9 Spica;Emits Lighting.
――拝啓、先生へ。
いくらリィが邪智暴虐だったとしても、さすがにそれこそ自分が“強い”と認め尊敬しているルテアさんの頼みを、いつまでもほったらかすことはないと、おれ……いやぼくは思っていたのです。
先生、実際のところぼくは、あのキュウコンを買い被りすぎていたのです。
*
果樹園の仕事を手伝ったところで、探検隊のイロハが学べるとはまさかおれもおもっちゃいない。おれがそうならリィはさらに思っちゃいないだろう。だからおれも、リィの破綻した性格のなかに探検家としての理性が残っていることを信じて、数日の間は指示に従うことにした。
だが、次の日も果樹園。その次の日も果樹園。スピカこそ楽しそうにきのみ拾いを手伝っちゃいるが、おれの方はたまったもんじゃない。
時々スバルさんが様子を見に来てくれるが、そう、奴はスバルさん相手には“上品に振る舞う”。全ては抜かりないですわ、とありもしない嘘を平気で吐きやがる。
そしてリィは、おれたちを置いてサボっている時は、決まってトレジャータウン向こうの森の方を向いて、黄昏てやがる。
惚けてる暇があるんなら、さっさとおれを教育してくれないか。
堪忍袋の、緒が、もうすぐ切れかかりそうだ。
それは同時に、おれがいつも押さえつけていた、波立たせまいとしていた、心の水位の上昇を意味していた。
「ちょっと、探検家さん」
おれはおそらく五日目くらいになるであろう果樹園の入り口で、いつものようにおれを置き、去ろうとするキュウコンの道を塞いだ。
「なんだ、海のモクズ」
「モズクだよ、ちくしょう」
この名前は先生からもらったんだぞ。
「今日もこのまま、おれを置いていくってことはあるまいな」
「だったらどうする」
「どうするもこうするもねぇよ。あんたは探検家失格だ。指導者なら他を当たらせてもらう」
「あんたみたいなやつを教育しようなんて暇人探検家は、このトレジャータウンにいるはずがないわ。……ふふ、おりるんならおりてもいいんですのよ? そしたら、ルテア様にそう報告させていだきますわ」
「……」
今の言葉で、ピンときた。
わかってしまった。リィがおれに対してここまで頑なに意地悪をする理由を。そしておじさんの言う、こいつがこうなった漠然とした“きっかけ”も。
ああ。先生譲りのこの洞察力で、子供のころから、損ばかりしている。
「なるほど……なるほどな」
おれはリィをにらみ見た。
「おまえ、最初からおれをおろすつもりだったんだな」
「ふん、どうだか」
「おれがルテアさんのもとで働くことが、そんなに嫌か」
「……」
その言葉は、確実に奴の急所をついた。その証拠に、リィはおし黙る。
「はぁ……」
探検隊への押し売り勧誘をするライチュウ。バトルで好き勝手に暴れるバシャーモ。そして、溢れるおれへの嫉妬と、その原因を作った父への嫌悪を抑えもしない、雪色のキュウコン。
「……このギルド……マジでいかれてやがる」
「も、もずくぅ」
「離れてろ、スピカ」
おれは首もとの泡に、きのみの中でいちばんの硬度を誇るカゴのみを包んだ。そしてそれをリィにむかって、投げつける。
もう、たくさんだ。やってられるか。
おれは、自分の持てる腕力を百パーセントこめて、泡をフルスウィングしたつもりだ。案の定それは、がつん、と、いままさに背を向けて去ろうとしていたキュウコンの首筋にヒットする。
「……てめぇ」
ぎろりと奴が振り返る。
「そう言いたいのはどっちだと思っていやがる」
この際だから、言ってやる。
「おじさんから、あんたについては色々聞いた。父親にセンスを見出されて、きつい鍛錬を受けて、強くなりすぎて、同世代から恐れられるようになったことも」
「……」
「だが、勘違いすんな」
どうしてお前より強いはずの英雄カイとやらがみんなから慕われて、お前が恐れられる?
「いい加減自分を省みろよ! 避けられ、恐れられてんのはてめえの強さのせいじゃねぇ、その腐った性根のせいだろッ!」
望み通り、おれはこの仕事からおりてやる。だが、てめぇをボコボコにして、てめぇの思う“強い”やつらに、てめぇのボロボロな姿を見せつけてからでないと、おれの気が済まない。
おれは“水クナイ”を逆手に構える。リィが臨戦態勢に入った。場の空気が一瞬にして下がる。果樹園の葉の先に霜がたった。
「ッ!」
短く息を吐いて、奴に飛びかかる。わかってる。おれが不利だ。奴はおそらく接近戦に持ち込まれるまでもなく、遠距離で強力に放てる技を複数持っているだろう。キュウコンってのはもともと遠距離特殊攻撃型だ。おれが近づいている間に、おれは凍らされる。
奴が開けた口の先でビリビリと、電撃にも似た氷のオーラが球状に集められる。
“冷凍ビーム”の挙動!
そしてコンマ一秒もかからぬうちに、水タイプのおれでさえ当たったらひとたまりもなさそうな強力なビームが放たれる。だが、“かげぶんしん”で狙いを外させた。
「チッ」
冷凍ビームは外れた。おれはその隙にもう一歩奴の懐へと踏み込んで肉薄。クナイを下から振り上げる。
「“アイアンテール”!」
「!」
キィン、と、水のクナイが尻尾で弾かれた。まずい、同じ技でもキュウコンの尾は九つ――。
「がッ!?」
――と、思った時にはすでに、別の尻尾がおれの腹に入った。くそ、気づいてから次の挙動が遅すぎる。いや、あっちが化け物並みに速いのか!?
ズザザ、と体勢は崩さなかったが足の裏で踏ん張っても数歩後退させられた。だが、こっちもなにもしなかったわけじゃない。
「!」
キュウコンは、おれの仕込みに気づいたのか背後を瞬時に振り返る。だが、その時にはおれが鉄の尻尾を腹にをもらったとき放った“水手裏剣”のブーメランが返ってきていた。
「“フリーズドライ”」
水手裏剣の動きを、大気ごと凍らせて止める。だが、その間にまた肉薄できる。
「おらッ!」
跳躍してクナイを奴に振り下ろした。頭から切りつけられるリィ。だがやつは刮目している。
「バカな! 水タイプにも致命傷な“フリーズドライ”を見ておきながら、わたしに接近戦をもちこむとは」
そう言っているそばから、おれの足元からパキッと、氷の膜が張って身動きが取れなくなった。瞬時に足の感覚がなくなる。拘束されたな。だが、接近戦に持ち込んだ価値はある。
リィが立ち上がったと同時に、おれは叫んだ。
「“草結び”!」
地面から伸びた蔦が、いままさにおれへ攻撃しようとするリィを地面からからみ取り、そして――地面へ縛りつけた。
「ぐうっ!?」
お互いがお互いを拘束し、身動きが取れない状況。先にこの状態から脱出した方が、勝つ。
「まけるかよぉおおおお」
「うごけぇえええええ」
もう、これはポケモンバトルじゃない。お互いの、溜まりに溜まった鬱憤のはけ口だ。
「てめぇえええええ、おれにやつあたりするんじゃねぇええええええええ」
「うるせぇええええてめぇにわたしのなにがわかるうぅうううう」
フリーズドライで、水タイプであるおれは体の芯から凍らされている。動けば動くほど氷の体がひび割れて、怪我どころの話じゃない。だが、それは相手も同じだ。ここはましてや果樹園。力を貸してくれる根や草は他所よりもはるかに強力だ。下手にもがいたらさらに締め付けられて、血が通わなくなる。そこを無理に引き剥がそうとすると、無事では済まないだろう。
だけど、そんなこと、どうでもいい。
「こんなに、強くなってしまったがために、わたしが今までに受けてきた言葉の棘が、わかるとおもうかぁああ」
「てめぇが何を恨んでようが、何を羨んでようが知ったことかッ! たとえ、暗い感情でも、目の前に、思いを、伝えられる奴が、いるのに……! なんで、直接言わないんだッ!」
そうだ。こいつの周りはみんながいてくれている。
強さを恐れられもするが、同時に、愛されている。おれとは違って……。
おれは、この気持ちを。
軋み続けるこの心を、ぶつける相手が見つからないんだ。
おれには、恨みをぶつけることすら、許されていないのに。
おれは――。
制御しきれぬ自分の感情に、溺れそうだ。
パキン、と、おれの足元の氷が割れた。
ぶちり、と、やつを拘束する蔦の一つがちぎれた。
「……う、うう、や、やめ!」
おれは、走る。リィも走る。目の前の相手を、恨みの権化として。おれも、あいつも。そう、いまは誰かを叩かないと気が済まないんだ。
「も、もずくっ! やだぁっ……!!」
こちらは、クナイ。あっちは、アイアンテール。お互いの技がお互いの懐に当たろうとした、瞬間。
「だめぇええええええええええええッ!」
おれたちの間に、目も開けられないほどの光――!?
「くうっ!?」
「なんだ!?」
おれとリィは同時に目を閉じた。そして、その光とともにきた衝撃波に、吹き飛ばされる。
「ぐぁっ!」
地面に、盛大に叩きつけられた。
これは、なんだ? いや、なんだじゃない……。光、そうだ――。
――スピカだッ!
「わぁあああッ!」
「す、スピカァッ!!」
だめだ、目を開けていられないほどの光だ! どうしてだ!? 離れてろって言ったのに!
まさか、おれとリィが戦うのに、飛び込んできたとでも言うのか!? “だめ”と、そう叫んでいた……。
まさか、おれたちを、止めようとしたのか!?
なんなんだ、この光は!?
目を、開けていられねぇッ……!
同時刻・“謎の秘境”。
そこに佇む何者かの“目”が――ギロリ、と開かれた。
*
「モズク君……! モズク君……!」
誰かが、おれの肩を揺さぶっている、気がする。
「モズク君ッ!」
いや、気のせいではない。確かに、おれの名を呼んでいる声がする。おれは、いったいどうなったんだ。さっきまで、リィと、戦っていて……そして。
光が……。
「す、スピカッ!」
「わぁッ!?」
ガバッ、といきなり起き上がったことで、おれを揺さぶっていたライチュウ――スバルさんと、額が当たりそうになった。
「モズク君、大丈夫!? いきなり果樹園がおかしくなったって……! 何があったの!?」
おれは、あたりをもう一度確認する。さっきまでと同じ、たしかにおれがリィと戦っていた果樹園の入り口だ。おれの目の前にはスバルさんがいるが、それ以外には、シャナさんや、庭師のおじさん、ジェムなど、様々なポケモンがそろっていた。
だが、そんなことより、あいつのことだ。
「す、スバルさん! スピカは、あいつは大丈夫なんですか!?」
リィから受けた“フリーズドライ”の後遺症で、おれの体のほとんどに感覚がなかった。だが、それより、何故かおれは心にダメージを負っている。
「え、ええ……一応は大丈夫よ、ほら……」
スバルさんは、すこし困惑した顔で、ジェムのいる方を指差した彼女の抱えた腕の中で、スピカは疲れたように丸まって寝息を立てている。その様子は、普通のヒトカゲのそれと、なんら変わりはなかった。
「それにしてもどういうこと? モズク君! リィもあんなことになってるし……この状況、説明してもらうからね! ちょっと、聞いてる!?」
「は……」
思わず、その場にへなへなとへたり込んだ。彼女の無事を確認できて、安堵から腰が抜けたとか、そんな悠長なことじゃない。
あいつ、また、光ったぞ……!
ヒトカゲという種族に、体毛を光らせるような特異な体質を持っているやつなんて聞いたことがない。スピカ……ほんとうに、お前、なんなんだ……? おれは、お前のこと、わかんねぇよ……。
それに、おれたちのこと、なんで止めようとしたんだよ。
こんな、醜い心しか、持ち合わせていなかった、おれを……。
「くそ……」
そう、だ。おれがリィと不毛な戦いをしている間、スピカは、必死に、おれに向かって叫んでいた。
――もずくっ、やだぁ!――。
そうか。おれが、あいつを光らせたんだ。必死にやめてと叫んでいたのに、おれが聞かなかったからか。おれのせいで……スピカを、あんな……。
だけど、スピカ……お前はなんで、光るんだ? 足を踏ん張っていられなくなるような、あの強い衝撃波は、なんだったんだ?
おれがお前を突き放したあの時も、淡く光っていたように。
おれが醜い心で溺れそうになるたびに、お前はああやって暴走するのか?
おれは、いったい……どうすればいいんだよ……。
――Spica;Emits Lighting.――