Steal 11 思惑の交差
結局“風錐”は、羞恥に堪え兼ねた“怪盗狩り”の叫びを無視して、本当に紙と鉛筆を俺へ買いに行かせやがった。
海に流されてしまったせいか持ち合わせは無いのだが、しかたがない。俺は先ほどの寂れたショッピングモールに出向いて、適当に店の中のものを拝借する事にした。断じて、盗んだ訳ではない。出世払いと言う名目でツケただけだ。
「――これで、どうだ!」
俺が戻ってくると、どうやら今は“風錐”がヘッドロックを噛まして“怪盗狩り”をエビぞりにしている最中らしい。俺は最早何も言う気も起きなくて、黙ってその場に座り、“リーフブレード”で新品の鉛筆を削りだす。
“風錐”は口だけだと脅しの効果がないと踏んで俺にパシリを頼んだのかと思ったのだが、奴は本当にあいつのあれやこれやを俺にスケッチさせるつもりらしい。
「おらおらー、あんたが吐かないうちに“黒影”はどんどんお前の恥ずかしいポーズをスケッチしていくぜぇ」
「わ、我が主のことは、は、話せん!」
「吐かねぇんならエビぞりじゃすまねぇぞー。その胴体、逆向きに折り畳んじまってもいいんだぜー」
「“風錐”、アタリが取れていないからまだそのままキープしておいてくれ」
「ほ、本当に知らないのだッ! 主は我に顔をさらしたことは一度も無い! どうも秘密主義なお方らしいのだッ!」
「オスかメスかくらいは分かるだろう」
「お、男だ! 恐らく若くはないッ……!」
「頭絞ってやるから、もうすこし情報をひねり出してくれねぇか? ええ?」
“風錐”はさらにゲッコウガへの絞め技の力を込めた。ここまで来ると同情心すらわいてくる。
「ぐぐッ! 一度だけ主の持つ荷物をちらりと見た事があるッ! 銀色のアタッシュケースだった! いつも命令をする時はやけに丁寧すぎる口調で……」
カラン。俺は気づかぬ間に鉛筆を取り落としていた。
「は、離せ、ぎぶだ!“ぎぶあっぷ”だ!」
「ん? どうしたんだ、“黒影”」
銀のアタッシュケースを持った、丁寧すぎる口調の男。まさか。
「“怪盗狩り”をけしかけたのは……」
俺の専属仲介・ヨノワール?
――Steal 11 思惑の交差――
不思議荘のインターホンがならされて、住民たちは全員ビクリと立ち上がった。
「ナイルおにいちゃん!?」
「ま、まつんだマル!」
玄関に向けて走り出そうとしたところを、ヌマクローのアフトがあわてて抱え上げた。
――おかしい。ナイル君ならインターホンなんて鳴らさないはずだ。
アフトは時計を見てみる。もう夜の八時過ぎだ。そして彼はティオを見た。大人たちは二人してうなずき合う。
「マル、パパの部屋から蓄音機をもってきてくれる?」
「ええー!? ママぁ、この時間に音楽きくの? それにあれは一人じゃ運べないよぉ?」
「ママからのお願いよ」
「むぅ、しょうがないなー」
ティオは触手を使い、アフトの腕のなかにいたマルを抱き上げた。そして一つ彼の頬にキスをして、“パパの部屋”のある二階へのと促す。
「僕が出ます。ティオママはそこで待ってて」
アフトは玄関へと小走りに向かう。いったい、こんな夜に誰が不思議荘へ訪ねてくるのだろう。ナイルが行方不明となった今、頼りになる男手は自分しかいない。
「ううっ、勘弁して……」
気休め程度にしかならないが、防犯用のごつごつメットをかぶった。かぶった後に、攻撃される事が前提のようになっている気がすることに気づいてげんなりしたが、手ぶらよりはマシだろう。
引き戸に手をかける。
「はい、どちらさまですか?」
ガラガラと戸を半分ほど開ける。目の前に現れたのはアフト二人分の横幅はありそうな腹、何でもわしづかみに出来てしまいそうな手には、銀に光るアタッシュケースが握られている。そしてその顔には、一つ目が不気味に赤く光っていた。
「夜分に大変失礼いたします。わたくし、ヨノワールと申します」
「あ、あなたは、よくナイル君と見かける……」
「はい、その通りです」
すでに足が回れ右をしているアフトをよそに、ヨノワールは開いた引き戸に手をかけた。
半分ほど開いていた引き戸が全開になり、そして彼は、不思議荘へと踏み込む。
「お察しの通り今日は、行方不明となったご家族の事で申し上げたい事があって参上したのです――」
*
「野郎……ッ」
スケッチブックを砂浜に叩き付けた。ヨノワールが“怪盗狩り”の主? だったら、歌姫の依頼で俺に“怪盗狩り”をけしかけて重傷を負わせたのは、“黒影”専属仲介であるはずのあいつってことか?
あいつ、ついに俺を殺そうとしやがったな! 今すぐ叩き潰しに行ってやる!
「待てよ、落ち着け、どうした?」
浜辺からずんずんと遠ざかる俺へ、“風錐”が追って来た肩をつかんだ。遠目に見えるゲッコウガはグロッキーしたまま浜辺に放り出されている。
「離せ!」
なぜこいつはいつも俺の邪魔ばかりしてくる!?
「“怪盗狩り”をけしかけたのは俺の専属仲介の野郎だッ! 俺はあいつに、一度殺されかけたんだぞ!」
「頭冷やせ。怪盗はどんな時でもクールで不敵にいるもんだ」
「そんな悠長な事言っていられるか!」
しかも、今あの街には家族がいる。俺がいない状況でヨノワールの手がいつ及ぶか分かったもんじゃない。
「あのな、もしそうならおかしくないか? 仲介所にとって怪盗は、金の流れをコントロールするためにいなくてはならない存在のはずだ。それを仲介所が自ら狩っていることになる」
「そんなこと、俺が知るかよ!」
「俺より若いくせにちっとは頭を使えッ! てめぇの脳みそはお飾りかッ!」
鋭い声でそう吠えられ、押し黙るしか無かった。
「……」
そうだ。いまここで怒り狂ったところで、今すぐ不思議荘にテレポーテーションできる訳でもない。仲介所と警察の癒着が無くなる訳でもない。
そして、俺のこの胸にぽっかりとあいた穴が、埋まる訳でもない。
もうどうにもならん。
そうだ。いまここで自棄になるな。甚だ不毛だ。
深呼吸しよう。
「専属仲介なら俺よりもあんたの方が詳しいだろうが。その仲介が“怪盗狩り”に仲介所所属の怪盗を、そして自分の専属である怪盗を殺させることへのメリットは?」
少し落ち着いた俺の事を見て、“風錐”は幾分か和らいだ口調で俺に聞いてきた。
仲介が“怪盗狩り”に、怪盗を殺させるメリットか。
「正直、殺させる事のメリットは――無い」
仲介所の職員である以上、怪盗に仕事をしてもらわなければ意味が無い。怪盗が獲物を盗まなければ金は流れないし、経済も回らない。警察と共謀している意味も無くなる。となると。
「殺させることが、目的ではないのかもしれない」
「だったら、どうして“怪盗狩り”に怪盗を襲わせている?」
ただ単に、怪盗娯楽を楽しむ者たちへのスパイスとして奴を放ったというのならまだ納得がいくが、きっと違う。“怪盗狩り”は本気で怪盗を根絶やしにしようとしていたし、怪盗“黒影”を葬ってしまったらスパイスどころの話ではない。メインディッシュ自体がごっそり消える。そうなってはクライアントに示しがつかない。
だとしたら、一体何のために?
“風錐”の言う通りだ。仲介所が必要としている怪盗を仲介が狩る……? そんなのおかしいじゃないか。
そうじゃない、よく考えろ! いけ好かないあいつの事だ。なにか普通じゃ考えられない目的があるはずだ。怪盗の数を減らす事がメリットではないとすると、“怪盗狩り”に怪盗を襲わせる事で生じる別のメリットを考える必要がある。
仲介にとってのメリットとは、いったいなんだ? ここ最近の仲介の動きには、どんな変化があった?
――もはやあのゲッコウガが駆逐されることは、時間の問題でしょう――。
ヨノワールがいつぞや言っていた、あの言葉。おかしい。奴の言葉が今まで外れた事は無かったのに、結局“怪盗狩り”は駆逐されずに長い間のさばっていた。だがそれは当たり前だ。自分で奴を解き放ったのなら、自分から駆逐するはずが無い。
だが仲介所としては、奴を見過ごすわけにはいかない。
――あいつはちょっと野暮用で、しばらく“黒影”専属からはずれるぜ――。
そうかッ!
「あいつが“怪盗狩り”を使って得たかったものは、時間だ!」
「時間? なんだそりゃ?」
ヨノワールが“黒影”の専属仲介を外れた理由が、やっとわかったぞ!
「あんたも仲介所の怪盗だったならばわかるだろ! 怪盗の専属仲介は普段、依頼人や俺たちとのパイプ役で日夜動き回っている」
「怪盗が人気になってくりゃ、それだけをこなすにも手が足りないくらいだろうな」
「それだけじゃない。専属でいる限りはある程度俺や、依頼人やら、ポケモンの目が必ずある」
人目につかず一人で何かをする時間はほとんどないと思ってもいい。
「……そこに、“怪盗狩り”の投入か。奴が現れた事で、怪盗たちの仕事がままならなくなった、と」
そして自分の専属の怪盗を襲わせれば、万が一自分が疑われたときに目をそらさせる事が出来る。
「俺の専属仲介は情報収集のエキスパートだった。決して姿を見せない“怪盗狩り”の行方を調べさせるにはもってこいの人材だ」
「仲介所……ギラティナは、あんたの仲介に“怪盗狩り”の捜査をさせたわけか」
「現に、仲介は“風錐”との窃盗試合の前に俺の専属を外れている」
「だが、実際は自分自身が放った刺客。捜査をするはずが無い……」
そう、本来“怪盗狩り”を捜査するはずの浮いた時間を使って、奴は人目につかず“何か”をしようとしている! いやもしかしたら、もう動き終わった後かもしれない。
「だったら、仲介はいったいその時間をつかって、何をしようとしているんだ?」
「それは――」
そればっかりは、本人に直接問いつめなければわからない。
だが、“風錐”との窃盗試合の直前にいなくなるなんて、そんな都合のいい話がある訳が無い。
嫌な予感がする。
「――多分、“プロジェクトF”を盗む事になにか関係していることは確かだ」
「……なるほどなぁ」
ニヤリ。“風錐”は不敵に口角を上げてみせた。
「その仲介とやらに“平和的に”話を聞けば、もしかしたらダミーの事も、あわよくば本当の書類のありかも親切にゲロッてくれるかもなぁ」
「俺も行くぞ、“風錐”」
あんたは俺に、まだ何もかもを忘れて自由に生きる道が残されていると言ったが……。
「仲介の野郎は、一発殴らないと死んでも死にきれねぇ」
*
「ヨノワールの奴……みつからねぇなァ」
場所は変わり、奇跡の街の一角。ロウはポリポリと鋭い爪で頭を掻いた。それと同時に、彼の目の前で二つの影が現れる。テッカニンとヌケニン――カテツとモズである。
「どうだった?」
「兄者、こちらも……」
「空振りでございまする」
「だよな」
自分がヨノワールと同じほどの情報網と人脈をもっているのだから、分かってしまう。自分がもしこうして探される立場だとしたら、やはり徹底的に痕跡が残らぬよう立ち回るからだ。
「ですが、ヨノワールとは別に」
「なにやら妙な集団を見つけました」
「妙な集団?」
未確認飛行物体を呼び寄せる「アブダクション会」ではないことを祈った。彼らは毎週この時間にいつも手を空に仰いでいるから、いまさらそれを“妙な集団”と言われても困る。
「それがどうやら、一人のおなごを」
「集団で追いかけ回しているようでございまする」
「なんだそりゃ?」
「ヨノワールとは関係なかったと思いますゆえ」
「そのまま放っておいたのですが」
「バッカヤロウッ!!!」
ロウは、怒気だか歓喜だかわからぬ叫び声を上げて、二人に迫った。
「そいつが美人だったら、恩を売ってその後はうはうはぁ、なチャンスだろうがァ!! 案内しろォ!」
「「兄者……」」
「――くぅっ! “シャドークロー”ッ!」
カテツとモズの案内で、ロウがその場にたどり着いた時、ちょうど追われていたと見えるレパルダスが技を放つ瞬間のようであった。闇の力を乗せた爪は、追っ手のうちの一人であるゴースに命中、そのままノックアウトさせることができた。たが、その間に彼女は辺りを取り囲まれてしまったようである。
「よし、お前ら手ェ出すなよ!」
「兄者!」
「無茶な……」
忍二人の目には多勢に無勢なのは明らかに見えた。しかしロウはひゃっほう! と跳躍してレパルダスの前に躍り出て、追っ手たちの視線を一気に引きつけた。
「よぉ! 助太刀に来たぜェ!」
「あ、あああああなた! 裏社会きっての顔役! スカーレットッ!?」
「ねぇちゃん俺の事知ってんのかァ!? うれしいねェ」
「う、嬉しいも何も……」
「ま、話は後だ! 一気にふりはらうぜぇえええええ!」
ロウは叫ぶ。その声のハリが良かったがために、「いま、兄者は素面か?」「素面でああなのだろう」という忍たちの会話は全てかき消された。
彼は一瞬で腰を低く提げ両手を地面に突きつける。
「“ナイトバースト”ッ!」
「きゃぁああ!」
ロウとレパルダスを中心とした円形の衝撃波は、一瞬にして取り囲んだ追っ手たちへもろに降り掛かる。いや、威力が高すぎる故か、台風の目の位置にいたはずのレパルダスまでもが、衝撃に耐えきれず思わず叫び声を上げた。
その間にロウはレパルダスの胴を片手で抱え上げた。もちろん彼女の「ひゃあっ!?」という声も完全無視である。
「ようし、逃げるぜェ! ヒャアッハァアアアアアア!」
すたこらさっさ!
効果音を付けるのであればその単語が一番ふさわしい。カテツとモズにそう感じさせるほど鮮やかな逃げ足で、ロウはその場を後にしたのである。
歓喜の叫び声が尾を引いて消えて行った。
*
「よう、ねぇちゃん、もう大丈夫だぜェ」
追っ手を完全に撒いたタイミングで、ロウはやっと片手で軽々しく掲げ上げていたレパルダスを地面へと降ろした。その瞬間、レパルダスは素早く一歩後退し、戦闘態勢に入る。
「おいおいおいおい、助けてやったのにおだやかじゃァないんじゃないの?」
「警察よッ! 動かないで」
「……マジか」
ロウはレパルダスの叫びに思わず両手を上げた。そしてブゥンとロウの背後に現れたカテツとモズが、すかさず補足説明に入る。
「兄者、忘れられたのですか」
「アクアフェリー号にいたエイミ刑事でございまする」
そして、警察と関わり合いになりたくないのか、それだけ言ったらすぐさま消えてしまった。
「ああ! あんた、“黒影”専属の刑事さんねェ」
「今のあなたには、関係のない事ですッ」
努めて強気な声を出すレパルダス――エイミ刑事を、ロウはまじまじと見つめ返す。
「……へぇ、ふぅん」
ロウは今まで彼女を遠目でしか見た事が無かったが、間近で見るとどうだろう。
極限まで鍛え上げられたしなやかな四肢、文句無しの抜群のプロポーション。少しばかり色気が足りないのが惜しいところだが、それを差し引いても――。
「いい女じゃねぇかァ。かぁッ! あいつも隅に置けねぇなァ!」
「なッ――」
エイミ刑事は、頭の先からつま先まで真っ赤になる。ボンッ、という音すら聞こえてきそうなほどの湯気の立ちようだった。
ロウは、両手を上げて抵抗無しの意思を示しつつ、千鳥足のようなぬるりとした動作でエイミ刑事に歩み寄る。
そして彼は、耳元で囁いた。
「なァ、あいつの専属だなんてもったいねぇぜェ。追うんなら俺にしねェか、うん?」
「ぎゃぁあッ! い、いつの間に!」
ぶうん! いつの間にか接近を許した相手へとっさに爪で“辻斬り”を放つが、ロウは紙一重でこれを避けてみせた。
数多の人生をくぐり抜けて来たロウ=スカーレットの囁きは、どんな女性でも一瞬で虜にしてしまうだろう。それがエイミ刑事となると、心臓がバクバクと脈打ち、もはや劇薬である。
「逮捕よッ、逮捕! 逮捕ッ!! 極刑にしてやるッ!」
もう本人にも、何がなんだか頭が追いつかないようだ。
「フレア刑事に言いつけてやるんだからッ!」
「“煉獄”のやつかァ! あいつ、最近はあんたによく目をかけてやってるんだったなァ」
そんな奴の前でこのレパルダスと遊んでやったりしたら、とロウは想像してみる。
たァのしくなってきやがった。エイミの反応と台詞は、さらにロウの加虐心へさらに火をつける結果となった。
攻撃を避けたロウは再び接近し、今度はレパルダス特有のくびれを持った彼女の首筋へ腕を絡ませる。
「ひぃいやぁっ! は、離しなさいッ! このッ!」
「なァ、こういうことも今まで無かったろォ?」
「どいういうことよッ!」
「連日“黒影”のやつを探してて、心身ともに疲れててだなァ……うん?」
「だ、だだだだ、騙されないわよ! 指名手配犯、ゾロアークのアカことスカーレット! 色仕掛けでほだそうったって、そうはいかないんだから!」
「そういううぶな反応もそそるねェ――あだぁあッッ!!」
鉄の尻尾で、本気で殴られた。