの顔が青ざめて、シャナは気絶しかけのように白目をむいた。
そんななか、“サンバーグ”の三人だけは、まるで予想通りだったという風に不敵に笑っている。
「おぉ、俺たちが証明するまでもなく、あのヒトカゲには何か後ろめたいことがある、って証明してくれたわけだ。……逃げるってのは、そういうことだろ?」
――Escape;from an Escape destination.――