Steal 17 言の葉
ナイルが高層ビルの柵から飛び降りた!
その瞬間を、彼らは逃さなかった。
エイミはフレアへと走り出した。アマノはジェット機へと乗り込もうとした。ロウは、そんなアマノへ走り出した。
アフトとティオは、二人が落ちて行った柵へ身を乗り出した。
ゴォッ!
その時、二人の目の前を何かが縦に貫いた。あまりにも速すぎて見えなかった。上空から、落下した二人の方に“音速”で何かが迫って行ったのである。
「――アマノォ!」
ロウは叫んだ。アマノはにたりと笑った。だが、その笑みは一瞬にして消えた。なぜか。どういうわけか、ロウが八重歯を見せて笑っていたからだ。
「ハッ!?」
アマノはあわててジェット機を見た。だが、気づいたときにはもう――ジェット機はフニャリと溶けていた。
「これはぁああッ!?」
「イリュージョンだよォ! 警視総監殿ッ!」
ドガッ!
「ぎゃはあああッ!」
ロウの“辻斬り”が、アマノの内蔵が透けてみえる腹部にクリーンヒットした。一瞬で、ノックダウンする。この瞬間が、巨悪の頭領の最後の悪事だったという――。
「――フレア刑事ッ!」
エイミはフレアの元へ駆け寄った。それはロウがアマノを瞬殺したのと同時であった。カラマネロが倒れたのと同時に、フレアもふらりとバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。
「刑事ッ、刑事ッ! 大丈夫ですかッ!」
「……」
「い、嫌よ! へ、返事をしてください……ッ!」
ぐったりと横たわるヘルガーへ声をかけるが、全く反応が無かった。ぴくりとも動かなかった。
「うう、ううぅ……!」
もっともっと、彼には教わりたかった。怪盗“黒影”から、“プロジェクトF”の真相を聞いたとき、自分に能力が無いから“黒影”専属刑事になったことを知った。そうなると、未熟な自分には得なければならない経験が山ほどある。
――やっぱり、私、刑事がいないと……。
「フレア刑事……ッ! うわぁああああん!」
「……嬢ちゃ」
「えぇえええええん!」
「じょ、嬢ちゃん……」
「びぇええええええ!」
「じょ……」
「わぁああああああ……あ、あれ?」
先ほどから、なんだか自分の名を呼ばれているような気がする。しかも、たった一人にしか呼ばれない名前で。
彼女は、その時に鳴って初めて、目を開けて横たわるヘルガーのことをまじまじと見た。
「へ、へへッ……」
「――フレア刑事ッ!!!」
地に横たわり、ぐったりとしてぴくりとも動けなさそうなフレアは、それでも確かに呼吸をし、目をうっすらと開けて、ほんの少し開けた口から声を絞り出した。
「じ、ごくから……もどっ、て……きたぜ……」
「刑事ぃいいい! うわぁああああん生ぎでおられだのでずねぇえええええ!」
「う、うる、さい……!」
「す、すいませんッ! 不覚にも取り乱しましたァッ!」
びしぃいッ! エイミはフレアへしゃがみ込んだ姿勢のまま、条件反射で敬礼する。
「しょ、しょるい、は……」
「ハッ! “プロジェクトF”は、非常にイレギュラーな形ではありますが、民衆に、白日の元ににさらされました!」
「そう、か……す、まん……」
安堵の息を浅く漏らしたフレアは、目をつぶる。
――全て、任せきりにしてしまったな。何も出来なかった俺が、まさか嬢ちゃんに助けられるとは。
「……ぐずっ」
「な、くな……みっともない」
「ず、ずびばぜん……」
「……よく、やった――エイミ刑事」
「!」
エイミが、彼の言葉が言い間違いなのかと、涙で閉じていた目をしぱしぱと開けたとき。
フレア刑事は、深い呼吸をしながら眠っていた。
「おぉおおおおおッ!」
なんの躊躇も無く飛び降りた。
下を見る。数メートル下を、マルがくるくると回転しながら落ちて行く。
落下まで後数秒! どうする!? 算段などあるか!? だが、このままマルを、地面に激突させてたまるかぁあああ!
俺は空気抵抗を減らすために、身体を畳んだ。マルに迫る。彼を抱きかかえる。
そうだ。
俺が、守ってやる!
地面が迫ってくる。いや、これはさすがに俺でも無理かッ!
もはや、これまでか――。
「――」
「―――!」
叫び声が、聞こえる。というか、恐ろしいスピードで、近づいてくる!?
あれは、ここ数日、いつも俺の前に立ちはだかって来た、黒光りするボディ。
ま、まさか……!
「ナイルーーーーーーーーーッ!」
「と……ッ!」
――父さん……ッ!
思わず、涙がでそうになった。だがいくらあの速度でも、俺たちが地面に激突するまでに追いつかない! あきらめるしかッ……!
カッ!
俺が諦めかけたその時、目も開けていられないほどの光が“風錐”を包み込んだ。
なんだッ! どうしたんだ!?
何がなんだか状況が把握できないうちに、光を纏った“風錐”の姿が、俺の目の前で見る見るうちに変わっていく。爪が付いていた両腕は鎌へ。足や、胸板の筋肉はさらに強靭に、そして、身体は一回りさらに大きく。
新しい姿となった……ガブリアス……!
「待ってろよぉおおおおお!」
“風錐”は、さらに空気抵抗が減らされた身体を極限まで折り畳んだ。ドンッ! 爆発的な速度! 落下速度を超え追いついた“風錐”が、両腕でマルを抱えた俺を包み込む!
地面だッ!
――ギュインッ!
ぶつかる! そう思い強く目を閉じた瞬間。“風錐”は地面すれすれのところで百八十度方向転換した。慣性の力に俺たちは強く引っ張られる。地上にいる野次馬の歓声が一瞬だけ耳に届くと、目を開けたときにはもう、俺たちは警察本部のビルに沿って上昇をしていた。
「た……」
助かった、のか……?
俺は、腕のなかにいるマルを確認した。どうやら気を失っているようだが、命に別状は無いようだ。
助かった……!
「ふぃいいい……! まったくスリリングなことしてくれるぜ、我が息子は」
「か、“風錐”! なんなんだ、いったい。その格好は」
「ん? ああこれか! うーん、どうやらハヨウのおやっさんがくれた道具が発動したみたいだ。覚醒ラピなんちゃら、って言ってたような……いちいち覚えてられないぜ」
「な、なんだと……!」
恐るべし、だな。武器商人の力は。そんな会話をしている間にも、“風錐”と俺たちはビルの屋上へ上昇していた。
“風錐”はゆっくりとヘリポートへ着地して、俺は地面へへなへなと座り込んだ。さすがに、一歩間違えれば死んでいたかもしれない高層ビルからの紐無しバンジーには腰が抜けた。
俺の中で気を失っていたマルが、もぞもぞと動く。
「ん、むぅ……」
「マルッ!」
と、そこにティオさんが真っ青な顔で駆け込んで来た。触手で自分の息子を抱き上げて、どこにも怪我が無いことを確認すると、強く抱きしめる。マルはうっすらと目を開けて、自分が母親の腕のなかにいると気づくとその中に顔をうずめた。
「ママぁ! こわかったよ……!」
「マルっ……ああ、無事で良かったわ……!」
よかった。本当に、よかった。マルを助けられて、本当によかった。実際、助けたのは俺じゃなくて“風錐”だし、むしろ俺は助けられていたのだが。
“風錐”は、ヘリポートに降り立ったときにはすでに元の姿へ戻っていた。そして肩を回し、「やっぱり年にはさからえんか」とぼやく……。
終わったのか。全部……。俺は、終わらせられたのだろうか。
――ゾクリ。
いや、終わってなどいない。この気配。やばい。
奴が来る。どこだ? どこから来る……! 奴の狙いは――!
「――“風錐”ッ!」
ドンッ、と俺は“風錐”を押しのけた。そうだ。まだ、終わっていなかった。一人だけ、残っていた。
ギラティ
*
「――“風錐”ッ!」
ドンッ!
「うぉおっ!?」
ナイルが“風錐”を押しのけた。どこにそんな力が残っていたのか分からないが、身軽なジュプトルがガブリアスの巨体を数センチ浮かせるほど押しのけた。彼は、いきなりの衝突に倒れ込んだ。
だが、その時。
ザンッ。何かを切り裂く不吉な音が聞こえた。そして、短く鋭い叫び。見知った声だ。ここ数日、いつも聞いて来た――。
「ナイルッ……!」
すぐに事態を理解した。危険を察知したナイルが自分をかばったのだ! 誰から!? ――ギラティナだ!
完全に撒いたと思っていたのに!
“風錐”はナイルを見た。彼は横たわっていた。我に返って駆け寄った。
彼の体に、大きな三つの傷が出来ていた。長い付き合いの彼には何の技か分かった。ギラティナの“切り裂く”だ。音速を追いかけて疲弊して、“シャドーダイブ”も、“竜のいぶき”も撃てなくなったはずだった。ギラティナの最後のあがきだった。
「ギラティナぁあああああああッ!」
“風錐”吠えた。ビリビリとその場にいた全員が震え上がった。だが彼は現れなかった。そのはずだ。“風錐”は確かにギラティナがその巨体を動かせないほど疲弊させたのだ。技の威力では勝てない大ボスへの唯一のアドバンテージが、体の大きさから来るエネルギー消費量だったはずだ。
だのに。
「ナイル……! ナイルッッ!」
“風錐”はナイルを両腕で抱き上げた。だが彼はぐったりとしていて、目を覚ます様子は無かった。どくどくと、血が止まらなかった。
「おい、返事してくれよ……! 頼む……ッ!」
仮面はいつの間にか外れていた。仕事が終わっていないのにも関わらず素顔をさらした彼の元へ、家族たちが近づいて来た。
「お、おにいちゃん……おにいちゃん!?」
イーブイの、マル。
「ナイル君……ッ!」
ヌマクローのアフト。
「ナイル君っ!」
ニンフィアのティオ。
ティオは四本の触手を使い、ナイルの身体に巻き付けた。そして目を堅く閉じて柔らかな波導を送り込む。だが、ニンフィアの波導は痛みを和らげることが出来ても、傷自体を治すことは出来なかった。
どんどん、ナイルの体から体温が奪われて行く。
「ナイル……!」
彼らに近づくことは無かったロウ=スカーレットは、一歩後ろから歯を噛み締めながら名を絞りだした。一番足の速いカテツが手当を呼びに行ったが、間に合うかどうかは分からなかった。
「おい、なぁ……俺たち、やっと会えただろ? なぁ……ッ、嬉しかったよなぁッ、そうだろうッ……!?」
“風錐”の目からこぼれた涙が、ぼろぼろとナイルの頬の上に落ちた。緩やかに奪われていく鼓動を、掬い上げてやることは出来なかった。
「おいッ! こんなところで消えないでくれよッ! 俺の息子だろッ! 頼む、もう俺を独りにしないでくれぇッ!」
――せっかく、大切なものを見つけ出したのに――。
だんだんと呼吸が弱くなる。
「おいッ……! いくな……ッ!」
“風錐”の胸の中で、彼のその鼓動が、完全に停止した。
「な……ナイル……」
“風錐”が、腕のなかで彼を揺さぶった。
「ナイルッ!!」
夜の帳の中で、彼の名を呼ぶ声だけが響き渡っていた。
――Steal 17 言の葉――
「――もし、家族三人で暮らすことが出来なら」
俺の横にいる声が唐突に問うた。
「あなたは一体、何になっていたでしょうね」
三人一緒って、もう無理じゃないか?
「だから、もしもの話、よ。たのしいわ! 可能性の話は、いつだって」
空は青く澄み渡っている。なるほど、こういう日は確かにそういう話も悪くない。
なんだか、今日は気持ちが穏やかなんだ。
「あら、それはきっと晴れているからね」
で、もしもの話だったか。
「ええ。あなたが大人になっても両親がいて、学校に通って。少しだけけんかもするけど、友達もいて。好きなだけ甘えられて、好きなことを好きなだけできる生活だったなら」
三ツ星級の待遇だな。
「そして、好きな将来を目指せるあなただったなら」
悩ましいな。俺は今まで、必死に今を生き抜くことしか考えてなかったから。将来のことなんか真剣に考えたこともなかった。
「ね、だからもしもの話も悪くはないでしょう」
確かに。
……将来。俺は何になっていただろう。
腕っ節には自信があるし、バトルの道を究めるのもありかな。
「あら、私の立場としては少し心配かしらね」
意外になぁ、学者としての道にも興味があるんだ。今まで盗んだ獲物も、歴史的価値のあるものが多かった。考古学者とかは、語呂もいい。
なぁ、学者ってモテるのか?
「……それは、ポケモンによるかしら」
家庭を作るのには強く憧れている。
「お相手は?」
そういうことではなく。
「つまらない」
家族だよ。さっき言ってただろ。“もしも家族三人で暮らすことができたなら”。
「パパとしての立場の考え方ね。それは盲点だったわ」
別に三人じゃなくてもいいけど。二人でも、四人でもいい。
でもやっぱり。
「やっぱり?」
――怪盗かな。
「……」
別に、すごくなりたいってわけじゃないんだ。強くそれを望んでいるかと聞かれれば、正直のところわからない。
「だったら、どうして?」
俺が腕っぷしに自信があるのは、生まれた時からあのスラムで盗みをしていたからだし、不思議荘にきた後も、怪盗になるために、家族を守るためにずっと鍛えられてきたからだ。
考古学も、そう。盗む獲物のことはしっかり調べなきゃいけないし、その過程でついた知識だ。盗む時以外に知識を使うなんて、楽しくないだろ。盗んだものの価値がわかるから、楽しいんだ。
どういうわけか、なりたいと望んでいるわけでもないのに。
全ての技術が。
染み込んできた癖が。
生まれながらの素質が。
身体に流れる血が。
――俺に、怪盗への因果を歩ませる。
「では、家族は? 怪盗になったら、孤独を余儀なくされてしまうわ。だって、失うものが大きすぎるもの」
ああ、その通りだ。犯罪者になることは、得られるはずの大切なものを捨ててしまうことだ。誰かを危険にさらすくらいなら、いっそ孤独に生きた方が楽だ。
――でも、俺には家族がいてくれたよ。
血の繋がっていない俺を、怪盗であることを隠し続けてた俺を、不思議荘のみんなは受け入れてくれたんだ。
怒ってくれた。褒めてくれた。そして今、きっと泣いてくれている。
愛してくれていたんだ。
それに、今は本当の父さんがいてくれる。
いきなり俺の前に現れて、罵って、からかって。かと思えばいきなり父親面をし始める。なんて癪なやつだと思ったけど。
嬉しかった。
とても、とても嬉しかったんだ。
「……俺、やっぱりそっちには行けないよ――母さん」
ゆっくり立ち上がった。そんな俺を、穏やかな表情で見ていてくれる。
「痛くて、苦しくて、消えてしまいたいこともあったけど。多分、幸せだったんだ。だから……」
「大丈夫」
やんわりと包み込むような声だった。
「行くか戻るかは、あなたが決めることだもの」
俺たちは、最後に軽く抱き合った。
「ただし、父さんには少しだけやさしくしてね。彼、意外に寂しがり屋さんなのよ」
「ははっ」
そうだろうなぁ。
「わかるよ。俺もきっとそうだから」
「血は争えないわね」
お互いに体を離した。温もりが少し名残惜しかった。だが。
「俺は、戻る」
「ナイル」
「ん?」
「――生まれてきてくれて、ありがとう」
……その言葉は、きっと、ずっと。俺を支え続けることだろう。
だから、俺も。
母さん。
「――生んでくれて、ありがとう」
*
とくん。
鼓動が一つ、鳴った気がした。
「!」
ナイルを抱いていた“風錐”は、一度は完全に止まったはずの鼓動を肌に感じ、目を開けた。
気のせいかと思った。
「……ナイル……?」
ゆっくりと。命の鼓動が繰り返されていた。
気のせいなどではなかった。
「おめぇ……まだ、生きてるよなぁ……!」
涙が、また思い出したように溢れて来た。大の大人が柄にも無く、嗚咽ともに強く息子を抱きしめた。
「ありがとよ……!」