Steal 7 パワーバランス
『“黒影”行方不明!? 窃盗試合の行方はどっちだ!
“黒影”対“風錐”という、世紀を揺るがす窃盗試合から四日が経った今日、未だに両者ともその後の行方が分かっていない。“風錐”が当初犯行の獲物としていた“プロジェクトF”たる代物も、その正体、そして行方も分からずじまいだ。いまだかつて、決着のつかなかった窃盗試合を我々は見た事があっただろうか!? いやそれ以前に、いったい“黒影”と“風錐”はどこに消えたのか? 怪盗を研究する専門家たち間では、怪盗たちは試合を放棄して逃亡を計ったのではという見解もちらほらと上がっている。だとしたら、なんという裏切り、なんという失望だろう! 義賊であった“黒影”は本当に試合を放棄したのか!? 我々取材陣は怪盗たちの行方を追うとともに、窃盗試合の真相にも迫っていく。
続報を待てッ!』
「ぷーたろー……今日も帰って来ないね」
メディアをさわがせた“風錐”との窃盗試合から、すでに四日が経過していた。今日は日曜日なので本来なら学校も仕事も休みであるはずなのだが、不思議荘の面々たちはみな朝早くに起き上がり、新聞の朝刊や情報バラエティで時間を消費しながら彼の帰りを待っていた。
ナイルは、窃盗試合と同じ日に夜勤と行って出かけた後――消息を絶った。
もう四日も戻って来ていない。いままで数日家を空ける事は多々あったものの、彼が何の断りも無く数日も不思議荘を留守にするなど今までに無かった。
アフトはコーヒーを淹れたのだが、席に座った後にマグカップに口をつける事もしない。そしてただ一言、「なにかあったのかな」と言うだけであった。
ニンフィアのティオは、台所にいた。だが、触手を動かし洗い物をする彼女の顔にいつもの笑みは無い。
「やっぱり、なにか事故に巻き込まれたのかしら」
ナイルが消えただけで、三人の間に会話が激減した。彼は、不思議荘のメンバーのなかでは一番無口であったはずだ。ところがどうして、彼らはみな無口な彼が消えると無口になった。
彼らは皆、この場に沈殿しているかのような重い空気の正体を知っていた。だが、誰もそのことに触れようとはしなかった。アフトは新聞の見出しに目をやり、マルとティオはぼうっとテレビのテロップを目で追っている。
メディアが連日取り上げるように怪盗“黒影”が消えた日と、ジュプトルのナイルが消息を絶った日は、完全に一致していた――。
――Steal 7 パワーバランス――
不思議荘が重い空気に支配されていたのと、同時刻。バー“Noisy”は閉店の看板を掲げていた。だが店内はジャズこそ流れていないものの、カウンターは二席埋まっている。
バーテンダーのローブシンも今日はいなかった。空になったカウンターの中はいつもよりもさらに静かだ。
「――わっぱが消えて、四日が経った」
その二席の一方、鋭い鋼の身体を持ったキリキザンが低くそう唸った。武器商“兜組”の主であるハヨウである。
「四日だ。たったそれだけしか経っていないのにも関わらず、“黒影”がいないのを良いことに新興の怪盗たちが予告も無く店を壊し、物を盗み、一般人を斬りつけている」
「あいつは、まぎれも無くこの街のパワーバランスを担う構成員の一人だった。自覚はこれっぽっちもなかったみてぇだがなァ」
ハヨウの横に座り、静かに酒をあおってからそう言ったのは、このバーのオーナーであるゾロアーク、ロウ=スカーレットであった。
「どういう因縁かは知らぬが、子供のお守りには似つかわしくもない貴様がわっぱの監督を担っていただろう。いったいどうなっているのだ、アカよ!」
「しゃーねェだろうがァ! あいつもまだ多感なオトシゴロだし、裏社会やら家族やらで頭がパンク寸前なところに『怪盗としてのお前がこの街の秩序の一部を担っている』なァんて説いたところでさらに混乱させるだけだろォがよォ」
ここは“奇跡の街”だと、ごろつきたちは言う。メディアが湧き、子供は学校に通い、若者は学び舎で学び、大人は仕事にありつける。そして贅沢にも娯楽であるレコードは売れ、港には豪華客船が停泊し、夜には摩天楼が光を放つ。世界の中でもこれほど治安の安定した街は珍しい事この上ないのだ。
その秩序が守られているのは、武器商人・ハヨウが“戦力”の流れをつかさどり、裏社会の顔役・ロウがポケモンたちの出入りを操作し、仲介所とその所属怪盗・“黒影”がゴロツキ犯罪者たちを牽制していたからである。その影響もあり、裏社会の者たちの間では、彼らの事を「パワーバランス」といつの間にか呼ぶようになっていた。
だが、その秩序も四日前を節目に乱れを見せ始めている。
「仕方が無いとはいえ、初めてわっぱに相見えた時、私は心配だったのだぞ。奴は若く活気に溢れているが、若すぎる故この街に渦巻く闇に耐えられぬのでは、と。一般のポケモンを大切にしてしまっているのもその証拠だ」
初めて“黒影”が自身のアジトに乗り込んで来た時、彼のことが心配になったのか彼についてきたヌマクローがいた。“黒影”はそのヌマクローに関して、苦笑いとも泣き笑いとも判別がつかぬ表情で言っていたのだ。
――ああ、なにせあいつは“カタギ”なんでな――。
「タイミングだよォ、タイミングを見計らってたんだよォ。そろそろかな、そろそろかなァ、もう言っても大丈夫かなァ! ……って時に、厄介な依頼掴まされてこつ然と消えちまうんだからァ、しかたねェじゃねぇかァ!」
ぐい、と側にグラスがあるにもかかわらず、彼はボトルごと強い酒を乱暴に仰ぎ、タイミング、タイミングと連呼しながらカウンターをバシバシと叩いていた。
「ろれつの回っていない状況でよくそんなことがいえたものだ! 呑むな! 真剣な話をしているのだぞ!」
どうやら、かのアカも自分の弟分の行方も生死も確認できないとなると、少しのアルコールで悪酔いをしてしまうらしかった。
「あいつはァ、生きてんだァ! そうにきまってやがるゥ! うぃッく……。俺の弟がァ、そう簡単にくたばるはずはァ、ねェだろィ!」
「だから! 先ほどからわっぱの行方を調べろと言っているだろう!」
「ぜんぜんつかめぇんだよォ! ナイルのやつも! “風錐”も! 奴らのどちらかが持っていたはずの“プロジェクトF”がどうなったのかも! かんッぜんに掴めねェッ! 誰かが意図的に情報を遮断してやがるゥ! 俺よりも顔が広く、口封じや情報操作に優れた奴がこの街にいるだとォ!? ふざけるなァ!」
ハヨウは、もはや酔いどれで使い物にならなくなっているロウを視界から遮断しつつ、彼の言葉を吟味してみた。
「貴様よりも、情報操作に優れた者……?」
――そんな者、数えるほどしかおらぬぞ……。
思い当たる節は、いくつかあった。“黒影”の消息が不明なのに、“プロジェクトF”の行方が分からないのに、今まで沈黙を守り続けていた者は――。
「うー、うぃっく。こうなりゃァ、俺も覚悟して飛び込んでみるしかねェ」
ハヨウがその考えに行き着いたのと同時だろうか。カウンターに突っ伏したロウが、まるでハヨウの心のうちを読んだかのようなタイミングでそう言った。
「飛び込む? どこに?」
「きまってんだろォ」
そして、彼は瓶を回し中の琥珀色の液体で小さな渦を作り上げた。
「――この俺たちも知らない、“この社会に渦巻くでっけぇもん”にだよォ」
*
マルは不思議荘の二階へ上がって、ナイルの部屋のふすまを前足でうんうん言いながら開けてみた。当たり前だが、彼の部屋は物が散乱した四日前状態から何ら変わっていなかった。
「おにいちゃん……」
彼の部屋に入ったところで、彼がいつものように背を向けて何かの作業にふけっているなんてあり得ない。頭ではそれも分かっているのだが、マルはどうしても探さずにはいられなかった。
昨日は公園を、一昨日は大通りを探したがナイルらしきポケモンの影は見当たらなかった。一体どこに消えたのか。もしかして、明日にはふらりと帰って来たりするのであろうか。それとも――。
「本当に、僕たちの事嫌いになっちゃったの?」
彼の部屋のなかへ足を踏み入れると、ギシギシと床が嫌な音を立てた。不思議荘と呼ばれるこの下宿は、築うん十年も経つのに絶妙な劣化と修繕のバランスを保ちながら今もこうして危ういまま建ち続けているから不思議なのだ。
ナイルの机はあぐらをかいて座るタイプの背の低い机であった。彼が大学生であったならば、ここで背中を丸めて作業をする風景はさながら“書生”だっただろう。机には様々なものが置いてあった。マルにはどう使うのかさっぱり分からない工具、何について書かれているのかマルのボキャブラリーでは理解のできない書類の束。そして唯一、写真立ての周囲だけは整然としている。
ママと、アフトと、おにいちゃんと、僕と。パパはたまたまいなかったが、家族がそろって映っている唯一の写真だ。
びゅお、と窓から風が吹き込んでくる。彼はあの夜、まさか窓を開けて出かけていたのだろうか?
「もう。ぷーたろー、またママに怒られちゃうよぉ」
マルは精一杯背伸びをして、どうにか窓の格子に手をかける事が出来た。だが、その時だろうか。何かのいたずらのように、ひときわ強い突風が吹き抜けて、それはマルのいるナイルの部屋にも窓を通してなだれ込んで来たのである。
「わ、わわわわ!」
工具がくるくると机を転がり、書類は風にもてあそばれて次々と宙を舞う。そして、慣れない後ろ足立ちをしていたマルは、見事にひっくり返ってでんぐり返りをした。
「わわ、びっくりしたぁ!」
てん、てん、てん。と。ひっくり返って頭を前足二本で守っていたマルの横に、なにやら見慣れぬ鈴が転がってくる。
「うん? なんだろう、これ」
そうか、いまけたたましい音を立てて転がって来た音の正体は、これだったのか。
――おにいちゃん、こんなに“しゃれた”鈴をもつようなシュミだったかな?
「えい! えい!」
マルは、子供の好奇心とイーブイという種族の本能の助けもあり、深く考えないうちにナイルの事も忘れてその鈴を前足で転がす事に夢中になり始めた。ナイルの部屋はりぃんりぃんとやかましい鈴の音に満たされる。
と、その時――。
「――カテツ、参上つかまつる」
「――モズ、参上つかまつる」
「わわわわわ!?」
鈴とじゃれ合っていたマルの目の前で、ブゥンという翅の音ともに見知らぬポケモンが二匹姿を現した!
一匹は赤い複眼を光らせている不気味な虫と、一方は最近学校の図書室の本で見た“天国に行っちゃったポケモンが頭の上に付けているわっか”を付けた、これまた不気味な虫だった。
「だ、だれ!? なに!? どこか来たの!?」
「うん? こやつは……」
「……主ではない」
「主はどこだ?」
「このわっぱは誰だ?」
「なぜ鈴の音が?」
「鈴を鳴らしたのはこのわっぱか?」
「もしかしておじちゃんたち……“ふほーしんにゅう”?」
現れた二匹のポケモンは、マルの声にピタリと固まって、そしてこちら方を見た。
「このわっぱ、我らを見て目を輝かせるとはなんと図太い神経の持ち主」
「相当修行をつんだと見える」
「ねぇねぇ!」
「……しかも、もふもふした尻尾のちぎれんばかりの揺らしよう」
「だが、主ではない。どうしたものか……」
「ねぇってば!」
マルは、自分が声をかけても二人の世界にいるポケモンたちへどうにか声をかけた。呟くように抑揚無く話していた彼らは、マルの声に押し黙る。
「ねぇ、おじちゃんたち!」
「おじちゃんではない」
「カテツ、モズと最初に名乗ったであろう」
「ぷーたろーのお友達?」
「我が同志にぷーたろーという名前の者はいない」
「我らは主に仕えるのみ」
「ぷーたろーはねぇ、うーんとねぇ」
マルはらんらんと目を輝かせながら、そして目の前のポケモンたちに一縷の望みを託しながら、ナイルの特徴を自分の知る限り詳細に話してみせた。
「目つきが鋭くて、いっつも“ぶっちょうづら”で」
だがそれも、途中までであった。彼の特徴を話しているうちに、我慢していた目元に涙が溜まり、視界がうるうるとして来た。現れたポケモンたち――カテツとモズは、修行にはなかった予想外の状況に二人して顔を見合わせるしか無い。
「眠そうで、ぷーたろーのくせにいつも忙しくて……でもほんとはとぉっても優しいジュプトルのこと! ……しらない?」
とどめに濡れた瞳の上目遣いと来た。主ではない者の前に長く姿をさらす事は忍の禁忌。出来れば鈴の音は事故と割り切り早めにドロンしたかった二人であったが、このイーブイのつぶらな瞳と言ったらなかった。
「う、うむ。その人相ならわが主と一致する」
「わっぱは主をさがしているのか」
「え、知ってるの!? やっぱり知ってるの!? そうだよねお兄ちゃんがいまどこにいるか知ってるんだよね!?」
イーブイはコロコロと表情が変わり、泣き落としの計から自分たちの周囲をぐるぐると走り回る計へと作戦が変更されたようである。
「い、いや我らは人相を知っているだけであって」
「場所までは我らもここ数日は……」
「ねぇ! つれてって! おにいちゃんのところにつれてって! つれてって、つれてって! つれてって!! つれてってってばぁ!!」
「う、むぅ……」
「どうしたものか――」
「――で、なんで俺のところにくるんだよォ?」
場所は変わり、まだ昼にもなっていないためか閉店の看板が掲げたままのバー“Noisy”。にもかかわらず、オーナーであるロウがそう言いながらふと視線を下へ向けると、どういうわけかもふもふとした茶色いチビがバーの中をそわそわと歩き回っているのが目に入る。
そしてロウはすかさず視線を空中にいる二人へと戻す。彼らはロウが、潰れている右目までも鋭くこちらを睨んでいるような気がして、元主にどうにか弁明を試みた。
「主がいらっしゃらなかったもので」
「このまるっこい生物をどうしたものかと」
「兄者に相談しようと思った次第で」
「いや、それはしってるぜ?」
ロウはため息をついた。この二人、カテツとモズは熟練した忍びであり、信頼できる数少ない諜報員であり、戦闘や隠密行動にかけては優秀すぎるほどである。だが、まさかこの期に及んでガキのべそを振り切る非情さを持ち合わせていなかったとは。
――さすが、我が弟を主と慕う奴らだけのことはある。
「だからってェ、一般ポケをほいほい俺のところにつれてくるかァ? 普通」
すっかり朝のやけ酒の酔いは醒めてしまっていた。そしてロウは鋭い爪を持つ両手で二人をビシリと指差す。
「さてはお前らァ、アホだろ」
「面目ございません」
「やはり、このまるっこいのは放り出しましょうか」
「――ねぇねぇ、片目のおにいちゃん!」
と、その時だろうか。渦中のポケモンであるマルが、カウンターに座るロウの足下へ寄って来ていた。
「ナイルおにいちゃんと、友達なんでしょ?」
「うぅん? まぁダチというよりか奴は俺の弟ってところだなァ」
「じゃあさ、おにいちゃんがどこに行ったか知らない?」
「それが分かれば苦労しねェんだがなぁああああァ」
ロウはカウンターに突っ伏して脱力し、思わず声も脱力したものになってしまった。マルは少なからずなんらかの手がかりを目の前のゾロアークが持っていると期待したのだが、その言葉を聞いたとたん尻尾も耳も垂れ下がってしまった。
「いや、な? 坊主、俺もアテが無い訳じゃあないんだがなァ」
「え、本当!?」
マルの全身に再び力がみなぎった。
「いや、もちろん。坊主はつれてかねェよ? 家で留守番してるんだな。そのうちナイルは連れて来てやるよ」
「やだやだやだやだぁ! 僕、ナイルおにいちゃんを見つけるまで、帰らない!」
「困った駄々こね坊主だなァ」
「僕、片目のお兄ちゃんが見つけてくれないんだったら、今度はヨノワールのおじちゃんを探してナイルおにいちゃんの居場所を聞くからねッ!」
「おーおー、頑張れよォ。だが、坊主じゃヨノワールの野郎は絶対にみつけられねぇと思うぜェ」
カテツとモズ、二人はロウのその台詞に、二人してぴくりと反応した。
「ヨノワールを、見つけられない?」
「兄者、それは一体どういう事でしょう」
「言っただろォ、アテが無い訳じゃねぇって」
カテツとモズ、そして背の低いマルの角度からでは、ロウの表情を伺い知ることが出来なかった。だが彼の赤い眼光は、間違いなくこの場にいない仲介を睨みつけていた。
「俺以外に俺ほどの情報操作が出来るとしたら、あいつしかいねェ」