Steal 15 世紀の夜
俺と“風錐”、二人で不思議荘へ戻ってくると、どういうわけか居間はミツハニーの巣をつつき返したような騒がしっぷりだった。
「ぎゃあああああッ! この変態ッ! 半径五メートル以内に近づかないでッ!」
「なんだよォ、いいじゃねぇか。ちょっと腰のラインの確認をしただけだってェ」
「それを変態というのよッ!」
どうやら、テーブルを挟んで向かい同士でじりじりとした攻防を繰り返しているのが、エイミ刑事とロウ。
「きゃっきゃっ」
「あっ、あー! そこはだめでございまする、そこはだめでございまするッ!」
「我の背中を覗いたら、魂を吸われますぞッ!」
「なんという生き物かッ!」
「一体どんな修行をつんだら、そんな破天荒な事をッ!」
「背中にのせてよぉ、お空飛んでよぉ! 頭のわっかをさわらせてよぉ!」
一方奥の方は、カテツとモズの二人が、マルの奴に遊ばれ……マルの相手をしてくれているようだった。
「……」
「なんだ、にぎやかだな」
俺の後ろにいた“風錐”が、そう言ってはははは、と豪快に笑った。
そして、俺の存在にいち早く気づいたマルが、モズの背中肩ぴょんと飛び降りてこちらへ尻尾を振りながら駆けつけて来た。
「あ、おにいちゃん、お帰り!」
「よぉ、待ちくたびれたぜェ」
「先ほどの電話の内容、聞かせてもらいますからね!」
「主、どうかそのモフモフとした生物を」
「我らに近づけないでいただけませぬか」
「……ああ……」
俺は、戻って来た。この、不思議荘に。
怪盗が面白おかしく立ち回る、この街に。
――Steal 15 世紀の夜――
「――と、いうわけだ。俺は今日の零時に、警察本部へ一人で向かわなければならない」
先ほどのアマノからの電話を、俺は全員に伝える事にした。他言無用と言われていたがこの際背に腹は代えられない。いちおう、その前に全員総出で盗聴器や盗聴ポケモンなどの類いがいないかは確認しているので、大丈夫だとは思うが。
さすがにマルにはこの話は聞かせるわけには行かなかった。その場にいるとロウの気が散ってしまうのもあり、エイミ刑事に別の部屋でマルの面倒を見てもらっている。
「なぁるほど。巨悪の巣窟にお前一人でなァ」
ロウの言いたい事は分かった。この状況、名目としては“人質交渉”となるわけだが、実際のところ“プロジェクトF”を渡したところで俺もアフトもティオさんも、みんなまとめて口封じだろう。
「で? どうするんだァ、このくそおもしれぇ状況を!」
もちろん、俺は誰も死なせる気はない。家族の事も。もちろん、俺自身も。
「ふん、なぁに。あいつらは勝負を吹っかける相手を間違えやがった。俺たちは怪盗だぜ?」
そう、怪盗は。狙った獲物は必ず盗む。そして、奪われた物は、必ず奪い返す。
「どんなに不利な状況でもひっくり返せるのが俺たちの技術、そして、怪盗エンターテイメントの醍醐味だ」
「奴らに勝つために、目標は一つ。仲介と警察。どちらも同時に無力化してしまう事だ」
一方を抑えても、一方が“キモリの尻尾切り”となっては意味が無い。むしろその後の報復で泥沼と化すことは目に見えている。
「で、その方法はァ?」
「――“プロジェクトF”を、世間にさらす」
「大きく出たなァ」
もしそうしてしまったら、この街の市民は怪盗を、そして警察を許さないだろう。仲介所と警察が瓦解すれば、金の流れががらりと変わる。
この街の治安が、ひっくり返る。
「しかし、主」
「主や、怪盗たちは大丈夫なのですか?」
そう、仲介所と警察の操り人形である怪盗も、ただでは済まないだろう。街の外でも活躍していた“風錐”はともかく、俺や仲介所の怪盗たちは、嫌でも選択を余儀なくされる。
あの街で怪盗から足を洗い、罪を償うか。
それとも、この街を去り怪盗を続けるか。
「……ナイル、お前はどうするんだ」
この街を去るとなると、必然的に家族との別れを避けられない。しかし、罪を償うとなってもそれは同じだ。刑務所暮らしとなるだろうし、怪盗という犯罪者の家族、そういうレッテルを貼られながら生きて行く。
どちらの道に、進むべきか――。
「そりゃもちろん、罪は償うべきだろうし、ずっとそうしたいと思っていた」
本当なら、罪を償うべきだ。元々脅されて怪盗になったというのもあるが、それでも犯罪に手を染め続けていたことに変わりないし。いまなら家族は、俺が怪盗“黒影”だと気づいていないし、必要とあらばそれを告げずに消えてひっそりと罪を償うことも出来る。そうすれば、レッテルも付かない。……しかし。
――ぼくは“黒影”すきだよー! だって、かっこいいもん!
もし、仲介所という足枷が無くなったとき。怪盗“黒影”は、いったいどこまで行くのだろう。
どこまで行くのか、試してみたいーー。
――いやいや。バカヤロウ。俺は怪盗が、薄汚い犯罪者が、そしてそんな自分自身が。心底嫌いだったはずだろうに。
「どちらにするかは自由だがなァ、弟よ」
と、ロウが俺の肩にどでん、と体重をかけてきた。
「俺は、怪盗がお前の天職だと思ってるぜェ」
「天職?」
「いやよいやよも好きのうち、ってか? 俺はお前は、怪盗として獲物を盗んだ瞬間が一番生き生きして見える。そしてお前自身、一番の快感を覚えているはずだぜェ」
「そ、そんなはずは……」
「自分の胸に、問いかけてみな」
トンッ、と俺の胸をロウが拳で小突いた。
相手を出し抜いたとき。
セキュリティを華麗に破った時。
獲物を手に入れたとき。
そして、ポケモンたちから歓声を浴びたとき――。
「――考えただけで、ゾクゾクするじゃねェか!!」
いきなりの大声に、俺はビクリと肩を震わせた。
「ご、ごほん! とにかくだな! “プロジェクトF”を公表すれば、必死にこれを取り戻す意味も失われるんだ。だが、それにはタイミングが全てをつかさどる」
人質の安否の確認が取れる前にそうしてしまっては、相手が逆上して危険だし。逆に、相手に書類が渡ってしまった時点で証拠が隠滅されてしまう。
「そのためには、やっぱり複数人の協力が不可欠だ」
「みずくせぇな、おい。もっと素直に言ってくれてもいいんだぜ?」
“風錐”が笑う。
「このカテツとモズも――」
「――主の仰せとあるならば」
忍二人が翅の音を低く鳴らす。
「ヒャッハアアアア! たのしくなってきやがったァ!」
ロウが素面なのに酔った時ような叫びを上げる。
「――ああ。みんな、力を貸してくれ。頼む」
俺が頭を下げると、“悪い大人”たちはみんなして、にんまりと不敵な笑みを浮かべた。
「となると、そのためには作戦の他に、少しばかりの道具も必要になってくるな……」
「――呼んだか、わっぱよ」
「うぉおおおおお!?」
いきなり、縁側の外にある中庭の塀の向こうから声が聞こえて来た。しかもこの声、どこかで聞いたことがあるような……。
「おお、やっときたかァ!」
ロウが立ち上がって縁側へと軽い足取りで向かって行った。なんだ? ロウがこの声の主を呼んだのか?
そして声の主は、塀の向こう側からドン、と跳躍してこちら側の中庭に着地する。その衝撃に、立て付けの悪い縁側の雨戸ががたんと盛大な音を立てた。
現れたのは、刀刃ポケモンのキリキザン。
「あ、あんたは……」
武器商人、“兜組”の頭領――ハヨウ!
「不法侵入だぞ!」
「武器が欲しいのだろう? これくらい見逃せ。安くしてやる」
「ロウが呼んだのか!?」
「おうよ、きっと必要になると思ってな」
「だったら、正面玄関から来るように言ってくれ!!」
“悪い大人”たちは、揃いも揃って俺から目をそらした。
*
『予告状
諸君! 待たせたな、怪盗“風錐”だ!
今日はサプライィイズ、予告デーェッ! なんと、今夜のうちに犯行を行っちまうぜ!
本日の午前零時! 摩天楼にそびえる記念タワー――そう、この街の象徴・“ミラクルタワー”の光を奪ってみせよう!
警察も、マスコミも、おいちゃんの勇姿をじゃんじゃん引き立ててくれよなッ!
以上だ!
怪盗“風錐”』
「――さぁ、やって参りました、世紀の夜です!」
太陽が沈んでからだいぶ時間が経っていた。きらきらと光を放つ“ミラクルタワー”の周辺には、取材の飛行ポケモンと飛行警官が滞空している。地上では、怪盗“風錐”の勇姿を今か今かと待ち受ける野次馬で、警官たちの規制も押しつぶされんという勢いだ。
「怪盗“風錐”の予告した犯行時間まで残り十数分! 伝わりますでしょうか、この熱気! さぁ、奇跡の街に舞い戻って来たと思ったら、“黒影”との窃盗試合ごにこつ然と姿を消し、再び我々の前に現れた大怪盗! どのようにしてこのタワーの光を盗むというのでしょう!」
「サインくれー!」
「“風錐”ぃい! “黒影”との勝負はどっちが勝ったんだぁー!」
「ぶー! ぶー! 窃盗試合を放棄した怪盗の面汚しー!」
「テメェ! 俺の推し怪盗をdisるんじゃねぇ!」
どか、ばきぃ!
「ああ、おっと! 血の気の多い野次馬の中には、すでに乱闘を始めている者たちもいます! それほどまでの、熱気! それほどまでの注目! さすが大怪盗! 規模が違います!」
地面を俯瞰できる飛行リポーターたちは、始まったらんちき騒ぎにカメラを回して吠えた。局のなかでは、暴力的な映像として一部規制もなされているようだ。
「あ、おおっと!? 摩天楼の彼方から、月を背にして何かがこちらに飛来してきます!」
ジェット機のごとく、キィンと音を上げながら接近してくるのはガブリアス。その姿を確認できたと同時に、摩天楼が湧いた。
「怪盗“風錐”だぁああああッ!」
どぉおおおおッ!
「飛行警官! “風錐”が現れた! 今日ほどのチャンスは無い! なんとしてでも捕らえろ!」
彼は歓声と、怒声と、罵声と、声援を受け、“ミラクルタワー”を音速で横切り、その周囲を旋回した。
そして“風錐”は、夜のビルのガラスの海を泳ぎながら、自分の命を虎視眈々と狙っている巨大な影を捉えたのである。
――やっぱり来たな、ギラティナさんよぉ!
「な、なんだ!? あの影は!」
そして、それに気づいたのは“風錐”だけではない。その場にいた観衆、飛行警官、リポーター。どの職種のポケモンも、一瞬だけちらりとガラスに映った黒い翼を恐れて声を上げた。
「な、なんか今見えなかったか!?」
「え? 何が……」
「……『ガラスに化け物の影』? 気のせいだろ」
「よぉおおおおギラティナ! 聞こえるかぁあああ!」
“風錐”は叫んだ。飛行警官が次々と後を追ってくる。だが、そのだれも彼の音速には届かない。
「いたちごっこは俺の趣味じゃねぇ! そろそろここで、俺の息の根を止めてみろ!」
ゾゾゾゾゾ……。
「うわぁあやっぱり気のせいじゃない!」
今度こそ、摩天楼に翼を広げた黒い飛行物体が現れた! それはガラスの中でキシャアと鳴き、竜巻と共に“風錐”を飲み込まんと具現化したのである。
観衆が湧く。警官たちは硬直する。カメラマンがレンズを向ける。「アブダクション会」が摩天楼へ手を広げて通信を試みる。
黒いオーラを纏いながら、一瞬だけ現実世界へと現れたギラティナは“シャドーダイブ”を繰り出した。“風錐”が間一髪交わすと、再び向かいのビルのガラスに飛び込んで行く。
――さぁて、役者はそろった!
「――待たせたな、怪盗“風錐”だ! いまから世紀の大犯行を見せてやる! まばたきしてくれるなよッ!」
*
時刻は、午後十一時五十分。
俺は、この街で一番高いビルである警察本部を見上げていた。今日は、警視総監直々のお招きであるから、警備も何もいなかった。ビルは一部屋の明かりも付いておらず静まっており、それが逆にいつもよりも不気味さを引き立てた。
マルは、しっかりとお留守番をさせておいた。けが人のヨノワール共々エイミ刑事に見てもらっている。彼女は自分が留守番する役回りに対して心底怒り、また警察の不正を暴くためとはいえ、俺を目の前にして逮捕も出来ず犯行を見過ごしながら待っているというのを腹に据えかねたらしい。
だがそれは仕方が無い。もしものときにマルを守ってやれるのは、戦闘力化け物のエイミ刑事だけだ。
後は各々位置に着いた。俺は、いつものように怪盗のマスクをはめる。
気を引き締める。家族が人質に取られている。なのに。不思議と恐怖は感じない。
全身の肌、筋肉と、細胞の全てがビリビリと武者震いを起こしている。
こんな感覚は、いつ以来だろうか。
「俺は、誰だ」
そう、俺は――怪盗“黒影”だ。