10 Father is the pressure for his Daughter.
――拝啓、先生へ。
自分よりも数段年上で、数段強くて、数段場数を踏んだ相手の痛いところをついてしまった挙句、乱闘まがいのことをしました。もしあなたがその場にいらっしゃったなら、おれ……いや、ぼくをお叱りになるでしょうか。それとも、腹を抱えて笑うでしょうか? ええ、知っています。たいていの大人であったら、ギルドの中で取っ組み合いなんてお叱り程度じゃ済まないでしょう。いま、まさに目の前にいる、副親方代理のように……。
*
「――お前ら、自分たちが何をやったか、わかってるよな」
低く、淡々と、言葉を区切るさまは、おれたちにさも事の重大さを叩き込まんとしているみたいだった。
あの後おれたち二人は、乱闘でできた傷を完全に癒す間も与えられず副親方の部屋に直行させられた。おれは未だにちょっと利き腕が動かない。
それこそリィとは、向こうが冷静さを欠いていたおかげで互角に渡りあえていただけだ。彼女は本当にシャナさんの娘で、化け物じみた戦闘力の持ち主で、一歩間違えれば“フリーズドライ”でこっちが致命傷を負わされていたことを思い知って、いまさら場違いに戦慄していた。
「おい、モズク、聞いているのか」
「はい、すいません」
違うことを考えていたのを一瞬で看破された。シャナさんはこれだから嫌だ。
「ギルドの果樹園で乱闘した挙句、木々のいくつかを傷つけてしまい、申し訳ありません」
おれは頭を下げた。逆に言えば、おれが謝ることがあるとすれば、それくらいだった。
「ですが、おれはそこの探検隊から不当な扱いを受けていましたが?」
今回の乱闘の原因のほとんどは、今頭を下げているおれの横でそっぽを向いているキュウコンだ。
「ダイヤモンドランク探検家、フリエーナ」
それはどうもシャナさんも心得ているようで、それ以上のおれへの追求をやめた。そのかわりに自分の娘――いや、この場合は後輩探検家――へ、厳しい視線を送っていた。
「ルテアからの頼み。あれは口頭だったが、確かに彼が探検隊であるお前に向けた“依頼”であったはずだ。それを、私情で無視し、ビクティニのギルドで預かったポケモンにろくな対応をせず、挙句には乱闘か」
叱るまでもなく、ましてや声を荒げるまでもなく、まるで淡々と事実を述べるかのような言い方だ。逆にそれが刺さる。しかもそれをにっくき自分の父から言われていることに、リィは腹を据えかねていた。
「それは――」
「――もう一度言うぞ。お前、自分が何やったか、わかってるよな」
シャナさんは、リィの発言を許さなかった。
ビクティニのギルドを卒業した探検隊が、依頼をないがしろにした。その事実は確かに重い。リィ一人の行動で今後のギルドの信用が左右されたと言ってもいい。仮におれが外でこのことを言いふらしでもしたら「ビクティニのギルドの探検隊は、依頼をまともにこなしてくれない」と思われても、なんら仕方のないことだ。
その重さを考えると、副親方代理がリィに発言を許さなくても、彼女はそれを甘んじて受けるしかない。
「お前は力だけ強くなるばかりだな」
はぁ、とシャナさんはその発言を最後に椅子の背もたれへ深く背中を預けた。そして眉間を手で押さえる。
「いや、もういい。フリエーナへの処罰は追って通達する。――おい! スバル! 廊下で盗み聞きをするな! モズク以外は解散しろ!」
リィは、不倶戴天の恨みの権化を見るかのごとく、おれとシャナさんを一瞬睨みつけてから部屋を出ていった。それと同時に、なんと本当にシャナさんの指摘通り、スバルさんは部屋の外で壁に張り付いて盗み聞きをしていたらしく、慌てて去っていく様子が部屋の出口から尻尾だけ見えた。
「はぁあああ」
おれとシャナさん、二人だけになった瞬間、彼は椅子から滑り落ちんばかりに脱力する。さっきの重苦しい彼のプレッシャーとのギャップに、おれは驚かなかったわけでもない。
「いや、すまん。俺が誰かにしっかり監督させなかったのも悪いな。……だけど、これだけは信じて欲しい」
「なんですか」
「リィは、普段なら決して今回みたいなマネはしない子なんだ」
おれは、黙るしかなかった。ファーストコンタクトがこれだったのだから、おれに普段のリィなんて知るすべもないし想像する必要もない。
だが、まぁ仮にもシャナさんの娘で、スバルさんを「お姐様」と慕っており、ダイヤモンドランクとやらに登りつめている探検家だ。おそらく彼の言う通り、普段は比較的真面目にやっているんだろう。でなければいくら強すぎるとしても、ギルド歴代最速……なんて叶うはずもない。
シャナさんとリィの仲があまりにも険悪なのは知っている。彼は娘と顔をあわせるたび、ここで会ったが百年目がごとく一方的に暴言を吐かれる、らしい。だが、暴言を吐かれてでも娘をそう擁護するシャナさんの言葉くらいは、信じてもいいのかもしれない。
親って、こういうものなのか。
「ああ、もういいですよ。おれは、ちゃんと探検隊についての基礎を教えてくれるまともな探検家が一人いてくれればそれでいいです」
「そこは責任を持って対処する」
そう言うと、シャナさんはやっと椅子の上で姿勢を正した。
「話は変わるんだが……いや、むしろこっちが本題なんだが――スピカ、彼女はなんなんだ?」
「それは……」
むしろ、おれが知りたいぐらいだ。
おれとリィとの乱闘の間に割って入った。そのときに、彼女自身が目も開けられないほどに光り輝き、そして、おれは彼女の放つ光と衝撃に、吹き飛ばされた。いまでこそ、ジェムが預かっている医務室でスヤスヤ眠りこけてはいるが……。
「モズクは、あれを初めて見たのか?」
「いいえ、一度……今日ほどではありませんが、スピカが光るのを見たことがあります」
あのときは、そう、シャナさんとのバトルのすぐ後だった。俺がスピカを強く突き放そうとした時に、彼女は頭を抱え、うめき、そして淡く光っていた。
一度は、きつく当たった時。一度は、リィに感情をぶつけていた時。
共通するのは、どちらの場面でもスピカ以外の誰かに醜い感情が見え隠れした時か。特に、おれの。
「言いにくいことなのですが……スピカはどうも――負の感情、とでも言えばいいのでしょうか――嫉妬とか、怒りとか、苦しみとか……誰かのそういう感情に強く触れると、光りだすんです。多分」
「負の感情に強く、ね」
カイがギルドによこしたポケモンが、あり得ないことを引き起こす、か……と、シャナさんは呟いた。
「いや、あいつの手がかりになれば、と思って話を聞いてみたかったんだ。まぁそれだけじゃカイがどこにいるかも、スピカがどんな子なのかも、二人がどういう関係なのかも、わからずじまいなんだが」
「ええ、まぁ……」
おれは、波風立たせたくない。自分の感情には、蓋をしておきたい。なのにここにきてスピカが、“負の感情”に反応を示すなんて、いったいどんな呪いだよ。
あいつが、こわい。
おれは、初めてスピカにそんな感情を抱いてしまった。
*
モズクとの会話がしばらく経った後。
――俺はいったい、どこで間違えただろうか。
シャナはそう思いつつ、ギルド内を歩き続けていた。その間に、自分の娘の姿を探す。だが、自身では知りようのない娘の感情をいつまで考えていても仕方がないことだった。
「“思いは、言葉にしないと伝わらない”、か」
それは、彼が長い人生をかけてやっとのことで気づいた真理の一つだ。今回もまた、娘から直接言葉にしてもらわないことには、自分も前に進めないのだろう。
ある時を境に始まった、ここ数年間の、顔を合わせた途端一方的に吐かれる暴言を思い出しながら、それでもシャナは、リィを探すことにした。
幸か不幸か、彼女はまだギルドに残っていた。建物からすぐに出た先の昼寝スポットである草原に、一人ポツリと座っている背中が見える。あたりはもう薄暗かった。
ここを卒業してからと言うもの、拠点などどこでも構わなかったはずなのに彼女はこのギルドにとどまり続けている。シャナはそれを不思議に思ったことが何回もあったが、今はそれに感謝をしていた。
「リィ」
名を呼んだ瞬間、相手は声の主に気づいて電撃でも浴びせられたかのように飛び上がる。そして、シャナから距離をとった。
「く、クソ親父……! 説教の続きならきかねぇぞこのヤロウッ! あっちいけ! 氷漬けにしてやる! 視界に現れんな!」
「おーーーい」
「ネガティブ! チキン! そのくせに副親方になった瞬間いばりちらしやがって! 代理のくせに! 卑怯者! 一緒の空気も吸いたくない!」
「……あぁ、これはつらい」
いつもなら、ここくらいになってシャナは胃の痛みに耐えきれず彼女の前から姿を消すことにしていた。だが、今回に限ってはそれをしたらいけないのだ。リィは、いったい何にしこりを残しているのか、聞き出す義務が自分にある。
その間にもリィは暴言とともにシャナから背を向けて去ろうとする。なのでシャナはその脚力を生かし、跳躍して彼女のいく先へ着地した。
「待て、待て、俺は話がしたい」
「クソ親父にする話なんてない!」
シャナの言葉とともに伸ばした手を、リィは“フリーズドライ”で瞬時に足元から凍らせた。彼は腕の芯からつき刺さる痛みに情けない声を出しそうになったが、なんとかこらえる。世にいる氷タイプのポケモン中でも、炎タイプ相手に一秒足らずで腕を凍らせる使い手など目の前のキュウコンくらいだ。
「な、なんでよけないんだよ……いつもなら去っていくのになんで消えないんだよ! なんで技をまともに受けてんだよ、耐久自慢でもしにきたのかよッ!」
リィの叫びは途中で裏返っていた。
「わたしのやったこと、咎めにきたんだろ! だったらさっさと厳罰なり処分なりしろよ! 二度と顔見せんなよ! うざいんだよッ!」
「……」
「……」
「言いたいことは、もう済んだかな」
「……マジ、何しにきたんだよ……」
「ふぅ」
暴言なんて、延々と吐き続けられるわけがない。いつか底をつくものだ。
どかり、とシャナはその場に乱暴に腰を下ろす。リィから受けたフリーズドライでできた霜を、“フレアドライブ”の予備動作――体を温めることで瞬時に融解、蒸発させた。
「……あのな、リィ。暴言だけじゃ、いくら俺がそれを浴びたところで、お前の本当の気持ちなんかわかりゃしないんだ」
彼はそう言って、自分の座った横の席を、ポンポン、と手で叩く。
「リィ」
座ろう、という合図だ。だが、リィは頑なにそこから動こうとしない。
「リィ――フリエーナ」
だが、自身の名を呼ぶバシャーモはうっすらと笑みさえ浮かべていた。どうも、自分を咎めにきたりとか、さっきの暴言を撤回させるとか、ましてやここで一発バトルをかまそう、という気はないようだ。
「……チッ」
リィは、黙って促されたシャナの横に腰を降ろすことにする。
「……俺、びっくりしたんだよ」
シャナは唐突にそう話し始めた。
「は?」
「まず、第一のびっくり。母さんと“海のリゾート”へ行って、そこで出会ったジェムと一緒にタマゴを見守って、いざ、生まれてきたロコンの毛は真っ白、しかも氷タイプだった。知り合いの医者はさ、“海のリゾート”にいすぎて、その環境に適応したロコンが生まれてきたんじゃないかって推察しているんだが」
なるほど、頭の中が花畑のこのクソ親父が母を連れ立って“海のリゾート”に行ったばっかりに、自分をこの体に産み落としたのだな、とリィは鼻息を荒くした。
「第二のびっくり。生まれてほんの少ししか経ってないのに、お前は氷を見事に操っていた。スバルがお前を喜ばせようと放った電撃を見て「わたしもやりたーい!」と言って、その瞬間にお前は粉雪でスバルの電撃の軌道を完全に模倣した」
そう、このクソ親父はそれを見てしまったばっかりに、「こいつにはとんでもない才能がある!」とのたまって地獄の特訓が始まったのだ。
「俺は、さ。お前のそれを見て、技を出すのが好きのな子だって、きっとバトルも好きだろうって、強くなるのが好きなんだろうって、そう思ってたんだ。実際に技の練習を初めて、バトルで実践して、訓練を続けて、あり得ない強さを身につけても、「いやだ」って言わないし。だから、てっきりな」
「……」
「もしかして、「いやだ」って、優しくて言えなかっただけなのかと思って。俺の思いを、勝手に押し付けているだけだったのかも、って。俺は今更そう思った。はは、だったら、暴言を吐かれても仕方がない。お前の意思を、尊重できなかったから」
「そんなこと――!」
リィは思わず立ち上がっていた。確かに、自分は強くなりすぎて、他のポケモンから恐れられるようになった。それは、紛れもなくこの親父に仕込まれた強さのせいだと呪っていた。だけど、あの時の訓練自体は、一緒にやったバトルは、探検隊として背中を追っていた時は……。
紛れもなく、楽しかった。
「ごめんなぁ、リィ。もっとちゃんと、話を聞いてあげられればよかったかな」
「違うッ!」
父のお門違いな謝罪を、これ以上聞いていられなかった。だから、こいつはクソ親父なのだ。いかにクソ親父かを、クソ親父がわかっていないのだ。
「ちがう、ちがう、ちがうって! わたしは……! 強くなれて、嬉しかった。そりゃあ、他のオスとかに、「強すぎて気持ち悪い」とか、「プライドが傷つけられる」とか言われるけど! でもそんなのどうでもよかった! スバルお姐様も、カイお兄様も、強いお方は本当に好き! わたしも、そんな強いお方の仲間入りになれたら、どんなにいいかって思ってた!」
自分が歪んだ理由は、そこではない。“強すぎること”が歪んだ理由ではない。モズクの言う通りだった。会って一週間も経っていないのに、あのゲコガシラの鋭すぎる指摘が、今になって氷の心に突き刺さった。
「うっ、ううっ……違うんだってぇ……パパぁ……うわぁああん!」
リィは、思わずシャナに抱きついていた。
「じ、じつはっ……どうしても、どうしてもずっとパパに言えないことがあったのよぉ……うわぁん!」
「えぇ? なんだ?」
「わたし――ルテア様に恋しているの、わぁああん!」
「は、はいぃ!?」
いきなり親友の名がリィの口から出て、晴天の霹靂。いや、一度だけ血迷って半分本気で親友に嫁にどうだと誘ったが。あの時は相当疲れていたのもある。
「……ずっと、パパにちょくちょく会いにきていたルテア様が……! お強くて、豪快で、でも優しくて……!」
「そ、そりゃ、わかるけどな……」
「で、でもっ、わたしっ、言われてしまったの、『リィ、お前すげぇ強いよな! はは、それが妹みてぇで、かわいいや!』って!」
「あ、あちゃぁあああ……」
これにはシャナも頭を抱えた。そして全てに合点がいってしまった。親友の新たな“やらかし事案”が増えた。リィはルテアに想いを寄せていたというのに、あろうことか彼は、強さを引き合いにだした上に妹みたいで可愛いと口走ってしまった。
これはリィにとって、他のどんな言葉よりも深く突き刺さったであろう。
「ひどい……ひどいって思って……!」
「な、なんで俺に言ってくれなかったんだよ……」
「バカなの!? 言えるわけないじゃない! パパはルテア様の親友でしょ! 自分の親友を好きになったのよ!? 挙句にあんなこと言われたなんて言えるわけねぇじゃんかぁあああ!」
びぇえええ、と、比喩なしにリィはシャナの体毛を滝のような涙で濡らしていた。もう彼は、なされるままでいるしかない。
「ぜ、ぜんぶ……私の強さのせいだと思ったから! 強くなりすぎてそんなこと言われちゃったんだって! だから、パパを恨んだ! 恨んで、恨んで、もっとルテア様より強いお方を探し続けたんだけど、そんなのいるわけないじゃなぁあああい!! わぁああ、ばかぁあああ!」
リィは泣いた。そして、そんなリィの頭を優しくシャナは撫でた。ずっと隠し続けていたリィの本当の気持ちを、今やっと聞けた気がした。
「そうか。それでまさか、後々ルテアのいるギルドに預けられるモズクの教育を、ルテアから直接依頼されたときたもんだから……」
「拷問よぉおおおおッ!」
ルテアに恋をしているなんて、自分に言えるわけがない。もうルテアとは、生まれて間もない頃からおじさんと言える年齢まで、腐れ縁のようにずっと過ごしてきた親友だ。それこそ、リィが生まれる前からだ。何でも話せるはずの親子とはいえ、娘という立場でルテアを好きになってしまったら、自分に言い出せるはずがない。
自分の存在が、図らずもプレッシャーになっていた。
そして、リィを傷つけた言葉の遠因である“強さ”をもたらしてしまったのも、自分の存在だった。
これは、暴言を吐かれても仕方がない。
「ずっと、つらい思いを、させていたんだなぁ」
たとえ、親友を好きになっても、驚きこそすれ、なにも咎められることなんて、なかったのに。
自分は、ルテアの親友であると同時にリィの父親で。
娘の正直な気持ちを受け止めるのが、父親の使命なのだ。
だが、それを言い出せずずっと内に抱え込んでいた娘は、どこか自分に似ている気がした。
「俺は、大丈夫だからさ」
シャナは、リィを優しく抱きしめた。
「リィ。自分の気持ちに嘘なんか、つかなくったってもいいよ」
しばらくずっと、そのままでいた。
――Father is the pressure for his Daughter.――