Steal 10 暗黙
「“プロジェクトF”のFは、ファントム。――つまりあれは、“怪盗計画”についての全てが書かれた書類だ」
怪盗、計画だと……?
俺は、“風錐”の口からその単語を聞いた瞬間、思わず立ち上がっていた。自分の頭の回転の速さを呪った。
仲介所が話していたという“プロジェクトF”。そして、その書類を持つ警察。
怪盗計画。怪盗の計画? 怪盗を管理する計画? 怪盗を生み出す計画? それとも、怪盗に“盗ませる”計画?
「あの街は武器商人のハヨウが武力の流れを、顔役のアカが人の流れを、怪盗たちが犯罪者の流れを管理していた。だが、この三者ではどうしても管理できない流れがある。――金だ」
“風錐”の言葉がやけに遠く感じられた。
「あの街の治安はな、全てが警察と仲介所に管理されてやがるんだ。わかるか? 仲介所の怪盗は、奴らが決めた金の流れに沿って獲物を盗んでいるのさ。そう、もちろん。“盗ませる”のは警察の仕事だ」
「ま、まさか……」
「そのまさか、さ」
仲介所が、依頼を怪盗に寄越す。怪盗が犯行予告を出す。その予告を受けて警察が警備に当たる。そして、金銭的価値のある獲物は、結果的に怪盗に盗まれる。
もし、意図した方向に金が流れるよう、ターゲットが決められていたら? 警察の警備に、意図的に穴を作っていたとしたら? そして、それをまんまと怪盗が盗み、その獲物を仲介所に渡したら? その後の獲物――金はどこに流れて行くのだろう?
つまり。
「警察は……仲介所と癒着しているのか……ッ!?」
俺は、膝から崩れ落ちるしか無かった。
少し考えてみれば、思い当たる節はいくらでもあった。
レパルダスのエイミ刑事は、警官としてのノウハウを持っていないにもかかわらず怪盗課に配属され、怪盗“黒影”専属刑事となっている。
俺がアメジスト強奪の依頼を渋った矢先、武器商人のハヨウが不思議荘を買い取ると言い出した。
怪盗“スナッチ”に苦戦していたとき、状況を打開するヒントとなったのは仲介のヨノワールの一言だった。
歌姫の件も、あんさんがぎっくりをやらかした時に行った病院がたまたま歌姫と同じ病院だったのは、よく考えれば偶然どころの話ではない。
「違う、違う!」
なんとか立ち上がった。それでいて、信じがたい事実を突きつけて来た“風錐”に一歩寄った。
「俺は、いきなり蒸発したという父の借金の、肩代わりをさせられていた!」
「そいつはぁ、仲介所にそういわれたのかい」
“風錐”の胸に両手の拳を叩きつけた。必死に訴えた。
「ああ、そうだ! まだガキだった俺にそう言って、怪盗をする事で借金を返せと言って来た!」
「残念だがな、“黒影”。それは指示に従順な怪盗を作り上げるための、体のいい作り話だろうよ。本当は、父親も、借金も、そんな事実はないに決まっている」
だのに、目の前のガブリアスの表情が、俺を哀れむようまま全く変わりはしない。
「俺が怪盗になる事を拒み続けていたら! 俺の家族にどんどん不幸な事故が降り掛かって来た! おかしいだろう! もしその話が嘘ならば、そんなに手の込んだ事しないだろ!」
やめろ、そんな顔で俺を見るな!
「なぁ! 嘘だよな、そんな話! 嘘だと言ってくれ!」
「警察と仲介所にかかれば、特定の誰かに対して、ピンポイントに事故や事件を起こす事など、朝飯前だろうよ」
「な……ッ」
だったら、家族は? マルと、アフトと、ティオさんは? 俺がいたせいで、色々な不幸が降り掛かったのか?
「俺は……俺は……」
――俺がいたら、みんなは不幸になるのか? 俺は、何一つ守れていないのか? これじゃまるで、疫病神じゃないのか?
息なんて、吸えたもんじゃない。
胸板に叩きつけた拳も力が緩んでしまって、ずるずると“風錐”の前でへたり込むしかなくなってしまった。“風錐”が哀れみを含んだ目で俺の事を見下ろして何かを言っているが、全く聞き取る事が出来なかった。
つまり、俺は。怪盗“黒影”は。
仲介所と警察は、俺が必ず盗みを成功させるよう密かに誘導していた。奴らの手のひらの上で踊らされていた。俺は、奴らの繰り広げる劇の、操り人形でしかなかった。
俺が今まで培って来た怪盗の技術は、家族を守るための奮闘は、俺の過ごして来た日々は。いったい、なんだったんだ?
目の前が、真っ暗になった。
次に気がついたとき、辺りは夜になっていた。
うっすらと目を開けたとき、そこには満点の星空が広がっていて、俺が横たわっているすぐ横がほんのりと暖かかったのは、“風錐”がたき火を起こして暖をとっていたからだ。
「気がついたか」
“風錐”は、四日ぶりに起き上がった時のように、ひでぇ顔と俺を笑い飛ばしはしなかった。そうしてくれた方が、何千倍も楽になれたかもしれないのに。
誰か俺を、嗤ってくれよ。
「大丈夫か?」
「……」
何も言う気にならなくて、俺は黙ってたき火の前に座り込んで、ただゆらゆらと燃える炎を眺めていた。
涙も出てきやしない。俺は、本当に、空っぽになっちまったんだな。
いや、俺の中には何かがあると、思い込んでいただけだったんだ。最初から、何も無かっただろうに。
「俺、は」
自分でもこんなに掠れた力の無い声にびっくりした。
――家族を守るために、怪盗をやっていたんだ。
そう言おうと思って、でも言葉は出てこなかった。
犯罪行為である怪盗が苦痛だった時もあった。だが俺が仲介所の依頼をこなしていれば、それで家族を守れていると、思っていた。
怪盗“黒影”は家族を守るための唯一の武器であり、犯罪という背徳行為から目をそらすための、唯一の仮面でもあった。
俺のアイデンティティでもあり。
俺の人生そのものだった。
俺は、盗まされていた。俺に依頼を失敗させようと思えばいつでも出来た訳だ。それはつまり、家族をいつでも殺せるということでもある訳だ。
だとしたら、俺は無力だ。
家族も守れないんなら、生きている意味なんかこれっぽっちも無い。
俺は立ち上がった。
「どこへ行く?」
答える義理も、気力も、なにも無かった。俺はとぼとぼと、“風錐”に背を向けて、ただ歩くしかない。当てなど、ある訳が無い。
「なぁ、“黒影”よぉ。あんまり遠くへ行ってくれるなよ」
うるさい……。どうして今更になって、そんなに優しくしてくるんだ。
――知らなかった頃には、もう戻れない。
覚悟しろと言ったのは、“風錐”、あんたじゃないか。
“風錐”から離れ、一人になり、少しでも俺の気が収まると思ったら、全くそんな事はなくむしろ自分への呪いの言葉ばかりが内か沸き上がっている。
なぜ、俺は気づかなかったんだろう。実に簡単なロジックだったじゃないか。ヒントは、いろんなところに隠れていたじゃないか。
――“脅されている方が続ける理由を探さなくて済む”から怪盗続けてんのさ。
この状況に甘んじていたとでも言うのか? 無意識に、気づかぬふりをしてきたのか?
だとしたら、本当にとんだ腑抜けじゃねぇか!
「ちくしょうッ」
砂浜にに拳を打ち付けると手応えのない感触が返ってくるだけであった。
――Steal 10 暗黙――
背後に、誰かの気配を感じた。
もしかして、“風錐”が追いかけてきたのだろうか。まさか。もうこの俺にかける言葉なんて、無いだろうに。だが、“風錐”にしてはやけにピリピリとした乱暴な殺気が肌につく。
そうか、この殺気には覚えがある。
「まさか、こんなところまで追いかけてくるとはな」
振り返った。俺は笑いがこみ上げてくるのを抑えるはめになった。なぜかって? 奴の名前を思い出してみろ。
俺の眼の前に現れたのは、かつて俺を本気で暗殺しようとしたゲッコウガ――“怪盗狩り”だったからだ。
「――ご免!」
ゲッコウガは月を背にして瞬時に飛び上がった。手で筒を持つような仕草をすると、瞬く間に黒光りする“辻斬り”の刀を逆手に持ち、上空から迫る。食らっていれば確実に沈んでいたであろう初撃を俺は間一髪でかわし、飛び退いた。からぶった太刀に砂が舞う。もちろんだからといって、“怪盗狩り”は手を緩める事はしない、一歩後退した俺の方へバネのように鮮やかに迫った。
避ける気すら起きない。
俺は、ゲッコウガの突進を甘んじて受けた。背中から砂浜に倒れ込んだ。“怪盗狩り”は俺が立ち上がれないよう、覆い被さるようにして乗しかかり、黒い刀を喉元に突きつけていた。
俺の命は、風前の灯火というわけか。
「俺を、殺しにきたか?」
「だとしたらなぜ貴様は笑みを浮かべている?」
ゲッコウガは、心底疑問に思ったのか俺にそう問いかけて来た。そうか、俺は今、笑っているんだったな。
「貴様も、仲介所が用意した操り人形か?」
「何の話をしている」
奴は怪盗を狩る事でこの世界の治安を正そうとしているが……。ハッ! その行為の、なんと不毛なことか。
初めて奴と接触した時、俺は“怪盗狩り”たる存在を本気で脅威だと思っていた。だが、あの街に根付いている秘密を聞いたとたん、“怪盗狩り”の意味でさえ百八十度変わってくる。
貴様が狩って来た怪盗どもはな、みんな奴らの傀儡なんだよ!
「俺をここで殺したところで、何も変わりはしない」
「命乞いか。今更聞かぬぞ」
「命乞い? ――笑わせんな」
この至近距離、外すはずが無かった。
ザンッ!
“怪盗狩り”、に俺の太刀筋は見えなかっただろう。ただ奴には、一筋の緑の光だけが見えたはずだ。
「ぐおッ!?」
俺が横一文字に振った“リーフブレード”を、“怪盗狩り”は一瞬の判断で顔を仰け反らせることで避けた。押し倒していた俺から大きく飛び退いた奴の頬に、一筋の傷ができる。大した反射神経だ。俺は“首を落とすつもりで”一撃を放ったはずなのだが。
だが、怯んだ一瞬を逃す手などない。姿勢を低く、両手を地面につけ、種族本来の姿勢に立ち戻る。
弾丸。直進。
ゲッコウガが正面から受けて立とうと太刀を構え直す。
馬鹿が。遅すぎる。
直進と思わせてから、一歩踏み込んで方向転換。奴の斜め下から攻める。
“リーフブレード”。
逆袈裟切りに。
“怪盗狩り”がとっさに俺の刃を弾く。奴の腕は上に跳ね上がる。やはりそうくる。
胴ががら空きだ。
刃を構える。今度は両手だぜ。防げるものなら、防いでみろ。
「――“シザークロス”」
生かすことは、殺すよりも難しい。俺が今まで色々な相手に苦戦を強いられてきたのは、怪盗として殺さずの暗黙を守ってきたからだ。
だが、初めから俺に、失うものなど何もなかった。
もう暗黙の了解も、どうでもいい。
息の根を止めるなら。
殺し合いならば。
――負ける気がしない。
「これで終わだひゃあッ!?」
「はい、そこまでーーーー」
ガツンと強烈な一発が、今まさにゲッコウガの首を落とさんとする俺の頭上に降りかかってきた。
「な、なななな……」
頭に星が舞う。何が起こった? 誰の仕業だ?
両手を抑えながら衝撃の降りかかってきた頭上をふり仰ぐと、そこには、ガブリアス――“風錐”の姿があった。
いつの間に俺の背後を取った? 気配がまったくしなかったぞ。
「な、なにしやがる……!?」
「派手にどんぱちやるってんなら、おいちゃんもまぜてくれなきゃやぁよ」
「ガキかッ!」
思わずそう叫ぶと、“風錐”がグイ、とやくざのごとく顔を近づけて鋭くこちらを睨みつけてきやがった。何をするかと思えば、大きく体をのけぞらせる。そして――。
「あだぁッ」
なぜか、頭突きを食らった。
「ガキはどっちだ。今まで積み上げて来たもん、簡単に壊そうとするんじゃねぇぞ」
先ほどの頭上に星どころの話じゃない。しばらくは言葉も喋れないほどの痛みだった。
「よぉ、あんたが“怪盗狩り”かい」
“風錐”が邪魔して来たせいで俺が息の根を止め損ねた“怪盗狩り”は、太刀が届かぬ数メートル先に避難して警戒態勢を取っている。
「貴様も怪盗か」
「おうよ。俺は“風錐”ってんだ」
「ならば、貴様も我の前に塞がる敵。――ご免!」
バッ! 再び“怪盗狩り”が跳躍し迫った。だが狙われた当の本人は自然体のまま片方の肩をぐるぐると回すだけだ。
「へへっ、威勢のいい奴はぁ嫌いじゃねぇぜ! 少し体もなまってたんでな、いっちょ肩ならしと行きますか!」
「お、おい待てッ」
仮にも奴は暗殺者だぞ! 過去に何人もの怪盗を葬っているんだ、そんな余裕かましてたら……!
俺たちの頭上に、試合終了のゴングが響いていた。
「……」
今更何の言葉も見つからず、俺はただただ目の前の事実に頭を追いつかせようとしていた。
実にあっけなかった。俺と“風錐”の目の前には――一瞬で伸された挙げ句、縄で縛り付けられたゲッコウガの姿があった。
「ははははは! おぬし、まだまだ修行が足りぬのう!」
「ぐっ……」
まさか、こんなに簡単にこいつがやられるとは思ってもみなかった。“怪盗狩り”の看板を持つゲッコウガからすれば、怪盗に瞬殺された挙げ句縛り上げられるのは屈辱的だろう。
怪盗“風錐”、奴の戦闘力は計り知れない……。
「慈悲などいらん! 一息に殺せ!」
「なぁんでみんなしてこうもデッド・オア・アライブ精神なのかね、若者の癖して。おいちゃんは悲しいよ、おぉおおん!」
先ほどからの軽口も、そして今の泣きまねも、どこまでが本気か分かったもんじゃない。
「このタイミングで現れたってことはあんたも今回の騒動の鍵を握っているかもしれん、殺しはしない。だが主とやらの情報は洗いざらい喋ってもらうぜ」
“怪盗狩り”はカテツやモズと同じ、主と決めた者のために隠密行動をとる忍だ。ただ、依頼主を吐かせたところで今回の“プロジェクトF”と関係があるかどうかは分からないが……。
「あんたは、なんで怪盗の暗殺なんて物騒な事やってるの」
「犯罪者が野放しにされているこの地域はおかしい。それが我が主の思想だ」
「いや、そうだけんども……」
あの奇跡の街の理屈からすれば、犯罪者、つまり怪盗が野放しにされているのは仲介所と癒着している警察が、捜査の手を緩めていることになっているのだが。
「つまりあんたは、“プロジェクトF”のことについては何も知らないの?」
「我は主の命令に従うのみ。そんなものに興味は無い」
「いや、素直に一言『知ってる』か『知らない』かで答えてくれればいいのにさ」
かの怪盗“風錐”も、ゲッコウガの石頭にはやりにくさを感じているようだ。気持ちは分かる。カテツとモズはいつもこんな感じだ。
「まぁいい。で? 主は一体誰なんだ」
「……」
「だんまりか」
「忍は義理堅い。たとえ死んでも吐かないだろうな」
「ほうほう」
俺がわざわざそう言ってやってんのに、どういう訳か“風錐”は目をキラキラさせる一方だ。嫌な予感しかしない。
「決して姿を現さない忍びの集団かぁ……。なぁ、ゲッコウガさんよ」
にんまり、というオノマトペが聞こえてきそうな“風錐”の笑み。
「あんた、絶対に姿をさらさないのが信条なんだってなぁ。忍だもんなぁ」
「……」
「どうよ、せっかくいまここで縛られていることだから、ここであんたを写メってみるか」
「……」
「……」
「……わ、我がそんな脅しに屈するなど」
「あんなことやー、こんなことー、いろいろな角度から試してぇ」
「……」
「あ! 同業者に拡散するのも悪くないな! おい、“黒影”! 確かあんたがはべらせてる奴らがいたよな!」
「はべらせてる言うな。だが、実際のところ忍び仲間に拡散させる事は簡単だな」
「しゃ、写真機など持っていないだろう! でたらめには惑わされぬ!」
「写生でもいいぞ」
“風錐”が間髪入れずにそう言った後、“悪い大人”の顔で俺を見てくる。こうなったら、とことんまで付き合うしか無い、か。
「スケッチには自信がある」
「いやー。さすが“黒影”様はちがうな! ふふふ、隠密に長けた天下の“怪盗狩り”の、恥ずかしい画像集、か……」
「そ、それは――」
「おい“黒影”! 今すぐひとっ走りして紙と鉛筆をかっぱらって来い! 俺の予想だと、多分。大人のおねぇさんあたりに需要が」
「そ、それだけは勘弁だぁああああああああああああ――」
……“怪盗狩り”の断末魔のごとき叫びが、海岸一帯に響き渡った。