Steal 13 ヨノワール
「パパの部屋に、ずっと隠れていた?」
「うん……ヨノワールのおじちゃんが来たときにね、ママが、蓄音機をもってきてって……」
そうか。マルが蓄音機を一人で持てる訳が無い。部屋に隠すためのティオさんの口実か。
「そしたら、ヨノワールのおじちゃんが来てすぐ後に、何人ものポケモンたちの足音がドタドタ聞こえて来て……。ぼく、こわくなっちゃって、家のなかがしんとした後も、ずっと閉じこもってたの。そしたらね、お兄ちゃんの声がきこえたから降りてきてみたの」
それで、今に至るという訳か。
「そうか……こわかったな」
「……話が全然見えないのだけれど……」
「シッ。美しき義兄弟愛だぜェ。もう少し待てよ」
俺の背後でそういう事を言われると、逆にやりにくくなるのだが……。
とりあえず、状況を整理する。重傷を負っていたヨノワールは、“風錐”が俺の部屋へと運んで行き手当をすることとなった。奴は俺に「近づくな」と念を押して来た。おそらく、俺が仲介の息の根を止めかねないと思っての忠告だろう。そしてその忠告は正しい。今俺が奴に近づいたら、怒りでうっかり急所を斬りつけかねない。
そのあと、俺とロウでお互いに情報交換をした。
ギラティナのこと。“風錐”の過去。“怪盗狩り”とヨノワールの関係。不思議荘の異常事態。
そして、“プロジェクトF”の真相。
この街の近況。マルが鈴をいじってロウのバーに転がり込んだ事。見つからない仲介。エイミ刑事との邂逅。フレア刑事のダミーすり替え。
そして、本物の書類がいまここにあること。
「ママとアフトのお兄ちゃんは……どこにいったのかなぁ。大丈夫かなぁ」
一応部屋は全て調べて見た。部屋に二人の血痕の類いは見つからなかったので(考えたくもないが)殺されたわけではないらしい。だとすると、マルが足音を聞いたと言う、ヨノワールが来た後の数人のポケモンに連れ去られた線が濃厚か。二人とも、無事だといいが……。
「まぁ、このタイミングでの誘拐は人質のためである可能性が高い。まず無事である事はまちがいねェだろ!」
ロウは、言葉の前半を出来る限り小さく、そして後半を叫ぶように言った。幸いにも前半の台詞はそのおかげで聞こえなかったらしく、マルは「ほんとう!?」と、少しだけ元気を取り戻したようだった。
ロウの気遣いに、感謝しなきゃならないな。
「ま、あとは仲介のヤロウが回復するのを待つしかねェ。俺たちが知り得ない情報は、全て奴が握っているはずだぜ」
――ジリリリ……。
ロウの言葉が終わるのとほぼ同時だっただろうか。部屋の外でいきなり鳴り始めた鋭い音に、場にいるマル以外の全員が瞬時にバッと構えた。だが、なんのことはない。不思議荘の家の電話が鳴っただけだった。
いや、待てよ。このタイミングで電話?
嫌な予感が頭をよぎって、俺は小走りに廊下へ出て電話の受話器を手に取った。
「……もしもし」
『……ほう、この声はもしや。怪盗“黒影”ではありませんか?』
俺の仕事の名前を知っている? 一気に神経が逆立って、受話器を持つ手に力がこもる。
『ギラティナが生死を確認できないと騒いでいましたが、まさか、本当に生きていらっしゃるとは』
「誰だ、貴様」
『申し遅れました。私、警視総監のアマノと申します。ふふふふ――』
――Steal 13 ヨノワール――
ヨノワールへの応急処置も一通り済み、畳の室内の中には布団の上で横たわる仲介と、その横であぐらをかく“風錐”と、そして耳が痛くなるような沈黙だけがそろっていた。
「……」
「……」
「……久しぶりだな、仲介」
聞こえるか聞こえないか、自分でも定かではないほど低く小さな声でそう沈黙を破ったのは“風錐”のほうだった。そしてその言葉に、ヨノワールはゆっくりと目を薄く開ける。
「“風錐”様、ですか。……お久しぶりでございます」
「二十と、数年ぶりか」
そして、再び二人の間に沈黙が訪れた。その重さは、まるで二人の間の空白の時間に比例しているかのようだった。
「……なぜ貴様は、くたばりかけている?」
「……」
「俺が、この俺が、直々にやって来て直接この手で貴様をボロボロにしてやるつもりだったのに。なぜ先に、しかも勝手に、俺の許可無しに、くたばりかけてやがる」
そこまで唸るように言って、そして彼は少しだけ自嘲気味に笑った。
「貴様はこの俺を騙した男だ。専属仲介だった貴様は、秘密を知った俺へ一人で逃げろと言い、その間に仲介所に俺の妻を殺させた男だ。血に色など持たない男だ」
「私の血が何色かは……あなた様も、さきほどご覧になられたでしょう……」
「また減らず口を」
「……またあの書類に関わったのですか……」
「当たり前だ。それが俺の復讐なんだよ」
“プロジェクトF”を白日の下にさらしたら、この街の治安がひっくり返ることは避けられないだろう。だが、警察を、仲介所を、怪盗たちを、全ての街の住民を犠牲にしてでも成し遂げるべき執念を、“風錐”は持っていた。
「貴様は、“怪盗狩り”を使って自由な時間を手に入れていた。その間に何をしていたか話してもらうぞ。“黒影”の家族のいるこの家に来た理由もな」
「なんと……あのあなた様が、そこまで掴んでいらっしゃるとは」
「『あの』は余計なんだよ。……“怪盗狩り”のからくりを突き止めたのは“黒影”だ」
「はやりそうですか。私の知るあなた様では、私の計画を突き止める事など」
「うるさい。一体貴様は、何を企んでいる?」
“風錐”の追求にも、ヨノワールは弱々しく笑うだけだった。
「せっかく……ボスからあなた方の安否を隠し、街から逃がしたのに。怪盗以外の自由に生きる道を示したというのに。なぜあなた様がたは、再びこの街に戻って来てしまわれたのでしょう」
「なんだと?」
「……まったく、嘆かわしい……」
ヨノワールの言葉は悲観を投げかけるものだったが、なぜか表情は穏やかで、声は安堵した様子であった。
「私は……“黒影”様とあなた様を逃がした後……追ってすぐ、ご家族も逃がそうと思っておりました」
「言葉の意味は通じるのに、まったくわけがわからんぞ。……まあいい。それがこの家に踏み込んだ理由か」
「しかし、私としたことが少し遅かったようですね。……アマノの手下に襲撃され、ご家族は誘拐され、このザマです」
少し遅い、とヨノワールは言った。だが、仲介所に所属しておりギラティナの目があったはずの彼が、単独で“怪盗狩り”を操り、怪盗二人の消息の情報をロウにすら気づかれぬよう隠し続け、そしてタッチ差とはいえアマノの手下よりも少し速く、準備を整え不思議荘へたどり着いた事になる。
「しかし、わからない。仲介所の犬である貴様がなぜ、仲介専属怪盗である“黒影”を、仲介から逃がすようなマネをしている? しかもご丁寧に“黒影”の家族まで。“黒影”には、警察と仲介所の為に働いてもらわねばならなかったんじゃないのか。血も涙も無いんじゃなかったのか、貴様」
「……」
「昔からそうだっただろう。俺が仲介所から逃げようとした時も妻を殺めただろう。えぇ? どういうことだよ」
「……私は、あなた様の奥方を殺してなどおりませんよ」
「貴様……ッ」
これには、憎き敵を目の前にして冷静を保っていた“風錐”も耐えられなかった。先ほど“黒影”がそうしたように、ヨノワールの襟をつかみあげる。
「この期に及んで、嫌味のたぐいを吐きやがったら……ただじゃおかねぇぞ」
「ぐッ……事実です。私は、あのときも奥方を逃がしたのです」
「嘘をつくな。あの致死量の血の海で、どうすればあいつは生きていられる?」
「嘘ではありません。あなた様があの時に見た光景は、私が工作したものです……うっ」
「証拠は! 証拠はあるのか!? 今、目の前に生きた妻を連れて来てやるとでも言うのかッ!?」
「それは、不可能です」
「野郎ッ……」
「しかし、二十年前に私が奥方を逃がした証拠は目の前にあります……!」
「なんだとッ!?」
「ぐぅッ……!」
まだ塞がっていない傷口が痛むのか、ヨノワールは弱々しい呻きを上げた。荒い息を吐く“風錐”は、持ち前の精神力でどうにか深呼吸をし、耐えた。掴んでいた仲介の襟をゆっくりと離す。
「……奥方は、確かにもうこの世にはおりません。しかし、彼女のもたらしたものが、今もこの場で息づいております」
「比喩はいい! 単刀直入に言えッ!」
「“黒影”様です」
「……はぁ?」
「――“黒影”様は、あなた様のご子息なのですよ」
*
「……」
「……」
「……へっ?」
「……やはり、単刀直入に申し上げると、こうなると思っておりました」
呆けた声を上げた“風錐”に、ヨノワールはやれやれと力なくそう言った。だから、順序立てて少しずつ話そうと思っていたのに。
「む、息子?」
「はい」
「誰が?」
「“黒影”様が、です」
「あいつが?」
「はい」
「俺の?」
「はい」
確かに、ヨノワールの言い分はわかる。“風錐”が自分の妻を最後に見た時は確かに、二人の間にタマゴは出来ていなかった。本当に“黒影”が自分の息子だとしたら、死んだと思われた後に妻が息子を生んだ事になる。
――つまり、自分の知らぬ間に我が妻は生きていた? 信じられん……。
「で、でたらめを言うんじゃねぇ」
「奥方の種族と一致します」
「どこかから適当にジュカイン族を連れてきて、貴様がでっち上げているのかもしれん」
やっとこさ、“風錐”の思考が追いついたらしかった。先ほどよりもいくぶんか余裕のこもった声で、ある意味もっともらしい反論をしてきた。確かにヨノワールは仲介所の犬という自覚があったので、彼へある程度信じてもらうのに時間がかかると覚悟していたが、まさかでっち上げとまで言うとは。
仲介はため息をついた。
「一つ、聞いて差し上げます。あなた様が、もし、自分たちの間に子供が出来たら付けようとしていた名前の候補は?」
それは妻と何度も相談したことがある。と、“風錐”は思った。だがふと我に帰る。ヨノワールはなんでそんなことまで知っているんだ? なんという情報網だ……。
今となってはそれもセピア色の出来事だ。妻が死んだと思ってから、自分に子供など出来ないと思っていたからだ。
――だから、俺はガキが嫌いなんだ。
「候補。候補ね。女の子だったら……あれ、なんだったかな。妻が嬉しそうに決めていた気もするが……もう二十数年前の事だ。わざわざ覚えていられるか。だが男なら俺が決めたから良く覚えている。ナイルだったか、カイルだったか、確かその辺りだ――なんでそんな気色悪いことを聞いてくる?」
「……あなた、“黒影”さまの本名は聞いていないのですか」
「怪盗の本名を聞くのは最大のタブーだろ。…………お、おい、まさか」
「そのまさかです。……あとは、本人の口から直接聞いてみるのがよろしいでしょう」
「だとしたら、え? 貴様本当に妻を――イアラを逃がしていたとでも言うのか? あの貴様が?」
「……こんな目に遭うならば、やはり感情移入は無用な産物です……」
“風錐”は、本当に自分の身に起こった事が信じられなかった。仲介が感情移入? 誰に? 専属怪盗であった自分に?
一気に、“プロジェクトF”の秘密を聞いてしまったあの日の事が蘇った。彼は、ヨノワールに詰め寄った。警察と仲介所が癒着して怪盗に物を盗ませ、経済を循環させいてた事に怪盗のプライドが傷ついた。彼を罵った。
するとヨノワールは、青い顔で言った。――今すぐ一人でお逃げなさい、と。
まさか、あの言葉は本当に自分のためを思っての言葉だったというのか? 自分を、陥れるために言った言葉ではなかったのか? 本当に、自分が仲介所から逃げる準備をしている間、妻を殺すためではなく、逃がすために奮闘していたというのか? 長らく“風錐”の専属仲介をしている間に、本当に情が移ってしまったというのか?
だがそうなると、全てに合点がいってしまう。
心底“風錐”を仲介所から逃がしたくて、妻のイアラを逃がしたとしたら。
なぜだか仲介所で怪盗をやっている“黒影”を――『“風錐”の息子』を逃がそうとする動きもうなずける。
「あなた様との日々は、それは充実したものでした」
ヨノワールは、ぽつぽつと語る。
「私は仲介所の命であなた様に接触した。そして、専属仲介となった。あなた様は本気で、怪盗がポケモンたちの希望となると信じて疑っていなかった。――私も最初は、滑稽だと密かに笑っていました。ですが、私を通してあなたの元に来る依頼には、心の底からあなた様が犯行を成功させてくれると信じて……私腹を肥やす者たちから金を奪い、それを分け与え、弱き者に希望を与えてくれると信じて、願いを託すような依頼ばかりです」
それが、警察との癒着の上で成り立つ、仮初めの希望だったとしても。
「あなた様がこの街のからくりに気づいた時、私は思ったのです。ならば、癒着も何も無い街で、本当の希望をポケモンたちに分け与えてほしいと。仲介所の犬めであるこの私には叶わぬ幻想を果たしてほしいと」
「貴様のその心が本当なら、分からない事がある。それに答えなければ、俺は貴様の言葉を信じないぞ」
「なんなりと」
「……なぜ、俺は貴様が逃がしたというイアラと合流できなかった? なぜ、俺の息子とやらがこの街で怪盗をやっている?」
“黒影”は、父の借金の肩代わりと言う名目で怪盗として働かされていると言っていた。これでは“風錐”の二の舞である。
「奥方様にとって、奇跡の街の外の世界はあまりにも過酷すぎたのでございます」
イアラを逃がした後、仲介は事後工作や消えた“風錐”の後処理など、膨大な業務に追われる事となった。街の外へ逃げたイアラのサポートが全くと言っていいほど出来なかったのである。もちろん、生きるための何の術も持たぬイアラは、紛争、悪漢、貧困、それらの蔓延する地域を渡り歩くことすらままならなかっただろう。
「奥方様は、どんどん治安の悪い方向へと流され、私でもその消息を追う事が出来なくなりました」
ヨノワールは、数年感もの間その情報網を駆使してイアラの行方を追い続けた。そして、結果的に見つけたのは――。
「世界で最も治安の悪いと言われる恐ろしい場所、そこで盗みをしながら独り生きる“黒影”様です」
「……」
「そして彼は、とある気まぐれな紳士の手によって、どういう因果かこの街へと引き取られて行きました。あなた様のご子息が、回り回ってこの街へとやって来たのでございます」
「……だから、怪盗なのか?」
“風錐”にも話が見えて来た。ちくしょう、と自分に悪態をついた。
「つまり、あの街に“風錐”の息子が来たとなれば、仲介所に俺を呼び戻すための人質に取られる可能性もあった訳だ」
ギラティナの事だ。数年経っただけでは逃げた“風錐”への怨念も風化していない事だろう。だとしたら、無防備な彼はどうなっていただろう。仲介所が自分を呼び戻すため、彼に加える危害の残虐さは想像に難くない。
「貴様は、俺の息子を……彼を守るために、怪盗として育て上げたというのか……?」
「そうするよりほかに、思いつかなかったもので」
たとえ仲介所が彼の正体に気づき、“風錐”の人質として捕らえようとしても、“黒影”が仲介所にとっていなくてはならない怪盗となっていたのなら、彼らも手出しは叶わない。そして、ヨノワールが“黒影”の専属仲介になれば、いつでも手元に置いて見張っておける。
守る事が出来た訳だ。
「マジか……くそっ……」
全てが百八十度変わる。
イアラへの悲しみも。
ヨノワールへの憎しみも。
復讐の意味も。
そして、怪盗“黒影”のことも。
「なんということだ……」
思わず、“風錐”の目から涙がこぼれ落ちて来た――。